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奥能登国際芸術祭 2023

(一部、ちょこもろ日誌と重複します)


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2023.11.05(

木ノ浦再訪

No.09 折戸町木ノ浦海岸
弓指寛治(ゆみさし・かんじ):プレイス・ビヨンド

10月22日、木ノ浦まで足を運びながら、鑑賞には一時間余り掛かると言うNo.09は回避してスタンプだけ押して終わった。
ところがこの作品の評判がよく、ひょっとしたら今回一番ではないかと噂されているそうだ。
娘が是非とも見たいと言うので、再び木ノ浦にやって来た。
本来パスポートにスタンプが押されていると二回は入場できない決まりなのだが、ここは受付がいないのでフリーパス。
(だからこそ、スタンプだけ押すことができた)
足が悪いペンギンは最初から問題外で、来る途中で仲良しの同級生宅に落としてきた。
いきなり張作霖爆殺事件だが、1928年と言うと世界恐慌前だし、そもそも満洲事変とは別の話じゃなかったかな。

01 満蒙開拓団

「・・前略・・ 1931年9月18日、柳条湖において南満洲鉄道の線路が爆破される事件が発生、満洲事変へと発展した。
関東軍の自作自演であったが、群はこれを機に満洲各地を制圧、1932年3月、満洲国が独立を宣言する。 ・・後略・・」

これこれ。関東軍が起こした柳条湖事件が満洲事変のきっかけだ。
02 試験移民

「1932年10月、第一次武装移民には帝国在郷軍人から423人が選抜された。
彼らの出身地は東北6県と新潟、長野、群馬、栃木、茨城の各県で、世界恐慌の波をまともに被った貧しい地域であった。 ・・・・・」

03 (原作者自己紹介) カッコ内は立て札に表題がないので付けた仮表題

「私は文明の光の届かない能登半島で1922年に生まれた。名前は南方寶作(なんぽう ほうさく)。
小作農家の十人兄弟の三男坊、私の小学生時代は村に電気は無く、ラジオや新聞、雑誌などもなかった。 ・・・・・」

南方を「なんぽう」と読むのか。。。
ペンギンのお里、馬緤町辺りでは「なんぼ」と呼んでいるし、上戸町なら「みなみがた」と読むだろう。
能登半島のどのあたりの人だろうか。
奥能登は総じて貧しいが、能登半島で日本海に面した外浦は、山裾がすぐに海に落ち込んで平地がほとんどなく、ことさら貧しい。
やっぱり外浦出身だろうか。

1922年生まれだとすると、大正11年か。。。
貧しいシンダク(分家)の次男坊だった親父より、八歳年下だな。
04 水上偵察機不時着

「1934年9月7日、私が小学6年生の時、日本海軍の水上偵察機がエンジン不調で不時着し、近くの海岸に乗り上げた。 
・・・・・ 病魔に襲われ若くして亡くなった兄の『寶作、勉強して飛行機乗りになれ。』 この一言が私の人生に大きな影響を与えた。
・・・・・ あの日、生まれて初めて現実の飛行機にふれた。 ・・・・・」
帝国海軍の水上偵察機が不時着して、間近で見たらしい。
絵はかなり正確に書いてあるので、調べるのは簡単だった。
手元の資料、日本海軍制式機大鑑によれば、九〇式二号水上偵察機二型に間違いない。
単フロート型が決め手だ。
05 分村開拓先遣隊

「当時、農村更生指定村であったわが村も当然この国策に参画。
・・・・・ 1939年3月下旬、出稼ぎ先から帰省した晩、新徳太郎さんより、若い衆は向さん宅に集まるよう府令があった。」
06 (開拓先遣隊への参加要請)

「・・・・・ 当村では目下、満洲開拓分村移民計画が進行中で、先遣隊を募集している。
ぜひみんな賛同参加して欲しい、と要望が出された。」

07 参加を決心

「集まった若者達はみな貧しいどん底の少年期を経ていた。
幼少からの海軍軍人になる夢を投げなければならないという複雑な心境ではあったが、
二十町歩の地主になれるという話に、私は即、意を決したのであった。」

小作のおっさま(次男坊以下)では土地を持つことなど、夢にもあり得ない。
二十町歩の地主になれる、と持ちかけられたら、釣られて当然だ。

08 渡満

「(1939年)6月5日、徳田内地訓練所での軍隊式の訓練を終え、石川県主催の盛大な壮行会に臨み、翌6日には拓務省主催の壮行会に臨んだ。
先遣隊を歓送する敦賀湾岸壁は人で溢れ、五色のテープ、数百条が船上の人と桟橋から見送る人を結び、風に揺れていた。
午後4時、私たちを乗せた気比丸は岸壁を離れ、速度を上げながら北上した。
さようなら、日本。」


走行会を描いた絵を見ると、げっ!のぼり旗には「珠洲郡西海村」の文字が。。。
西海村はどっからどこまでか知らないが、真浦から狼煙までの外浦全域だとすれば、ペンギンのお里の馬緤はど真ん中じゃないか。
とすると、おそらく南方寶作氏は南方治の親戚に違いない。

あとでペンギンに聞いたら、親戚どころではなく、南方寶作さんはオサムちゃんの実父に間違いないそうだ。
「なんぼ」は通称で、「なんぽう」がほんとだったのか。
ことさら「なんぽう」と強調してあるところを見ると、「なんぼ」と呼ばれるのは心外だったのかも知れない。
五色布のテープが頭上に張られている。
満洲に向かう船上の人と桟橋から見送る人を結んだというテープの意か。
あるいは手前が日本で、テープから向うは満洲となる境界を意味しているのか。
09 朝鮮北部に上陸し、満洲に到着した。
10 現地訓練書入所

自動車の運転技術を習う。
11 理想郷

公共施設が出来上がり、住宅もそろい始めて、理想郷の完成が間近に見えた。
理想郷での日常風景
12 トラック横転事故

物資輸送のトラックで、善意で開拓団の人たちを同乗させたものの、運転手は無免許で、カーブで横転する事故が起きた。
この事故で亡くなった人もいたのか、詳しくはわからない。
寶作氏はとっさに荷台から飛び降りて、無事だったそうだ。
13 入植地決定

開拓団の名簿で、幹部の中に「庶務 南方寶作」の名前が見える
入植地が決定したのは12月、その日の満洲は当然雪景色。
14 庶務 南方寶作

若干十七歳、未経験者が開拓団幹部に取り立てられたのは、おそらく読み書きができたからだろう、とσ(^_^)は思う。
貧しい農村で、まともな教育を受けられた人は少なかったはず。
15 思い出した海軍士官の夢
現状でいいのか、と誰しも悩むところ。
若ければ、だが。
16 満洲での生活
17 満洲開拓を棄て、海軍志願を決意する
18 いったん帰国し、1941年1月11日 雨の金沢駅に降り立つ
19 助九郎伯父に会い、人様を満洲に誘うなと釘を刺される
20 海軍志願兵試験

松任で受験し、満洲に帰ってから採用通知を受け取る
21 北満の春、一度も鍬を振るうことなく帰国の途に就いた。
22 海軍入隊のため、西海村から舞鶴へ
23 海兵団入団

5月1日、海軍四等水兵を命ぜられ、ボート漕ぎでしごかれる
24 8月15日 海軍三等水兵となり、第二防備隊に配属が決まり、本隊に合流するため舞鶴から南方方面へ出港した
25 呉軍港

南方に向かう途中、第二防備隊が呉軍港にいるとの情報で内地に引き返し、呉軍港に入港した
呉には戦艦大和が接岸していた
σ(^_^)の親父も呉上空を飛んでいるとき見たそうで、真上を飛ぶと菊の御紋章に畏れ多いとしてご法度だったらしい
前方から見る大和は横幅が広く、樽が浮かんでいるみたいだったそうだ
26 第二防備隊乾隆丸で上陸訓練
九州西岸で訓練したと書いてあるので、呉からいつの間にか移動したらしい
27 訓練を終え、関門の沖合で出動の命を待つ
28 開戦前夜

対米英開栓間近と、司令の訓示により、山本五十六連合艦隊司令長官の命が達せられた
29 真珠湾攻撃の十日後、乾隆丸は台湾を出撃
輸送船100隻、護衛船90隻からなる大船団の最後尾にいた
30 この艦艇のほとんどが数年後には海底の藻屑になろうとは、いったい誰が考えられただろうか
31 フィリピン諸島リンガイエン湾に入った乾隆丸の高角砲が火を噴く
・・・当たったとは思えないが。
32 明けて1942年、輸送船段の最後尾で航海中、時々上空で零戦が技量を披露
このころの零戦なら初期の二一型で、開戦当時は向かうところ敵なしだった
33 タラカン島上陸で乾隆丸は至近弾を浴び、無数の魚が犠牲となって海面に浮上
これは上陸作戦の光景だろうか
34 ジャワ島の海ヘビ
前日のスラバヤ沖海戦で沈没した連合軍艦船の兵士たちが、漂流して海ヘビに襲われていた
35 ジャワ島到着
36 七ヶ月親しんだ乾隆丸に別れを告げ、バリックパパンに上陸、サマリンダ派遣隊の隊員となる
37 後方陣地でのひととき、捕虜の敵兵と談笑
38 米軍機による本土初空襲があった
39 ミッドウェー海戦で痛恨の大敗北を喫する
40 マハカム川のほとりで歩哨に立ち、星空を見上げて感傷に浸る
北極星は見えず、見えているのは南十字星のはず
41 脱走したオランダ軍捕虜の掃討に協力したダイヤ族の功を表彰するため、マハカム川を遡行することになった
42 往路四日のマハカム川素行の途中、ボルネオのジャングルで猿の大群や巨大なワニを見た
サルは一匹しか描いてないが、たくさんいたものとする
巨大なワニはおそらく、ワニの中でも最も巨大かつ凶暴なイリエワニだろう
海水でも生息できる
43 饗宴

ダイヤ族の歓待を受けた
ガンダスと言う踊りを夜を徹して踊る
44 軍医長の従兵を命じられ、看護兵となる
45 各種練習生の採用試験が実施されることになり、飛行搭乗員の近道として整備術練習生を受験
46 帰国

軍医長従兵をやめ、ジャワを離れて日本に帰って来た。 
相模野海軍航空隊に入隊、航空機の勉学に励む。
47 六か月の訓練期間を終え、搭乗発動機整備員に志願
48 志願したあと数日して、念願の搭乗発動機整備員に採用された
搭乗発動機整備員は中型機以上の航空機に乗組員として搭乗することになっている
49 1943年4月18日、山本五十六連合艦隊長官がブーゲンビル上空で戦死
50 撤退、玉砕と敗戦の報が届く中、相模野から鹿児島県鹿屋へ移動
51 初飛行

九六式陸上攻撃機で初飛行
乗り組むのは操縦員、偵察員、電信員、登場整備員の四名
52 エンジンと機体に異常がないか、診断を常に行って正常稼働させるのが登場整備員の任務
53 自分自身で操縦桿を握って飛んでいるわけではないので、初飛行の満足感はもう一つだった
一蓮托生の面々
55 ダグラスDC-3

開戦前に米国から購入したダグラスDC-3に乗る
武器を持たないので、敵機に見つかれば確実に撃墜された
σ(^_^)の親父が乗っていた陸軍の九七式重爆も輸送機として使っていて、やっぱり丸腰だったそうだ
56 サイパン島守備隊が玉砕し、撤退作戦の支援でボルネオ、フィリピン、台湾、硫黄島などを飛び回った
57 台湾沖航空戦で戦死した弟(飛行機乗りだったらしい)と今生の別れ
58 九州から台湾へ向けて飛行中、機位を見失って危うく遭難しかかる
59 台湾から九州へ向かったが、厚い雲に遮られ、やっとのことで雲の裂け目を見つけて海面上に出る

60 八月ごろ、飛行場で整備中の九六陸攻に、訓練中の一式陸攻が着陸に失敗して突っ込んだ
61 金属製の飛行機は不調になると落ちるのが当たり前なので、空の上は緊張の連続だった

  
62 整備員の仕事

一式陸攻が離陸に失敗して大事故を起こし、その機の整備員の責任とされ、生還したが海軍の歴史から消えた。
63 神風特別攻撃隊が編成された
64 同期が操縦するダグラスが撃墜された
敵戦闘機の攻撃を受け、炎上墜落するダグラスDC-3
65 軍人精神注入棒

樫の木で作った六角棒で、気合いが足りない、と新兵時代のように尻を叩かれる
66 精神注入棒を振るった豊田兵曹は、後年国家の前途を憂いて拳銃自殺した
67 白昼の夢

ダグラスDC-3が台湾高雄へ向け、飛び立った。
68 計器すべて異状なく作動、窓からも駆使した左エンジン異状なく、水平線より朝日が顔を出す
69 続いて右エンジンに目をやると、朝日を浴びて輝く富士山が見えた
雲海に浮かぶ富士山
70 富士山を見たのは、たまたま窓の外を見た私だけだった。
・・・機長は見ていたと思うけど。

71 1945年3月10日、東京大空襲により12万人が犠牲になった。
山行かば 草むすかばね
72 4月に入ると米軍は沖縄に上陸して9万人が戦死、一般人も10万人が犠牲になった。
73 サイパン、硫黄島からB29が日本本土に連日来襲して、大都市は焦土と化した。
74 青森県樺山基地に集結せよとの命令を受けた
75 鵬特別攻撃隊

樺山基地で編成された鵬特別攻撃隊に組み入れられた
76 樺山空から美幌第三空へ移動し、洋上で夜間航法訓練を受ける
77 伝え聞く特攻とは片道燃料の輸送機に兵士を乗せ、敵基地に強行着陸後、B29を爆破すると言う荒唐無稽な作戦。
78 1945年8月

6日に広島に原爆投下 同月9日 長崎に原爆投下 同日ソ連が宣戦布告して満洲に侵攻開始

79 8月15日 終戦を迎える
ここから先は南方ルートと開拓団ルートに別れる
開拓団ルートは行き止まりコースで、番号はこれまでの連番から外れて一番から始まっている
足元が悪い下り坂で、行ったら帰って来れなくなる恐れがあるので、あきらめた。
80 終戦後の8月19日、飛び交う流言飛語の中、脱走兵が武装蜂起を企てる
81 8月20日 特攻隊が解散
ダグラスDC-3で原隊に復帰したが、弊社のガラス窓はことごとく割られ、食器が床に散乱していた。
行き場のない怒りで荒らされた兵舎の内部
82 終戦に納得できず、戦闘機を飛ばしてビラ撒きをする者もいた
原隊に復帰とあったが、どこに帰ったのかわかった
終戦直後、戦闘機を飛ばしてビラをまいたのなら、小園司令のいた厚木基地だ
83 8月22日、ダグラスDC-3の最後の飛行で、小松空港に帰った
84 8月24日、敗戦してなお生還した自責の念にとらわれながら、我が家に帰った
もう戻ることはあるまいと思っていた我が家
85 開拓団がどうなったのか、何の情報もない
86 時間が経つにつれ、開拓団の人達はおそらく生きては帰れないだろうと言う憶測が流れる
87 これから訪れる満洲の厳冬を思うと、無事帰還できるよう祈るしかなかった
夕闇迫るころ、長い物語が終わって出発点の駐車場に戻って来た。
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無断借用 m(_ _)m
後日、娘がどこからか入手した満蒙開拓団死没者名簿の写真。
先日断念した開拓団コースの終点に設置してあるそうだ。
名簿の冒頭にはペンギンの伯母さんと五人の従兄姉たちの名前が記されている。
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2023.10.29(
No.17 三崎町本 旧本小学校体育館
植松奎二(ウエマツ ケイジ):見えないエネルギー 天と地と海との間に

年末にかけ、北陸では北西の季節風が吹き荒れて雷が多発することがある。
寒ブリが富山湾内に回遊してくる前触れだとして、この雷のことをブリ起こしと呼んでいる。
作品は海面に落ちる稲妻を表現していると言う。

転がっている丸太はどっかの神社で倒れた御神木だそうだ。
あまり予算は掛かっていないと思われるが、なかなかにダイナミックな作品だ。
片付けるのも楽そうなのもいい。
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No.16 三崎町内方 養蚕飼育所跡
梅田哲也:遠のく

消えかけた看板の文字からすると、農水省の補助事業で整備されたのだろう。
昭和58年度と書かれていたのかな?
明治時代ならともかく、昭和も終わろうとしている時期に、養蚕など採算がとれるはずがない。
農政局の口車に乗って、返済不可能な借金を負ってしまった農民の悲劇は、ほかにいくつも聞いた。
最初の倉庫には網のようなものがぶら下がっていた。
どういう意味なのか、さっぱりわからない。

次の倉庫には、スノコみたいなもんが吊り下げられている。
養蚕している現場を見たことがないし、毛虫が苦手なσ(^_^)は毛虫の親戚の蚕など見たくもない。
スノコがどんなふうに使われていたのか、想像もできないし考えたくもない。

左手の扇風機も作品の一部のようだ。
現役当時は熱がこもらないよう、室内の空気をかき回していたんだろう。

第三の倉庫には床の骨組みたいなのが一面に敷き詰められている。
その上にはガラスの球がぶら下がっていて、魚眼レンズのように向こう側が見える。
空洞だとこうはならないから、ガラスの中実球か、あるいは水で満たされているか、だろう。

手前のコケの一塊りは、経過した虚しい時間を現しているのか。
表題の「遠のく」はこれか?
つわものどもの夢の跡を感じさせる。
諸悪の根源、農政局はあちこちに負の遺産を残して、数十年前に撤退した。
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No.14 三崎町粟津 旧粟津保育所
カールステン・ニコライ:図書室 カールステン・ニコライが推薦する子供の本

常設会場のはずだが、思い出せない。
そのうち、黒く染められた硬式テニスボールが衝立の陰から打ち出されるに及んで、やっと思い出した。
ボールはいったん壁に当たって跳ね返るので、壁には黒い染みが付いている。
実は後ろにも円盤が隠れている。
黒いボールの跳ね返りは不規則で、たまに円盤に当たるとゴーンと言う音がする。
表題の「図書室」とは縁もゆかりもない作品だが、どこかの部屋に子供の本が展示されていたそうだ。
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No.15 三崎町粟津 旧粟津保育所の庭
杉谷一孝(すぎたに かずたか):おもちゃ

No.14を見るため保育所内に入ろうとしたとき、庭で紙芝居を使った寸劇をやっていた。
後回しにしたのが手順前後で、外に出たときにはもう終わっていた。
十分ほど待てば再演するから見て行ってくれ、と頼まれたが、時間がないのでスタンプだけもらっておさらばした。
そのため、表題の「おもちゃ」とは、庭にばらまかれた色とりどりのブロックのことなのか、紙芝居の中身なのかはわからず終い。
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No.18 三崎町小泊 旧小泊保育所
山本基(やまもと もとい):記憶への回廊

廃止された保育所は使われる見込みはなく、ここも常設会場。
青の回廊を抜けると・・・
崩れかけた塩の階段がある。
壊れているように見えるが、これはもともと作品の一部。
連休の震度六強の地震でも壊れなかった、と南方治が自慢する作品。
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No.21 蛸島町 旧劇場そばの民家
OBI(日本):4K

昔、飯田町にはスメル館と飯田劇場と言う二つの映画館があったが、 蛸島にも映画館はあったのか。
ここは映画館ではなく近傍の民家で、入口右上の「上映中」のランプは、今は亡き劇場の形見だろう。
最初の部屋には大型のディスプレイがあって、祭りの動画を映写している。
手前にあるのは観覧席かと思ったら、ヨバレに使う輪島塗の御膳を裏返したものだった。
ここは祭りの部屋らしい。
次の部屋は子供が使う道具が置いてある。
子供部屋?
三つ目の部屋にもディスプレイが何か動画を映している。
日常を表現している?
四つ目の部屋は、漁師町蛸島では主役の漁具を、と言うか、定置網のガラス浮き玉を並べている。

表題の「4K」とは四つの部屋の意味かと思ったが、よく考えると四部屋はあってもキッチンがない。
いったい、どゆ意味?
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No.22 蛸島町 旧島崎家
田中信行:蝕生

さて、奥能登国際芸術祭2023も大詰めを迎え、これが最後の作品となる。

孫助(屋号)の倉庫裏にある誰も住んでいない旧家で、最初の部屋には組子細工が並んでいる。
何が言いたい?
次の間は囲炉裏があるので居間だろう。
億には神棚、右手にでっかいソロバンが置いてある。
ソロバンはデカけりゃいいと言うもんじゃないと思うが。
三つ目の部屋は真っ暗で、安物androidスマホで撮るには荷が重い。
美しい漆塗りのオブジェが置いてある。
もちろんこれがこの作品の主役だろう。
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No.22を最後に、奥能登国際芸術祭2023は全作品を見終わった。
いや、No.09はスタンプだけでスルーしているから、正確にいえば全作品のスタンプが集まった、と言うべきだろう。

17時前、総合案内があるラポルトすずへ立ち寄り、記念品を貰ってきた。
記念品は三種類あったと思うが、実用性がありそうなのは、このクリアファイルだけ。
あとの二種類は何だったか、忘れた。

クリアファイルもデザインが三種類あったので、一人一種類ずつ貰った。
このうち、右端の「ず」の文字には仕掛けがある。
ファイルに何か紙を挟むと「す」の文字で・・・
挟んだ髪を引っこ抜くと、あ〜ら不思議、「ず」が現れる。
一文字で「すず」と読めるではないか!

というわけで、今回の芸術祭も事故なく怪我なく無事終わった。
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2023.10.22(
No.05 大谷町 旧西部小学校グラウンド
牛嶋均:松雲海風艀雲(マツクモウミカゼハシケグモ)

基礎しかなかった作品が完成したと聞いたので、もう一度足を運んでみた。
このまえ見たときの完成図とはだいぶ違タワーが寸詰まりだが、それよりなんか前のめりでバランスが悪い。
そうか。。。左側にあるべき滑り台がないんだ。
予算がここで尽きたんだろうが、姿かたちが不自然でとても芸術作品とは言えんし、何よりこれじゃ遊具にはならんぞ。(-_-;)
おそらくこの作品は常設になるのだろうが、作家としてはやり切れない思いだろうな。気の毒に。
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No.09 折戸町木ノ浦海岸
弓指寛治(ゆみさし・かんじ):プレイス・ビヨンド

遊歩道に沿って写真と文章が展示されていて、一回りすると一時間も掛かるそうだ。
ペンギンの足では無理だし、こっちもそんな悠長なことはやってられない。
ハンコはぶら下がっていたので、スタンプだけ押してパスした。
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No.10 折戸町木ノ浦海岸
アレクサンドル・ポノマリョフ:TENGAI

祭りのキリコをイメージした作品だそうな。
タワーの根元の円筒は、使われなくなった酒タンクで、あちこちに出回っている。
風が吹くと音が出る。
今回の芸術祭で、これまで見たうちでは一番気に入った。
しかし国定公園内だから、やっぱり撤去される運命なんだろうな。
同様の作品がもう一つあり、二つで一つの作品だ。
ツーショットが欲しいが、二つの間には雑木林があり、海にでも出ない限り、陸側から二つ同時に写真には撮れなかった。
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No.11 折戸町木ノ浦キャンプ場
リチャード・ディーコン:Infinity 41,42,43

Infinityは無限大と言う意味。
シリーズ作品だそうで、41,42,43は連作の通し番号だろう。
パラボラアンテナみたいなのが三つ、空中の一点を狙っている。
ひとつひとつはこんな感じ。
木ノ浦海岸の風景で救われているが、背景がなければ粗大ゴミだな。
おそらくは見られたくはないであろう背後に回って、ついつい構造や溶接の出来を見るのは、商売柄のサガ、ってやつで。。。
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No.12 折戸町 旧日置公民館
さわ ひらき:幻想考"The Butterfly Dreams"

この会場はいつも真っ暗で写真にならない。
たぶん以前と同じ作品だと思うが、印象が希薄で記憶に残っていない。
おおきなメトロノームが突然映し出された。
基本暗くてほとんど見えないが、たまに明るくなる時もある。
突然渡り鳥が出現するのは見たような気がする。
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No.13 狼煙町 漁協近くの網干場
小野龍一:アイオロスの広場

白い砂利を敷き詰めた原っぱに、柱の廃材が古いピアノの周りを取り囲むようにして立っている。
No.07 もストーンヘンジを連想したが、こっちの方がよりそれらしく見える。
雨曝しのピアノは、おそらく旧消防署に放置してあったやつだろう。

写真ではわかりづらいが、ピアノからそれぞれの柱のてっぺんに向かって、放射状に針金が張り渡してある。
この針金を触ると音が出ると主張しているが、出るか!ンなもん!
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No20 蛸島町鉢ヶ崎 珠洲焼資料館の回り
リュウ・ジャンファ:憑依する風景

芸術祭2020+から変わっていないように見えるが、埃を被っていないので、今回の展示のために一つずつ洗浄したと思われる。
手は掛かっている。
なんと、このガラクタを盗んでいく物好きがいるらしい。
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No.19 蛸島町鉢ヶ崎 鉢ヶ崎海水浴場
ラグジュアリー・ロジコ:家のささやき

これは力作だ。
合掌造りの屋根を思わせる。
木ノ浦のNo.10といい勝負だ。
屋根の内側には瓦の枚数と同じ数の角棒がトゲのように突き出ている。
このトゲが茅葺屋根の厚みを感じさせる。
角棒をよく見ると、先端にはカウンターウェイトが付いている。
瓦とウェイトとは天秤になっていて、重量バランスを取っているらしい。
瓦は屋根に固定されておらず、風が吹くと揺れるようになっているようだ。
通常この手の展示では、作品には手を触れないのがお約束なので、揺らしてみはしなかった。
揺らしてみてナンボ、だと思うけどなぁ。。。

あとで看板の写真を見直すと、瓦にさえ触らなきゃよかったんだ。
瓦に息を吹きかけるか、ウェイトを動かして瓦を揺らしてみるんだった。(-_-;)
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No.23 正院町川尻 旧蛸島駅近く
トビアス・レーベルガー :なにか他にできる

芸術祭2017からここに常設されているが、錆が出ていないので塗り直されているようだ。
グラデーションカラーの四角い枠がねじれて並んでいる。
表題は作品の中にある望遠鏡で見える看板に書かれた「Something Else is Possible」の日本語訳。
廃線のレールの上に置かれた気動車(右手奥)は以前のままだが、こんな売店はあったかな?
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2023.10.15(
No.01 大谷町清水 旧衣清水保育所
塩田千春:時を運ぶ船

ペンギンは実家で法事があり、σ(^_^)と娘だけで曽々木の今新で昼ご飯を食べた。
今新で法事が終わるのを待つ予定だったが、実家まで迎えに来てくれと言う、何のために曽々木まで来たかわからない要請が来た。
実家のある馬緤へ向かって出発したが、途中にある一番札所はどうせいつもと同じだから、とスタンプだけ押していくことにした。
しかし自分でスタンプを押すならともかく、受付の人の手を煩わすとなると、入口ではい、さよならとは帰りにくい。
会場に来ていないペンギンのぶんもスタンプを貰った義理もあるので、ちょろっと作品にご挨拶して来た。
これは力作だとは思う。
常設とは言え、メンテナンスもおそらく必要なはず。
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No.02 大谷町 旧西部小学校体育館
スズ・シアター・ミュージアム:「光の方舟」

ガラクタを並べてあるだけなので中に入らず、スタンプだけ押してもらった。
常設となると、芸術祭ごとにあのガラクタを片付け、掃除し終わったあと原状回復してまた並べ直すのか。
気が遠くなりそうだ。
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No.02-3 大谷町 旧西部小学校グラウンド
株式会社キノ花園計画(日本):メドウガーデン

No.02-3と振られた番号から推測すると、「光の方舟」のおまけらしい。
子番号 1 と 2 の作品はどこだ?
公式ガイドブックには記載がなく、作者も作品名もここまで足を運んで看板を見るしかない。
見たところで何を言いたいのか、ぜんぜんわからない。
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No.03 大谷町 旧西部小学校グラウンド
板茂(ばん・しげる):潮騒レストラン

えらい建築家の先生が設計したそうだ。
建築家と建築士は、建築士法上同じ免許だが、建築家を建築士呼ばわりすると怒られる。
鉄骨であれば何の違和感もないラチス構造だが、ヒノキの圧縮材だと思うと、これで大丈夫かと不安になる。
ここは外浦、積雪こそ少ないが、冬の季節風は台風並みだぞ。
テーブル席から入口方向を振り返ると、右手は日本海。
夜になれば、さぞ潮騒がうるさいだろう。
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No.04 大谷町 旧西部小学校グラウンド
浅葉克己:石の卓球台第3号

芸術祭2020+で、「さいはてのキャバレー」に設置されたが、五月の連休大地震で傾き、ここに引っ越してきた。
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No.05 大谷町 旧西部小学校グラウンド
牛嶋均:松雲海風艀雲(マツクモウミカゼハシケグモ)

基礎の擁壁だけで、作品は影も形もない。
おそらく時間か予算が足りず、未完成で終わったのだろう。
悲惨、の一言。
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No.02-2 大谷町 旧大谷保育所
スズ・シアター・ミュージアム:「光の方舟」分室

ここもガイドブックにない、大蔵ざらえ収蔵庫
No.02-2がこんなところにあった。
なんのこたない、ガラクタがどんどん増えて、本家に納まりきらなくなったんだろう。
古い衣紋掛け(えもんかけ)なら、うちにも使ってないのが二本あるぞ。
お代は要らない、寄付させていただけないかな。
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No.06 馬緤町 ゴジラ岩近くの岩場
ファイブ・アフメッド:自身への扉

昼ご飯のあと、ペンギンを迎えに行く途中で見たときは、小雨そぼ降る灰色の空の下で、小汚い鳥居にしか見えなかったのに・・・

晴れていると、鳥居に貼られたアルミ箔が日の光を反射し、風に揺らめきキラキラ輝いて美しい。
これはまごうかたなき芸術だ。
見に行くとしたら晴れている日に限る。
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No.07 馬緤町鰐崎海岸
奥村浩之:風と波

割られた白い岩がストーンヘンジのように並んでいる。
削岩機で削孔したときの鑿(ノミ)あとを模様として利用している。
ここは鰐崎、2020+のときは、右側の山すそに鏡が三枚並んでいた。
国定公園内に工作物は許されないとして、撤去したあと原状復帰したので、痕跡もない。
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No.08 笹波町の海岸
アナ・ラウラ・アラエズ:太古の響き

これはナメコか?それともマッシュルーム?
質感は金属だが、作品に触れるのはご法度なので、ほんとのところはわからない。
金属ならお金が掛かっていそう。
遠くに見える岬の向こう側は鰐崎。

時間はまだあるが、近くにションベンするところがないので今日はここで打ち切り、ほうほうの体で家に帰った。(-_-;)
直線上に配置
2023.10.08(
No.28 飯田町栄町 旧衣料店跡
ソル・カレロ:La tienda Maeno

自宅から一番近い会場で、ついそこの8番らーめんの隣りだ。
飯田町栄町は若山町出田と隣接していて、我が家の隣りは栄町地内になる。
以前は祭りに使う衣装を扱っていた店だそうで、ドテラと前掛けが飾られていた。
飯田の祭りでドテラを着たことはないし、見た記憶もない。
燈籠山祭りでは法被にステテコ姿だったが、子供の頃に前掛けをした記憶がある。
ひょっとしたら八月の本祭りで、キリコを担ぐときにドテラを着た時代があったのかも知れない。
時計とハンモックの部屋。
ハンモックに乗って見ている人もいる。
意味は解らない。
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No.29 飯田町大町 空き店舗
弓指寛治(ゆみさし かんじ):物語るテーブルランナー in 珠洲2

昔は美容院じゃなかったかな?
右隣りの八木自転車はよく覚えているが。
左の壁には布で作ったトンボが飾ってある。
トンボは好きだが、リアルでも何でもないので、面白くもおかしくもない。
主たる展示物は、アップリケで書いた絵。
作家が縫い手の思い出を聞き取って書いた下絵で、縫い手が暇暇に縫ったそうだ。
絵の一例。
書いた人、というか、縫った人には思入れがあるのだろうが、縁もゆかりもないσ(^_^)にとっては面白くもおかしくもない。
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No.30 飯田町大町 旧タクシー営業所あと
栗田宏一:能登はやさしや土までも

昔、タクシー会社はスズ交通と飯田タクシーの二社があった。
飯田タクシーは今町にあり、スズ交通のほうが五十歩か百歩ぐらい西寺町に近かったので、飲んで帰るときはスズ交通を利用するほうが多かった。(^^;)
作品はは二階を全面使っている。
白地図上で奥能登各地の土を採取した場所に並べてある。
どんな場所から採取したのかは触れていない。
畑とか田んぼとか一定の条件を決めておらず、なるべく変わった色の土を集めたものだろう。
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No.31 飯田町今町 空き店舗
のらもじ発見プロジェクト:いいよ、いいまち、いいだまち

ここはサカシタの隣り、と言うことは、σ(^_^)が子供の頃は食料品販売の船本商店だった。
船本父ちゃんの顔がくっきり脳裏に浮かぶ。
なんでだろう???
のらもじとは、看板に使われる個性的な書体の文字のことだそうだ。
説明を見ても、何が面白いのかわからない。
スタンプラリーみたいでもあるので、とにかくスタンプを集めてみたが、面白くもおかしくもなかった。
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No.27 野々江町大島田 旧珠洲駅あと
佐藤悠(さとう ゆう):おはなしの駅 すず

写真中付近、プラットホームにある講談の演台みたいなところで作者が「かたりとおはなし」をすべく、観客を待っている。
話に乗るように誘われたが、こっちはこのあと正院を回らなきゃならない。
先を急ぐし、関わりたくないので逃げて来た。
口の重い奥能登原住民相手では無理な趣向だ。
どっかよその県の、おしゃべり好きな客と語りあってくれ。

・・・時間さえあれば、ペンギンが付き合ったかも。
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No.24 正院町正院 旧正院駅あと
大岩オスカール:植木鉢

本日最後は正院地区。
芸術祭2020+から常設された作品ばかりなので、スタンプを貰うだけ。
スタンプだけでは申しわけないので、一応申しわけにホームまで出てみた。
前回との違いはないが、樹木は少し大きくなっているだろう。
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No.25 正院町飯塚 旧飯塚保育所
ひびのこずえ:コスチューム×身体×スズズカ

ここも常設になったようだ。
どうせ使い道はないし。。。
作品は会場ではなく、ダンサーの踊りだが、よっぽどその気になって見に行かないと踊り手はいない。
公演を見に行ったら、榮ちゃんがダンサーに驚いて泣きだしたのを思い出すなぁ。。。
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No.26 正院町飯塚 旧事務所
中島伽耶子:あかるい家

右下にタイヤが四個。
ひょっとしてハウルの動く城ように移動するのか?
新たな装備かと思ったが、2020+の写真を見ると、やっぱりタイヤ四個が写っていた。
当然だが、ピクリとも動いていない。
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No.48 正院町正院 バス停
アレクサンドル・コンスタンチーノフ:珠洲海道五十三次

他に三ヶ所のバス停が市内のあちこちに散在し、どこでもスタンプはもらえる。
バス停前にしては車が止めやすかったので、 ここでスタンプを押しておこう。
直線上に配置
2023.10.01(
No.32 上戸町椀平 土石置き場
SIDE CORE:Blown' In the Wind

先週北山のボトルシップで出会ったペンギンの知り合いに、椀平が一番大変だったと聞いた。
昼ご飯を食べていの一番の気力体力が満ち満ちているうちに椀平に上がって来た。
だいぶ歩かされることを覚悟していたが、会場まで車で行けた。
途中の道が細く曲がりくねって、対向車とすれ違うのが大変と言えば大変なだけだった。

表題の Blown' In The Wind は言わずと知れたボブ・ディランの名曲、「風に吹かれて」の原題だ。
いくつか展示された作品の中で、風見鶏が主役らしい。
風車は借景で添え物だが、こんなに近くで見たことがなかったので、これだけでも来たかいがあった。
一つ隣りの風車。
作品はまったく目立たない。
ところどころに野積みされた漬物石大の石の山があるが、こりゃなんだ?
賽の河原の石積みか?

商売柄、こっちが一番気を取られた。
トロンメルのように見えるが、入口も出口もない。
胴体に大きく開いた開口部から砕石かなんかを投入し、蓋をしてガラガラ回して砕石の角を取る機械だろう。
蓋は後ろに回ったら落ちていた。
なんか、兵(つわもの)どもの夢のあと、と言った寂寥感が漂う。

そうか!さっきの漬物石はこのプラントの原材料か、ないしはあれが製品だ!
後に回ると氏素性が書いてあった。
自然石製造て、それすでに自然石じゃないだろ。
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No.42 宝立町鵜島 旧鵜島保育所
マリア・フェルナンダ・カルドーゾ:種のタイムカプセル

床に並べられているのは椿の実。
熟するとこうなって種が落ちるらしい。
子供の頃に種に穴をあけて笛を作って遊んだが、青い実を使ったので、ここまで熟した実は見た覚えがない。
壁に貼り付けられているのはヒシの実。
これは子供の頃に青い実をよく食べた記憶がある。
簡単に採れる池を知っていただけのことで、美味くもなんともなかった。
こんなにたくさん、良く集めたものだ、松ぼっくり。
色の薄いほうが背中になる。
拡大するとよくわかる。
ヒシの実もこれだけ集めると芸術だねぇ。。。
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No.40 宝立町柏原 旧柏原保育所

北山善夫:人間は赤ちゃんから生まれる

全館気色の悪い人形で埋め尽くされている。
霊感が強いと自負するペンギンは、一歩足を踏み入れた瞬間に寒気がして、写真は一枚も撮らなかったそうだ。
この部屋の人形はなぜかガスマスクをして横たわっている。
渦を巻いて人形が並んでいる。
手前のほうが小さい人形なので、右回りに中心に向かって成長していると言う意味か?
それにしちゃ、手前のハイハイしている赤ん坊は後ろ向きだが。

渦巻きと来れば伊藤潤二を連想してしまうが、相通じるものがある。
これも小石の列が渦巻きを描いていて、赤ん坊が外向きにハイハイしている。
中心はアンモナイトの化石らしい。
外側に向かって左回りしながら、アンモナイトから人類に進化したと言う意味か?
それとも単なる伊藤潤二趣味か?
この部屋は一転して人形が一体もなく、特に妖気は漂っていない。
のどかなようだが、やはり渦を巻いている伊藤潤二の世界。、
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No.32 上戸町北方 旧能登線珠洲飯田駅
河口龍夫:小さい忘れ物美術館

ここは前回、前々回、いや初回から同じなので、ハンコだけもらって、さいなら。
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No.41 宝立町鵜飼 見附海岸
シュー・ジェン:運動場

見附島を望む見附海岸の芝生の上に白い砂利を敷き詰め、迷路のような小道を作っている。
丸見えなので迷いようがなく、迷路ではないにしても、運動場には見えん。
上から見ると、なんか文字か絵が現れるのだろうか。
それにしても国定公園なら芸術祭閉幕後は原状回復が必須だろうが、砂利を拾い集めて芝生に戻すのはさぞかし大変だろうなぁ。。。
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No.39 宝立町鵜飼 旧能登線鵜飼駅
コウ・シュンミン:秘境

駅舎に入ると待合室にはガラクタが展示されていた。
ここだけ見て帰り、あんなもんが有料とはけしからん、と怒っていた人がいたとかいないとか。。。
プラットホームに出ないと、ほんとの作品が見られない。
上りホームから下りホームに断面が三角のトンネルと言うか、橋が架けられて、渡ることができるようになっている。
左手には変な方向を向いた三角の鏡が立っているが、これを見ても自分の姿が映るだけだ。
トンネル内部は万華鏡のようになっていて、夕日がまぶしい。
後ろを振り返って、上りのプラットホームを見る。
何のためにあるのかわからなかった三角の鏡が俄然真価を発揮して、より万華鏡らしくなった。
あまりお金を掛けてなさそうな割に、立派な作品と見た。

なお、構想が遅れたかあるいは予算が不足したか、ガイドブックに記載されている図とは、似ても似つかぬものとなっている。
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No.38 宝立町春日野 旧漁網倉庫
シリン・アベディニラッド:流転

芸術祭2020+では倉庫が窓から網をゲボっていて、一目でここが会場だとわかったが、今回は受付があるだけで見落とすところだった。
前回と作家は異なるが、作品は今回も残されている網を使っている。
北欧神話オタクの目には作家の意図は伝わらず、イグドラシルの木のように見える。
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No.33 上戸町北方 古民家
吉野央子(よしの おうじ):回遊の果て

会場の休暇はここだが、目印となる物がなく、土地勘があっても探すのに一苦労。
おそらくよそから来た人たちには見つけられず、あきらめた人は多数いるだろう。

受付のある展示場は17時までと言うタイムリミットがあるのを知らず、店仕舞いをしている最中に訪れたが、快く延長営業してくれた。
めったに見つけてもらえないので、よっぽど珍しい客だったのかも知れない。
座敷に魚が泳いでいる。
座敷には大蛸が鎮座ましましていた。
芸術祭2017で見た、同じ作者の大蟹のほうがインパクトが強かった。
縦から見ても横から見ても大蛸だ。
大蛸の背後、床の間にはこの蛸が揮毫したと思われる墨痕鮮やかな書が掲げられている。
アオリイカもいるでよ。
直線上に配置
2023.09.24(
ペンギンが実家の月命日に出掛け、終わるのを待っていたため、出陣は15時頃と遅くなった。
時間が半端なので、一筆書きでは行けない若山町の奥地を片付けることにした。
天気もいいし、まずは袖すり合うも他生の縁のあった若山町北山にしたが、はからずも最後尾、No.47からの出発になった。
No.48も存在するが、初回からずっと設置したままのバス停なので、数には入れない。

.No.47 若山町北山 耕作放棄地
小山真徳(こやま まさよし):ボトルシップ

若山町の北の果て、鳥も通わぬ北山の耕作放棄地を、この作品を置くために埋め立てたそうだ。
鋼材を組み合わせたスケルトンの丸瓶の中に丸木舟が入っている。
アーティストに直接聞いた話では、海岸に流れ着いたガラス瓶のイメージだそうだ。
当初、うちに引き合いがあったときは角瓶で、縦に四分割しないと運べないほど巨大で、しかもところどころガラス張りになっていた。
予算が一桁違っていたため、製作図を書き始めたところでお流れになり、大幅に簡素化してどこか県外の鉄工所から運ばれてきた。
てっぺん中央に溶接の跡があるので、二分割して運搬し、現場で溶接したものだろう。
断面が丸いので、もちろんガラス張りは最初からあきらめている。
鳥も通わぬ北山に人家が見える。
白雲生ずるところ人家有り、と言ったところか。
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No.46 若山町吉ヶ池 空き家
原嶋亮輔(はらしま りょうすけ):Future Past 2323

北山から下ること十数分、吉ヶ池の空き家にやってきた。
前回は黒い蝶の切り抜きが一面に貼り付けられ、ペンギンが気持ち悪い、を連発した家だ。
付喪神になる資格がありそうな小道具があちこちに展示されていた。
以下はそのうちのいくつか。

畳の上に上がったことなどありうるはずがない、馬橇。

座敷の床の間に飾られた蓑と笠。
柳宗元の五言絶句、「江雪」の一節が脳裏に浮かぶ。

孤舟蓑笠の翁 独り寒江の雪に釣る

この句を見るたびいつも、釣り好きだった親父の姿とダブって風景が目に浮かぶ。
いくら付喪神がテーマでも、これはやり過ぎじゃなかろうか。
見かけは妖怪だが、まだ新しそう。
吉ヶ池から車で10分、旧上黒丸小中学校に来た。
ここで一気にNo43、No.44、No.45が終わる。
案内図を見るとNo.43は、教室2ヶ所に分散している。
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No.43 若山町上黒丸 旧上黒丸小中学校
泰然(たいぜん)+きみきみよ:あかりのありか 《のと》

タケコプター、ではない、紙飛行機に乗って、空から地上を俯瞰しているイメージらしい。
ここの作品にはタイトルがついている。
例えばこれは垂水(たるみ)の滝。
あまりそれらしくは見えないが、きれいだから芸術作品と呼んでもよかろう。
別室にも展示があった。
似たようなもの、と言うと怒られるが、コンセプトは同じなので、以下主文は同文です。
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No.44 若山町上黒丸 旧上黒丸小中学校
嘉春佳(よし はるか):祈りのかたち

図書室の床に古着が整然と並んでおり、上から下がっている古着の集まりは器だそうだ。
さっぱりわからんが、芸術とはそんなものだ。
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No.45 若山町上黒丸 旧上黒丸小中学校
鈴木泰人(すずき やすひと):音蔵庫

古道具が並んでいる。
付喪神が教室で黒板に向かって座り、てんでに雑談しているみたいだ。

一筆書きでは回れない、若山地区はこれで終了。
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No.34 上戸町寺社 空き舟小屋
城保奈美(しろ ほなみ):海の上の幻

暗くなるまでにはまだ間があるので、上戸町にやって来た。
聞くところによると上戸地区でも椀平は大変な難コースらしいので、気力体力が充実している、初っ端に行くことにしよう。
今日のところは上戸地区のうち、簡単に片付きそうなところをすませておくことにした。
まず、グリル瀬戸の隣りにある船小屋で、国道側からは船小屋の背中が見えるだけで、海側に回り込まないとわからない。。
密に吊り下げられたレース糸が美しい。
降り注ぐ陽光のイメージか。
写真ではわからないが、現物を見ると光の中に舟の像が薄っすらと浮かんでいる。
素人にもわかりやすいアート作品だった。
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No.34 上戸町南方 柳田児童公園
N.S.ハーシャ:なぜここにいるのだろう

柳田神社の海側、バリカーの手前には車一台しか止められない難所。
先に一台止まっていたので、神社の入り口に車を突っ込んだ。
鳥居より外側だからいいだろう。
母キリンは樹木の葉っぱを食べ、子キリンはおっぱいを飲んでいる。
気になるのは母キリンにパラボラアンテナらしきものが付いていること。
なんとなく、惑星探査機ボイジャーを思い起こさせる。
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No.35 上戸町寺社 旧能登線上戸駅
ラックス・メディア・コレクティブ:うつしみ

ここは第一回目から展示されている、無人駅の待合室が幽体離脱している風景。
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2023.09.23(土) 晴れ

奥能登国際芸術祭2023開幕

直線上に配置


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