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      江口左官の基礎の精度が良すぎて、削らないと建てられなかった。 
      四十九日骨納めの当日の朝で、簡単に終わるはずがあせった。 
      早くしないと坊さんが来てしまうぞ。 
      土台の四隅に見えるのはアンカーボルト。絶対倒れない。 
      納骨棺もでっかい。二、三十人いっぺんに死んでも大丈夫。 
      底は土に帰るために地球の表面が露出している。 
      電線を持つぐらいしか役に立たないのが私。 | 
    
    
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      一段目を据える。 
      ステンレスの厚みが4mmともなるとけっこう重い。 
      芝石(墓の下の土台部分)は左官屋にまかせた。 
      石屋の仕事になるが、左官屋が元請なのでオラ知らね。 
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      二段目、三段目は先に組み立てておいて載せる。 
      一段目よりもっと重い。 | 
    
    
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      一段目と二段目をボルトで緊結する。 
      生き仏として入るつもりなら、入れないこともない。 | 
    
    
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      完成写真 
       
      風化しないので、人類が破滅したのちもおそらくこの墓だけは残るだろう。 
      骨をどこから収めるか、子供に教えておかないと私が入れない。 
      家紋は飯塚乙脇本家と同じ「丸に三つ柏」 
      彫るわけにはいかないので少し浮かせて貼り付けてある。 
      水がたっぷり入る花立が売り。 
      ただし恐ろしくごついこともあり、女子供では片手で持てない。 
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      文字は小学校時代の恩師、書家の皆口松風先生に揮毫していただいた。 
       
      「脳血栓のあと、右手が不自由なのでもう字は書いていない。」 
      といやがる先生に 
      「それならほかに二つとない字になるのでなお値打ちがある。」 
      と、無理やり書かせる鬼のような教え子であった。 
       
      ま、小学生の頃は何かことあるごとに見せしめのため 
      私ばかり叱っていたという先生にも、若干の弱みがあったのではないかと・・・・ |