それから 夏目漱石 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)誰《だれ》か |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)此|掌《てのひら》に [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)六《む》※[#小書き濁点付き平仮名つ、25-10]かしい /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)初々《うい/\》しく *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------        一の一  誰《だれ》か慌《あは》たゞしく門前《もんぜん》を馳《か》けて行く足音《あしおと》がした時、代助《だいすけ》の頭《あたま》の中《なか》には、大きな俎下駄《まないたげた》が空《くう》から、ぶら下《さが》つてゐた。けれども、その俎《まないた》下駄は、足音《あしおと》の遠退《とほの》くに従つて、すうと頭《あたま》から抜《ぬ》け出《だ》して消えて仕舞つた。さうして眼《め》が覚めた。  枕元《まくらもと》を見ると、八重の椿《つばき》が一輪《いちりん》畳《たゝみ》の上に落ちてゐる。代助《だいすけ》は昨夕《ゆふべ》床《とこ》の中《なか》で慥かに此花の落ちる音《おと》を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬《ごむまり》を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更《ふ》けて、四隣《あたり》が静かな所為《せゐ》かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはづれに正《たゞ》しく中《あた》る血《ち》の音《おと》を確《たし》かめながら眠《ねむり》に就いた。  ぼんやりして、少時《しばらく》、赤ん坊の頭《あたま》程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当《あ》てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈《みやく》を聴《き》いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確《たしか》に打つてゐた。彼は胸に手を当《あ》てた儘、此鼓動の下に、温《あたた》かい紅《くれなゐ》の血潮の緩く流れる様《さま》を想像して見た。是が命《いのち》であると考へた。自分は今流れる命《いのち》を掌《てのひら》で抑へてゐるんだと考へた。それから、此|掌《てのひら》に応《こた》へる、時計の針に似た響《ひゞき》は、自分を死《し》に誘《いざな》ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生《い》きてゐられたなら、――血を盛《も》る袋《ふくろ》が、時《とき》を盛《も》る袋《ふくろ》の用を兼ねなかつたなら、如何《いか》に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生《せい》を味はひ得るだらう。けれども――代助《だいすけ》は覚えず悚《ぞつ》とした。彼は血潮《ちしほ》によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生《い》きたがる男である。彼は時々《とき/″\》寐《ね》ながら、左の乳《ちゝ》の下《した》に手を置いて、もし、此所《こゝ》を鉄槌《かなづち》で一つ撲《どや》されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。  彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具の中《なか》から両手を出《だ》して、大きく左右に開《ひら》くと、左側《ひだりがは》に男が女を斬《き》つてゐる絵があつた。彼はすぐ外《ほか》の頁《ページ》へ眼《め》を移した。其所《そこ》には学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠《だる》さうな手から、はたりと新聞を夜具の上《うへ》に落した。夫から烟草を一本|吹《ふ》かしながら、五寸許り布団を摺《ず》り出して、畳の上の椿《つばき》を取つて、引つ繰《く》り返《かへ》して、鼻の先へ持《も》つて来《き》た。口《くち》と口髭《くちひげ》と鼻の大部分が全く隠《かく》れた。烟りは椿《つばき》の瓣《はなびら》と蕊《ずい》に絡《から》まつて漂《たゞよ》ふ程濃く出た。それを白《しろ》い敷布《しきふ》の上《うへ》に置くと、立ち上《あ》がつて風呂場《ふろば》へ行つた。  其所《そこ》で叮嚀《ていねい》に歯《は》を磨《みが》いた。彼《かれ》は歯並《はならび》の好《い》いのを常に嬉しく思つてゐる。肌《はだ》を脱《ぬ》いで綺麗《きれい》に胸《むね》と脊《せ》を摩擦《まさつ》した。彼《かれ》の皮膚《ひふ》には濃《こまや》かな一種の光沢《つや》がある。香油を塗《ぬ》り込んだあとを、よく拭き取《と》つた様に、肩《かた》を揺《うご》かしたり、腕《うで》を上《あ》げたりする度《たび》に、局所《きよくしよ》の脂肪《しぼう》が薄《うす》く漲《みなぎ》つて見える。かれは夫《それ》にも満足である。次に黒い髪《かみ》を分《わ》けた。油《あぶら》を塗《つ》けないでも面白い程自由になる。髭《ひげ》も髪《かみ》同様に細《ほそ》く且つ初々《うい/\》しく、口《くち》の上《うへ》を品よく蔽ふてゐる。代助《だいすけ》は其ふつくらした頬《ほゝ》を、両手で両三度撫でながら、鏡の前《まへ》にわが顔《かほ》を映《うつ》してゐた。丸で女《をんな》が御白粉《おしろい》を付《つ》ける時の手付《てつき》と一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉《おしろい》さへ付《つ》けかねぬ程に、肉体に誇《ほこり》を置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好《さうごう》で、鏡に向ふたんびに、あんな顔に生《うま》れなくつて、まあ可《よ》かつたと思ふ位である。其代り人から御洒落《おしやれ》と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。        一の二  約《やく》三十分の後《のち》彼は食卓に就いた。熱《あつ》い紅茶を啜《すゝ》りながら焼麺麭《やきぱん》に牛酪《バタ》を付けてゐると、門野《かどの》と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍《わき》へ置きながら、 「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕《つら》まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限《かぎ》つて、平気に先生として通《とほ》してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。 「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭《ぱん》を食《く》つて居た。 「だつて痛快ぢやありませんか」 「校長排斥がですか」 「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉《うれ》しがつてゐる。 「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事《こと》でもあるんですか」 「冗談云つちや不可《いけ》ません。さう損得《そんとく》づくで、痛快がられやしません」  代助は矢つ張り麺麭《ぱん》を食《く》つてゐた。 「君、あれは本当に校長が悪《にく》らしくつて排斥するのか、他《ほか》に損得《そんとく》問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中《なか》へ注《さ》した。 「知りませんな。何《なん》ですか、先生は御存じなんですか」 「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得《とく》にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」 「へえ、左様《そん》なもんですかな」と門野《かどの》は稍|真面目《まじめ》な顔をした。代助はそれぎり黙《だま》つて仕舞つた。門野《かどの》は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様《そん》なもんですかなで押し通して澄《す》ましてゐる。此方《こちら》の云ふことが応《こた》へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所《そこ》が漠然として、刺激が要《い》らなくつて好《い》いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日《いつにち》ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野《かどの》は何時《いつ》でも、左様《さう》でせうか、とか、左様《そん》なもんでせうか、とか答《こた》へる丈である。決して為《し》ませうといふ事は口《くち》にしない。又かう、怠惰《なまけ》ものでは、さう判然《はつきり》した答《こたへ》が出来ないのである。代助の方でも、門野《かどの》を教育しに生《うま》れて来《き》た訳でもないから、好加減《いゝかげん》にして放《ほう》つて置く。幸《さいは》ひ頭《あたま》と違《ちが》つて、身体《からだ》の方は善く動《うご》くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野《かどの》の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野《かどの》とは頗る仲《なか》が好《い》い。主人の留守などには、よく二人《ふたり》で話をする。 「先生は一体《いつたい》何《なに》を為《す》る気なんだらうね。小母《おば》さん」 「あの位《くらゐ》になつて入らつしやれば、何《なん》でも出来《でき》ますよ。心配するがものはない」 「心配はせんがね。何《なに》か為《し》たら好《よ》ささうなもんだと思ふんだが」 「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探《おさが》しなさる御積りなんでせうよ」 「いゝ積《つも》りだなあ。僕も、あんな風に一日《いちんち》本《ほん》を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮《くら》して居たいな」 「御前《おまへ》さんが?」 「本《ほん》は読まんでも好《い》いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」 「夫《それ》はみんな、前世《ぜんせ》からの約束だから仕方がない」 「左様《そん》なものかな」  まづ斯う云ふ調子である。門野《かどの》が代助の所へ引き移る二週|間《かん》前には、此若い独身の主人と、此|食客《ゐさうらふ》との間に下の様な会話があつた。        一の三 「君は何方《どつか》の学校へ行つてるんですか」 「もとは行きましたがな。今は廃《や》めちまいました」 「もと、何処《どこ》へ行つたんです」 「何処《どこ》つて方々《ほう/″\》行きました。然しどうも厭《あ》きつぽいもんだから」 「ぢき厭《いや》になるんですか」 「まあ、左様《さう》ですな」 「で、大《たい》して勉強する考もないんですか」 「えゝ、一寸《ちよつと》有りませんな。それに近頃|家《うち》の都合が、あんまり好《よ》くないもんですから」 「家《うち》の婆《ばあ》さんは、あなたの御母《おつか》さんを知つてるんだつてね」 「えゝ、もと、直《ぢき》近所に居たもんですから」 「御母《おつか》さんは矢っ張り……」 「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃《ちかごろ》は不景気で、余《あん》まり好《よ》くない様です」 「好《よ》くない様ですつて、君、一所《いつしよ》に居るんぢやないですか」 「一所《いつしよ》に居ることは居ますが、つい面倒だから聞《き》いた事《こと》もありません。何でも能《よ》くこぼしてる様です」 「兄《にい》さんは」 「兄《あに》は郵便局の方へ出てゐます」 「家《うち》は夫《それ》丈ですか」 「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使《こづかひ》に少し毛の生えた位な所なんでせう」 「すると遊《あす》んでるのは、君許りぢやないか」 「まあ、左様《そん》なもんですな」 「それで、家《うち》にゐるときは、何をしてゐるんです」 「まあ、大抵|寐《ね》てゐますな。でなければ散歩でも為《し》ますかな」 「外《ほか》のものが、みんな稼《かせ》いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」 「いえ、左様《さう》でもありませんな」 「家庭が余《よ》つ程円満なんですか」 「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」 「だつて、御母《おつか》さんや兄《にい》さんから云つたら、一日《いちにち》も早く君に独立して貰《もら》ひたいでせうがね」 「左様《さう》かも知れませんな」 「君は余つ程気楽な性分《しやうぶん》と見える。それが本当の所なんですか」 「えゝ、別に嘘《うそ》を吐《つ》く料簡もありませんな」 「ぢや全くの呑気《のんき》屋なんだね」 「えゝ、まあ呑気《のんき》屋つて云ふもんでせうか」 「兄《にい》さんは何歳《いくつ》になるんです」 「斯《か》うつと、取つて六《ろく》になりますか」 「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄《にい》さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」 「其時に為《な》つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何《なに》しろ、どうか為《な》るだらうと思つてます」 「其外《そのほか》に親類はないんですか」 「叔母《おば》が一人《ひとり》ありますがな。こいつは今、浜《はま》で運漕業をやつてます」 「叔母《おば》さんが?」 「叔母《おば》が遣《や》つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父《おぢ》ですな」 「其所《そこ》へでも頼《たの》んで使つて貰《もら》つちや、どうです。運漕業なら大分|人《ひと》が要《い》るでせう」 「根が怠惰《なまけ》もんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」 「さう自任してゐちや困る。実は君の御母《おつか》さんが、家《うち》の婆さんに頼んで、君を僕の宅《うち》へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」 「えゝ、何だかそんな事を云つてました」 「君自身は、一体どう云ふ気なんです」 「えゝ、成るべく怠《なま》けない様にして……」 「家《うち》へ来《く》る方が好《い》いんですか」 「まあ、左様《さう》ですな」 「然し寐て散歩する丈ぢや困る」 「そりや大丈夫です。身体《からだ》の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」 「風呂は水道があるから汲まないでも可《い》い」 「ぢや、掃除でもしませう」  門野《かどの》は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。        一の四  代助はやがて食事を済まして、烟草を吹《ふ》かし出した。今迄茶|箪笥《だんす》の陰《かげ》に、ぽつねんと膝《ひざ》を抱《かゝ》へて柱に倚《よ》り懸《かゝ》つてゐた門野《かどの》は、もう好《い》い時分だと思つて、又主人に質問を掛《か》けた。 「先生、今朝《けさ》は心臓の具合はどうですか」  此間《このあひだ》から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。 「今日《けふ》はまだ大丈夫だ」 「何だか明日《あした》にも危《あや》しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体《からだ》を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取《と》つ付《つ》かれるかも知れませんよ」 「もう病気ですよ」  門野《かどの》は只《たゞ》へえゝと云つた限《ぎり》、代助の光沢《つや》の好《い》い顔色《かほいろ》や肉《にく》の豊《ゆた》かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時《いつ》でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭《あたま》は、牛《うし》の脳味噌《のうみそ》で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話《はなし》をすると、平民の通《とほ》る大通りを半町位しか付《つ》いて来《こ》ない。たまに横町へでも曲《まが》ると、すぐ迷児《まいご》になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪《たて》に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼《かれ》の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄《あらなは》で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為《ため》に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此《この》のらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞《ふるまひ》たがる。其上頑強一点張りの肉体を笠《かさ》に着《き》て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来《く》る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報《むくひ》に受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為《な》れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野《かどの》にはそんな事は丸で分らない。 「門野《かどの》さん、郵便は来《き》て居《ゐ》なかつたかね」 「郵便ですか。斯《か》うつと。来《き》てゐました。端書《はがき》と封書が。机の上に置きました。持つて来《き》ますか」 「いや、僕が彼方《あつち》へ行つても可《い》い」  歯切《はぎ》れのわるい返事なので、門野《かどの》はもう立つて仕舞つた。さうして端書《はがき》と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日《あす》午前|会《あ》ひたし、と薄墨《うすずみ》の走《はし》り書《がき》の簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋《やどや》の名《な》と平岡常《ひらをかつね》次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。 「もう来《き》たのか、昨日《きのふ》着《つ》いたんだな」と独《ひと》り言《ごと》の様に云ひながら、封書の方を取り上《あ》げると、是は親爺《おやぢ》の手蹟《て》である。二三日前帰つて来《き》た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着《つ》いたら来てくれろと書《か》いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。 「君、電話を掛けて呉れませんか。家《うち》へ」 「はあ、御宅《おたく》へ。何《なん》て掛《か》けます」 「今日《けふ》は約束があつて、待《ま》ち合《あは》せる人があるから上《あ》がれないつて。明日《あした》か明後日《あさつて》屹度伺ひますからつて」 「はあ。何方《どなた》に」 「親爺《おやぢ》が旅行から帰つて来《き》て、話があるから一寸《ちよつと》来《こ》いつて云ふんだが、――何《なに》親爺《おやぢ》を呼《よ》び出さないでも可《い》いから、誰《だれ》にでも左様《さう》云つて呉《く》れ給へ」 「はあ」  門野《かどの》は無雑作に出《で》て行つた。代助は茶の間《ま》から、座敷を通《とほ》つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除《さうじ》が出来てゐる。落椿《おちつばき》も何所《どこ》かへ掃《は》き出されて仕舞つた。代助は花瓶《くわへい》の右手《みぎて》にある組《く》み重《かさ》ねの書棚《しよだな》の前《まへ》へ行つて、上《うへ》に載せた重い写真帖を取り上《あ》げて、立《た》ちながら、金《きん》の留金《とめがね》を外《はづ》して、一枚二枚と繰《く》り始めたが、中頃迄|来《き》てぴたりと手《て》を留《と》めた。其所《そこ》には廿歳《はたち》位の女の半身《はんしん》がある。代助は眼《め》を俯せて凝《じつ》と女の顔を見詰めてゐた。        二の一  着物《きもの》でも着換《きか》へて、此方《こつち》から平岡《ひらをか》の宿《やど》を訪《たづ》ね様かと思つてゐる所へ、折よく先方《むかふ》から遣《や》つて来《き》た。車《くるま》をがら/\と門前迄乗り付けて、此所《こゝ》だ/\と梶《かぢ》棒を下《おろ》さした声は慥《たし》かに三年前|分《わか》れた時そつくりである。玄関で、取次《とりつぎ》の婆さんを捕《つら》まへて、宿《やど》へ蟇口《がまぐち》を忘れて来《き》たから、一寸《ちよつと》二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄|馳《か》け出して行つて、手を執《と》らぬ許りに旧友を座敷へ上《あ》げた。 「何《ど》うした。まあ緩《ゆつ》くりするが好《い》い」 「おや、椅子《いす》だね」と云ひながら平岡は安楽|椅子《いす》へ、どさりと身体《からだ》を投《な》げ掛《か》けた。十五貫目以上もあらうと云ふわが肉《にく》に、三文の価値《ねうち》を置いてゐない様な扱《あつ》かひ方《かた》に見えた。それから椅子《いす》の脊《せ》に坊主頭《ぼうずあたま》を靠《も》たして、一寸《ちよつと》部屋の中《うち》を見廻しながら、 「中々《なか/\》、好《い》い家《うち》だね。思つたより好《い》い」と賞《ほ》めた。代助は黙《だま》つて巻莨入《まきたばこいれ》の蓋《ふた》を開《あ》けた。 「それから、以後《いご》何《ど》うだい」 「何《ど》うの、斯《か》うのつて、――まあ色々《いろ/\》話すがね」 「もとは、よく手紙が来《き》たから、様子が分《わか》つたが、近頃ぢや些《ちつ》とも寄《よこ》さないもんだから」 「いや何所《どこ》も彼所《かしこ》も御無沙汰で」と平岡は突然《とつぜん》眼鏡《めがね》を外《はづ》して、脊広の胸から皺だらけの手帛《ハンケチ》を出して、眼《め》をぱち/\させながら拭《ふ》き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝《じつ》と其様子を眺めてゐた。 「僕より君はどうだい」と云ひながら、細《ほそ》い蔓《つる》を耳《みゝ》の後《うしろ》へ絡《から》みつけに、両手で持つて行つた。 「僕は相変らずだよ」 「相変らずが一番|好《い》いな。あんまり相変るものだから」  そこで平岡《ひらをか》は八《はち》の字《じ》を寄《よ》せて、庭の模様を眺め出《だ》したが、不意に語調を更《か》へて、 「やあ、桜《さくら》がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だか故《もと》の様にしんみりしない。代助も少し気の抜《ぬ》けた風に、 「向ふは大分|暖《あつた》かいだらう」と序《ついで》同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法|外《ぐわい》に熱《ねつ》した具合で、 「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨《まきたばこ》に火を点《つ》けた。其時婆さんが漸く急須《きうす》に茶を注《い》れて持つて出た。今しがた鉄瓶に水《みづ》を射《さ》して仕舞つたので、煮立《にたて》るのに暇《ひま》が入つて、つい遅《おそ》くなつて済《す》みませんと言訳をしながら、洋卓《テーブル》の上《うへ》へ盆《ぼん》を載せた。二人《ふたり》は婆《ばあ》さんの喋舌《しやべつ》てる間《あひだ》、紫檀の盆《ぼん》を見《み》て黙《だま》つてゐた。婆さんは相手にされないので、独《ひと》りで愛想笑ひをして座敷を出《で》た。 「ありや何《なん》だい」 「婆《ばあ》さんさ。雇《やと》つたんだ。飯《めし》を食《く》はなくつちやならないから」 「御世辞が好《い》いね」  代助は赤い唇《くちびる》の両|端《はし》を、少し弓《ゆみ》なりに下《した》の方へ彎《ま》げて蔑《さげす》む様に笑つた。 「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」 「君の家《うち》から誰《だれ》か連《つ》れて呉れば好《い》いのに。大勢《おほぜい》ゐるだらう」 「みんな若《わか》いの許りでね」と代助は真面目《まじめ》に答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。 「若《わか》けりや猶結構ぢやないか」 「兎に角|家《うち》の奴《やつ》は好《よ》くないよ」 「あの婆《ばあ》さんの外《ほか》に誰《だれ》かゐるのかい」 「書生が一人《ひとり》ゐる」  門野《かどの》は何時《いつ》の間《ま》にか帰つて、台所《だいどころ》の方で婆さんと話《はなし》をしてゐた。 「それ限《ぎ》りかい」 「それ限《ぎ》りだ。何故《なぜ》」 「細君はまだ貰《もら》はないのかい」  代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。 「妻《さい》を貰つたら、君の所へ通知|位《ぐらゐ》する筈ぢやないか。夫《それ》よりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。        二の二  代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業して後《のち》、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互に力《ちから》に為《な》り合《あ》ふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めに口《くち》にした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤《つと》めてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立《しつたつ》の当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、直《ぢき》帰つて来給《きたま》へと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其|眼鏡《めがね》の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。家《うち》へ帰つて、一日《いちにち》部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。嫂《あによめ》を連れて音楽会へ行く筈《はづ》の所を断わつて、大いに嫂《あによめ》に気を揉ました位である。  平岡からは断えず音信《たより》があつた。安着の端書《はがき》、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙の来《く》るたびに、代助は何時《いつ》も丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事を書《か》くときは、何時《いつ》でも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのが厭《いや》になつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表して来《く》る場合に限つて、安々《やす/\》と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。  そのうち段々手紙の遣《や》り取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又|二《ふた》月、三《み》月に跨がる様に間《あひだ》を置《お》いて来《く》ると、今度は手紙を書《か》かない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐する為《ため》に封筒の糊《のり》を湿《しめ》す事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助の頭《あたま》も胸《むね》も段々組織が変つて来《く》る様に感ぜられて来《き》た。此変化に伴《ともな》つて、平岡へは手紙を書《か》いても書《か》かなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。現《げん》に代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春《このはる》年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。  それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々《とき/″\》思ひ出《だ》す。さうして今頃は何《ど》うして暮《くら》してゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄|過《すご》して来《き》た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引き上《あ》げて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分《なにぶん》宜しく頼《たの》むとあつた。此何分宜しく頼《たの》むの頼《たの》むは本当の意味の頼《たの》むか、又は単に辞令上の頼《たの》むか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。  それで、逢《あ》ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話が外《そ》れて容易に其所《そこ》へ戻《もど》つて来《こ》ない。折を見て此方《こつち》から持ち掛けると、まあ緩《ゆ》つくり話すとか何とか云つて、中々《なか/\》埒《らち》を開《あ》けない。代助は仕方《しかた》なしに、仕舞に、 「久《ひさ》し振《ぶ》りだから、其所《そこ》いらで飯《めし》でも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、何《いづ》れ緩《ゆつ》くりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へ上《あが》つた。        二の三  両人《ふたり》は其所《そこ》で大分《だいぶ》飲《の》んだ。飲《の》む事《こと》と食《く》ふ事は昔《むかし》の通りだねと言《い》つたのが始《はじま》りで、硬《こわ》い舌《した》が段々《だんだん》弛《ゆる》んで来《き》た。代助は面白さうに、二三日|前《まへ》自分の観《み》に行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭《おまつり》が夜《よ》の十二時を相図に、世の中の寐鎮《ねしづ》まる頃を見計《みはから》つて始《はじま》る。参詣《さんけい》人が長い廊下を廻《まは》つて本堂へ帰つて来《く》ると、何時《いつ》の間《ま》にか幾千本《いくせんぼん》の蝋燭が一度《いちど》に点《つ》いてゐる。法衣《ころも》を着《き》た坊主が行列して向ふを通るときに、黒《くろ》い影《かげ》が、無地《むぢ》の壁《かべ》へ非常に大きく映《うつ》る。――平岡は頬杖を突《つ》いて、眼鏡《めがね》の奥の二重瞼《ふたへまぶち》を赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃|広《ひろ》い御成《おなり》街道を通《とほ》つて、深夜《しんや》の鉄軌《レール》が、暗《くら》い中《なか》を真直《まつすぐ》に渡《わた》つてゐる上《うへ》を、たつた一人《ひとり》上野《うへの》の森《もり》迄|来《き》て、さうして電燈に照らされた花《はな》の中《なか》に這入《はい》つた。 「人気《ひとけ》のない夜桜《よざくら》は好《い》いもんだよ」と云つた。平岡は黙《だま》つて盃《さかづき》を干《ほ》したが、一寸《ちよつと》気の毒さうに口元《くちもと》を動《うご》かして、 「好《い》いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似《まね》が出来《でき》る間《あひだ》はまだ気楽なんだよ。世の中《なか》へ出《で》ると、中々《なか/\》それ所《どころ》ぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所《そこ》でこんな答をした。 「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」  平岡は酔つた眼《め》を心持大きくした。 「大分《だいぶ》考へが違《ちが》つて来《き》た様だね。――けれども其苦痛が後《あと》から薬《くすり》になるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」 「そりや不見識な青年が、流俗の諺《ことわざ》に降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」 「だつて、君だつて、もう大抵世の中《なか》へ出《で》なくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」 「世の中《なか》へは昔《むかし》から出《で》てゐるさ。ことに君と分《わか》れてから、大変世の中が広《ひろ》くなつた様な気がする。たゞ君の出《で》てゐる世《よ》の中《なか》とは種類が違《ちが》ふ丈だ」 「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」 「無論食ふに困る様になれば、何時《いつ》でも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を嘗《な》めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」  平岡の眉の間《あひだ》に、一寸《ちよつと》不快の色が閃《ひら》めいた。赤い眼《め》を据ゑてぷか/\烟草《たばこ》を吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、少《すこ》し調子を穏《おだ》やかにした。―― 「僕の知つたものに、丸で音楽の解《わか》らないものがある。学校の教師をして、一軒ぢや飯《めし》が食《く》へないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読《したよみ》をするのと、教場へ出《で》て器械的に口《くち》を動《うご》かしてゐるより外に全く暇《ひま》がない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所《どこ》に音楽会があらうと、どんな名人が外国から来《き》やうと聞《きゝ》に行く機会がない。つまり楽《がく》といふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭《ぱん》に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭《ぱん》を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」  平岡は巻莨《まきたばこ》の灰を、皿《さら》の上《うへ》にはたきながら、沈《しづ》んだ暗《くら》い調子で、 「うん、何時《いつ》迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其|重《おも》い言葉の足《あし》が、富《とみ》に対する一種の呪咀を引《ひ》き摺《ず》つてゐる様に聴《きこ》えた。        二の四  両人《ふたり》は酔《よ》つて、戸外《おもて》へ出《で》た。酒《さけ》の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。 「少《すこ》し歩《ある》かないか」と代助が誘《さそ》つた。平岡も口《くち》程|忙《いそ》がしくはないと見えて、生返事《なまへんじ》をしながら、一所に歩《ほ》を運《はこ》んで来《き》た。通《とほり》を曲《まが》つて横町へ出《で》て、成る可《べ》く、話《はなし》の為好《しい》い閑《しづか》な場所を撰んで行くうちに、何時《いつ》か緒口《いとくち》が付《つ》いて、思ふあたりへ談柄《だんぺい》が落ちた。  平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭《あたま》の中《なか》に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時《いつ》も取り合はなかつた。六《む》※[#小書き濁点付き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪《わる》い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分《わか》つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖《こわ》いからの様に思はれた。其所《そこ》に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事《こと》も一度《いちど》や二度《にど》ではない。  けれども、時日《じじつ》を経過するに従つて、肝癪が何時《いつ》となく薄らいできて、次第に自分の頭《あたま》が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力《つと》めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来《き》た。時々《とき/″\》は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出《で》たての平岡でないから、先方《むかふ》に解《わか》らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。 「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺《す》るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目《まじめ》な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。  支店長は平岡の未来《みらい》の事に就て、色々《いろ/\》心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中《あた》つてゐるから、其時《そのとき》は一所に来《き》給へ抔《など》と冗談半分に約束迄した。其頃《そのころ》は事務《じむ》にも慣《な》れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇《ひま》が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨《さまたげ》をする様に感ぜられて来《き》た。  支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関《せき》といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所《ところ》が此男がある芸妓と関係《かゝりあ》つて、何時《いつ》の間《ま》にか会計に穴を明《あ》けた。それが曝露《ばくろ》したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放《ほう》つて置くと、支店長に迄多少の煩《わづらひ》が及んで来《き》さうだつたから、其所《そこ》で自分が責を引いて辞職を申し出《で》た。  平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上《うへ》になればなる程|旨《うま》い事が出来《でき》るものでね。実は関《せき》なんて、あれつ許《ばかり》の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。 「ぢや支店長は一番|旨《うま》い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。 「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁《にご》して仕舞つた。 「それで其男の使ひ込んだ金《かね》は何《ど》うした」 「千《せん》に足《た》らない金《かね》だつたから、僕が出して置《お》いた」 「よく有《あ》つたね。君も大分|旨《うま》い事をしたと見える」  平岡《ひらをか》は苦《にが》い顔をして、ぢろりと代助を見た。 「旨《うま》い事《こと》をしたと仮定しても、皆《みんな》使つて仕舞つてゐる。生活《くらし》にさへ足りない位だ。其金は借《か》りたんだよ」 「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何《ど》んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低《ひく》く明《あき》らかなうちに一種の丸味《まるみ》が出てゐる。 「支店長から借《か》りて埋《う》めて置いた」 「何故《なぜ》支店長がぢかに其|関《せき》とか何とか云ふ男に貸して遣《や》らないのかな」  平岡《ひらをか》は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人《ふたり》は無言の儘しばらくの間《あひだ》並《なら》んで歩《ある》いて行つた。        二の五  代助は平岡《ひらをか》が語《かた》つたより外《ほか》に、まだ何《なに》かあるに違《ちがひ》ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有《も》つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil《ニル》 admirari《アドミラリ》 の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚《びつくり》する程の山出《やまだし》ではなかつた。彼《かれ》の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅《か》いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。  代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中《なか》で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時《いつ》でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心《うぶ》と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗《あら》ひ浚《ざら》ひ自分の弱点を打《う》ち明《あ》けては、徒《いたづ》らに馬糞《まぐそ》を投《な》げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想《あいそ》を尽《つ》かされるよりは黙《だま》つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯《か》う取《と》れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言《むごん》で歩《ある》いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視《こどもし》する程度に於て、あるひは其《そ》れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視《こどもし》し始《はじ》めたのである。けれども両人《ふたり》が十五六間|過《す》ぎて、又|話《はなし》を遣《や》り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更《さら》になかつた。最初に口《くち》を切つたのは代助であつた。 「それで、是《これ》から先《さき》何《ど》うする積《つもり》かね」 「さあ」 「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可《い》いかも知れないね」 「さあ。事情次第だが。実は緩《ゆつ》くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何《ど》うだらう、君《きみ》の兄《にい》さんの会社の方に口《くち》はあるまいか」 「うん、頼《たの》んで見様、二三日|内《うち》に家《うち》へ行く用があるから。然し何《ど》うかな」 「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」 「夫《それ》も好《い》いだらう」  両人《ふたり》は又電車の通る通《とほり》へ出《で》た。平岡は向ふから来《き》た電車の軒《のき》を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出《だ》した。代助はさうかと答へた儘、留《と》めもしない、と云つて直《すぐ》分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄|歩《ある》いて来《き》た。そこで、 「三千代《みちよ》さんは何《ど》うした」と聞《き》いた。 「難有う、まあ相変らずだ。君に宜《よろ》しく云つてゐた。実は今日《けふ》連《つ》れて来《き》やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺《ゆ》れたんで頭《あたま》が悪《わる》いといふから宿《やど》屋へ置いて来《き》た」  電車が二人《ふたり》の前で留《と》まつた。平岡は二三歩|早足《はやあし》に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼《かれ》の乗るべき車はまだ着《つ》かなかつたのである。 「子供は惜《お》しい事をしたね」 「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好《よ》かつた」 「其|後《ご》は何《ど》うだい。まだ後《あと》は出来ないか」 「うん、未《ま》だにも何にも、もう駄目《だめ》だらう。身体《からだ》があんまり好《よ》くないものだからね」 「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可《い》いかも知れない」 「夫《それ》もさうさ。一層《いつそ》君の様に一人身《ひとりみ》なら、猶の事、気楽で可《い》いかも知れない」 「一人身《ひとりみ》になるさ」 「冗談云つてら――夫よりか、妻《さい》が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未《ま》だだらうかつて気にしてゐたぜ」  所へ電車が来《き》た。        三の一  代助《だいすけ》の父《ちゝ》は長井得《ながゐとく》といつて、御維新のとき、戦争に出《で》た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已《や》めてから、実業界に這入つて、何《なに》か彼《かに》かしてゐるうちに、自然と金が貯《たま》つて、此十四五年来は大分《だいぶん》の財産家になつた。  誠吾《せいご》と云ふ兄《あに》がある。学校を卒業してすぐ、父《ちゝ》の関係してゐる会社へ出《で》たので、今では其所《そこ》で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人《ふたり》の子供《こども》が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫《ぬひ》といつて三つ違である。  誠吾《せいご》の外に姉がまだ一人《ひとり》あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫《おつと》と共に西洋にゐる。誠吾《せいご》と此姉の間にもう一人《ひとり》、それから此姉と代助の間にも、まだ一人《ひとり》兄弟があつたけれども、それは二人《ふたり》とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。  代助の一家《いつけ》は是丈の人数《にんず》から出来上《できあが》つてゐる。そのうちで外《そと》へ出《で》てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃《ちかごろ》一戸を構へた代助ばかりだから、本家《ほんけ》には大小合せて四人《よつたり》残る訳になる。  代助は月に一度《いちど》は必ず本家《ほんけ》へ金《かね》を貰ひに行く。代助は親《おや》の金《かね》とも、兄《あに》の金ともつかぬものを使《つか》つて生きてゐる。月《つき》に一度の外《ほか》にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯《からか》つたり、書生と五目並《ごもくならべ》をしたり、嫂《あによめ》と芝居の評をしたりして帰つて来《く》る。  代助は此|嫂《あによめ》を好《す》いてゐる。此|嫂《あによめ》は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継《つ》ぎ合《あは》せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西《ふらんす》にゐる義妹《いもうと》に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物《おりもの》を取寄せて、それを四五人で裁《た》つて、帯に仕立てゝ着《き》て見たり何《なに》かする。後《あと》で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫《それ》から西洋の音楽が好《す》きで、よく代助に誘ひ出されて聞《きゝ》に行く。さうかと思ふと易断《うらなひ》に非常な興味を有《も》つてゐる。石龍子《せきりうし》と尾島某《おじまなにがし》を大いに崇拝する。代助も二三度御|相伴《しようばん》に、俥《くるま》で易者《えきしや》の許《もと》迄|食付《くつつ》いて行つた事がある。  誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々《とき/″\》球《たま》を投《な》げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年《まいとし》夏《なつ》の初めに、多くの焼芋《やきいも》屋が俄然として氷水《こほりみづ》屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓《アイスクリーム》を食《く》ふものは誠太郎である。氷菓《アイスクリーム》がないときには、氷水《こほりみづ》で我慢する。さうして得意になつて帰つて来《く》る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番|先《さき》へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父《おぢ》さん誰《だれ》か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。  縫《ぬひ》といふ娘《むすめ》は、何か云ふと、好《よ》くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの稽古に行く。帰つて来《く》ると、鋸《のこぎり》の目立《めた》ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣《や》らない。室《へや》を締《し》め切《き》つて、きい/\云はせるのだから、親《おや》は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々《とき/″\》そつと戸を明《あ》けるので、好《よ》くつてよ、知らないわと叱《しか》られる。  兄《あに》は大抵不在|勝《がち》である。ことに忙《いそ》がしい時になると、家《うち》で食《く》ふのは朝食《あさめし》位なもので、あとは、何《ど》うして暮《くら》してゐるのか、二人《ふたり》の子供には全く分《わか》らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分《わか》らない方が好《この》ましいので、必要のない限《かぎ》りは、兄《あに》の日々の戸外《こぐわい》生活に就て決して研究しないのである。  代助は二人《ふたり》の子供に大変人望がある。嫂《あによめ》にも可《か》なりある。兄《あに》には、あるんだか、ないんだか分《わか》らない。会《たま》に兄《あに》と弟《おとゝ》が顔を合せると、たゞ浮世《うきよ》話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣《や》つてゐる。陳腐に慣《な》れ抜《ぬ》いた様子である。        三の二  代助の尤《もつと》も応《こた》へるのは親爺《おやぢ》である。好《い》い年《とし》をして、若《わか》い妾《めかけ》を持《も》つてゐるが、それは構《かま》はない。代助から云《い》ふと寧ろ賛成な位なもので、彼《かれ》は妾《めかけ》を置く余裕のないものに限《かぎ》つて、蓄妾《ちくしよう》の攻撃をするんだと考へてゐる。親爺《おやぢ》は又|大分《だいぶ》の八釜《やかま》し屋《や》である。小供のうちは心魂《しんこん》に徹《てつ》して困却した事がある。しかし成人《せいじん》の今日《こんにち》では、それにも別段辟易する必要を認《みと》めない。たゞ応《こた》へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共|大《たい》した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処《しよ》した時の心掛《こゝろが》けでもつて、代助も遣《や》らなくつては、嘘《うそ》だといふ論理になる。尤も代助の方では、何《なに》が嘘《うそ》ですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分|親爺《おやぢ》と組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりと已《や》んで仕舞つた。それから以後ついぞ怒《おこ》つた試《ため》しがない。親爺《おやぢ》はこれを自分の薫育の効果と信じてひそかに誇《ほこ》つてゐる。  実際を云ふと親爺《おやぢ》の所謂薫育は、此父子の間《あひだ》に纏綿する暖《あたゝ》かい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺《おやぢ》の腹のなかでは、それが全く反対《あべこべ》に解釈されて仕舞つた。何《なに》をしやうと血肉《けつにく》の親子《おやこ》である。子が親《おや》に対する天賦の情|合《あひ》が、子を取扱ふ方法の如何に因つて変る筈《はづ》がない。教育の為《た》め、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺《おやぢ》は、固く斯う信じてゐた。自分が代助に存在を与へたといふ単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考へた親爺《おやぢ》は、その信念をもつて、ぐん/\押して行つた。さうして自分に冷淡な一個の息子《むすこ》を作り上《あ》げた。尤も代助の卒業前後からは其待遇法も大分変つて来《き》て、ある点から云へば、驚ろく程寛大になつた所もある。然しそれは代助が生《うま》れ落ちるや否や、此|親爺《おやぢ》が代助に向つて作つたプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかつたのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至つては、今に至つて全く気が付かずにゐる。  親爺《おやぢ》は戦争に出《で》たのを頗る自慢にする。稍《やゝ》もすると、御|前《まへ》抔はまだ戦争をした事がないから、度胸が据《すわ》らなくつて不可《いか》んと一概にけなして仕舞ふ。恰も度胸が人間《にんげん》至上な能力であるかの如き言草《いひぐさ》である。代助はこれを聞《き》かせられるたんびに厭《いや》な心持がする。胆力は命《いのち》の遣《や》り取《と》りの劇《はげ》しい、親爺《おやぢ》の若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣の類《たぐひ》と大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父《おとう》さんから又胆力の講釈を聞いた。御父《おとう》さんの様に云ふと、世の中《なか》で石地蔵が一番|偉《えら》いことになつて仕舞ふ様だねと云つて、嫂《あによめ》と笑つた事がある。  斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気は心《しん》から起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺《おやぢ》の使嗾で、夜中《よなか》にわざ/\青山《あをやま》の墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をして家《うち》へ帰つて来《き》た。其折は自分でも残念に思つた。あくる朝《あさ》親爺《おやぢ》に笑はれたときは、親爺《おやぢ》が憎《にく》らしかつた。親爺《おやぢ》の云ふ所によると、彼《かれ》と同時代の少年は、胆力修養の為《た》め、夜半《やはん》に結束《けつそく》して、たつた一人《ひとり》、御|城《しろ》の北《きた》一里にある剣《つるぎ》が峰《みね》の天頂《てつぺん》迄|登《のぼ》つて、其所《そこ》の辻堂で夜明《よあかし》をして、日の出《で》を拝《おが》んで帰《かへ》つてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得|方《かた》からして違ふと親爺が批評した。  斯んな事を真面目《まじめ》に口《くち》にした、又今でも口《くち》にしかねまじき親爺《おやぢ》は気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震が嫌《きらひ》である。瞬間の動揺でも胸《むね》に波《なみ》が打《う》つ。あるときは書斎で凝《じつ》と坐《すは》つてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せて来《く》るなと感ずる事がある。すると、尻の下に敷《し》いてゐる坐蒲団も、畳《たゝみ》も、乃至|床《ゆか》板も明らかに震《ふる》へる様に思はれる。彼《かれ》はこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺《おやぢ》の如きは、神経|未熟《みじゆく》の野人か、然らずんば己《おの》れを偽《いつ》はる愚者としか代助には受け取れないのである。        三の三  代助は今《いま》此《この》親爺《おやぢ》と対坐してゐる。廂《ひさし》の長い小《ちい》さな部屋なので、居《ゐ》ながら庭《には》を見ると、廂《ひさし》の先《さき》で庭《には》が仕切《しき》られた様な感がある。少《すく》なくとも空《そら》は広《ひろ》く見えない。其代り静《しづ》かで、落ち付いて、尻《しり》の据《すわ》り具合が好《い》い。  親爺《おやぢ》は刻《きざ》み烟草《たばこ》を吹《ふ》かすので、手《て》のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々《とき/″\》灰吹《はいふき》をぽん/\と叩《たゝ》く。それが静かな庭《には》へ響いて好《い》い音《おと》がする。代助の方は金《きん》の吸口《すひくち》を四五本|手烙《てあぶり》の中《なか》へ並《なら》べた。もう鼻《はな》から烟《けむ》を出すのが厭《いや》になつたので、腕組《うでぐみ》をして親爺《おやぢ》の顔《かほ》を眺《なが》めてゐる。其|顔《かほ》には年《とし》の割に肉《にく》が多い。それでゐて頬《ほゝ》は痩《こ》けてゐる。濃《こ》い眉《まゆ》の下《した》に眼《め》の皮《かは》が弛《たる》んで見える。髭《ひげ》は真白《まつしろ》と云はんよりは、寧ろ黄色《きいろ》である。さうして、話《はなし》をするときに相手《あいて》の膝頭《ひざがしら》と顔《かほ》とを半々《はん/\》に見較べる癖《くせ》がある。其時の眼《め》の動《うご》かし方《かた》で、白眼《しろめ》が一寸《ちよつと》ちらついて、相手《あいて》に妙な心|持《もち》をさせる。  老人《ろうじん》は今《いま》斯んな事を云つてゐる。―― 「さう人間《にんげん》は自分丈を考へるべきではない。世の中《なか》もある。国家もある。少しは人《ひと》の為《ため》に何《なに》かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好《い》い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出《で》るものだからな」 「左様《さう》です」と代助は答へてゐる。親爺《おやぢ》から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺《おやぢ》の考は、万事|中途半端《ちうとはんぱ》に、或物《あるもの》を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時《いつ》の間《ま》にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談《くうだん》である。それを基礎から打ち崩して懸《か》かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触《さは》らない様にしてゐる。所が親爺《おやぢ》の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来《く》る。そこで代助も已を得ず親爺《おやぢ》といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。 「それは実業が厭《いや》なら厭《いや》で好《い》い。何も金《かね》を儲ける丈が日本の為《ため》になるとも限るまいから。金《かね》は取《と》らんでも構《かま》はない。金《かね》の為《ため》に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金《かね》は今迄通り己《おれ》が補助して遣《や》る。おれも、もう何時《いつ》死《し》ぬか分《わか》らないし、死《し》にや金《かね》を持つて行く訳にも行《い》かないし。月々《つき/″\》御前の生計《くらし》位どうでもしてやる。だから奮発して何か為《す》るが好《い》い。国民の義務としてするが好《い》い。もう三十だらう」 「左様《さう》です」 「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」  代助は決してのらくらして居《ゐ》るとは思はない。たゞ職業の為《ため》に汚《けが》されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺《おやぢ》が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺《おやぢ》の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日《つきひ》を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出《だ》してゐるのが、全く映《うつ》らないのである。仕方がないから、真面目《まじめ》な顔をして、 「えゝ、困ります」と答へた。老人《ろうじん》は頭《あたま》から代助を小僧視してゐる上《うへ》に、其返事が何時《いつ》でも幼気《おさなげ》を失はない、簡単な、世帯離《しよたいばな》れをした文句だものだから、馬鹿《ばか》にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付《つ》かず尋常極まつてゐるので、此奴《こいつ》は手の付け様がないといふ気にもなる。        三の四 「身体《からだ》は丈夫だね」 「二三年このかた風邪《かぜ》を引《ひ》いた事《こと》もありません」 「頭《あたま》も悪《わる》い方ぢやないだらう。学校の成蹟も可《か》なりだつたんぢやないか」 「まあ左様《さう》です」 「夫《それ》で遊《あそ》んでゐるのは勿体ない。あの何とか云つたね、そら御前《おまへ》の所へ善《よ》く話しに来《き》た男があるだらう。己《おれ》も一二度逢つたことがある」 「平岡ですか」 「さう平岡。あの人なぞは、あまり出来の可《い》い方ぢやなかつたさうだが、卒業すると、すぐ何処《どこ》かへ行つたぢやないか」 「其代り失敗《しくじつ》て、もう帰《かへ》つて来《き》ました」  老人は苦笑を禁じ得なかつた。 「どうして」と聞いた。 「詰《つま》り食《く》ふ為《ため》に働《はた》らくからでせう」  老人には此意味が善《よ》く解《わか》らなかつた。 「何《なに》か面白くない事でも遣《や》つたのかな」と聞き返した。 「其場合々々で当然の事を遣るんでせうけれども、其当然が矢っ張り失敗《しくじり》になるんでせう」 「はあゝ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子を易《か》へて、説き出した。 「若い人がよく失敗《しくじる》といふが、全く誠実と熱心が足りないからだ。己《おれ》も多年の経験で、此年《このとし》になる迄|遣《や》つて来《き》たが、どうしても此二つがないと成功しないね」 「誠実と熱心があるために、却つて遣り損ふこともあるでせう」 「いや、先《まづ》ないな」  親爺《おやぢ》の頭《あたま》の上《うへ》に、誠者天之道也と云ふ額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰つたとか云つて、親爺《おやぢ》は尤も珍重してゐる。代助は此額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。其上文句が気に喰はない。誠は天の道なりの後《あと》へ、人の道にあらずと附け加へたい様な心持がする。  其昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなつた時、整理の任に当つた長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、刀《かたな》を脱いで其前に頭《あたま》を下《さ》げて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固より返《かへ》せるか、返せないか、分らなかつたんだから、分らないと真直に自白して、それがために其時成功した。その因縁で此|額《がく》を藩主に書《か》いて貰《もら》つたんである。爾来長井は何時《いつ》でも、之を自分の居間《ゐま》に掛けて朝夕眺めてゐる。代助は此額の由来を何遍|聞《き》かされたか知れない。  今から十五六年前に、旧藩主の家《いへ》で、月々《つき/″\》の支出が嵩《かさ》んできて、折角持ち直した経済が又|崩《くづ》れ出した時にも、長井は前年の手腕によつて、再度の整理を委託された。其時長井は自分で風呂の薪《まき》を焚いて見《み》て、実際の消費|高《だか》と帳面づらの消費|高《だか》との差違から調《しら》べにかゝつたが、終日終夜この事丈に精魂を打ち込んだ結果は、約一ヶ月内に立派な方法を立て得るに至つた。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計《くらし》をしてゐる。  斯う云ふ過去の歴史を持つてゐて、此過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない長井は、何《なん》によらず、誠実と熱心へ持つて行きたがる。 「御前は、どう云ふものか、誠実と熱心が欠けてゐる様だ。それぢや不可ん。だから何にも出来ないんだ」 「誠実も熱心もあるんですが、たゞ人事上に応用出来ないんです」 「何《ど》う云ふ訳で」  代助は又返答に窮した。代助の考によると、誠実だらうが、熱心だらうが、自分が出来合《できあひ》の奴《やつ》を胸に蓄《たく》はへてゐるんぢやなくつて、石と鉄と触れて火花《ひばな》の出《で》る様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者|二人《ににん》の間に起るべき現象である。自分の有する性質と云ふよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手が悪《わる》くつては起《おこ》り様がない。 「御父《おとう》さんは論語だの、王陽明だのといふ、金《きん》の延金《のべがね》を呑《の》んで入らつしやるから、左様《さう》いふ事を仰しやるんでせう」 「金《きん》の延金《のべがね》とは」  代助はしばらく黙《だま》つてゐたが、漸やく、 「延金《のべがね》の儘|出《で》て来《く》るんです」と云つた。長井は、書物癖のある、偏窟な、世慣れない若輩のいひたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘はらず、取り合ふ事を敢てしなかつた。        三の五  それから約四十分程して、老人は着物《きもの》を着換《きか》えて、袴《はかま》を穿《は》いて、俥《くるま》に乗《の》つて、何処《どこ》かへ出《で》て行《い》つた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間《きやくま》の戸を開けて中《なか》へ這入《はい》つた。是《これ》は近頃《ちかごろ》になつて建《た》て増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本《もと》づいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間《らんま》の周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼《たの》んで、色々相談の揚句《あげく》に成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物《ゑまきもの》を展開《てんかい》した様な、横長《よこなが》の色彩《しきさい》を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前《このまへ》来《き》て見た時よりは、痛《いた》く見劣りがする。是では頼《たの》もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼《め》を付《つ》けて吟味してゐると、突然|嫂《あによめ》が這入つて来た。 「おや、此所《こゝ》に入《い》らつしやるの」と云つたが、「一寸《ちよいと》其所《そこい》らに私《わたくし》の櫛《くし》が落ちて居《ゐ》なくつて」と聞いた。櫛《くし》は長椅子《ソーフア》の足《あし》の所《ところ》にあつた。昨日《きのふ》縫子《ぬひこ》に貸《か》して遣《や》つたら、何所《どこ》かへ失《なく》なして仕舞つたんで、探《さが》しに来《き》たんださうである。両手で頭《あたま》を抑へる様にして、櫛《くし》を束髪の根方《ねがた》へ押し付けて、上眼《うはめ》で代助を見ながら、 「相変らず茫乎《ぼんやり》してるぢやありませんか」と調戯《からか》つた。 「御父《おとう》さんから御談義を聞《き》かされちまつた」 「また? 能く叱《しか》られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方《あなた》もあんまり、好《よ》かないわ。些とも御父《おとう》さんの云ふ通りになさらないんだもの」 「御父《おとう》さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」 「だから猶始末が悪《わる》いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些《ちつ》とも云ふ事を聞かないんだもの」  代助は苦笑して黙《だま》つて仕舞つた。梅子《うめこ》は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊《せい》のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃《こ》い、唇の薄い女である。 「まあ、御掛《おか》けなさい。少し話し相手になつて上《あ》げるから」  代助は矢っ張り立つた儘、嫂《あによめ》の姿《すがた》を見守つてゐた。 「今日《けふ》は妙な半襟《はんえり》を掛けてますね」 「これ?」  梅子は顎《あご》を縮《ちゞ》めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。 「此間《こないだ》買つたの」 「好《い》い色だ」 「まあ、そんな事は、何《ど》うでも可《い》いから、其所《そこ》へ御掛《おか》けなさいよ」  代助は嫂《あによめ》の真《ま》正面へ腰を卸した。 「へえ掛《か》けました」 「一体《いつたい》今日《けふ》は何を叱《しか》られたんです」 「何を叱《しか》られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父《おとう》さんの国家社会の為《ため》に尽すには驚ろいた。何でも十八の年《とし》から今日迄《こんにちまで》のべつに尽《つく》してるんだつてね」 「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」 「国家社会の為に尽《つく》して、金《かね》が御父《おとう》さん位儲かるなら、僕も尽《つく》しても好《い》い」 「だから遊んでないで、御|尽《つく》しなさいな。貴方《あなた》は寐てゐて御金《おかね》を取《と》らうとするから狡猾よ」 「御金《おかね》を取らうとした事は、まだ有《あ》りません」 「取《と》らうとしなくつても、使《つか》ふから同《おんな》じぢやありませんか」 「兄《にい》さんが何《なん》とか云つてましたか」 「兄《にい》さんは呆《あき》れてるから、何とも云やしません」 「随分猛烈だな。然し御父《おとう》さんより兄《にい》さんの方が偉《えら》いですね」 「何《ど》うして。――あら悪《にく》らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方《あなた》はそれが悪《わる》いのよ。真面目《まじめ》な顔をして他《ひと》を茶化すから」 「左様《そん》なもんでせうか」 「左様《そん》なもんでせうかつて、他《ひと》の事ぢやあるまいし。少《すこ》しや考へて御覧なさいな」 「何《ど》うも此所《こゝ》へ来《く》ると、丸で門野《かどの》と同《おんな》じ様になつちまふから困《こま》る」 「門野《かどの》つて何《なん》です」 「なに宅《うち》にゐる書生ですがね。人《ひと》に何か云はれると、屹度|左様《そん》なもんでせうか、とか、左様《さう》でせうか、とか答へるんです」 「あの人が? 余っ程妙なのね」        三の六  代助は一寸《ちよつと》話《はなし》を已《や》めて、梅子《うめこ》の肩越《かたごし》に、窓掛《まどかけ》の間《あひだ》から、奇麗な空《そら》を透《す》かす様に見てゐた。遠くに大きな樹《き》が一本ある。薄茶色《うすちやいろ》の芽《め》を全体に吹いて、柔《やわ》らかい梢《こづえ》の端《はじ》が天《てん》に接《つゞ》く所は、糠雨《ぬかあめ》で暈《ぼか》されたかの如くに霞《かす》んでゐる。 「好《い》い気候になりましたね。何所《どこ》か御花見にでも行きませうか」 「行きませう。行くから仰《おつ》しやい」 「何《なに》を」 「御父《おとう》さまから云はれた事を」 「云はれた事は色々あるんですが、秩序立《ちつじよだ》てて繰《く》り返《かへ》すのは困るですよ。頭《あたま》が悪《わる》いんだから」 「まだ空《そら》つとぼけて居《ゐ》らつしやる。ちやんと知つてますよ」 「ぢや、伺《うかゞ》ひませうか」  梅子は少しつんとした。 「貴方《あなた》は近頃余つ程|減《へ》らず口《ぐち》が達者におなりね」 「何《なに》、姉《ねえ》さんが辟易する程ぢやない。――時に今日《けふ》は大変静かですね。どうしました、小供達は」 「小供は学校です」  十六七の小間使《こまづかひ》が戸《と》を開《あ》けて顔《かほ》を出した。あの、旦那様が、奥様に一寸《ちよつと》電話|口《ぐち》迄と取り次《つ》いだなり、黙つて梅子の返事を待つてゐる。梅子はすぐ立つた。代助も立つた。つゞいて客間《きやくま》を出やうとすると、梅子は振り向いた。 「あなたは、其所《そこ》に居《ゐ》らつしやい。少し話しがあるから」  代助には嫂《あによめ》のかう云ふ命令的の言葉が何時《いつ》でも面白く感ぜられる。御緩《ごゆつくり》と見送つた儘、又腰を掛けて、再び例の画を眺め出《だ》した。しばらくすると、其色が壁《かべ》の上に塗り付けてあるのでなくつて、自分の眼球《めだま》の中《なか》から飛び出して、壁《かべ》の上《うへ》へ行つて、べた/\喰《く》つ付《つ》く様に見えて来《き》た。仕舞には眼球《めだま》から色を出す具合一つで、向ふにある人物樹木が、此方《こちら》の思ひ通りに変化出来る様になつた。代助はかくして、下手《へた》な個所々々を悉く塗り更《か》へて、とう/\自分の想像し得《う》る限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚と坐《すは》つてゐた。所へ梅子《うめこ》が帰つて来《き》たので、忽ち当り前の自分に戻つて仕舞つた。  梅子の用事と云ふのを改まつて聞いて見ると、又例の縁談の事であつた。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、何《い》づれも不合格者ばかりであつた。始めのうちは体裁の好《い》い逃《にげ》口上で断わつてゐたが、二年程前からは、急に図迂《づう》々々しくなつて、屹度相手にけちを付ける。口《くち》と顎《あご》の角度が悪《わる》いとか、眼《め》の長さが顔の幅《はゞ》に比例しないとか、耳の位置が間違《まちが》つてるとか、必ず妙な非難を持つて来《く》る。それが悉く尋常な言草《いひぐさ》でないので、仕舞には梅子も少々考へ出した。是は必竟世話を焼き過ぎるから、付け上つて、人を困《こま》らせるのだらう。当分|打遣《うつちや》つて置いて、向ふから頼み出させるに若《し》くはない。と決心して、夫からは縁談の事をついぞ口《くち》にしなくなつた。所が本人は一向困つた様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日迄|暮《くら》して来《き》た。  其所《そこ》へ親爺《おやぢ》が甚だ因念の深《ふか》いある候補者を見付けて、旅行|先《さき》から帰つた。梅子は代助の来《く》る二三日前に、其話を親爺《おやぢ》から聞かされたので、今日《けふ》の会談は必ずそれだらうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、此日《このひ》何にも聞《き》かなかつたのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だといふ了見を起した結果、故意《わざ》と話題を避けたとも取れる。  此候補者に対して代助は一種特殊な関係を有《も》つてゐた。候補者の姓は知つてゐる。けれど名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至つては全く知らない。何故《なぜ》その女が候補者に立つたと云ふ因念になると又能く知つて居る。        三の七  代助の父《ちゝ》には一人《ひとり》の兄《あに》があつた。直記《なほき》と云つて、父《ちゝ》とはたつた一つ違ひの年上《としうへ》だが、父《ちゝ》よりは小柄《こがら》なうへに、顔付《かほつき》眼鼻立《めはなだち》が非常に似《に》てゐたものだから、知らない人には往々|双子《ふたご》と間違へられた。其折は父も得《とく》とは云はなかつた。誠之進といふ幼名で通《とほ》つてゐた。  直記《なほき》と誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質《きだて》も本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所に食《く》つ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火《ともしび》を分つた位|親《した》しかつた。  丁度|直記《なほき》の十八の秋《あき》であつた。ある時|二人《ふたり》は城下外《じやうかはづれ》の等覚寺といふ寺へ親《おや》の使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人《ふたり》の親《おや》とは昵近《じつこん》なので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんに留《と》められて、色々話してゐるうちに遅《おそ》くなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中《しちう》は大分雑沓してゐた。二人《ふたり》は群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとする角《かど》で、川向ひの方限《ほうぎ》りの某《なにがし》といふものに突き当つた。此|某《なにがし》と二人《ふたり》とは、かねてから仲《なか》が悪《わる》かつた。其時|某《なにがし》は大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言《ふたことみこと》いひ争ふうちに刀《かたな》を抜《ぬ》いて、いきなり斬り付《つ》けた。斬り付《つ》けられた方は兄《あに》であつた。已を得ず是も腰の物を抜《ぬ》いて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。黙《だま》つてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人《ふたり》で滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。  其|頃《ころ》の習慣として、侍《さむらひ》が侍《さむらひ》を殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟で家《うち》へ帰つて来《き》た。父《ちゝ》も二人《ふたり》を並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所が母《はゝ》が生憎|祭《まつり》で知己《ちかづき》の家《うち》へ呼《よ》ばれて留守である。父は二人《ふたり》に切腹をさせる前、もう一遍|母《はゝ》に逢《あ》はしてやりたいと云ふ人情から、すぐ母《はゝ》を迎にやつた。さうして母の来《く》る間《あひだ》、二人《ふたり》に訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。  母《はゝ》の客に行つてゐた所は、その遠縁《とほえん》にあたる高木《たかぎ》といふ勢力家であつたので、大変都合が好《よ》かつた。と云ふのは、其頃は世の中《なか》の動《うご》き掛けた当時で、侍《さむらひ》の掟《おきて》も昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井の家《いへ》へ来《き》て、何分の沙汰が公向《おもてむき》からある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父を諭《さと》した。  高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺された某《なにがし》の親《おや》は又、存外訳の解《わか》つた人で、平生から倅《せがれ》の行跡《ぎやうせき》の良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方《こつち》から狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間《ひとま》の内《うち》に閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人《ふたり》とも人《ひと》知れず家《いへ》を捨《す》てた。  三年の後|兄《あに》は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、得《とく》といふ一字|名《な》になつた。其時は自分の命《いのち》を助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人《ふたり》あつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入《はい》つた。其所《そこ》を卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁《よめ》に行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。 「大変込み入つてるのね。私《わたし》驚ろいちまつた」と嫂《あによめ》が代助に云つた。 「御父《おとう》さんから何返も聞いてるぢやありませんか」 「だつて、何時《いつ》もは御|嫁《よめ》の話《はなし》が出《で》ないから、好《い》い加減に聞いてるのよ」 「佐川《さがは》にそんな娘があつたのかな。僕も些《ち》つとも知らなかつた」 「御貰《おもらひ》なさいよ」 「賛成なんですか」 「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」 「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰《もら》ひ好《い》い様だな」 「おや、左様《そん》なのがあるの」  代助は苦笑して答へなかつた。        四の一  代助は今読み切《き》つた許《ばかり》の薄《うす》い洋書を机の上に開《あ》けた儘、両|肱《ひぢ》を突《つ》いて茫乎《ぼんやり》考へた。代助の頭《あたま》は最後の幕《まく》で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒《さむ》さうな樹が立つてゐる後《うしろ》に、二つの小さな角燈が音《おと》もなく揺《ゆら》めいて見えた。絞首台は其所《そこ》にある。刑人は暗《くら》い所に立つた。木履《くつ》を片足《かたあし》失《な》くなした、寒《さむ》いと一人《ひとり》が云ふと、何《なに》を? と一人《ひとり》が聞き直《なほ》した。木履《くつ》を失《な》くなして寒いと前《まへ》のものが同じ事を繰り返した。Mは何処《どこ》にゐると誰《だれ》か聞いた。此所《こゝ》にゐると誰《だれ》か答へた。樹《き》の間《あひだ》に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿《しめ》つぽい風《かぜ》が其所《そこ》から吹いて来《く》る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書《か》いた紙《かみ》と、宣告文を持つた、白い手――手套《てぶくろ》を穿《は》めない――を角燈が照《て》らした。読上《よみあ》げんでも可《よ》からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只《たつた》一人《ひとり》になつたとKが云つた。さうして溜息《ためいき》を吐《つ》いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只《たつた》一人《ひとり》になつて仕舞つた。……  海から日《ひ》が上《あが》つた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸《くび》、飛び出《だ》した眼《め》、唇《くちびる》の上《うへ》に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡《あは》に濡《ぬ》れた舌《した》を積み込んで元《もと》の路へ引き返した。……  代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所《こゝ》迄|頭《あたま》の中《なか》で繰り返して見て、竦《ぞつ》と肩《かた》を縮《すく》めた。斯《か》う云ふ時に、彼《かれ》が尤も痛切に感《かん》ずるのは、万一自分がこんな場に臨《のぞ》んだら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何《いか》にも残酷である。彼は生《せい》の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練《みれん》に両方に往つたり来《き》たりする苦悶を心に描《ゑが》き出しながら凝《じつ》と坐《すは》つてゐると、脊中《せなか》一面《いちめん》の皮《かは》が毛穴《けあな》ごとにむづ/\して殆《ほと》んど堪《たま》らなくなる。  彼《かれ》の父《ちゝ》は十七のとき、家中《かちう》の一人《ひとり》を斬り殺して、それが為《た》め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語《かた》つてゐる。父《ちゝ》の考では兄《あに》の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父《ぢゞ》に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父《ちゝ》が過去を語《かた》る度《たび》に、代助は父《ちゝ》をえらいと思ふより、不愉快な人間《にんげん》だと思ふ。さうでなければ嘘吐《うそつき》だと思ふ。嘘吐《うそつき》の方がまだ余っ程|父《ちゝ》らしい気がする。  父許《ちゝばかり》ではない。祖父《ぢゞ》に就ても、こんな話がある。祖父《ぢゞ》が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他《ひと》の嫉妬《ねたみ》を受けて、ある夜縄手|道《みち》を城下へ帰る途中で、誰《だれ》かに斬り殺された。其時第一に馳け付《つ》けたものは祖父《ぢゞ》であつた。左の手に提灯を翳《かざ》して、右の手に抜身《ぬきみ》を持つて、其|抜身《ぬきみ》で死骸《しがい》を叩きながら、軍平《ぐんぺい》確《しつ》かりしろ、創《きづ》は浅《あさ》いぞと云つたさうである。  伯父《おぢ》が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿《やどや》に踏み込まれて、伯父は二階の廂《ひさし》から飛び下《お》りる途端、庭石に爪付《つまづ》いて倒れる所を上《うへ》から、容赦なく遣《や》られた為に、顔が膾《なます》の様になつたさうである。殺される十日|程《ほど》前、夜中《やちう》、合羽《かつぱ》を着《き》て、傘《かさ》に雪を除《よ》けながら、足駄《あしだ》がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時|旅宿《やど》の二丁程手前で、突然《とつぜん》後《うしろ》から長井|直記《なほき》どのと呼び懸けられた。伯父《おぢ》は振り向きもせず、矢張り傘《かさ》を差《さ》した儘、旅宿《やど》の戸口《とぐち》迄|来《き》て、格子《こうし》を開《あ》けて中《なか》へ這入《はいつ》た。さうして格子をぴしやりと締《し》めて、中《うち》から、長井|直記《なほき》は拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。  代助は斯んな話を聞く度《たび》に、勇《いさ》ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立《た》つ。度胸を買つてやる前に、腥《なま》ぐさい臭《にほひ》が鼻柱《はなばしら》を抜ける様に応《こた》へる。  もし死が可能であるならば、それは発作《ほつさ》の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作《ほつさ》性の男でない。手も顫《ふる》へる、足も顫《ふる》へる。声の顫《ふる》へる事や、心臓の飛び上《あ》がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死《し》に易くなるのは眼《め》に見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せて見《み》たいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違《ちが》つてゐるのに驚ろかずにはゐられない。        四の二  代助は机の上の書物を伏せると立ち上《あ》がつた。縁側《えんがは》の硝子戸《がらすど》を細目《ほそめ》に開《あ》けた間《あひだ》から暖《あたゝ》かい陽気な風が吹き込んで来《き》た。さうして鉢植のアマランスの赤い瓣《はなびら》をふら/\と揺《うご》かした。日《ひ》は大きな花の上《うへ》に落ちてゐる。代助は曲《こゞ》んで、花の中《なか》を覗《のぞ》き込んだ。やがて、ひよろ長い雄|蕊《ずゐ》の頂《いたゞ》きから、花粉《くわふん》を取つて、雌蕊《しずゐ》の先《さき》へ持つて来《き》て、丹念《たんねん》に塗《ぬ》り付《つ》けた。 「蟻《あり》でも付《つ》きましたか」と門野《かどの》が玄関の方から出《で》て来《き》た。袴《はかま》を穿《は》いてゐる。代助は曲《こゞ》んだ儘顔を上《あ》げた。 「もう行《い》つて来《き》たの」 「えゝ、行《い》つて来《き》ました。何《なん》ださうです。明日《あした》御引移《おひきうつ》りになるさうです。今日《けふ》是から上《あ》がらうと思つてた所だと仰《おつ》しやいました」 「誰《だれ》が? 平岡が?」 「えゝ。――どうも何《なん》ですな。大分御|忙《いそ》がしい様ですな。先生た余つ程|違《ちが》つてますね。――蟻なら種油《たねあぶら》を御注《おつ》ぎなさい。さうして苦《くる》しがつて、穴から出《で》て来《く》る所を一々《いち/\》殺すんです。何なら殺《ころ》しませうか」 「蟻ぢやない。斯《か》うして、天気の好《い》い時に、花粉を取《と》つて、雌蕊《しずゐ》へ塗り付《つ》けて置くと、今に実《み》が結《な》るんです。暇《ひま》だから植木屋から聞《き》いた通り、遣《や》つてる所だ」 「なある程。どうも重宝な世の中《なか》になりましたね。――然し盆栽は好《い》いもんだ。奇麗で、楽しみになつて」  代助は面倒臭《めんどくさ》いから返事をせずに黙つてゐた。やがて、 「悪戯《いたづら》も好加減《いゝかげん》に休《よ》すかな」と云ひながら立ち上《あ》がつて、縁側へ据付《すゑつけ》の、籐《と》の安楽|椅子《いす》に腰を掛けた。夫れ限《ぎ》りぽかんと何か考へ込んでゐる。門野《かどの》は詰《つま》らなくなつたから、自分の玄関|傍《わき》の三畳|敷《じき》へ引き取つた。障|子《じ》を開《あ》けて這入らうとすると、又縁側へ呼び返《かへ》された。 「平岡が今日《けふ》来《く》ると云つたつて」 「えゝ、来《く》る様な御話しでした」 「ぢや待《ま》つてゐやう」  代助は外出を見合せた。実は平岡の事が此間《このあひだ》から大分気に掛《かゝ》つてゐる。  平岡は此前《このぜん》、代助を訪問した当時、既《すで》に落ち付《つ》いてゐられない身分であつた。彼《かれ》自身の代助に語つた所によると、地位の心当りが二三ヶ所あるから、差し当り其方面へ運動して見る積りなんださうだが、其二三ヶ所が今どうなつてゐるか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿《やど》を訪《たづ》ねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたには居《お》つた。が、洋服を着《き》た儘、部屋《へや》の敷居《しきゐ》の上に立つて、何《なに》か急《せわ》しい調子で、細君を極《き》め付《つ》けてゐた。――案内なしに廊下を伝《つた》つて、平岡の部屋の横《よこ》へ出《で》た代助には、突然ながら、たしかに左様《さう》取れた。其時平岡は一寸《ちよつと》振り向《む》いて、やあ君かと云つた。其顔にも容子にも、少しも快《こゝろ》よさゝうな所は見えなかつた。部屋の内《なか》から顔を出した細君は代助を見て、蒼白《あをじろ》い頬《ほゝ》をぽつと赤くした。代助は何となく席に就《つ》き悪《にく》くなつた。まあ這入れと申し訳に云ふのを聞き流して、いや別段用ぢやない。何《ど》うしてゐるかと思つて一寸《ちよつと》来《き》て見た丈だ。出掛《でか》けるなら一所に出様《でやう》と、此方《こつち》から誘ふ様にして表《おもて》へ出《で》て仕舞つた。  其時平岡は、早く家《いへ》を探《さが》して落ち付きたいが、あんまり忙《いそが》しいんで、何《ど》うする事も出来ない、たまに宿《やど》のものが教へてくれるかと思ふと、まだ人が立ち退《の》かなかつたり、あるひは今|壁《かべ》を塗《ぬ》つてる最中《さいちう》だつたりする。などと、電車へ乗つて分れる迄諸事苦情づくめであつた。代助も気の毒になつて、そんなら家《いへ》は、宅《うち》の書生に探《さが》させやう。なに不景気だから、大分|空《あ》いてるのがある筈だ。と請合《うけあ》つて帰つた。  夫《それ》から約束通り門野《かどの》を探《さが》しに出《だ》した。出《だ》すや否や、門野はすぐ恰好《かつこう》なのを見付けて来《き》た。門野《かどの》に案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵|可《よ》からうと云ふ事で分《わか》れたさうだが、門野《かどの》は家主《いへぬし》の方へ責任もあるし、又|其所《そこ》が気に入らなければ外《ほか》を探《さが》す考もあるからと云ふので、借りるか借りないか判然《はつきり》した所を、もう一遍確かめさしたのである。 「君、家主《いへぬし》の方へは借《か》りるつて、断わつて来《き》たんだらうね」 「えゝ、帰りに寄《よ》つて、明日《あした》引越すからつて、云つて来《き》ました」        四の三  代助は椅子に腰《こし》を掛《か》けた儘、新《あた》らしく二度の世帯《しよたい》を東京に持つ、夫婦の未来を考へた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変つてゐる。彼《かれ》の経歴は処世の階子段《はしごだん》を一二段で踏《ふ》み外《はづ》したと同じ事である。まだ高い所へ上《のぼ》つてゐなかつた丈が、幸《さひはひ》と云へば云ふ様なものゝ、世間の眼《め》に映ずる程、身体《からだ》に打撲《だぼく》を受けてゐないのみで、其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる。始めて逢つた時、代助はすぐ左様《さう》思つた。けれども、三年間に起つた自分の方の変化を打算《ださん》して見て、或は此方《こつち》の心《こゝろ》が向《むかふ》に反響を起したのではなからうかと訂正した。が、其後《そのご》平岡の旅宿へ尋ねて行つて、座敷へも這入らないで一所に外《そと》へ出《で》た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べて見ると、どうしても又最初の判断に戻《もど》らなければならなくなつた。平岡は其時|顔《かほ》の中心《ちうしん》に一種の神経を寄せてゐた。風《かぜ》が吹《ふ》いても、砂《すな》が飛《と》んでも、強い刺激を受けさうな眉《まゆ》と眉《まゆ》の継目《つぎめ》を、憚《はゞか》らず、ぴくつかせてゐた。さうして、口《くち》にする事《こと》が、内容の如何に関はらず、如何にも急《せわ》しなく、且つ切《せつ》なさうに、代助の耳《みゝ》に響《ひゞ》いた。代助には、平岡の凡てが、恰も肺の強くない人の、重苦《おもくる》しい葛湯《くづゆ》の中《なか》を片息《かたいき》で泳《およ》いでゐる様に取れた。 「あんなに、焦《あせ》つて」と、電車へ乗つて飛んで行く平岡の姿《すがた》を見送つた代助は、口《くち》の内《うち》でつぶやいだ。さうして旅宿に残されてゐる細君の事を考へた。  代助は此細君を捕《つら》まへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時《いつ》でも三千代《みちよ》さん/\と、結婚しない前の通りに、本名《ほんみよう》を呼《よ》んでゐる。代助は平岡に分《わか》れてから又引き返して、旅宿《りよしゆく》へ行つて、三千代《みちよ》さんに逢つて話《はな》しをしやうかと思つた。けれども、何《なん》だか行《ゆ》けなかつた。足《あし》を停《と》めて思案《しあん》しても、今の自分には、行くのが悪《わる》いと云ふ意味はちつとも見出《みいだ》せなかつた。けれども、気《き》が咎《とが》めて行《い》かれなかつた。勇気を出《だ》せば行《い》かれると思つた。たゞ代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた。夫《それ》で家《うち》へ帰つた。其代り帰つても、落《お》ち付《つ》かない様な、物足《ものた》らない様な、妙な心持がした。ので、又|外《そと》へ出《で》て酒を飲《の》んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことに其晩はしたゝかに飲んだ。 「あの時は、何《ど》うかしてゐたんだ」と代助は椅子に倚《よ》りながら、比較的|冷《ひや》やかな自己で、自己の影を批判した。 「何《なに》か御用ですか」と門野《かどの》が又|出《で》て来《き》た。袴《はかま》を脱《ぬ》いで、足袋《たび》を脱《ぬ》いで、団子《だんご》の様な素足《すあし》を出《だ》してゐる。代助は黙《だま》つて門野《かどの》の顔《かほ》を見た。門野《かどの》も代助の顔を見て、一寸《ちよつと》の間《あひだ》突立《つゝた》つてゐた。 「おや、御呼《および》になつたんぢやないですか。おや、おや」と云つて引込んで行つた。代助は別段|可笑《おか》しいとも思はなかつた。 「小母《おば》さん、御呼《およ》びになつたんぢやないとさ。何《ど》うも変だと思つた。だから手も何も鳴らないつて云ふのに」といふ言葉が茶の間《ま》の方で聞《きこ》えた。夫から門野《かどの》と婆《ばあ》さんの笑ふ声がした。  其時、待ち設けてゐる御客が来《き》た。取次《とりつぎ》に出《で》た門野《かどの》は意外な顔をして這入つて来《き》た。さうして、其顔を代助の傍《そば》迄持つて来《き》て、先生、奥さんですと囁《さゝ》やく様に云つた。代助は黙《だま》つて椅子を離れて坐敷へ這入つた。        四の四  平岡の細君は、色の白い割に髪《かみ》の黒い、細面《ほそおもて》に眉毛《まみへ》の判然《はつきり》映《うつ》る女である。一寸《ちよつと》見ると何所《どこ》となく淋《さみ》しい感じの起る所が、古版《こはん》の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢《いろつや》がことに可《よ》くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少《すこ》し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様《さう》ぢやない、始終|斯《か》うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。  三千代《みちよ》は東京を出《で》て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、何《ど》うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰《もら》つたら、能《よ》くは分《わか》らないが、ことに依《よ》ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様《さう》だとすれば、心臓から動脈へ出《で》る血《ち》が、少しづゝ、後戻《あともど》りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為《せゐ》か、一年許りするうちに、好《い》い案排《あんばい》に、元気が滅切《めつき》りよくなつた。色光沢《いろつや》も殆んど元《もと》の様に冴々《さえ/″\》して見える日が多いので、当人も喜《よろ》こんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又|血色《けつしよく》が悪くなり出《だ》した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為《ため》ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪《わる》くなつてゐない。弁《べん》の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が直《ぢか》に代助に話《はな》した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の為《ため》ぢやないかしらと思つた。  三千代《みちよ》は美《うつ》くしい線《せん》を奇麗に重ねた鮮《あざや》かな二重瞼《ふたへまぶた》を持つてゐる。眼《め》の恰好は細長い方であるが、瞳《ひとみ》を据ゑて凝《じつ》と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼《くろめ》の働らきと判断してゐた。三千代《みちよ》が細君にならない前、代助はよく、三千代《みちよ》の斯《か》う云ふ眼遣《めづかひ》を見た。さうして今でも善《よ》く覚えてゐる。三千代《みちよ》の顔を頭《あたま》の中《なか》に浮《うか》べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来|上《あが》らないうちに、此|黒《くろ》い、湿《うる》んだ様に暈《ぼか》された眼《め》が、ぽつと出《で》て来《く》る。  廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代《みちよ》は今代助の前に腰《こし》を掛けた。さうして奇麗な手を膝《ひざ》の上《うへ》に畳《かさ》ねた。下《した》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》にした手にも指輪《ゆびわ》を穿《は》めてゐる。上《うへ》のは細い金《きん》の枠《わく》に比較的大きな真珠《しんじゆ》を盛《も》つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。  三千代《みちよ》は顔《かほ》を上《あ》げた。代助は、突然《とつぜん》例の眼《め》を認《みと》めて、思はず瞬《またゝき》を一つした。  汽車で着いた明日《あくるひ》平岡と一所に来《く》る筈であつたけれども、つい気分が悪《わる》いので、来損《きそく》なつて仕舞つて、それからは一人《ひとり》でなくつては来《く》る機会がないので、つい出《で》ずにゐたが、今日《けふ》は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間|来《き》て呉れた時は、平岡が出掛際《でかけぎは》だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な詫《わび》をして、 「待《ま》つてゐらつしやれば可《よ》かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是《これ》は此女の持《もち》調子で、代助は却つて其昔を憶《おも》ひ出《だ》した。 「だつて、大変|忙《いそが》しさうだつたから」 「えゝ、忙《いそが》しい事は忙《いそが》しいんですけれども――好《い》いぢやありませんか。居《ゐ》らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」  代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。例《いつも》なら調戯《からかひ》半分に、あなたは何か叱《しか》られて、顔《かほ》を赤くしてゐましたね、どんな悪《わる》い事をしたんですか位言ひかねない間柄《あひだがら》なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後《あと》から其場《そのば》を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸《ちよつと》出《で》なかつた。        四の五  代助は烟草《たばこ》へ火《ひ》を点《つ》けて、吸口《すひくち》を啣《くわ》へた儘、椅子の脊《せ》に頭《あたま》を持《も》たせて、寛《くつ》ろいだ様に、 「久し振《ぶ》りだから、何か御馳走しませうか」と聞《き》いた。さうして心《こゝろ》のうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた。三千代は、 「今日《けふ》は沢山《たくさん》。さう緩《ゆつく》りしちやゐられないの」と云つて、昔《むかし》の金歯《きんば》を一寸《ちょつと》見せた。 「まあ、可《い》いでせう」  代助は両手を頭《あたま》の後《うしろ》へ持《も》つて行つて、指《ゆび》と指《ゆび》を組み合せて三千代を見た。三千代はこゞんで帯の間《あひだ》から小さな時計を出《だ》した。代助が真珠の指輪を此女に贈《おくり》ものにする時、平岡は此時計を妻に買つて遣《や》つたのである。代助は、一つ店《みせ》で別々《べつ/\》の品物《しなもの》を買つた後《あと》、平岡と連《つ》れ立《だ》つて其所《そこ》の敷居《しきゐ》を跨《また》ぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。 「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道《みち》をしてゐたものだから」 と独り言《ごと》の様に説明を加へた。 「そんなに急《いそ》ぐんですか」 「えゝ、成《な》り丈《たけ》早く帰りたいの」  代助は頭《あたま》から手《て》を放《はな》して、烟草《たばこ》の灰をはたき落した。 「三年《さんねん》のうちに大分《だいぶ》世帯染《しよたいじみ》ちまつた。仕方《しかた》がない」  代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処《どこ》かに苦《にが》い所があつた。 「あら、だつて、明日《あした》引越《ひつこ》すんぢやありませんか」  三千代《みちよ》の声は、此時《このとき》急に生々《いき/\》と聞《きこ》えた。代助は引越《ひつこし》の事を丸で忘れてゐた。 「ぢや引越《ひつこ》してから緩《ゆつ》くり来《く》れば可《い》いのに」  代助は相手の快《こゝろ》よささうな調子に釣り込まれて、此方《こつち》からも他愛《たあい》なく追窮した。 「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、額《ひたひ》の所へあらはして、一寸《ちょつと》下《した》を見たが、やがて頬《ほゝ》を上《あ》げた。それが薄赤く染《そ》まつて居た。 「実《じつ》は私《わたくし》少し御願《おねがひ》があつて上《あ》がつたの」  疳《かん》の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐ其用事の何であるかを悟つた。実は平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識《はんいしき》の下《した》で覚悟してゐたのである。 「何ですか、遠慮なく仰しやい」 「少し御金《おかね》の工面《くめん》が出来《でき》なくつて?」  三千代の言葉《ことば》は丸で子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬《ほゝ》は矢つ張り赤くなつてゐる。代助は、此女に斯んな気恥《きは》づかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた。  段々聞いて見ると、明日《あした》引越をする費用や、新らしく世帯を持つ為《た》めの金《かね》が入用なのではなかつた。支店の方を引き上《あ》げる時、向ふへ置き去《ざ》りにして来《き》た借金が三口《みくち》とかあるうちで、其|一口《ひとくち》を是非片付けなくてはならないのださうである。東京へ着《つ》いたら一週間うちに、どうでもすると云ふ堅《かた》い約束をして来《き》た上《うへ》に、少し訳があつて、他《ほか》の様に放《ほう》つて置《お》けない性質《たち》のものだから、平岡も着《つ》いた明日《あくるひ》から心配して、所々奔走してゐるけれども、まだ出来さうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みに寄《よこ》したと云ふ事が分《わか》つた。 「支店長から借りたと云ふ奴《やつ》ですか」 「いゝえ。其方《そのほう》は何時《いつ》迄延ばして置いても構はないんですが、此方《こつち》の方を何《ど》うかしないと困るのよ。東京で運動する方に響《ひゞ》いて来《く》るんだから」  代助は成程そんな事があるのかと思つた。金高《かねだか》を聞くと五百円と少し許である。代助はなんだ其位と腹の中《なか》で考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金《かね》に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた。 「何《なん》でまた、そんなに借金をしたんですか」 「だから私《わたくし》考へると厭《いや》になるのよ。私《わたくし》も病気をしたのが、悪《わる》いには悪《わる》いけれども」 「病気の時の費用なんですか」 「ぢやないのよ。薬代《くすりだい》なんか知れたもんですわ」  三千代は夫《それ》以上を語《かた》らなかつた。代助も夫《それ》以上を聞く勇気がなかつた。たゞ蒼白《あをしろ》い三千代の顔を眺めて、その中《うち》に、漠然たる未来の不安を感じた。        五の一  翌日《よくじつ》朝《あさ》早《はや》く門野《かどの》は荷車《にぐるま》を三台|雇《やと》つて、新橋の停車場《ていしやば》迄平岡の荷物《にもつ》を受取《うけと》りに行《い》つた。実は疾《と》うから着《つ》いて居たのであるけれども、宅《うち》がまだ極《きま》らないので、今日《けふ》迄其儘にしてあつたのである。往復の時間と、向ふで荷物を積み込む時間を勘定して見ると、何《ど》うしても半日仕事である。早く行かなけりや、間《ま》に合はないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野《かどの》は例の調子で、なに訳《わけ》はありませんと答へた。此男は、時間の考などは、あまりない方だから、斯う簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めて成程と云ふ顔をした。それから荷物を平岡の宅《うち》へ届《とゞ》けた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた。  それから十一時|過《すぎ》迄代助は読書してゐた。が不図ダヌンチオと云ふ人が、自分の家《いへ》の部屋《へや》を、青色《あをいろ》と赤色《あかいろ》に分《わか》つて装飾してゐると云ふ話を思ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、此二色に外《ほか》ならんと云ふ点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。  代助は何故《なぜ》ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤《あか》の必要があるだらうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好《い》い心持はしない。出来得るならば、自分の頭《あたま》丈でも可《い》いから、緑《みどり》のなかに漂はして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を画《か》いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好《い》い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。  代助は縁側へ出て、庭《には》から先《さき》にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散つて、今は新芽《しんめ》若葉《わかば》の初期である。はなやかな緑《みどり》がぱつと顔《かほ》に吹き付けた様な心持ちがした。眼《め》を醒《さま》す刺激の底《そこ》に何所《どこ》か沈《しづ》んだ調子のあるのを嬉しく思ひながら、鳥打《とりうち》帽を被《かむ》つて、銘仙《めいせん》の不断|着《ぎ》の儘|門《もん》を出《で》た。  平岡の新宅へ来て見ると、門《もん》が開《あ》いて、がらんとしてゐる丈で、荷物の着《つ》いた様子もなければ、平岡夫婦の来《き》てゐる気色も見えない。たゞ車夫体の男が一人《ひとり》縁側に腰を懸《か》けて烟草を呑んでゐた。聞いて見ると、先刻《さつき》一返|御出《おいで》になりましたが、此案排ぢや、どうせ午過《ひるすぎ》だらうつて又御帰りになりましたといふ答である。 「旦那と奥さんと一所に来《き》たかい」 「えゝ御一所です」 「さうして一所に帰つたかい」 「えゝ御一所に御帰りになりました」 「荷物もそのうち着《つ》くだらう。御苦労さま」と云つて、又通りへ出《で》た。  神田へ来《き》たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人《ふたり》の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸《ちょつと》顔《かほ》を出《だ》した。夫婦は膳《ぜん》を並《なら》べて飯《めし》を食《く》つてゐた。下女《げじよ》が盆《ぼん》を持《も》つて、敷居に尻《しり》を向けてゐる。其|後《うしろ》から、声を懸けた。  平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼《そのめ》が血ばしつてゐる。二三日|能《よ》く眠《ねむ》らない所為《せゐ》だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方《かた》だと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。留《と》めるのを外《そと》へ出《で》て、飯《めし》を食つて、髪《かみ》を刈つて、九段の上《うへ》へ一寸《ちょつと》寄つて、又帰りに新|宅《たく》へ行つて見た。三千代は手拭を姉《ねえ》さん被《かぶ》りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、襷《たすき》がけで荷物の世話を焼《や》いてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女も来《き》てゐる。平岡は縁側で行李の紐《ひも》を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝《てつだ》はないかと云つた。門野《かどの》は袴を脱《ぬ》いで、尻《しり》を端折つて、重《かさ》ね箪笥を車夫と一所に坐敷へ抱《かゝ》へ込みながら、先生どうです、此|服装《なり》は、笑《わら》つちや不可《いけ》ませんよと云つた。        五の二  翌日《よくじつ》、代助が朝食《あさめし》の膳《ぜん》に向《むか》つて、例の如く紅茶を呑《の》んでゐると、門野《かどの》が、洗《あら》ひ立《た》ての顔《かほ》を光《ひか》らして茶の間《ま》へ這入つて来《き》た。 「昨夕《ゆふべ》は何時《いつ》御帰《おかへ》りでした。つい疲《つか》れちまつて、仮寐《うたゝね》をしてゐたものだから、些《ちつ》とも気が付きませんでした。――寐《ね》てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分|人《ひと》が悪《わる》いな。全体何時|頃《ごろ》なんです、御帰りになつたのは。夫迄《それまで》何所《どこ》へ行《い》つて居《ゐ》らしつた」と平生《いつも》の調子で苦《く》もなく※[#「口+堯」、71-2]舌《しやべ》り立てた。代助は真面目《まじめ》で、 「君、すつかり片付迄《かたづくまで》居《ゐ》て呉《く》れたんでせうね」と聞いた。 「えゝ、すつかり片付《かたづ》けちまいました。其代り、何《ど》うも骨《ほね》が折れましたぜ。何《なに》しろ、我々の引越《ひつこし》と違《ちが》つて、大きな物が色々《いろ/\》あるんだから。奥《おく》さんが坐敷《ざしき》の真中《まんなか》へ立《た》つて、茫然《ぼんやり》、斯《か》う周囲《まはり》を見回《みまは》してゐた様子《やうす》つたら、――随分|可笑《おかし》なもんでした」 「少《すこ》し身体《からだ》の具合が悪《わる》いんだからね」 「どうも左様《さう》らしいですね。色《いろ》が何《なん》だか可《よ》くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好《い》いですね。昨夕《ゆふべ》一所に湯《ゆ》に入つて驚ろいた」  代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本|書《か》いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人|宛《あて》で、先達《せんだつ》て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿《あねむこ》宛で、タナグラの安いのを見付《みつ》けて呉れといふ依頼である。  昼過《ひるすぎ》散歩の出掛《でが》けに、門野《かどの》の室《へや》を覗《のぞ》いたら又|引繰《ひつく》り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野《かどの》の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕《ゆふべ》寐《ね》つかれないで大変難義したのである。例に依《よ》つて、枕《まくら》の傍《そば》へ置《お》いた袂《たもと》時計が、大変大きな音《おと》を出《だ》す。夫《それ》が気になつたので、手を延《の》ばして、時計を枕《まくら》の下《した》へ押し込んだ。けれども音《おと》は依然として頭《あたま》の中《なか》へ響《ひゞ》いて来《く》る。其音《そのおと》を聞《き》きながら、つい、うと/\する間《ま》に、凡ての外《ほか》の意識は、全く暗窖《あんこう》の裡《うち》に降下《こうか》した。が、たゞ独り夜《よる》を縫《ぬ》ふミシンの針《はり》丈が刻《きざ》み足に頭《あたま》の中《なか》を断《た》えず通《とほ》つてゐた事を自覚してゐた。所が其音《そのおと》が何時《いつ》かりん/\といふ虫の音《ね》に変つて、奇麗な玄関の傍《わき》の植込《うゑご》みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕《ゆふべ》の夢を此所《こゝ》迄|辿《たど》つて来《き》て、睡|眠《みん》と覚醒《かくせい》との間《あひだ》を繋《つな》ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。  代助は、何事によらず一度《いちど》気にかゝり出《だ》すと、何処《どこ》迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿|気《げ》さ加減の程度を明らかに見積《みつも》る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方《かた》が猶|眼《め》に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何《いか》にして夢《ゆめ》に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜《よる》、蒲団へ這入つて、好《い》い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所《こゝ》だ、斯《か》うして眠《ねむ》るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼《め》が冴《さ》えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所《こゝ》だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰《く》り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇《くらやみ》を検査する為《ため》に蝋燭を点《とも》したり、独楽《こま》の運動を吟味する為《ため》に独楽《こま》を抑《おさ》へる様なもので、生涯|寐《ね》られつこない訳になる。と解《わか》つてゐるが晩《ばん》になると又はつと思ふ。  此困難は約一年許りで何時《いつ》の間《ま》にか漸く遠退《とほの》いた。代助は昨夕《ゆふべ》の夢《ゆめ》と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己《じこ》の一部分を切り放《はな》して、其儘の姿《すがた》として、知らぬ間《ま》に夢の中《なか》へ譲《ゆづ》り渡す方が趣《おもむき》があると思つたからである。同時に、此作用は気狂《きちがひ》になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂《きちがひ》にはなれないと信じてゐたのである。        五の三  それから二三日は、代助も門野《かどの》も平岡の消息を聞《き》かずに過《す》ごした。四日目《よつかめ》の午過《ひるすぎ》に代助は麻布《あざぶ》のある家《いへ》へ園遊会に呼ばれて行《い》つた。御客は男女を合せて、大分《だいぶ》来《き》たが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これは中《なか》々の美人で、日本抔へ来《く》るには勿体ない位な容色だが、何処《どこ》で買つたものか、岐阜《ぎふ》出来《でき》の絵日傘《ゑひがさ》を得意に差《さ》してゐた。  尤も其日は大変な好《い》い天気で、広い芝生の上《うへ》にフロツクで立つてゐると、もう夏《なつ》が来《き》たといふ感じが、肩《かた》から脊中《せなか》へ掛けて著《いちゞ》るしく起《おこ》つた位、空《そら》が真蒼《まつさを》に透《す》き通《とほ》つてゐた。英国の紳士は顔《かほ》をしかめて空《そら》を見《み》て、実《じつ》に美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイと答《こた》へた。非常に疳《かん》の高《たか》い声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。  代助も二言三言《ふたことみこと》此細君から話《はな》しかけられた。が三分《さんぷん》と経《た》たないうちに、遣《や》り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服を着《き》て、わざと島田に結《い》つた令嬢と、長らく紐育《ニユーヨーク》で商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌《しやべ》る天才を以て自ら任ずる男で、欠《か》かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話を遣《や》つて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりの楽《たのし》みにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑《おか》しさうに、げら/\笑《わら》ふ癖《くせ》がある。英国人が時によると怪訝《けげん》な顔《かほ》をしてゐる。代助はあれ丈は已めたら可《よ》からうと思つた。令嬢も中々|旨《うま》い。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。  代助が此所《こゝ》へ呼ばれたのは、個人的に此所《こゝ》の主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分の父《ちゝ》と兄《あに》との社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へ行《い》つて、好い加減に頭《あたま》を下《さ》げて、ぶら/\してゐた。其中《そのうち》に兄《あに》も居《ゐ》た。 「やあ、来《き》たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。 「何《ど》うも、好《い》い天気ですね」 「あゝ。結構だ」  代助も脊の低《ひく》い方ではないが、兄《あに》は一層|高《たか》く出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満して来《き》たので、中々《なか/\》立派に見える。 「何《ど》うです、彼方《あつち》へ行《い》つて、ちと外国人と話《はなし》でもしちや」 「いや、真平《まつぴら》だ」と云つて兄《あに》は苦笑《にがわら》ひをした。さうして大きな腹《はら》にぶら下《さ》がつてゐる金鎖《きんぐさり》を指《ゆび》の先《さき》で弄《いぢく》つた。 「何《ど》うも外国人は調子が可《い》いですね。少《すこ》し可《よ》すぎる位だ。あゝ賞《ほ》められると、天気の方でも是非|好《よ》くならなくつちやならなくなる」 「そんなに天気を賞《ほ》めてゐたのかい。へえ。少し暑過《あつす》ぎるぢやないか」 「私《わたし》にも暑過《あつす》ぎる」  誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭《ふ》いた。両人《ふたり》共|重《おも》い絹帽《シルクハツト》を被《かぶ》つてゐる。  兄弟は芝生の外《はづ》れの木蔭《こかげ》迄|来《き》て留《とま》つた。近所には誰《だれ》もゐない。向ふの方で余興か何《なに》か始まつてゐる。それを、誠吾は、宅《うち》にゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。 「兄《あに》の様になると、宅《うち》にゐても、客に来《き》ても同じ心持ちなんだらう。斯《か》う世の中《なか》に慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、詰《つま》らないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。 「今日《けふ》は御父《おとう》さんは何《ど》うしました」 「御父《おとう》さんは詩《し》の会《くわい》だ」  誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少|可笑《おか》しかつた。 「姉《ねえ》さんは」 「御客の接待掛りだ」  また嫂《あによめ》が後《あと》で不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又|可笑《おか》しくなつた。        五の四  代助は、誠吾の始終|忙《いそが》しがつてゐる様子を知つてゐる。又その忙《いそが》しさの過半は、斯《か》う云ふ会合から出来上《できあ》がつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別に厭《いや》な顔《かほ》もせず、一口《ひとくち》の不平も零《こぼ》さず、不規則に酒を飲んだり、物《もの》を食《く》つたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時《いつ》見ても疲《つか》れた態《たい》もなく、噪《さわ》ぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。  誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へ上《あが》つたり、晩餐に出《で》たり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔を出《だ》して、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、斯《か》う云ふ生活に慣《な》れ抜《ぬ》いて、海月《くらげ》が海《うみ》に漂《たゞよ》ひながら、塩水《しほみづ》を辛《から》く感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。  其所《そこ》が代助には難有い。と云ふのは、誠吾は父《ちゝ》と異《ちが》つて、嘗て小六※[#小書き濁点付き平仮名つ、77-6]かしい説法抔を代助に向つて遣《や》つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許《ぱかり》も口《くち》にしないんだから、有《ある》んだか、無《な》いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的《せききよくてき》に打《う》ち壊《こは》して懸《かゝ》つた試《ためし》もない。実に平凡で好《い》い。  だが面白くはない。話し相手としては、兄《あに》よりも嫂《あによめ》の方が、代助に取つて遥かに興味がある。兄《あに》に逢ふと屹度|何《ど》うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底《ふなぞこ》に大蛇《だいぢや》が飼《か》つてあつた、誰《だれ》が鉄道で轢《ひ》かれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事|許《ばかり》である。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄|経《た》つても種《たね》が尽きる様子が見えない。  さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。今《いま》日本《にほん》の小説家では誰《だれ》が一番|偉《えら》いのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がし易《やす》い。  斯《か》う云ふ兄《あに》と差し向《むか》ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁《あく》がなくつて、気楽で好《い》い。たゞ朝から晩迄|出歩《である》いてゐるから滅多に捕《つら》まへる事が出来《でき》ない。嫂《あによめ》でも、誠太郎でも、縫子でも、兄《あに》が終日《しうじつ》宅《うち》に居て、三度の食事を家族と共に欠《か》かさず食《く》ふと、却つて珍《めづ》らしがる位である。  だから木蔭《こかげ》に立つて、兄《あに》と肩《かた》を比《なら》べた時《とき》、代助は丁度|好《い》い機会だと思つた。 「兄《にい》さん、貴方《あなた》に少し話《はなし》があるんだが。何時《いつ》か暇《ひま》はありませんか」 「暇《ひま》」と繰り返《かへ》した誠吾は、何《なん》にも説明せずに笑つて見せた。 「明日《あした》の朝《あさ》は何《ど》うです」 「明日《あした》の朝《あさ》は浜《はま》迄|行《い》つて来《こ》なくつちやならない」 「午《ひる》からは」 「午《ひる》からは、会社の方に居る事はゐるが、少《すこ》し相談があるから、来《き》ても緩《ゆつ》くり話《はな》しちやゐられない」 「ぢや晩《ばん》なら宜《よ》からう」 「晩《ばん》は帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日《あした》の晩《ばん》帝国ホテルへ呼ぶ事になつてるから駄目だ」  代助は口《くち》を尖《とん》がらかして、兄《あに》を凝《じつ》と見た。さうして二人《ふたり》で笑ひ出した。 「そんなに急《いそ》ぐなら、今日《けふ》ぢや、何《ど》うだ。今日《けふ》なら可《い》い。久し振《ぶ》りで一所に飯《めし》でも食《く》はうか」  代助は賛成した。所が倶楽部《くらぶ》へでも行《ゆ》くかと思ひの外《ほか》、誠吾は鰻《うなぎ》が可《よ》からうと云ひ出した。 「絹帽《シルクハツト》で鰻《うなぎ》屋へ行くのは始《はじめ》てだな」と代助は逡巡した。 「何《なに》構《かま》ふものか」  二人《ふたり》は園遊会を辞して、車《くるま》に乗つて、金杉橋《かなすぎばし》の袂《たもと》にある鰻屋《うなぎや》へ上《あが》つた。        五の五  其所《そこ》は河《かは》が流れて、柳《やなぎ》があつて、古風な家《いへ》であつた。黒《くろ》くなつた床柱《とこばしら》の傍《わき》の違《ちが》ひ棚《だな》に、絹帽《シルクハツト》を引繰返《ひつくりかへ》しに、二つ並《なら》べて置いて見て、代助は妙だなと云《い》つた。然し明《あ》け放《はな》した二階の間《ま》に、たつた二人《ふたり》で胡坐《あぐら》をかいてゐるのは、園遊会より却つて楽《らく》であつた。  二人《ふたり》は好《い》い心持《こゝろもち》に酒を飲《の》んだ。兄《あに》は飲《の》んで、食《く》つて、世間話《せけんばなし》をすれば其|外《ほか》に用はないと云ふ態度《たいど》であつた。代助も、うつかりすると、肝心の事件を忘《わす》れさうな勢であつた。が下女が三本目の銚子を置いて行つた時に、始めて用談に取り掛《かゝ》つた。代助の用談と云ふのは、言ふ迄もなく、此間|三千代《みちよ》から頼《たの》まれた金策の件である。  実を云ふと、代助は今日迄まだ誠吾に無心を云つた事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をし過《す》ぎて、其尻を兄《あに》になすり付けた覚はある。其時|兄《あに》は叱るかと思ひの外《ほか》、さうか、困り者だな、親爺《おやぢ》には内々で置けと云つて嫂《あによめ》を通《とほ》して、奇麗に借金を払つてくれた。さうして代助には一口《ひとくち》の小言《こごと》も云はなかつた。代助は其時から、兄《あにき》に恐縮して仕舞つた。其後《そののち》小遣《こづかひ》に困《こま》る事はよくあるが、困るたんびに嫂《あによめ》を痛《いた》めて事を済ましてゐた。従つて斯《か》う云ふ事件に関して兄《あに》との交渉は、まあ初対面の様なものである。  代助から見ると、誠吾は蔓《つる》のない薬鑵《やくわん》と同じことで、何処《どこ》から手を出して好《い》いか分《わか》らない。然しそこが代助には興味があつた。  代助は世間話《せけんばなし》の体《てい》にして、平岡夫婦の経歴をそろ/\話《はな》し始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえ/\と拍子を取る様に、飲みながら、聞いてゐる。段々進んで三千代が金《かね》を借《か》りに来《き》た一段になつても、矢っ張りへえ/\と合槌を打つてゐる丈である。代助は、仕方なしに、 「で、私《わたし》も気の毒だから、何《ど》うにか心配して見様つて受合つたんですがね」と云つた。 「へえ。左様《さう》かい」 「何《ど》うでせう」 「御前《おまい》金《かね》が出来《でき》るのかい」 「私《わたし》や一文も出来《でき》やしません。借《か》りるんです」 「誰《だれ》から」  代助は始めから此所《こゝ》へ落《おと》す積《つもり》だつたんだから、判然《はつきり》した調子で、 「貴方《あなた》から借りて置《お》かうと思ふんです」と云つて、改めて誠吾の顔《かほ》を見た。兄《あに》は矢っ張り普通の顔をしてゐた。さうして、平気に、 「そりや、御|廃《よ》しよ」と答へた。  誠吾の理由を聞いて見ると、義理や人情に関係がない許《ばかり》ではない、返《かへ》す返《かへ》さないと云ふ損得にも関係がなかつた。たゞ、そんな場合には放《ほう》つて置けば自《おのづ》から何《ど》うかなるもんだと云ふ単純な断定である。  誠吾は此断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云ふ男が長屋を借りて住《す》んでゐる。其藤野が近頃遠縁のものゝ息子《むすこ》を頼《たの》まれて宅《うち》へ置いた。所が其子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなつたが、前《まへ》以て国から送つてある学資も旅費も藤野が使《つか》ひ込《こ》んでゐると云ふので、一時の繰り合せを頼《たの》みに来《き》た事がある。無論誠吾が直《ぢか》に逢つたのではないが、妻《さい》に云ひ付《つ》けて断《ことわ》らした。夫でも其子《そのこ》は期日迄に国へ帰つて差支なく検査を済《す》ましてゐる。夫から此藤野の親類の何とか云ふ男は、自分の持つてゐる貸家《かしや》の敷金《しききん》を、つい使《つか》つて仕舞つて、借家人《しやくやにん》が明日《あす》引越すといふ間際になつても、まだ調達が出来ないとか云つて、矢っ張り藤野から泣き付いて来《き》た事がある。然し是も断《ことわ》らした。夫でも別《べつ》に不都合はなく敷金は返せてゐる。――まだ其外にもあつたが、まあ斯《こ》んな種類の例ばかりであつた。 「そりや、姉《ねえ》さんが蔭《かげ》へ廻《まわ》つて恵《めぐ》んでゐるに違《ちがひ》ない。ハヽヽヽ。兄《にい》さんも余っ程呑気だなあ」 と代助は大きい声を出して笑つた。 「何《なに》、そんな事があるものか」  誠吾は矢張当り前の顔をしてゐた。さうして前にある猪口を取つて口《くち》へ持つて行つた。        六の一  其日誠吾は中々《なか/\》金《かね》を貸して遣《や》らうと云はなかつた。代助も三千代《みちよ》が気の毒だとか、可哀想だとか云ふ泣言《なきごと》は、可成避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、さう云ふ心持もあるが、何にも知らない兄《あに》を、其所《そこ》迄|連《つ》れて行くのには一通りでは駄目だと思ふし、と云つて、無暗にセンチメンタルな文句を口《くち》にすれば、兄《あに》には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、矢っ張り平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方《あつち》へ行《い》つたり此方《こつち》へ来《き》たりして、飲んでゐた。飲みながらも、親爺《おやぢ》の所謂熱誠が足りないとは、此所《こゝ》の事だなと考へた。けれども、代助は泣いて人を動かさうとする程、低級趣味のものではないと自信してゐる。凡そ何が気障《きざ》だつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障《きざ》なものはないと自覚してゐる。兄《あに》には其辺の消息がよく解《わか》つてゐる。だから此手で遣《や》り損《そこ》なひでもしやうものなら、生涯自分の価値を落《おと》す事になる。と気が付《つ》いてゐる。  代助は飲むに従つて、段々|金《かね》を遠《とほ》ざかつて来《き》た。たゞ互が差し向ひであるが為めに、旨《うま》く飲《の》めたと云ふ自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食ふ段《だん》になつて、思ひ出した様に、金《かね》は借りなくつても好《い》いから、平岡を何処《どこ》か使《つか》つて遣《や》つて呉れないかと頼《たの》んだ。 「いや、さう云ふ人間は御免蒙る。のみならず此不景気ぢや仕様がない」と云つて誠吾はさく/\飯《めし》を掻き込んでゐた。  明日《あくるひ》眼《め》が覚《さ》めた時、代助は床《とこ》の中《なか》でまづ第一番に斯う考へた。 「兄《あに》を動《うご》かすのは、同じ仲間《なかま》の実業家でなくつちや駄目だ。単に兄弟《けうだい》の好《よしみ》丈では何《ど》うする事も出来ない」  斯《か》う考へた様なものゝ、別に兄《あに》を不人情と思ふ気は起らなかつた。寧ろその方が当然であると悟つた。此兄が自分の放蕩費を苦情も云はずに弁償して呉れた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今|茲《こゝ》で平岡の為《ため》に判《はん》を押《お》して、連借でもしたら、何《ど》うするだらう。矢っ張り彼《あ》の時の様に奇麗に片付けて呉れるだらうか。兄《あに》は其所《そこ》迄考へてゐて、断わつたんだらうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して借さないのかしらん。  代助自身の今の傾向から云ふと、到底人の為《ため》に判なぞを押しさうにもない。自分もさう思つてゐる。けれども、兄《あに》が其所《そこ》を見抜いて金《かね》を貸さないとすると、一寸《ちよつと》意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験して見たくもある。――其所《そこ》迄|来《き》て、代助は自分ながら、あんまり性質《たち》が能くないなと心《こころ》のうちで苦笑した。  けれども、唯|一《ひと》つ慥《たしか》な事がある。平岡は早晩借用証書を携へて、自分の判を取りにくるに違ない。  斯う考へながら、代助は床《とこ》を出た。門野《かどの》は茶《ちや》の間《ま》で、胡坐《あぐら》をかいて新聞を読んでゐたが、髪《かみ》を濡《ぬ》らして湯殿《ゆどの》から帰《かへ》つて来《く》る代助を見るや否や、急に坐三昧《ゐざんまい》を直《なほ》して、新聞を畳んで坐《ざ》蒲団の傍《そば》へ押《お》し遣《や》りながら、 「何《ど》うも『煤烟《ばいえん》』は大変な事になりましたな」と大きな声で云つた。 「君読んでるんですか」 「えゝ、毎朝《まいあさ》読《よ》んでます」 「面白《おもしろ》いですか」 「面白《おもしろ》い様ですな。どうも」 「何《ど》んな所が」 「何《ど》んな所がつて。さう改《あら》たまつて聞《き》かれちや困りますが。何ぢやありませんか、一体に、斯う、現代的の不安が出《で》てゐる様ぢやありませんか」 「さうして、肉の臭《にほ》ひがしやしないか」 「しますな。大いに」  代助は黙《だま》つて仕舞つた。        六の二  紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰《こし》を懸けて、茫然《ぼんやり》庭《には》を眺《なが》めてゐると、瘤《こぶ》だらけの柘榴《ざくろ》の枯枝《かれえだ》と、灰色《はいいろ》の幹《みき》の根方《ねがた》に、暗緑《あんりよく》と暗紅《あんかう》を混《ま》ぜ合《あ》はした様な若《わか》い芽が、一面に吹き出《だ》してゐる。代助の眼《め》には夫《それ》がぱつと映《えい》じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。  代助の頭《あたま》には今具体的な何物をも留《とゞ》めてゐない。恰かも戸外《こぐわい》の天気の様に、それが静《しづ》かに凝《じつ》と働《はた》らいてゐる。が、其底には微塵《みじん》の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪《ちいず》の中《なか》で、いくら虫《むし》が動《うご》いても、乾酪《ちいず》が元《もと》の位置にある間《あひだ》は、気が付かないと同じ事で、代助も此|微震《びしん》には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来《く》る度《たび》に、椅子の上《うへ》で、少し宛《づゝ》身体《からだ》の位置を変《か》へなければならなかつた。  代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口《くち》にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。  代助は露西亜文学に出《で》て来《く》る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側《がは》からのみ社会を描《ゑが》き出すのを、舶来の唐物《とうぶつ》の様に見傚してゐる。  理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有《あ》つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留《とま》つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛《な》げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可《よ》かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂|大疑現前《だいぎげんぜん》抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯《か》う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口《りこう》に生れ過《す》ぎた男である。  代助は門野《かどの》の賞《ほ》めた「煤烟」を読んでゐる。今日《けふ》は紅茶々碗の傍《そば》に新聞を置いたなり、開《あ》けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金《かね》に不自由のない男だから、贅沢《ぜいたく》の結果《けつくわ》あゝ云ふ悪戯《いたづら》をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧《まづ》しい人である。それを彼所迄《あすこまで》押《お》して行くには、全く情愛《じやうあい》の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子《ともこ》といふ女にも、誠《まこと》の愛で、已むなく社会の外《そと》に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動《うご》かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人《オリヂナル》だと思ふ。けれども要吉の特殊人《オリヂナル》たるに至つては、自分より遥かに上手《うはて》であると承認した。それで此間《このあひだ》迄は好奇心に駆《か》られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼《め》を通さない事がよくある。  代助は椅子の上《うへ》で、時々《とき/″\》身を動《うご》かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例《いつも》の通り読書《どくしよ》に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁《ページ》の中頃まで来《き》て急に休《や》めて頬杖を突《つ》いた。さうして、傍《そば》にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外《ほか》の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出《で》てゐる。代助は斯う云ふ記事を読《よ》むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為《ため》の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出《だ》した。        六の三  午過《ひるすぎ》になつてから、代助は自分が落ち付いてゐないと云ふ事を、漸く自覚し出《だ》した。腹《はら》のなかに小《ちい》さな皺《しわ》が無数に出来《でき》て、其皺《そのしわ》が絶えず、相互《さうご》の位地と、形状《かたち》とを変《か》へて、一面に揺《うご》いてゐる様な気持がする。代助は時々《とき/″\》斯う云ふ情調の支配を受ける事がある。さうして、此種の経験を、今日迄、単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた。代助は昨日《きのふ》兄《あに》と一所に鰻《うなぎ》を食《く》つたのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行て見《み》やうかと思ひ出《だ》したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた。婆さんに着物を出《だ》さして、着換《きか》へやうとしてゐる所へ、甥《をひ》の誠太郎が来《き》た。帽子を手に持《も》つた儘、恰好の好《い》い円《まる》い頭《あたま》を、代助の頭へ出して、腰《こし》を掛《か》けた。 「もう学校は引けたのかい。早過《はやす》ぎるぢやないか」 「ちつとも早《はや》かない」と云つて、笑《わら》ひながら、代助の顔《かほ》を見てゐる。代助は手《て》を敲《たゝ》いて婆《ばあ》さんを呼《よ》んで、 「誠太郎、チヨコレートを飲《の》むかい」と聞いた。 「飲《の》む」  代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯《からかひ》だした。 「誠太郎、御前はベースボール許《ばかり》遣《や》るもんだから、此頃《このごろ》手が大変大きくなつたよ。頭《あたま》より手の方が大きいよ」  誠太郎はにこ/\して、右の手で、円《まる》い頭《あたま》をぐる/″\撫《な》でた。実際大きな手を持《も》つてゐる。 「叔父《おぢ》さんは、昨日《きのふ》御父《おとう》さんから奢《おご》つて貰《もら》つたんですつてね」 「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭《おかげ》で今日《けふ》は腹具合《はらぐあひ》が悪《わる》くつて不可《いけ》ない」 「又《また》神経《しんけい》だ」 「神経《しんけい》ぢやない本当だよ。全《まつ》たく兄《にい》さんの所為《せゐ》だ」 「だつて御父《おとう》さんは左様《さう》云つてましたよ」 「何《なん》て」 「明日《あした》学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰《もら》へつて」 「へえゝ、昨日《きのふ》の御礼にかい」 「えゝ、今日《けふ》は己《おれ》が奢《おご》つたから、明日《あした》が向《むか》ふの番《ばん》だつて」 「それで、わざ/\遣《や》つて来《き》たのかい」 「えゝ」 「兄《あにき》の子丈あつて、中々《なか/\》抜《ぬ》けないな。だから今チヨコレートを飲《の》まして遣《や》るから可《い》いぢやないか」 「チヨコレートなんぞ」 「飲《の》まないかい」 「飲《の》む事は飲《の》むけれども」  誠太郎の注文を能《よ》く聞《き》いて見ると、相撲が始まつたら、回向院へ連《つ》れて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助は快《こゝろ》よく引き受けた。すると誠太郎は嬉《うれ》しさうな顔《かほ》をして、突然《とつぜん》、 「叔父《おぢ》さんはのらくらして居るけれども実際|偉《えら》いんですつてね」と云つた。代助も是には一寸《ちよつと》呆《あき》れた。仕方なしに、 「偉《えら》いのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。 「だつて、僕《ぼく》は昨夕《ゆふべ》始《はじ》めて御父《おとう》さんから聞《き》いたんですもの」と云ふ弁解があつた。  誠太郎の云ふ所によると、昨夕《ゆふべ》兄《あに》が宅《うち》へ帰つてから、父《ちゝ》と嫂《あによめ》と三人して、代助の合評をしたらしい。小供のいふ事だから、能く分《わか》らないが、比較的|頭《あたま》が可《い》いので、能く断片的に其時の言葉を覚えてゐる。父《ちゝ》は代助を、どうも見込がなささうだと評したのださうだ。兄《あに》は之に対して、あゝ遣《や》つてゐても、あれで中々|解《わか》つた所がある。当分|放《ほう》つて置《お》くが可《い》い。放《ほう》つて置《お》いても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何か遣《や》るだらうと弁護したのださうだ。すると嫂《あによめ》がそれに賛成して、一週間許り前|占者《うらなひしや》に見てもらつたら、此人《このひと》は屹度人の上《かみ》に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。  代助はうん、それから、と云つて、始終面白さうに聞いて居たが、占者《うらなひしや》の所《ところ》へ来《き》たら、本当に可笑しくなつた。やがて着物《きもの》を着換《きかへ》て、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家《いへ》を訪《たづ》ねた。        六の四  平岡《ひらをか》の家《いへ》は、此十数年来の物価騰|貴《き》に伴《つ》れて、中流社会が次第々々に切《き》り詰《つ》められて行《ゆ》く有様を、住宅《じうたく》の上《うへ》に善《よ》く代表してゐる、尤も粗悪な見苦《みぐる》しき構《かま》へである。とくに代助には左様《さう》見えた。  門《もん》と玄関の間《あひだ》が一間《いつけん》位しかない。勝手口《かつてぐち》も其通りである。さうして裏にも、横《よこ》にも同じ様な窮屈な家《いへ》が建《た》てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付《つ》け込《こ》んで、最低度の資本家が、なけなしの元手《もとで》を二割乃至三割の高利《こうり》に廻《まは》さうと目論《もくろん》で、あたぢけなく拵《こしら》へ上《あ》げた、生存競争の記念《かたみ》である。  今日《こんにち》の東京市、ことに場末《ばすえ》の東京市には、至る所に此種《このしゆ》の家《いへ》が散点してゐる、のみならず、梅雨《つゆ》に入《い》つた蚤《のみ》の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展《はつてん》と名《な》づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴《シンボル》とした。  彼等のあるものは、石油缶《せきゆくわん》の底《そこ》を継《つ》ぎ合《あ》はせた四角な鱗《うろこ》で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中《よなか》に柱《はしら》の割れる音《おと》で眼《め》を醒《さ》まさないものは一人《ひとり》もない。彼等の戸には必ず節穴《ふしあな》がある。彼等の襖《ふすま》は必ず狂《くる》ひが出ると極つてゐる。資本を頭《あたま》の中《なか》へ注《つ》ぎ込《こ》んで、月々《つき/″\》其|頭《あたま》から利息を取つて生活しやうと云ふ人間《にんげん》は、みんな斯《か》ういふ所を借《か》りて立《た》て籠《こも》つてゐる。平岡も其|一人《いちにん》である。  代助は垣根《かきね》の前《まへ》を通るとき、先づ其|屋根《やね》に眼《め》が付《つ》いた。さうして、どす黒《ぐろ》い瓦の色が妙に彼《かれ》の心を刺激した。代助には此|光《ひかり》のない土《つち》の板《いた》が、いくらでも水《みづ》を吸《す》ひ込《こ》む様に思はれた。玄関前に、此間《このあひだ》引越のときに解《ほど》いた菰包《こもづゝみ》の藁屑《わらくづ》がまだ零《こぼ》れてゐた。座敷《ざしき》へ通《とほ》ると、平岡は机の前《まへ》へ坐《すは》つて、長《なが》い手紙《てがみ》を書《か》き掛《か》けてゐる所であつた。三千代《みちよ》は次《つぎ》の部屋《へや》で簟笥の環《くわん》をかたかた鳴らしてゐた。傍《そば》に大《おほ》きな行李《こり》が開《あ》けてあつて、中《なか》から奇麗《きれい》な長繻絆《ながじゆばん》の袖《そで》が半分《はんぶん》出《で》かかつてゐた。  平岡が、失敬だが鳥渡《ちよつと》待《ま》つて呉れと云つた間《あひだ》に、代助は行李《こり》と長繻絆《ながじゆばん》と、時々《とき/″\》行李《こり》の中《なか》へ落《お》ちる繊《ほそ》い手とを見てゐた。襖《ふすま》は明《あ》けた儘|閉《た》て切《き》る様子もなかつた。が三千代の顔は陰《かげ》になつて見えなかつた。  やがて、平岡は筆《ふで》を机《つくえ》の上へ抛《な》げ付ける様にして、座《ざ》を直《なほ》した。何《なん》だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤《あか》くしてゐた。眼《め》も赤くしてゐた。 「何《ど》うだい。此間《このあひだ》は色々《いろ/\》難有う。其|後《ご》一寸《ちよつと》礼《れい》に行《い》かうと思つて、まだ行《い》かない」  平岡の言葉は言訳《いひわけ》と云はんより寧ろ挑|戦《せん》の調子を帯びてゐる様に聞《き》こえた。襯衣《シヤツ》も股引《もゝひき》も着《つ》けずにすぐ胡坐《あぐら》をかいた。襟《えり》を正《たゞ》しく合《あは》せないので、胸毛《むなげ》が少し出《で》ゝゐる。 「まだ落《お》ち付《つ》かないだらう」と代助が聞いた。 「落ち付く所《どころ》か、此分《このぶん》ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出《だ》した。  代助は平岡が何故《なぜ》こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中《あた》るのぢやない、つまり世間《せけん》に中《あた》るんである、否|己《おの》れに中《あた》つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹《はら》が立たない丈である。 「宅《うち》の都合は、どうだい。間取《まどり》の具合は可《よ》ささうぢやないか」 「うん、まあ、悪《わる》くつても仕方《しかた》がない。気に入つた家《うち》へ這入らうと思へば、株《かぶ》でも遣《や》るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家《うち》はみんな株屋が拵《こしら》へるんだつて云ふぢやないか」 「左様《さう》かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家《うち》が一軒|立《た》つと、其|陰《かげ》に、どの位沢山な家《うち》が潰《つぶ》れてゐるか知れやしない」 「だから猶《なほ》住《す》み好《い》いだらう」  平岡は斯《か》う云つて大いに笑《わら》つた。其所《そこ》へ三千代《みちよ》が出《で》て来《き》た。先達てはと、軽《かる》く代助に挨拶をして、手に持《も》つた赤いフランネルのくる/\と巻《ま》いたのを、坐《すは》ると共に、前《まへ》へ置《お》いて、代助に見せた。 「何ですか、それは」 「赤※[#小書き平仮名ん、94-8]坊の着物《きもの》なの。拵《こしら》へた儘、つい、まだ、解《ほど》かずにあつたのを、今|行李《こり》の底《そこ》を見《み》たら有《あ》つたから、出《だ》して来《き》たんです」と云ひながら、附紐《つけひも》を解《と》いて筒袖《つゝそで》を左右に開《ひら》いた。 「こら」 「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊《こわ》して雑巾にでもして仕舞へ」        六の五  三千代《みちよ》は小供《こども》の着物《きもの》を膝の上《うへ》に乗《の》せた儘、返事もせずしばらく俯向《うつむ》いて眺めてゐたが、 「貴方《あなた》のと同《おんな》じに拵《こしら》へたのよ」と云つて夫《おつと》の方を見た。 「是《これ》か」  平岡は絣《かすり》の袷《あはせ》の下《した》へ、ネルを重《かさ》ねて、素肌《すはだ》に着《き》てゐた。 「是《これ》はもう不可《いか》ん。暑《あつ》くて駄目《だめ》だ」  代助は始《はじ》めて、昔《むかし》の平岡《ひらをか》を当面《まのあたり》に見《み》た。 「袷《あはせ》の下《した》にネルを重《かさ》ねちやもう暑《あつ》い。繻絆にすると可《い》い」 「うん、面倒だから着《き》てゐるが」 「洗濯をするから御|脱《ぬ》ぎなさいと云つても、中々《なか/\》脱《ぬ》がないのよ」 「いや、もう脱《ぬ》ぐ、己《おれ》も少々|厭《いや》になつた」  話《はなし》は死《し》んだ小供《こども》の事をとう/\離《はな》れて仕舞つた。さうして、来《き》た時よりは幾分か空気に暖味《あたゝかみ》が出来《でき》た。平岡は久し振りに一杯飲まうと云ひ出《だ》した。三千代《みちよ》も支度《したく》をするから、緩《ゆつく》りして行《い》つて呉《く》れと頼《たの》む様に留《と》めて、次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つた。代助は其|後姿《うしろすがた》を見て、どうかして金《かね》を拵《こしら》へてやりたいと思つた。 「君|何所《どこ》か奉公|口《ぐち》の見当は付《つ》いたか」と聞いた。 「うん、まあ、ある様な無《な》い様なもんだ。無《な》ければ当分|遊《あそ》ぶ丈の事だ。緩《ゆつ》くり探《さが》してゐるうちには何《ど》うかなるだらう」  云ふ事は落ち付《つ》いてゐるが、代助が聞《き》くと却つて焦《あせ》つて探《さが》してゐる様にしか取れない。代助は、昨日《きのふ》兄《あに》と自分の間に起つた問答の結果を、平岡に知らせやうと思つてゐたのだが、此一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、構《かま》へてゐる向ふの体面を、わざと此方《こつち》から毀損する様な気がしたからである。其上《そのうへ》金《かね》の事に付《つ》いては平岡からはまだ一言《いちげん》の相談も受けた事もない。だから表向《おもてむき》挨拶をする必要もないのである。たゞ、斯《か》うして黙《だま》つてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡な奴《やつ》だと悪《わる》く思はれるに極《きま》つてゐる。けれども今《いま》の代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間《にんげん》ぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回《まは》してゐた。渡金《めつき》を金《きん》に通用させ様とする切《せつ》ない工面より、真鍮を真鍮で通《とほ》して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽《らく》である。と今は考へてゐる。  代助が真鍮を以て甘《あま》んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来《き》たしたといふ様な、小説じみた歴史を有《も》つてゐる為《ため》ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金《めつき》を自分で剥がして来《き》たに過《す》ぎない。代助は此|渡金《めつき》の大半をもつて、親爺《おやぢ》が捺摺《なす》り付けたものと信じてゐる。其|時分《じぶん》は親爺《おやぢ》が金《きん》に見えた。多くの先輩が金《きん》に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金《きん》に見えた。だから自分の渡金《めつき》が辛《つら》かつた。早く金《きん》になりたいと焦《あせ》つて見た。所が、他《ほか》のものゝ地金《ぢがね》へ、自分の眼光がぢかに打《ぶ》つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出《だ》した。  代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合には兄《あに》と喧嘩をしても、父《ちゝ》と口論をしても、平岡の為《ため》に計つたらう、又其|計《はか》つた通りを平岡の所へ来《き》て事々《こと/″\》しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。  それで肝心の話は一二言で已《や》めて、あとは色々な雑談に時を過《す》ごすうちに酒が出《で》た。三千代が徳利の尻《しり》を持つて御酌をした。        六の六  平岡は酔《よ》ふに従つて、段々|口《くち》が多くなつて来《き》た。此男《このをとこ》はいくら酔つても、中《なか》/\平生を離れない事がある。かと思ふと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽《えつらく》を帯びて来《く》る。さうなると、普通の酒家以上に、能く弁する上に、時としては比較的|真面目《まじめ》な問題を持ち出して、相手と議論を上下して楽《たの》し気《げ》に見える。代助は其昔し、麦酒《ビール》の壜《びん》を互《たがひ》の間《あひだ》に並《なら》べて、よく平岡と戦《たゝか》つた事を覚えてゐる。代助に取つて不思議とも思はれるのは、平岡が斯《か》う云ふ状態に陥つた時が、一番平岡と議論がしやすいと云ふ自覚であつた。又酒を呑んで本音《ほんね》を吐《は》かうか、と平岡の方からよく云つたものだ。今日《こんにち》の二人《ふたり》の境界は其|時分《じぶん》とは、大分|離《はな》れて来《き》た。さうして、其離れて、近《ちか》づく路《みち》を見出し悪《にく》い事実を、双方共に腹の中《なか》で心得てゐる。東京へ着《つ》いた翌日《あくるひ》、三年振りで邂逅した二人《ふたり》は、其時《そのとき》既《すで》に、二人《ふたり》ともに何時《いつ》か互《たがひ》の傍《そば》を立退《たちの》いてゐたことを発見した。  所が今日《けふ》は妙である。酒《さけ》に親《した》しめば親《した》しむ程、平岡が昔《むかし》の調子を出《だ》して来《き》た。旨《うま》い局所へ酒が回《まは》つて、刻下《こくか》の経済や、目前の生活や、又それに伴ふ苦痛やら、不平やら、心の底の騒《さわ》がしさやらを全然|痳痺《まひ》して仕舞つた様に見える。平岡の談話は一躍《いちやく》して高《たか》い平面に飛び上《あ》がつた。 「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働《はた》らいてゐる。又是からも働《はた》らく積《つもり》だ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。――笑はないたつて、要するに笑つてると同じ事に帰着するんだから構はない。いゝか、君は笑つてゐる。笑つてゐるが、其君《そのきみ》は何も為《し》ないぢやないか。君は世の中《なか》を、有《あり》の儘《まゝ》で受け取る男だ。言葉を換えて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だらう。意志がないと云ふのは嘘《うそ》だ。人間だもの。其証拠には、始終物足りないに違《ちがひ》ない。僕は僕の意志を現実社会に働《はたら》き掛《か》けて、其現実社会が、僕の意志の為《ため》に、幾分でも、僕の思ひ通りになつたと云ふ確証を握らなくつちや、生きてゐられないね。そこに僕と云ふものゝ存在の価値《かち》を認めるんだ。君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、頭《あたま》の中《なか》の世界と、頭《あたま》の外《そと》の世界を別々《べつ/\》に建立《こんりう》して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか。何故《なぜ》と云つて見給へ。僕のは其不調和を外《そと》へ出《だ》した迄で、君のは内に押し込んで置く丈の話だから、外面《ぐわいめん》に押し掛けた丈、僕の方が本当の失敗の度《ど》は少《すく》ないかも知れない。でも僕は君に笑はれてゐる。さうして僕は君を笑ふ事が出来ない。いや笑ひたいんだが、世間から見ると、笑つちや不可《いけ》ないんだらう」 「何《なに》笑《わら》つても構はない。君が僕を笑ふ前に、僕は既に自分を笑つてゐるんだから」 「そりや、嘘《うそ》だ。ねえ三千代《みちよ》」  三千代《みちよ》は先刻《さつき》から黙《だま》つて坐《すは》つてゐたが、夫《おつと》から不意に相談を受けた時、にこりと笑つて、代助を見た。 「本当でせう、三千代《みちよ》さん」と云ひながら、代助は盃《さかづき》を出《だ》して、酒を受《う》けた。 「そりや嘘《うそ》だ。おれの細君が、いくら弁護《べんご》したつて、嘘《うそ》だ。尤も君は人《ひと》を笑《わら》つても、自分を笑つても、両方共|頭《あたま》の中《なか》で遣《や》る人だから、嘘《うそ》か本当か其辺はしかと分《わか》らないが……」 「冗談云つちや不可《いけ》ない」 「冗談ぢやない。全く本気の沙汰であります。そりや昔《むかし》の君《きみ》はさうぢや無《な》かつた。昔の君はさうぢや無《な》かつたが、今の君は大分|違《ちが》つてるよ。ねえ三千代《みちよ》。長井《ながゐ》は誰《だれ》が見たつて、大得意ぢやないか」 「何《なん》だか先刻《さつき》から、傍《そば》で伺《うか》がつてると、貴方《あなた》の方が余っ程御得意の様よ」  平岡は大きな声を出してハヽヽと笑つた。三千代《みちよ》は燗《かん》徳利を持つて次《つぎ》の間へ立《た》つた。        六の七  平岡は膳の上《うへ》の肴《さかな》を二口三口《ふたくちみくち》、箸《はし》で突つついて、下を向いた儘、むしや/\云はしてゐたが、やがて、どろんとした眼《め》を上げて、云つた。―― 「今日《けふ》は久し振《ぶ》りに好《い》い心持に酔つた。なあ君。――君はあんまり好《い》い心持にならないね。何《ど》うも怪《け》しからん。僕が昔《むかし》の平岡常次郎になつてるのに、君が昔《むかし》の長井代助にならないのは怪《け》しからん。是非なり給《たま》へ。さうして、大いに遣《や》つて呉《く》れ給《たま》へ。僕《ぼく》も是《これ》から遣《や》る。から君《きみ》も遣《や》つて呉れ給《たま》へ」  代助は此言葉のうちに、今の自己を昔《むかし》に返《かへ》さうとする真卒な又無邪気な一種の努力を認《みと》めた。さうして、それに動《うご》かされた。けれども一方では、一昨日《おとゝひ》、食《く》つた麺麭《パン》を今|返《かへ》せと強請《ねだ》られる様な気がした。 「君は酒を呑むと、言葉丈酔払つても、頭《あたま》は大抵|確《たし》かな男だから、僕も云ふがね」 「それだ。それでこそ長井君だ」  代助は急に云ふのが厭《いや》になつた。 「君、頭《あたま》は確《たしか》かい」と聞いた。 「確《たしか》だとも。君さへ確《たしか》なら此方《こつち》は何時《いつ》でも確《たしか》だ」と云つて、ちやんと代助の顔を見た。実際自分の云ふ通りの男である。そこで代助が云つた。―― 「君はさつきから、働《はた》らかない/\と云つて、大分|僕《ぼく》を攻撃したが、僕は黙《だま》つてゐた。攻撃される通り僕は働《はた》らかない積《つもり》だから黙《だま》つてゐた」 「何故《なぜ》働《はたら》かない」 「何故《なぜ》働《はたら》かないつて、そりや僕が悪《わる》いんぢやない。つまり世《よ》の中《なか》が悪《わる》いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働《はたら》かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏|震《ぶる》ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時《いつ》になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許《ばか》りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行《おくゆき》を削《けづ》つて、一等国丈の間口《まぐち》を張《は》つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨《ひさん》なものだ。牛《うし》と競争をする蛙《かへる》と同じ事で、もう君、腹《はら》が裂《さ》けるよ。其影響はみんな我々個人の上《うへ》に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭《あたま》に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日《こんにち》の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊《こんぱい》と、身体の衰弱とは不幸にして伴《とも》なつてゐる。のみならず、道徳の敗退《はいたい》も一所に来《き》てゐる。日本国中|何所《どこ》を見渡したつて、輝《かゞや》いてる断面《だんめん》は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其|間《あひだ》に立つて僕|一人《ひとり》が、何と云つたつて、何を為《し》たつて、仕様がないさ。僕は元来|怠《なま》けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠《なま》けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣《や》る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝《か》つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来《く》るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂|有《あり》の儘の世界を、有の儘で受取つて、其|中《うち》僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外《ほか》の人を、此方《こつち》の考へ通りにするなんて、到底|出来《でき》た話ぢやありやしないもの――」  代助は一寸《ちよつと》息《いき》を継《つ》いだ。さうして、一寸《ちよつと》窮屈《きうくつ》さうに控えてゐる三《み》千代の方を見て、御世辞を遣《つか》つた。 「三千代《みちよ》さん。どうです、私《わたし》の考《かんがへ》は。随分|呑気《のんき》で宜《い》いでせう。賛成しませんか」 「何《なん》だか厭世の様な呑気《のんき》の様な妙なのね。私《わたくし》よく分《わか》らないわ。けれども、少し胡麻化《ごまくわ》して入らつしやる様よ」 「へええ。何処《どこ》ん所《ところ》を」 「何処《どこ》ん所《ところ》つて、ねえ貴方《あなた》」と三千代《みちよ》は夫《おつと》を見た。平岡は股《もゝ》の上《うへ》へ肱《ひぢ》を乗《の》せて、肱《ひぢ》の上へ顎《あご》を載《の》せて黙《だま》つてゐたが、何にも云はずに盃《さかづき》を代助の前に出《だ》した。代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした。        六の八  代助は盃《さかづき》へ唇《くちびる》を付《つ》けながら、是から先《さき》はもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へ直《なほ》させる為《ため》の弁論でもなし、又平岡から意見されに来《き》た訪問でもない。二人《ふたり》はいつ迄|立《た》つても、二人《ふたり》として離《はな》れてゐなければならない運命を有《も》つてゐるんだと、始めから心付《こゝろづい》てゐるから、議論は能い加減に引き上《あ》げて、三千代《みちよ》の仲間《なかま》入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持つて来《き》やうと試みた。  けれども、平岡は酔ふとしつこくなる男であつた。胸毛《むなげ》の奥《おく》迄赤くなつた胸《むね》を突き出《だ》して、斯う云つた。 「そいつは面白い。大いに面白い。僕見た様に局部に当《あた》つて、現実と悪闘《あくとう》してゐるものは、そんな事を考へる余地がない。日本が貧弱《ひんじやく》だつて、弱虫《よはむし》だつて、働《はた》らいてるうちは、忘れてゐるからね。世の中《なか》が堕落《だらく》したつて、世の中《なか》の堕落に気が付《つ》かないで、其|中《うち》に活動するんだからね。君の様な暇人《ひまじん》から見れば日本の貧乏《びんぼう》や、僕等の堕落《だらく》が気になるかも知れないが、それは此社会に用のない傍観者にして始めて口《くち》にすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、さうなるんだ。忙《いそ》がしい時は、自分の顔の事なんか、誰だつて忘れてゐるぢやないか」  平岡は※[#「口+堯」、104-10]舌《しやべ》つてるうち、自然と此比喩に打《ぶ》つかつて、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所《そこ》で得意に一段落をつけた。代助は仕方《しかた》なしに薄笑《うすわら》ひをした。すると平岡はすぐ後《あと》を附加《つけくは》へた。 「君は金《かね》に不自由しないから不可《いけ》ない。生活に困《こま》らないから、働《はた》らく気にならないんだ。要するに坊《ぼつ》ちやんだから、品《ひん》の好《い》い様なこと許《ばつ》かり云つてゐて、――」  代助は少々平岡が小憎《こにくら》しくなつたので、突然中途で相手を遮《さへ》ぎつた。 「働《はた》らくのも可《い》いが、働《はた》らくなら、生活以上の働《はたらき》でなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭《パン》を離れてゐる」  平岡は不思議に不愉快な眼《め》をして、代助の顔《かほ》を窺《うかゞ》つた。さうして、 「何故《なぜ》」と聞《き》いた。 「何故《なぜ》つて、生活の為《た》めの労力は、労力の為《た》めの労力でないもの」 「そんな論理学の命題《めいだい》見た様なものは分《わか》らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」 「つまり食《く》ふ為《た》めの職業は、誠実にや出来|悪《にく》いと云ふ意味さ」 「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」 「猛烈には働《はた》らけるかも知れないが誠実には働《はた》らき悪《にく》いよ。食《く》ふ為《ため》の働《はた》らきと云ふと、つまり食《く》ふのと、働《はた》らくのと何方《どつち》が目的だと思ふ」 「無論|食《く》ふ方さ」 「夫れ見給へ。食《く》ふ方が目的で働《はた》らく方が方便なら、食《く》ひ易《やす》い様に、働《はた》らき方《かた》を合《あは》せて行くのが当然だらう。さうすりや、何を働《はた》らいたつて、又どう働《はた》らいたつて、構はない、只|麺麭《パン》が得られゝば好《い》いと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」 「まだ理論的だね、何《ど》うも。夫で一向差支ないぢやないか」 「では極《ごく》上品な例で説明してやらう。古臭《ふるくさ》い話《はなし》だが、ある本で斯《こ》んな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人の拵《こしら》へたものを食《く》つて見ると頗《すこぶ》る不味《まづ》かつたんで、大変|小言《こごと》を云つたさうだ。料理人の方では最上の料理を食《く》はして、叱《しか》られたものだから、其次《そのつぎ》からは二流もしくは三流の料理を主人《しゆじん》にあてがつて、始終|褒《ほ》められたさうだ。此料理人を見給へ。生活の為《ため》に働らく事は抜目《ぬけめ》のない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のために働《はた》らく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」 「だつて左様《さう》しなければ解雇されるんだから仕方があるまい」 「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやる働《はた》らきでなくつちや、真面目《まじめ》な仕事は出来《でき》るものぢやないんだよ」 「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢや益《ます/\》遣《や》る義務がある。なあ三千代」 「本当ですわ」 「何だか話《はなし》が、元《もと》へ戻つちまつた。是だから議論は不可《いけ》ないよ」と云つて、代助は頭《あたま》を掻《か》いた。議論はそれで、とう/\御仕舞になつた。        七の一  代助は風呂《ふろ》へ這入《はいつ》た。 「先生、何《ど》うです、御燗《おかん》は。もう少し燃《も》させませうか」と門野《かどの》が突然《とつぜん》入り口《ぐち》から顔《かほ》を出《だ》した。門野《かどの》は斯《か》う云ふ事には能《よ》く気《き》の付《つ》く男である。代助は、凝《じつ》と湯《ゆ》に浸《つか》つた儘、 「結構《けつこう》」と答へた。すると、門野《かどの》が、 「ですか」と云ひ棄《す》てゝ、茶の間《ま》の方へ引き返《かへ》した。代助は門野《かどの》の返事のし具合に、いたく興味を有《も》つて、独りにや/\と笑つた。代助には人《ひと》の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為《ため》時々《とき/″\》苦しい思《おもひ》もする。ある時、友達の御親爺《おやぢ》さんが死んで、葬式の供《とも》に立つたが、不図其友達が装束を着《き》て、青竹を突《つ》いて、柩《ひつぎ》のあとへ付《つ》いて行く姿《すがた》を見て可笑《おか》しくなつて困つた事がある。又ある時は、自分の父《ちゝ》から御談義を聞いてゐる最中に、何の気もなく父《ちゝ》の顔を見たら、急に吹き出《だ》したくなつて弱り抜《ぬ》いた事がある。自宅に風呂を買《か》はない時分には、つい近所の銭湯《せんとう》に行つたが、其所《そこ》に一人《ひとり》の骨骼《こつかく》の逞ましい三助《さんすけ》がゐた。是が行くたんびに、奥《おく》から飛び出《だ》して来《き》て、流《なが》しませうと云つては脊中《せなか》を擦《こす》る。代助は其奴《そいつ》に体《からだ》をごし/\遣《や》られる度《たび》に、どうしても、埃及人《エジプトじん》に遣《や》られてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。  まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓《しんぞう》の鼓動を、増したり、減《へら》したり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖《くせ》のある代助は、ためしに遣《や》つて見たくなつて、一日《いちじつ》に二三回位|怖々《こわ/″\》ながら試《ため》してゐるうちに、何《ど》うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。  湯のなかに、静《しづ》かに浸《つか》つてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上《うへ》へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命《いのち》の音《おと》を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出《だ》して、すぐ流《なが》しへ下《お》りた。さうして、其所《そこ》に胡坐《あぐら》をかいた儘、茫然と、自分の足《あし》を見詰めてゐた。すると其|足《あし》が変になり始めた。どうも自分の胴から生《は》えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所《そこ》に無作法に横《よこた》はつてゐる様に思はれて来《き》た。さうなると、今迄は気が付《つ》かなかつたが、実《じつ》に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃《むら》に延《の》びて、青《あを》い筋《すぢ》が所々《ところ/″\》に蔓《はびこ》つて、如何にも不思議な動物である。  代助は又|湯《ゆ》に這入つて、平岡の云つた通り、全たく暇《ひま》があり過《す》ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯から出《で》て、鏡に自分の姿を写《うつ》した時、又平岡の言葉を思ひ出《だ》した。幅の厚《あつ》い西洋|髪剃《かみそり》で、顎《あご》と頬を剃《そ》る段《だん》になつて、其|鋭《する》どい刃《は》が、鏡《かゞみ》の裏《うら》で閃《ひらめ》く色が、一種むづ痒《がゆ》い様な気持を起《おこ》さした。是《これ》が烈敷《はげしく》なると、高い塔の上から、遥かの下《した》を見下《みおろ》すのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終《おは》つた。  茶の間《ま》を抜《ぬ》け様とする拍子に、 「何《ど》うも先生は旨《うま》いよ」と門野《かどの》が婆《ばあ》さんに話《はな》してゐた。 「何《なに》が旨《うま》いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野《かどの》は、 「やあ、もう御上《おあが》りですか。早いですな」と答へた。此挨拶では、もう一遍、何が旨《うま》いんだと聞かれもしなくなつたので、其儘書斎へ帰《かへ》つて、椅子《いす》に腰《こし》を掛けて休息してゐた。  休息しながら、斯《か》う頭《あたま》が妙な方面に鋭どく働《はたら》き出《だ》しちや、身体《からだ》の毒だから、些《ち》と旅行でもしやうかと思つて見た。一《ひと》つは近来持ち上《あが》つた結婚問題を避《さ》けるに都合が好《い》いとも考へた。すると又平岡の事が妙に気に掛《かゝ》つて、転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた。それを能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢っ張り三千代《みちよ》の事が気にかかるのである。代助は其所《そこ》迄押して来《き》ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。        七の二  代助が三千代《みちよ》と知《し》り合《あひ》になつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃《ころ》であつた。代助は長井|家《け》の関係から、当時交際社会の表面にあらはれて出《で》た、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合《いろあひ》から云ふと、もつと地味《ぢみ》で、気持《きもち》から云ふと、もう少し沈《しづ》んでゐた。其頃、代助の学友に菅沼《すがぬま》と云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合《つきあ》つてゐた。三千代《みちよ》は其妹《そのいもと》である。  此|菅沼《すがぬま》は東京近県のもので、学生になつた二年目の春《はる》、修業の為《ため》と号して、国《くに》から妹を連《つ》れて来《く》ると同時に、今迄の下宿を引き払《はら》つて、二人《ふたり》して家《いへ》を持つた。其時|妹《いもと》は国《くに》の高等女学校を卒業した許《ばかり》で、年《とし》は慥《たしか》十八とか云ふ話《はなし》であつたが、派出な半襟を掛《か》けて、肩上《かたあげ》をしてゐた。さうして程なくある女学校へ通《かよ》ひ始《はじ》めた。  菅沼の家《いへ》は谷中《やなか》の清水町《しみづちよう》で、庭《には》のない代りに、椽側へ出《で》ると、上野の森《もり》の古《ふる》い杉《すぎ》が高《たか》く見えた。それがまた、錆《さび》た鉄《てつ》の様に、頗《すこぶ》る異《あや》しい色《いろ》をしてゐた。其《その》一本は殆んど枯《か》れ掛《か》かつて、上《うへ》の方には丸裸《まるはだか》の骨許《ほねばかり》残つた所に、夕方《ゆふがた》になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若《わか》い画家《ゑかき》が住《す》んでゐた。車《くるま》もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居《すまゐ》であつた。  代助は其所《そこ》へ能《よ》く遊びに行《い》つた。始めて三千代《みちよ》に逢《あ》つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来《き》た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持《も》つて出《で》る丈であつた。其|癖《くせ》狭い家《うち》だから、隣《となり》の室《へや》にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話《はな》しながら、隣《となり》の室《へや》に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行《ゆ》かなかつた。  三千代《みちよ》と口《くち》を利《き》き出《だ》したのは、どんな機会《はづみ》であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居《ゐ》ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦|口《くち》を利《き》き出《だ》してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人《ふたり》はすぐ心安《こゝろやす》くなつて仕舞つた。  平岡も、代助の様に、よく菅沼《すがぬま》の家《うち》へ遊《あそ》びに来《き》た。あるときは二人《ふたり》連《つ》れ立《だ》つて、来《き》た事もある。さうして、代助と前後して、三千代《みちよ》と懇意になつた。三千代は兄と此|二人《ふたり》に食付《くつつ》いて、時々池の端《はた》抔を散歩した事がある。  四人《よつたり》は此関係で約二年《やくにねん》足らず過《す》ごした。すると菅沼《すがぬま》の卒業する年《とし》の春《はる》、菅沼《すがぬま》の母《はゝ》と云ふのが、田舎《いなか》から遊《あそ》びに出《で》て来《き》て、しばらく清水《しみづ》町に泊《とま》つてゐた。此|母《はゝ》は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日|寐起《ねおき》する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日《ぜんじつ》から熱《ねつ》が出《で》だして、全く動《うご》けなくなつた。それが一週間の後|窒扶斯《ちふす》と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為《ため》附添《つきそひ》として一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶり返《かへ》して、とう/\死んで仕舞つた。それ許《ばかり》ではない。窒扶斯《ちふす》が、見舞に来《き》た兄《あに》に伝染して、是も程なく亡《な》くなつた。国《くに》にはたゞ父親《ちゝおや》が一人《ひとり》残《のこ》つた。  それが母《はゝ》の死んだ時も、菅沼《すがぬま》の死んだ時も出《で》て来《き》て、始末をしたので、生前に関係の深《ふか》かつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代を連《つ》れて国へ帰る時は、娘とともに二人《ふたり》の下宿を別々に訪《たづ》ねて、暇乞《いとまごひ》旁《かた/″\》礼を述《の》べた。  其年《そのとし》の秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其|間《あひだ》に立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連《つら》なつて貰つたのだが、身体《からだ》を動《うご》かして、三千代《みちよ》の方を纏《まと》めたものは代助であつた。  結婚して間《ま》もなく二人《ふたり》は東京を去つた。国に居《ゐ》た父《ちゝ》は思はざるある事情の為《ため》に余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代《みちよ》は何方《どつち》かと云へば、今《いま》心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付《おちつ》いてゐられる様にして遣《や》りたい気がする。代助はもう一返|嫂《あによめ》に相談して、此間《このあひだ》の金《かね》を調達する工面をして見やうかと思つた。又|三千代《みちよ》に逢つて、もう少し立ち入つた事情を委《くわ》しく聞いて見やうかと思つた。        七の三  けれども、平岡へ行つた所で、三千代が無暗に洗《あら》ひ浚《ざら》い※[#「口+堯」、112-13]舌《しやべ》り散《ち》らす女ではなし、よしんば何《ど》うして、そんな金《かね》が要《い》る様になつたかの事情を、詳しく聞《き》き得たにした所で、夫婦《ふうふ》の腹《はら》の中《なか》なんぞは容易に探《さぐ》られる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めてゐると、彼《かれ》の本当に知りたい点は、却つて此所《こゝ》に在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云ふと、何故《なにゆへ》に金《かね》が入用であるかを研究する必要は、もう既に通り越してゐたのである。実は外面の事情は聞いても聞《き》かなくつても、三千代に金《かね》を貸して満足させたい方であつた。けれども三千代の歓心を買ふ目的を以て、其手段として金《かね》を拵《こしら》へる気は丸でなかつた。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕を有《も》つてゐなかつたのである。  其上《そのうへ》平岡の留守へ行き中《あ》てゝ、今日《こんにち》迄の事情を、特に経済の点に関して丈でも、充分聞き出すのは困難である。平岡が家《うち》にゐる以上は、詳しい話《はなし》の出来ないのは知れ切つてゐる。出来ても、それを一から十迄|真《ま》に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄《みえ》を張つてゐる。見栄《みえ》の入らない所でも一種の考から沈黙を守つてゐる。  代助は、兎も角もまづ嫂《あによめ》に相談して見やうと決心した。さうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思つた。今迄|嫂《あによめ》にちび/\、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、斯《か》う短兵急に痛《いた》め付けるのは始めてゞである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらか持《も》つてゐるから、或は出来ないとも限らない。夫《それ》で駄目なら、又高利でも借《か》りるのだが、代助はまだ其所《そこ》迄には気が進んでゐなかつた。たゞ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わり切れない位なら、一層《いつそ》此方《こつち》から進んで、直接に三千代《みちよ》を喜ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆んど理窟を離れて、頭《あたま》の中《なか》に潜《ひそ》んでゐた。  生暖《なまあたゝ》かい風《かぜ》の吹《ふ》く日であつた。曇《くも》つた天気が何時迄《いつまで》も無精《ぶせう》に空《そら》に引掛《ひつかゝ》つて、中々《なか/\》暮《く》れさうにない四時過から家《うち》を出《で》て、兄《あに》の宅迄《たくまで》電車で行つた。青山《あをやま》御所の少《すこ》し手前迄|来《く》ると、電車の左側《ひだりがは》を父《ちゝ》と兄《あに》が綱曳《つなびき》で急《いそ》がして通《とほ》つた。挨拶《あいさつ》をする暇《ひま》もないうちに擦《す》れ違《ちが》つたから、向ふは元より気が付《つ》かずに過《す》ぎ去つた。代助は次《つぎ》の停留所で下《お》りた。  兄《あに》の家《いへ》の門を這入ると、客間《きやくま》でピアノの音《おと》がした。代助は一寸《ちよつと》砂利の上《うへ》に立ち留《どま》つたが、すぐ左へ切れて勝手|口《ぐち》の方へ廻つた。其所《そこ》には格子の外《そと》に、ヘクターと云ふ英国産の大きな犬が、大きな口《くち》を革|紐《ひも》で縛《しば》られて臥《ね》てゐた。代助の足音を聞《き》くや否や、ヘクターは毛の長い耳《みゝ》を振《ふる》つて、斑《まだら》な顔《かほ》を急に上《あ》げた。さうして尾を揺《うご》かした。  入口《いりぐち》の書生部屋を覗き込んで、敷居の上《うへ》に立ちながら、二言三言《ふたことみこと》愛嬌を云つた後《あと》、すぐ西洋|間《ま》の方へ来《き》て、戸《と》を明《あ》けると、嫂《あによめ》がピヤノの前に腰を掛けて両手を動《うご》かして居た。其傍《そのそば》に縫《ぬひ》子が袖《そで》の長い着物を着《き》て、例の髪《かみ》を肩迄掛けて立《た》つてゐた。代助は縫《ぬひ》子の髪《かみ》を見るたんびに、ブランコに乗《の》つた縫子の姿《すがた》を思ひ出《だ》す。黒《くろ》い髪《かみ》と、淡紅色《ときいろ》のリボンと、それから黄色い縮緬《ちりめん》の帯が、一時《いちじ》に風に吹かれて空《くう》に流れる様《さま》を、鮮《あざや》かに頭《あたま》の中《なか》に刻み込んでゐる。  母子《おやこ》は同時に振《ふ》り向いた。 「おや」  縫子の方は、黙《だま》つて馳《か》けて来《き》た。さうして、代助の手をぐい/\引張《ひつぱ》つた。代助はピヤノの傍《そば》迄|来《き》た。 「如何なる名人が鳴《な》らしてゐるのかと思つた」  梅子は何にも云はずに、額《ひたい》に八の字を寄《よ》せて、笑ひながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎつた。さうして、向《むか》ふから斯《か》う云つた。 「代さん、此所《こゝ》ん所《ところ》を一寸《ちよつと》遣《や》つて見《み》せて下《くだ》さい」  代助は黙《だま》つて嫂《あによめ》と入れ替《かは》つた。譜《ふ》を見ながら、両方の指《ゆび》をしばらく奇麗に働《はたら》かした後《あと》、 「斯《か》うだらう」と云つて、すぐ席を離れた。        七の四  それから三十分程の間《あひだ》、母子《おやこ》して交《かは》る/″\楽器の前に坐《すは》つては、一つ所《ところ》を復習してゐたが、やがて梅子が、 「もう廃《よ》しませう。彼方《あつち》へ行《い》つて、御飯《ごはん》でも食《たべ》ませう。叔父《おぢ》さんもゐらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗《うすぐら》くなつてゐた。代助は先刻《さつき》から、ピヤノの音《おと》を聞いて、嫂《あによめ》や姪《めい》の白い手の動《うご》く様子を見て、さうして時々《とき/″\》は例の欄間《らんま》の画《ゑ》を眺《なが》めて、三千代《みちよ》の事も、金《かね》を借《か》りる事も殆んど忘れてゐた。部屋を出《で》る時、振り返つたら、紺青《こんじやう》の波《なみ》が摧《くだ》けて、白く吹き返《かへ》す所|丈《だけ》が、暗《くら》い中《なか》に判然《はつきり》見えた。代助は此|大濤《おほなみ》の上《うへ》に黄金色《こがねいろ》の雲《くも》の峰《みね》を一面に描《か》かした。さうして、其|雲《くも》の峰《みね》をよく見ると、真裸《まはだか》な女性《によせう》の巨人《きよじん》が、髪《かみ》を乱《みだ》し、身を躍《おど》らして、一団となつて、暴《あ》れ狂つてゐる様《やう》に、旨《うま》く輪廓を取《と》らした。代助は※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ルキイルを雲《くも》に見立てた積で此図を注文したのである。彼は此|雲《くも》の峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けの付《つ》かない、偉《い》な塊《かたまり》を脳中《のうちう》に髣髴《ほうふつ》して、ひそかに嬉《うれ》しがつてゐた。が偖出来|上《あが》つて、壁《かべ》の中《なか》へ嵌《は》め込んでみると、想像したよりは不味《まづ》かつた。梅子と共に部屋を出《で》た時《とき》は、此※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ルキイルは殆んど見えなかつた。紺青《こんじやう》の波は固より見えなかつた。たゞ白い泡《あは》の大きな塊《かたまり》が薄白《うすじろ》く見えた。  居間《ゐま》にはもう電燈が点《つ》いてゐた。代助は其所《そこ》で、梅子と共に晩食《ばんしよく》を済《す》ました。子供|二人《ふたり》も卓《たく》を共にした。誠太郎に兄《あに》の部室《へや》からマニラを一本|取《と》つて来《こ》さして、夫《それ》を吹《ふ》かしながら、雑談をした。やがて、小供《こども》は明日《あした》の下読《したよみ》をする時間だと云ふので、母《はゝ》から注意を受けて、自分の部屋《へや》へ引き取《と》つたので、後《あと》は差し向《むかひ》になつた。  代助は突然例の話《はなし》を持《も》ち出すのも、変なものだと思つて、関係のない所からそろ/\進行を始めた。先づ父《ちゝ》と兄《あに》が綱曳《つなつぴき》で車《くるま》を急《いそ》がして何所《どこ》へ行つたのだとか、此間《このあひだ》は兄《にい》さんに御馳走になつたとか、あなたは何故《なぜ》麻布の園遊会へ来《こ》なかつたのだとか、御父《おとう》さんの漢詩は大抵|法螺《ほら》だとか、色々《いろいろ》聞いたり答へたりして居《ゐ》るうちに、一つ新しい事実を発見した。それは外《ほか》でもない。父《ちゝ》と兄《あに》が、近来目に立《た》つ様に、忙《いそが》しさうに奔走し始めて、此四五日は碌々《ろく/\》寐《ね》るひまもない位だと云ふ報知である。全体何が始《はじま》つたんですと、代助は平気な顔《かほ》で聞いて見た。すると、嫂《あによめ》も普通の調子で、さうですね、何《なに》か始《はじま》つたんでせう。御父《おとう》さんも、兄《にい》さんも私《わたくし》には何《なん》にも仰《おつ》しやらないから、知《し》らないけれどもと答へて、代さんは、それよりか此間《このあひだ》の御嫁《およめ》さんをと云ひ掛けてゐる所へ、書生が這入つて来《き》た。  今夜《こんや》も遅《おそ》くなる、もし、誰《だれ》と誰《だれ》が来《き》たら何《なん》とか屋《や》へ来《く》る様に云つて呉れと云ふ電話を伝《つた》へた儘、書生は再び出《で》て行《い》つた。代助は又結婚問題に話《はなし》が戻《もど》ると面倒だから、時に姉《ねえ》さん、些《ちつと》御|願《ねがひ》があつて来《き》たんだが、とすぐ切り出して仕舞つた。  梅子《うめこ》は代助の云ふ事を素直《すなほ》に聞《き》いて居《ゐ》た。代助は凡てを話すに約十分許を費《つい》やした。最後に、 「だから思ひ切つて貸して下《くだ》さい」と云つた。すると梅子は真面目《まじめ》な顔をして、 「さうね。けれども全体|何時《いつ》返《かへ》す気なの」と思ひも寄《よ》らぬ事を問ひ返した。代助は顎《あご》の先《さき》を指《ゆび》で撮《つま》んだ儘、じつと嫂《あによめ》の気色《けしき》を窺《うかゞ》つた。梅子《うめこ》は益|真面目《まじめ》な顔《かほ》をして、又斯う云つた。 「皮肉ぢやないのよ。怒《おこ》つちや不可《いけ》ませんよ」  代助は無論|怒《おこ》つてはゐなかつた。たゞ姉弟《けうだい》から斯《か》ういふ質問を受けやうと予期してゐなかつた丈である。今更|返《かへ》す気《き》だの、貰《もら》う積りだのと布衍《ふえん》すればする程馬鹿になる許《ばかり》だから、甘《あま》んじて打撃を受けてゐた丈である。梅子は漸やく手に余る弟を取つて抑えた様な気がしたので、後《あと》が大変云ひ易《やす》かつた。――        七の五 「代さん、あなたは不断《ふだん》から私《わたくし》を馬鹿にして御出《おいで》なさる。――いゝえ、厭味《いやみ》を云ふんぢやない、本当の事なんですもの、仕方がない。さうでせう」 「困《こま》りますね、左様《さう》真剣《しんけん》に詰問《きつもん》されちや」 「善《よ》ござんすよ。胡魔化《ごまくわ》さないでも。ちやんと分《わか》つてるんだから。だから正直に左様《さう》だと云つて御仕舞なさい。左様《さう》でないと、後《あと》が話《はな》せないから」  代助は黙《だま》つてにや/\笑《わら》つてゐた。 「でせう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちつとも構《かま》やしません。いくら私《わたし》が威張つたつて、貴方《あなた》に敵《かな》ひつこないのは無論ですもの。私《わたし》と貴方《あなた》とは今迄|通《どほ》りの関係で、御互ひに満足なんだから、文句はありやしません。そりや夫《それ》で好《い》いとして、貴方《あなた》は御父《おとう》さんも馬鹿にして入らつしやるのね」  代助は嫂《あによめ》の態度の真卒な所が気に入つた。それで、 「えゝ、少しは馬鹿にしてゐます」と答へた。すると梅子は左《さ》も愉快さうにハヽヽヽと笑つた。さうして云つた。 「兄《にい》さんも馬鹿にして入らつしやる」 「兄《にい》さんですか。兄《にい》さんは大いに尊敬してゐる」 「嘘《うそ》を仰《おつ》しやい。序《ついで》だから、みんな打《ぶ》ち散《ま》けて御|仕舞《しまひ》なさい」 「そりや、或点《あるてん》では馬鹿にしない事もない」 「それ御|覧《らん》なさい。あなたは一家族|中《ぢう》悉く馬鹿にして入らつしやる」 「どうも恐れ入りました」 「そんな言訳《いひわけ》はどうでも好《い》いんですよ。貴方《あなた》から見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」 「もう、廃《よ》さうぢやありませんか。今日《けふ》は中中《なかなか》きびしいですね」 「本当なのよ。夫《それ》で差支《さしつかへ》ないんですよ。喧嘩も何《なに》も起《おこ》らないんだから。けれどもね、そんなに偉《えら》い貴方《あなた》が、何故《なぜ》私《わたし》なんぞから御金《おかね》を借《か》りる必要があるの。可笑《おか》しいぢやありませんか。いえ、揚足《あげあし》を取ると思ふと、腹《はら》が立つでせう。左様《そん》なんぢやありません。それ程|偉《えら》い貴方《あなた》でも、御金《おかね》がないと、私《わたし》見た様なものに頭《あたま》を下《さ》げなけりやならなくなる」 「だから先《さつ》きから頭《あたま》を下《さ》げてゐるんです」 「まだ本気で聞いてゐらつしやらないのね」 「是が私《わたし》の本気な所なんです」 「ぢや、それも貴方《あなた》の偉《えら》い所かも知れない。然し誰《だれ》も御金《おかね》を貸《か》し手《て》がなくつて、今の御友達を救《すく》つて上《あ》げる事が出来なかつたら、何《ど》うなさる。いくら偉《えら》くつても駄目ぢやありませんか。無能力な事は車屋《くるまや》と同《おん》なしですもの」  代助は今迄|嫂《あによめ》が是程適切な異見を自分に向つて加へ得やうとは思はなかつた。実は金《かね》の工面を思ひ立つてから、自分でも此弱点を冥々の裡《うち》に感じてゐたのである。 「全く車屋ですね。だから姉《ねえ》さんに頼《たの》むんです」 「仕方がないのね、貴方《あなた》は。あんまり、偉過《えらすぎ》て。一人《ひとり》で御|金《かね》を御|取《と》んなさいな。本当の車屋なら貸《か》して上げない事もないけれども、貴方《あなた》には厭《いや》よ。だつて余《あんま》りぢやありませんか。月々《つき/″\》兄《にい》さんや御父《おとう》さんの厄介になつた上《うへ》に、人《ひと》の分《ぶん》迄自分に引受けて、貸してやらうつて云ふんだから。誰《だれ》も出《だ》し度《たく》はないぢやありませんか」  梅子の云ふ所は実に尤もである。然し代助は此|尤《もつとも》を通り越して、気が付《つ》かずにゐた。振り返つて見ると、後《うしろ》の方に姉《あね》と兄《あに》と父《ちゝ》がかたまつてゐた。自分も後戻《あともど》りをして、世間並《せけんなみ》にならなければならないと感じた。家《うち》を出《で》る時、嫂《あによめ》から無心を断わられるだらうとは気遣《きづか》つた。けれども夫《それ》が為《た》めに、大いに働《はた》らいて、自から金を取らねばならぬといふ決心は決して起し得なかつた。代助は此事件を夫程重くは見てゐなかつたのである。        七の六  梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子の腹《はら》がよく解《わか》つてゐた。解《わか》れば解《わか》る程激する気にならなかつた。そのうち話題は金《かね》を離れて、再び結婚に戻《もど》つて来《き》た。代助は最近の候補者に就て、此間《このあひだ》から親爺《おやぢ》に二度程|悩《なや》まされてゐる。親爺《おやぢ》の論理は何時《いつ》聞《き》いても昔し風に甚だ義理|堅《かた》いものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分の命《いのち》の親《おや》に当《あた》る人《ひと》の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰《もら》つて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩が返《かへ》せると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立《た》たない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だから父《ちゝ》の云ふ事の当否は論弁の限《かぎり》にあらずとして、貰《もら》へば貰《もら》つても構《かま》はないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚《けつこん》に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様《さう》面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答が出《で》なかつた丈である。  その不明晰な態度を、父《ちゝ》に評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死の間《あひだ》に横《よこた》はる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考の嫂《あによめ》から云はせると、不可思議になる。 「だつて、貴方《あなた》だつて、生涯|一人《ひとり》でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好《い》い加減な所で極《き》めて仕舞つたら何《ど》うです」と梅子は少《すこ》し焦《ぢ》れつたさうに云つた。  生涯|一人《ひとり》でゐるか、或は妾《めかけ》を置いて暮《くら》すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只《たゞ》、今《いま》の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持《も》てなかつた事は慥《たしか》である。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼の頭《あたま》が普通以上に鋭《する》どくつて、しかも其|鋭《するど》さが、日本現代の社会状況のために、幻像《イリユージヨン》打破の方面に向《むか》つて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所《そこ》迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明《あきら》かな事実を握《にぎ》つて、それに応じて未来を自然に延《の》ばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時《いつ》か之を成立させ様と喘《あせ》る努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。  代助は固より斯《こ》んな哲理《フヒロソフヒー》を嫂《あによめ》に向つて講釈する気はない。が、段々押し詰《つめ》られると、苦し紛《まぎ》れに、 「だが、姉《ねえ》さん、僕は何《ど》うしても嫁《よめ》を貰《もら》はなければならないのかね」と聞《き》く事がある。代助は無論|真面目《まじめ》に聞《き》く積《つもり》だけれども、嫂《あによめ》の方では呆《あき》れて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生《いつも》の手続《てつゞき》を繰《く》り返《かへ》した後《あと》で、斯《こ》んな事を云つた。 「妙なのね、そんなに厭《いや》がるのは。――厭《いや》なんぢやないつて、口《くち》では仰《おつ》しやるけれども、貰《もら》はなければ、厭《いや》なのと同《おん》なしぢやありませんか。それぢや誰《だれ》か好《す》きなのがあるんでせう。其方《そのかた》の名を仰《おつし》やい」  代助は今迄|嫁《よめ》の候補者としては、たゞの一人も好《す》いた女《をんな》を頭《あたま》の中《なか》に指名してゐた覚がなかつた。が、今《いま》斯《か》う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻《さつき》云つた金《かね》を貸して下《くだ》さい、といふ文句が自《おのづ》から頭《あたま》の中《なか》で出来上《できあが》つた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂《あによめ》の前に坐《すは》つてゐた。        八の一  代助が嫂《あによめ》に失敗して帰つた夜《よ》は、大分《だいぶ》更《ふ》けてゐた。彼は辛《から》うじて青山の通りで、最後《さいご》の電車を捕《つら》まえた位である。それにも拘はらず彼《かれ》の話してゐる間《あひだ》には、父《ちゝ》も兄《あに》も帰つて来《こ》なかつた。尤も其間《そのあひだ》に梅子は電話|口《ぐち》へ二返呼ばれた。然し、嫂《あによめ》の様子に別段変つた所《ところ》もないので、代助は此方《こつち》から進んで何にも聞かなかつた。  其夜《そのよ》は雨催《あめもよひ》の空《そら》が、地面《ぢめん》と同《おな》じ様な色《いろ》に見えた。停留所の赤い柱の傍《そば》に、たつた一人《ひとり》立《た》つて電車を待ち合はしてゐると、遠《とほ》い向《むか》ふから小さい火の玉《たま》があらはれて、それが一直線に暗い中《なか》を上下《うへした》に揺《ゆ》れつつ代助の方に近《ちかづ》いて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗《の》り込んで見ると、誰《だれ》も居なかつた。黒《くろ》い着物《きもの》を着《き》た車掌と運転手の間《あひだ》に挟《はさ》まれて、一種の音《おと》に埋《うづ》まつて動《うご》いて行くと、動《うご》いてゐる車《くるま》の外《そと》は真暗《まつくら》である。代助は一人《ひとり》明《あか》るい中《なか》に腰を掛《か》けて、どこ迄も電車に乗つて、終《つい》に下《お》りる機会が来《こ》ない迄引つ張り廻《まは》される様な気がした。  神楽坂《かぐらざか》へかゝると、寂《ひつそ》りとした路《みち》が左右の二階家《にかいや》に挟《はさ》まれて、細長《ほそなが》く前《まへ》を塞《ふさ》いでゐた。中途迄|上《のぼ》つて来《き》たら、それが急に鳴り出《だ》した。代助は風《かぜ》が家《や》の棟《むね》に当る事と思つて、立ち留《ど》まつて暗《くら》い軒《のき》を見上げながら、屋根から空《そら》をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸《と》と障子と硝子《がらす》の打《う》ち合《あ》ふ音《おと》が、見る/\烈《はげ》しくなつて、あゝ地震だと気が付《つ》いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦《すく》んでゐた。其時代助は左右の二階|家《や》が坂《さか》を埋《うづ》むべく、双方から倒れて来《く》る様に感じた。すると、突然|右側《みぎかは》の潜《くゞ》り戸《ど》をがらりと開《あ》けて、小供を抱《だ》いた一人《ひとり》の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出《で》て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。  家《うち》へ着《つ》いたら、婆さんも門野《かどの》も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人《ふたり》とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し様《やう》かと思案して見た。然し分別を凝《こ》らす迄には至らなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を極《き》めた。さうして眠《ねむり》に入つた。  其明日《そのあくるひ》の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金《かね》を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数《かず》が大分多くなつて来《き》て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立《た》てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出《だ》したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下《くだ》したのだとあつた。  日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後《あと》の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。  代助は自分の父《ちゝ》と兄《あに》の関係してゐる会社に就ては何事《なにごと》も知らなかつた。けれども、いつ何《ど》んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父《ちゝ》も兄《あに》もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜|敷《し》い吟味をされたなら、両方共拘引に価《あたひ》する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父《ちゝ》と兄《あに》の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰《だれ》が見ても尤《もつとも》と認める様に、作《つく》り上《あ》げられたとは肯《うけが》はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ貰《もら》つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父《ちゝ》と兄《あに》の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室《むろ》を造つて、拵《こしら》え上《あ》げたんだらうと代助は鑑定してゐた。        八の二  代助は斯《か》う云ふ考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかつた。父《ちゝ》と兄《あに》の会社に就ても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。けれども、徒手《てぶら》で行くのが面白くないんで、其うちの事と腹《はら》の中《なか》で料簡を定《さだ》めて、日々《にち/\》読書に耽つて四五日|過《すご》した。不思議な事に其後《そのご》例の金《かね》の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云つて来《こ》なかつた。代助は心《こゝろ》のうちに、あるひは三千代が又|一人《ひとり》で返事を聞《き》きに来《く》る事もあるだらうと、実《じつ》は心待《こゝろまち》に待つてゐたのだが、其甲斐はなかつた。  仕舞にアンニユイを感じ出《だ》した。何処《どこ》か遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜《さが》して、芝居でも見やうと云ふ気を起した。神楽坂から外濠《そとぼり》線へ乗つて、御茶の水《みづ》迄|来《く》るうちに気が変《かは》つて、森川丁にゐる寺尾といふ同窓の友達を尋ねる事にした。此男は学校を出ると、教師は厭《いや》だから文学を職業とすると云ひ出して、他《ほか》のものゝ留めるにも拘らず、危険な商買をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声も上《あが》らず、窮々《きう/\》云つて原稿生活を持続してゐる。自分の関係のある雑誌に、何《なん》でも好《い》いから書けと逼《せま》るので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一ヶ月の間雑誌屋の店頭に曝《さら》されたぎり、永久人間世界から何処《どこ》かへ、運命の為めに持つて行かれて仕舞つた。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙つた。寺尾は逢ふたんびに、もつと書け書けと勧める。さうして、己《おれ》を見ろと云ふのが口癖《くちくせ》であつた。けれども外《ほか》の人《ひと》に聞《き》くと、寺尾ももう陥落《かんらく》するだらうと云ふ評判であつた。大変露西亜ものが好《すき》で、ことに人が名前を知らない作家が好《すき》で、なけなしの銭《ぜに》を工面しては新刊|物《もの》を買ふのが道楽であつた。あまり気焔が高かつた時、代助が、文学者も恐露病に罹つてるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評《ひやかし》返した事がある。すると寺尾は真面目《まじめ》な顔《かほ》をして、戦争は何時《いつ》でもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちや詰《つま》らんぢやないか。矢っ張り恐露病に罹つてる方が、卑怯でも安全だ、と答へて矢っ張り露西亜文学を鼓吹してゐた。  玄関から座敷へ通つて見ると、寺尾は真中《まんなか》へ一貫|張《ばり》の机を据ゑて、頭痛がすると云つて鉢巻《はちまき》をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書《か》いてゐた。邪魔ならまた来《く》ると云ふと、帰らんでもいゝ、もう今朝《けさ》から五五《ごご》、二円五十銭丈|稼《かせ》いだからと云ふ挨拶であつた。やがて鉢巻《はちまき》を外《はづ》して、話《はなし》を始《はじ》めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いてゐた。然し腹の中では、寺尾の事を誰《だれ》も賞《ほ》めないので、其対抗運動として、自分の方では他《ひと》を貶《けな》すんだらうと思つた。ちと、左様《さう》云ふ意見を発表したら好《い》いぢやないかと勧めると、左様《さう》は行《い》かないよと笑つてゐる。何故《なぜ》と聞き返しても答へない。しばらくして、そりや君の様に気楽に暮《くら》せる身分なら随分云つて見せるが――何《なに》しろ食《く》ふんだからね。どうせ真面目《まじめ》な商買ぢやないさ。と云つた。代助は、夫《それ》で結構だ、確《しつ》かり遣《や》り玉へと奨励した。すると寺尾は、いや些《ちつ》とも結構ぢやない。どうかして、真面目《まじめ》になりたいと思つてゐる。どうだ、君ちつと金《かね》を借《か》して僕を真面目《まじめ》にする了見はないかと聞《き》いた。いや、君が今の様な事をして、夫《それ》で真面目《まじめ》だと思ふ様になつたら、其時借してやらうと調戯《からか》つて、代助は表へ出《で》た。  本郷の通り迄|来《き》たが惓怠《アンニユイ》の感は依然として故《もと》の通りである。何処《どこ》をどう歩《ある》いても物足りない。と云つて、人《ひと》の宅《うち》を訪《たづ》ねる気はもう出《で》ない。自分を検査して見ると、身体《からだ》全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗《の》つて、今度は伝通院前迄|来《き》た。車中で揺《ゆ》られるたびに、五尺何寸かある大きな胃|嚢《ぶくろ》の中《なか》で、腐《くさ》つたものが、波《なみ》を打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやり宅《うち》へ帰《かへ》つた。玄関で門野が、 「先刻《さつき》御|宅《たく》から御使《おつかい》でした。手紙は書斎の机の上《うへ》に載せて置きました。受取は一寸《ちよつと》私《わたくし》が書《か》いて渡《わた》して置《お》きました」と云つた。        八の三  手紙《てがみ》は古風《こふう》な状箱《じようばこ》の中《うち》にあつた。其《その》赤塗《あかぬり》の表《おもて》には名宛《なあて》も何《なに》も書《か》かないで、真鍮《しんちう》の環《くわん》に通《とほ》した観世撚《かんじんより》の封《ふう》じ目《め》に黒《くろ》い墨《すみ》を着けてあつた。代助は机《つくえ》の上《うへ》を一目《ひとめ》見て、此手紙の主《ぬし》は嫂《あによめ》だとすぐ悟《さと》つた。嫂《あによめ》は斯《か》う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々《とき/″\》思《おも》はぬ方角へ出《で》てくる。代助は鋏《はさみ》の先《さき》で観世撚《かんじんより》の結目《むすびめ》を突《つ》つつきながら、面倒な手数《てかず》だと思つた。  けれども中《なか》にあつた手紙《てがみ》は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済《すま》してゐた。此間《このあひだ》わざ/\来《き》て呉《く》れた時は、御依頼《おたのみ》通り取り計《はから》ひかねて、御気の毒をした。後《あと》から考へて見ると、其時《そのとき》色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪《わる》く取《と》つて下《くだ》さるな。其代り御金《おかね》を上《あ》げる。尤《もつと》もみんなと云ふ訳《わけ》には行かない。二百円丈都合して上《あ》げる。から夫《それ》をすぐ御友達《おともだち》の所へ届けて御上《おあ》げなさい。是は兄《にい》さんには内所《ないしよ》だから其積《そのつもり》でゐなくつては不可《いけ》ない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。  手紙《てがみ》の中《なか》に巻《ま》き込めて、二百円の小切手が這入《はい》つてゐた。代助は、しばらく、それを眺《なが》めてゐるうちに、梅子《うめこ》に済《す》まない様な気がして来《き》た。此|間《あひだ》の晩《ばん》、帰《かへ》りがけに、向《むかふ》から、ぢや御金《おかね》は要《い》らないのと聞《き》いた。貸《か》して呉れと切り込《こ》んで頼《たの》んだ時は、あゝ手痛《てきびし》く跳ね付けて置《お》きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念《けねん》がつて駄目《だめ》を押《お》して出《で》た。代助はそこに女性《によしやう》の美くしさと弱《よは》さとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此|美《うつく》しい弱点を弄《もてあそ》ぶに堪《た》えなかつたからである。えゝ要《い》りません、何《ど》うかなるでせうと云つて分《わか》れた。それを梅子は冷《ひやゝ》かな挨拶と思つたに違《ちがひ》ない。其|冷《ひやゝ》かな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作《どうさ》の裏《うら》に、何処《どこ》にか引つ掛《かゝ》つてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。  代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈|暖《あたゝ》かい言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯《か》う云ふ気分になる事は兄《あに》に対してもない。父《ちゝ》に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起《おこ》らなかつたのである。  代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。実《じつ》を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端《ちうとはんぱ》な額《たか》であつた。是丈《これだけ》呉れるなら、一層《いつそ》思ひ切つて、此方《こつち》の強請《ねだ》つた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出《で》た。が、それは代助の頭《あたま》が梅子を離れて三千代の方へ向《む》いた時の事であつた。その上《うへ》、女は如何《いか》に思ひ切つた女でも、感情上|中途半端《ちうとはんぱ》なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。否《いな》女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快《こゝろ》よいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父《ちゝ》であつたとすれば、代助は、それを経済的|中途半端《ちうとはんぱ》と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである  代助は晩食《ばんめし》も食《く》はずに、すぐ又|表《おもて》へ出た。五軒町から江戸川の縁《へり》を伝《つた》つて、河《かは》を向《むかふ》へ越した時は、先刻《さつき》散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂を上《のぼ》つて伝通院の横へ出《で》ると、細く高い烟突が、寺《てら》と寺《てら》の間《あひだ》から、汚《きた》ない烟《けむ》を、雲《くも》の多い空《そら》に吐《は》いてゐた。代助はそれを見《み》て、貧弱な工業が、生存の為《ため》に無理に吐《つ》く呼吸《いき》を見苦《みぐる》しいものと思つた。さうして其|近《ちか》くに住《す》む平岡と、此烟突とを暗々《あん/\》の裏《うち》に連想せずにはゐられなかつた。斯《か》う云ふ場合には、同情の念より美醜の念が先《さき》に立つのが、代助の常《つね》であつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、空《そら》に散《ち》る憐れな石炭の烟《けむり》に刺激された。  平岡《ひらをか》の玄関の沓脱《くつぬぎ》には女の穿《は》く重《かさ》ね草履が脱《ぬ》ぎ棄てゝあつた。格子を開《あ》けると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴《な》らして出《で》て来《き》た。其時|上《あが》り口《ぐち》の二畳《にじやう》は殆《ほと》んど暗《くら》かつた。三千代《みちよ》は其|暗《くら》い中《なか》に坐《すは》つて挨拶をした。始めは誰《だれ》が来《き》たのか、よく分《わか》らなかつたらしかつたが、代助の声《こえ》を聞《き》くや否や、何方《どなた》かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然《はつきり》見えない三千代の姿を、常よりは美《うつく》しく眺めた。        八の四  平岡《ひらをか》は不在《ふざい》であつた。それを聞《き》いた時、代助は話《はな》してゐ易《やす》い様な、又|話《はな》してゐ悪《にく》い様な変な気がした。けれども三千代の方は常《つね》の通り落ち付《つ》いてゐた。洋燈《ランプ》も点《つ》けないで、暗《くら》い室《へや》を閉《た》て切つた儘|二人《ふたり》で坐《すは》つてゐた。三千代は下女も留守だと云つた。自分も先刻《さつき》其所《そこ》迄用|達《たし》に出《で》て、今帰つて夕食《ゆふめし》を済ました許りだと云つた。やがて平岡の話が出《で》た。  予期した通り、平岡は相変らず奔走してゐる。が、此一週間程は、あんまり外《そと》へ出《で》なくなつた。疲《つか》れたと云つて、よく宅《うち》に寐《ね》てゐる。でなければ酒《さけ》を飲《の》む。人《ひと》が尋《たづ》ねて来《く》れば猶|飲《の》む。さうして善《よ》く怒《おこ》る。さかんに人《ひと》を罵倒する。のださうである。 「昔《むかし》と違《ちが》つて気が荒《あら》くなつて困《こま》るわ」と云つて、三千代《みちよ》は暗に同情を求める様子であつた。代助は黙《だま》つてゐた。下女が帰《かへ》つて来《き》て、勝手|口《ぐち》でがた/\音《おと》をさせた。しばらくすると、胡摩竹《ごまだけ》の台《だい》の着《つ》いた洋燈《ランプ》を持つて出《で》た。襖《ふすま》を締《し》める時《とき》、代助の顔《かほ》を偸《ぬす》む様に見て行つた。  代助は懐《ふところ》から例の小|切手《ぎつて》を出《だ》した。二つに折《を》れたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛《か》けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。 「先達《せんだつ》て御頼《おたのみ》の金《かね》ですがね」  三千代は何にも答へなかつた。たゞ眼《め》を挙《あ》げて代助を見た。 「実《じつ》は、直《すぐ》にもと思つたんだけれども、此方《こつち》の都合が付《つ》かなかつたものだから、遂《つい》遅《おそ》くなつたんだが、何《ど》うですか、もう始末は付《つ》きましたか」と聞いた。  其時三千代は急に心細さうな低《ひく》い声になつた。さうして怨《えん》ずる様に、 「未《まだ》ですわ。だつて、片付《かたづ》く訳が無《な》いぢやありませんか」と云つた儘、眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて凝《じつ》と代助を見てゐた。代助は折《を》れた小切手を取り上《あ》げて二つに開《ひら》いた。 「是丈ぢや駄目《だめ》ですか」  三千代は手を伸《の》ばして小切手を受取《うけと》つた。 「難有う。平岡が喜びますわ」と静《しづ》かに小切手を畳《たゝみ》の上《うへ》に置《お》いた。  代助は金《かね》を借りて来《き》た由来を、極ざつと説明して、自分は斯《か》ういふ呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があつて、自分以外の事に、手を出《だ》さうとすると、丸で無能力になるんだから、そこは悪《わる》く思つて呉れない様にと言訳を付け加へた。 「それは、私《わたくし》も承知してゐますわ。けれども、困《こま》つて、何《ど》うする事も出来《でき》ないものだから。つい無理を御願して」と三千代は気の毒さうに詫《わび》を述べた。代助はそこで念を押した。 「夫《それ》丈で、何《ど》うか始末が付《つ》きますか。もし何《ど》うしても付《つ》かなければ、もう一遍|工面《くめん》して見るんだが」 「もう一遍《いつぺん》工面するつて」 「判を押《お》して高い利のつく御金《おかね》を借《か》りるんです」 「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消《け》す様に云つた。「それこそ大変よ。貴方《あなた》」  代助は平岡の今苦しめられてゐるのも、其起りは、性質《たち》の悪《わる》い金《かね》を借《か》り始めたのが転々《てん/\》して祟つてゐるんだと云ふ事を聞《き》いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通《とほ》つてゐたのだが、三千代が産後《さんご》心臓が悪《わる》くなつて、ぶら/\し出《だ》すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、夫程《それほど》烈しくもなかつたので、三千代はたゞ交際《つきあひ》上|已《やむ》を得ないんだらうと諦《あきら》めてゐたが、仕舞にはそれが段々|高《かう》じて、程度《ほうづ》が無くなる許なので三千代も心配をする。すれば身体《からだ》が悪《わる》くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんぢやない。私《わたくし》が悪《わる》いんですと三千代はわざ/\断わつた。けれども又淋しい顔《かほ》をして、責《せ》めて小供でも生きてゐて呉れたら嘸《さぞ》可《よ》かつたらうと、つく/″\考へた事もありましたと自白した。  代助は経済問題の裏面に潜んでゐる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方《こつち》から問《と》ふのを控えた。帰りがけに、 「そんなに弱《よは》つちや不可《いけ》ない。昔《むかし》の様に元気に御成《おな》んなさい。さうして些《ちつ》と遊びに御|出《いで》なさい」と勇気をつけた。 「本当《ほんと》ね」と三千代は笑つた。彼等は互《たがひ》の昔《むかし》を互《たがひ》の顔《かほ》の上《うへ》に認めた。平岡はとう/\帰つて来《こ》なかつた。        八の五  中二日《なかふつか》置《お》いて、突然平岡が来《き》た。其|日《ひ》は乾いた風《かぜ》が朗《ほが》らかな天《そら》を吹《ふ》いて、蒼《あを》いものが眼《め》に映《うつ》る、常《つね》よりは暑《あつ》い天気であつた。朝《あさ》の新聞に菖蒲の案内が出《で》てゐた。代助の買つた大きな鉢植の君子蘭《くんしらん》はとう/\縁側で散《ち》つて仕舞つた。其代り脇差《わきざし》程も幅《はゞ》のある緑《みどり》の葉《は》が、茎《くき》を押し分けて長《なが》く延《の》びて来《き》た。古《ふる》い葉《は》は黒《くろ》ずんだ儘《まゝ》、日に光《ひか》つてゐる。其一枚が何かの拍子に半分《はんぶ》から折れて、茎《くき》を去る五寸|許《ばかり》の所《ところ》で、急に鋭《するど》く下《さが》つたのが、代助には見苦しく見えた。代助は鋏《はさみ》を持《も》つて椽に出た。さうして其|葉《は》を折《を》れ込《こ》んだ手前《てまへ》から、剪《き》つて棄てた。時に厚い切《き》り口《くち》が、急に煮染《にじ》む様に見えて、しばらく眺めてゐるうちに、ぽたりと椽に音《おと》がした。切口《きりくち》に集《あつま》つたのは緑色《みどりいろ》の濃い重《おも》い汁《しる》であつた。代助は其香《そのにほひ》を嗅《か》がうと思つて、乱《みだ》れる葉《は》の中《なか》に鼻を突《つ》つ込んだ。椽側の滴《したゝり》は其儘にして置いた。立ち上《あ》がつて、袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して、鋏《はさみ》の刃《は》を拭《ふ》いてゐる所へ、門野《かどの》が平岡さんが御出《おいで》ですと報《しら》せて来《き》たのである。代助は其時平岡の事《こと》も三千代の事も、丸で頭《あたま》の中《なか》に考へてゐなかつた。只《たゞ》不思議な緑色《みどりいろ》の液体《えきたい》に支配されて、比較的|世間《せけん》に関係のない情調の下《もと》に動《うご》いてゐた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えて仕舞つた。さうして、何だか逢ひたくない様な気持がした。 「此方《こつち》へ御|通《とほ》し申しませうか」と門野から催促された時、代助はうんと云つて、座敷へ這入つた。あとから席《せき》に導《みちび》かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着《き》てゐた。襟《えり》も白襯衣《しろしやつ》も新《あた》らしい上《うへ》に、流行の編襟飾《あみえりかざり》を掛《か》けて、浪人とは誰《だれ》にも受け取れない位、ハイカラに取り繕《つく》ろつてゐた。  話《はな》して見ると、平岡の事情は、依然として発展してゐなかつた。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日|斯《か》うして遊《あそ》んで歩《ある》く。それでなければ、宅《うち》に寐《ね》てゐるんだと云つて、大きな声を出《だ》して笑つて見せた。代助もそれが可《よ》からうと答へたなり、後《あと》は当《あた》らず障らずの世間話《せけんばなし》に時間《じかん》を潰《つぶ》してゐた。けれども自然に出《で》る世間|話《ばなし》といふよりも、寧ろある問題を回避する為《ため》の世間話《せけんばなし》だから、両方共に緊張《きんちよう》を腹《はら》の底《そこ》に感《かん》じてゐた。  平岡は三千代の事も、金《かね》の事も口《くち》へ出《だ》さなかつた。従《した》がつて三日前《みつかまへ》代助が彼《かれ》の留守宅を訪問した事に就ても何も語《かた》らなかつた。代助も始めのうちは、わざと、その点に触《ふ》れないで澄《すま》してゐたが、何時《いつ》迄|経《た》つても、平岡の方で余所《よそ》々々しく構へてゐるので、却つて不安になつた。 「実は二三日|前《まへ》君の所《ところ》へ行つたが、君は留守だつたね」と云ひ出した。 「うん。左様《さう》だつたさうだね。其節は又難有う。御|蔭《かげ》さまで。――なに、君を煩はさないでも何《ど》うかなつたんだが、彼奴《あいつ》があまり心配し過《すぎ》て、つい君に迷惑を掛けて済《す》まない」と冷淡な礼を云つた。それから、 「僕も実は御礼に来《き》た様《やう》なものだが、本当の御礼には、いづれ当人が出《で》るだらうから」と丸で三千代と自分を別物《べつもの》にした言分《いひぶん》であつた。代助はたゞ、 「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答へた。話《はなし》は是で切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持《も》たない方面に摺《ず》り滑《すべ》つて行《い》つた。すると、平岡が突然、 「僕はことによると、もう実業は已《や》めるかも知れない。実際|内幕《うちまく》を知れば知る程|厭《いや》になる。其上|此方《こつち》へ来《き》て、少し運動をして見て、つくづく勇気がなくなつた」と心底《しんそこ》かららしい告白をした。代助は、一口《ひとくち》、 「それは、左様《さう》だらう」と答へた。平岡はあまり此返事の冷淡なのに驚ろいた様子であつた。が、又あとを付《つ》けた。 「先達ても一寸《ちよつと》話《はな》したんだが、新聞へでも這入らうかと思つてる」 「口《くち》があるのかい」と代助が聞《き》き返した。 「今《いま》、一《ひと》つある。多分|出来《でき》さうだ」  来《き》た時は、運動しても駄目だから遊んでゐると云ふし、今は新聞に口《くち》があるから出様と云ふし、少し要領を欠《か》いでゐるが、追窮するのも面倒だと思つて、代助は、 「それも面白からう」と賛成の意を表して置いた。        八の六  平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子に身《み》を寄せて、敷居《しきゐ》の上《うへ》に立つてゐた。門野《かどの》も御|附合《つきあひ》に平岡の後姿《うしろすがた》を眺《なが》めてゐた。が、すぐ口《くち》を出《だ》した。 「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装《なり》ぢや、少《すこ》し宅《うち》の方が御粗末|過《すぎ》る様です」 「左様《さう》でもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。 「全《まつ》たく、服装《なり》丈ぢや分《わか》らない世の中《なか》になりましたからね。何処《どこ》の紳士かと思ふと、どうも変《へん》ちきりんな家《うち》へ這入《はいつ》てますからね」と門野《かどの》はすぐあとを付けた。  代助は返事も為《し》ずに書斎へ引き返した。椽側に垂《た》れた君子|蘭《らん》の緑《みどり》の滴《したゝり》がどろ/\になつて、干上《ひあが》り掛《かゝ》つてゐた。代助はわざと、書斎と座敷《ざしき》の仕切《しきり》を立《た》て切《き》つて、一人《ひとり》室《へや》のうちへ這入《はい》つた。来客に接《せつ》した後《あと》しばらくは、独坐《どくざ》に耽《ふけ》るが代助の癖《くせ》であつた。ことに今日《けふ》の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。  平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。逢《あ》ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰《だれ》に逢つても左《そ》んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過《すぎ》なかつた。大地《だいち》は自然に続《つゞ》いてゐるけれども、其上に家《いへ》を建《た》てたら、忽ち切《き》れ|/\《ぎれ》になつて仕舞つた。家《いへ》の中《なか》にゐる人間《にんげん》も亦|切《き》れ切《ぎ》れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。  代助と接近してゐた時分の平岡は、人に泣《な》いて貰《もら》ふ事を喜《よろ》こぶ人《ひと》であつた。今《いま》でも左様《さう》かも知れない。が、些《ちつ》ともそんな顔《かほ》をしないから、解《わか》らない。否、力《つと》めて、人《ひと》の同情を斥《しりぞ》ける様に振舞《ふるま》つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟《さと》りか、何方《どつち》かに帰着する。  平岡に接近してゐた時分の代助は、人《ひと》の為《ため》に泣《な》く事の好《す》きな男であつた。それが次第々々に泣《な》けなくなつた。泣《な》かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実は寧《むし》ろ之《これ》を逆《ぎやく》にして、泣《な》かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫《あつぱく》を受《う》けて、其重|荷《に》の下《した》に唸《うな》る、劇烈な生存競争場裏に立つ人《ひと》で、真《しん》によく人《ひと》の為《ため》に泣き得るものに、代助は未《いま》だ曾《かつ》て出逢《であ》はなかつた。  代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪《けんを》の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が萌《きざ》してゐると判じた。昔しの代助も、時々《とき/″\》わが胸のうちに、斯う云ふ影《かげ》を認めて驚ろいた事があつた。其時は非常に悲《かな》しかつた。今《いま》は其|悲《かな》しみも殆んど薄《うす》く剥《は》がれて仕舞つた。だから自分で黒い影《かげ》を凝《じつ》と見詰めて見る。さうして、これが真《まこと》だと思ふ。已《やむ》を得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。  斯《か》う云ふ意味の孤独の底《そこ》に陥《おちい》つて煩悶するには、代助の頭《あたま》はあまりに判然《はつきり》し過《すぎ》てゐた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏《ふ》むべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、今《いま》の自分の眼《まなこ》に訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過《すぎ》ないと見傚した。けれども、同時に、両人《ふたり》の間《あひだ》に横《よこ》たはる一種の特別な事情の為《ため》、此隔離が世間並《せけんなみ》よりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代《みちよ》の結婚であつた。三千代《みちよ》を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔《くゆ》る様な薄弱な頭脳《づのう》ではなかつた。今日《こんにち》に至つて振り返つて見ても、自分の所作《しよさ》は、過去を照《て》らす鮮《あざや》かな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等|二人《ににん》の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に頭《あたま》を下《さ》げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故《なぜ》三千代を貰《もら》つたかと思ふ様になつた。代助は何処《どこ》かしらで、何故《なぜ》三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。  代助は書斎に閉《と》ぢ籠《こも》つて一日《いちにち》考へに沈《しづ》んでゐた。晩食《ばんしよく》の時、門野が、 「先生|今日《けふ》は一日《いちにち》御勉強ですな。どうです、些《ち》と御散歩になりませんか。今夜《こんや》は寅毘沙《とらびしや》ですぜ。演芸館で支那人《ちやん》の留学生が芝居を演《や》つてます。どんな事を演《や》る積ですか、行《い》つて御覧なすつたら何《ど》うです。支那人《ちやん》てえ奴《やつ》は、臆面がないから、何《なん》でも遣《や》る気だから呑気なもんだ。……」と一人《ひとり》で喋舌《しやべ》つた。        九の一  代助は又《また》父《ちゝ》から呼《よ》ばれた。代助には其用事が大抵|分《わか》つてゐた。代助は不断《ふだん》から成るべく父《ちゝ》を避《さ》けて会《あ》はない様にしてゐた。此頃《このごろ》になつては猶更|奥《おく》へ寄《よ》り付《つ》かなかつた。逢《あ》ふと、叮嚀な言葉を使《つか》つて応対してゐるにも拘はらず、腹《はら》の中《なか》では、父《ちゝ》を侮辱《ぶじよく》してゐる様な気がしてならなかつたからである。  代助は人類の一人《いちにん》として、互《たがひ》を腹《はら》の中《なか》で侮辱する事なしには、互《たがひ》に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯《つなみ》と心得てゐた。  この二《ふた》つの因数《フアクトー》は、何処《どこ》かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩を較《なら》べる日の来《く》る迄は、此平衡は日本に於て得《え》られないものと代助は信じてゐた。さうして、斯《か》ゝる日《ひ》は、到底日本の上を照《て》らさないものと諦《あきら》めてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞ頭《あたま》の中《なか》に於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人《いちにん》として、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。  代助の父《ちゝ》の場合は、一般に比《くら》べると、稍《やゝ》特殊的傾向を帯びる丈に複雑であつた。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近《てぢか》な真《まこと》を、眼中《がんちう》に置かない無理なものであつた。にも拘《かゝ》はらず、父《ちゝ》は習慣に囚へられて、未《いま》だに此教育に執着してゐる。さうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々此生活慾の為《ため》に腐蝕されつゝ今日に至つた。だから昔の自分と、今の自分の間には、大いな相違のあるべき筈である。それを父《ちゝ》は自認してゐなかつた。昔《むかし》の自分が、昔通《むかしどほ》りの心得で、今の事業を是迄に成し遂《と》げたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲を狭《せば》める事なしに、現代の生活慾を時々刻々に充《み》たして行ける訳がないと代助は考へた。もし双方を其儘に存在させ様とすれば、之《これ》を敢てする個人は、矛盾の為《ため》に大苦痛を受《う》けなければならない。もし内心に此苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自覚丈|明《あき》らかで、何の為《ため》の苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳の鈍《にぶ》い劣等な人種である。代助は父に対する毎《ごと》に、父《ちゝ》は自己を隠蔽《いんぺい》する偽君子《ぎくんし》か、もしくは分別の足らない愚物《ぐぶつ》か、何方《どつち》かでなくてはならない様な気がした。さうして、左《さ》う云ふ気がするのが厭《いや》でならなかつた。  と云つて、父《ちゝ》は代助の手際で、何《ど》うする事も出来ない男であつた。代助には明《あき》らかに、それが分《わか》つてゐた。だから代助は未《いま》だ曾《かつ》て父《ちゝ》を矛盾の極端迄追ひ詰《つ》めた事がなかつた。  代助は凡ての道徳の出立点《しつたつてん》は社会的事実より外にないと信じてゐた。始めから頭《あたま》の中に硬張《こわば》つた道徳を据ゑ付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。従つて日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授してゐる。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましてゐる。此劇烈なる生活慾に襲はれた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過《す》ぎない。此迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時《とき》、昔《むかし》の講釈を思ひ出して笑つて仕舞ふ。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至つては、学校のみならず、現に自分の父《ちゝ》から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭《あたま》の中《なか》に起した。代助はそれを恨《うら》めしく思つてゐる位であつた。  代助は此前《このまへ》梅子に礼を云ひに行つた時、梅子から一寸《ちよつと》奥《おく》へ行つて、挨拶をしてゐらつしやいと注意された。代助は笑ひながら御|父《とう》さんはゐるんですかと空《そら》とぼけた。ゐらつしやるわと云ふ確答を得た時でも、今日《けふ》はちと急《いそ》ぐから廃《よ》さうと帰つて来《き》た。        九の二  今日《けふ》はわざ/\其為《そのため》に来《き》たのだから、否《いや》でも応でも父《ちゝ》に逢はなければならない。相変らず、内《ない》玄関の方から廻つて座敷へ来《く》ると、珍《めづ》らしく兄《あに》の誠吾が胡坐《あぐら》をかいて、酒《さけ》を呑んでゐた。梅子も傍《そば》に坐《すは》つてゐた。兄《あに》は代助を見て、 「何《ど》うだ、一盃|遣《や》らないか」と、前にあつた葡萄酒の壜《びん》を持つて振《ふ》つて見せた。中《なか》にはまだ余程這入つてゐた。梅子は手を敲《たゝ》いて洋盞《コツプ》を取り寄せた。 「当《あ》てゝ御|覧《らん》なさい。どの位|古《ふる》いんだか」と一杯|注《つ》いだ。 「代助に分《わか》るものか」と云つて、誠吾は弟の唇《くちびる》のあたりを眺《なが》めてゐた。代助は一口《ひとくち》飲《の》んで盃《さかづき》を下《した》へ下《おろ》した。肴《さかな》の代りに薄いウエーファーが菓子|皿《ざら》にあつた。 「旨《うま》いですね」と云つた。 「だから時代を当《あ》てゝ御覧なさいよ」 「時代《じだい》があるんですか。偉《えら》いものを買ひ込んだもんだね。帰《かへ》りに一本《いつぽん》貰《もら》つて行《い》かう」 「御生憎様、もう是限《これぎり》なの。到来物《とうらいもの》よ」と云つて梅子は椽側へ出《で》て、膝《ひざ》の上《うへ》に落《お》ちたウエーフアーの粉《こ》を払《はた》いた。 「兄《にい》さん、今日《けふ》は何《ど》うしたんです。大変気楽さうですね」と代助が聞《き》いた。 「今日《けふ》は休養だ。此間中《このあひだぢう》は何《ど》うも忙《いそが》し過《すぎ》て降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻《はまき》を口《くち》に啣えた。代助は自分の傍《そば》にあつた燐寸《まつち》を擦《す》つて遣《や》つた。 「代《だい》さん貴方《あなた》こそ気楽ぢやありませんか」と云ひながら梅子が椽側から帰《かへ》つて来《き》た。 「姉《ねえ》さん歌舞伎座へ行《い》きましたか。まだなら、行《い》つて御覧なさい。面白いから」 「貴方《あなた》もう行《い》つたの、驚ろいた。貴方《あなた》も余《よ》っ程|怠《なま》けものね」 「怠《なま》けものは可《よ》くない。勉強の方向が違ふんだから」 「押《おし》の強い事ばかり云つて。人《ひと》の気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾は赤《あか》い瞼《まぶた》をして、ぽかんと葉巻《はまき》の烟《けむ》を吹《ふ》いてゐた。 「ねえ、貴方《あなた》」と梅子が催促した。誠吾はうるささうに葉巻《はまき》を指《ゆび》の股《また》へ移して、 「今のうち沢山《たんと》勉強して貰《もら》つて置いて、今《いま》に此方《こつち》が貧乏したら、救《すく》つて貰《もら》ふ方が好《い》いぢやないか」と云つた。梅子は、 「代さん、あなた役者になれて」と聞いた。代助は何にも云はずに、洋盞《コツプ》を姉の前に出《だ》した。梅子も黙《だま》つて葡萄酒の壜を取り上《あ》げた。 「兄《にい》さん、此間中《このあひだぢう》は何だか大変|忙《いそが》しかつたんだつてね」と代助は前へ戻つて聞いた。 「いや、もう大弱りだ」と云ひながら、誠吾は寐転《ねころ》んで仕舞つた。 「何《なに》か日糖事件に関係でもあつたんですか」と代助が聞いた。 「日糖事件に関係はないが、忙《いそが》しかつた」  兄《あに》の答は何時《いつ》でも此程度以上に明瞭になつた事がない。実は明瞭に話したくないんだらうけれども、代助の耳には、夫が本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでも楽《らく》に其返事の中《なか》に這入《はいつ》てゐた。 「日糖も詰《つま》らない事《こと》になつたが、あゝなる前に何《ど》うか方法はないもんでせうかね」 「左《さ》うさなあ。実際|世《よ》の中《なか》の事は、何《なに》が何《ど》うなるんだか分《わか》らないからな。――梅《うめ》、今日《けふ》は直木《なほき》に云ひ付《つ》けて、ヘクターを少し運動させなくつちや不可《いけな》いよ。あゝ大食《おほぐひ》をして寐て許《ばかり》ゐちや毒だ」と誠吾は眠《ねむ》さうな瞼《まぶた》を指《ゆび》でしきりに擦《こす》つた。代助は、 「愈《いよ/\》奥《おく》へ行《い》つて御父《おとう》さんに叱《しか》られて来《く》るかな」と云ひながら又|洋盞《コツプ》を嫂《あによめ》の前へ出《だ》した。梅子は笑《わら》つて酒《さけ》を注《つ》いだ。 「嫁《よめ》の事か」と誠吾が聞《き》いた。 「まあ、左《さ》うだらうと思ふんです」 「貰《もら》つて置《お》くがいゝ。さう老人《としより》に心配さしたつて仕様があるものか」と云つたが、今度はもつと判然《はつきり》した語勢で、 「気を付《つ》けないと不可《いかん》よ。少し低気圧が来《き》てゐるから」と注意した。代助は立《た》ち掛けながら、 「まさか此間中《このあひだぢう》の奔走からきた低気圧ぢやありますまいね」と念を押した。兄《あに》は寐転んだ儘、 「何《なん》とも云へないよ。斯う見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時《いつ》拘引されるか分《わか》らない身体《からだ》なんだから」と云つた。 「馬鹿な事を仰《おつ》しやるなよ」と梅子が窘《たしな》めた。 「矢っ張り僕《ぼく》ののらくらが持ち来《き》たした低気圧なんだらう」と代助は笑ひながら立つた。        九の三  廊下|伝《づた》ひに中庭《なかには》を越《こ》して、奥《おく》へ来《き》て見ると、父《ちゝ》は唐机《とうづくえ》の前《まへ》へ坐《すは》つて、唐本《とうほん》を見《み》てゐた。父《ちゝ》は詩が好《すき》で、閑《ひま》があると折々支那人の詩集を読《よ》んでゐる。然し時によると、それが尤も機嫌のわるい索引《さくいん》になる事があつた。さう云ふときは、いかに神経のふつくら出来|上《あが》つた兄《あに》でも、成るべく近寄《ちかよ》らない事にしてゐた。是非|顔《かほ》を合《あは》せなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、何方《どつち》か引張《ひつぱつ》て父《ちゝ》の前《まへ》へ出《で》る手段を取《と》つてゐた。代助も椽側迄|来《き》て、そこに気が付《つ》いたが、夫程《それほど》の必要もあるまいと思つて、座敷を一《ひと》つ通《とほ》り越して、父《ちゝ》の居|間《ま》に這入つた。  父はまづ眼鏡《めがね》を外《はづ》した。それを読み掛けた書物の上《うへ》に置くと、代助の方に向き直《なほ》つた。さうして、たゞ一言《ひとこと》、 「来《き》たか」と云つた。其語調は平常よりも却つて穏《おだやか》な位であつた。代助は膝《ひざ》の上《うへ》に手を置きながら、兄《あに》が真面目《まじめ》な顔をして、自分を担《かつ》いたんぢやなからうかと考へた。代助はそこで又|苦《にが》い茶を飲《の》ませられて、しばらく雑談に時を移《うつ》した。今年《ことし》は芍薬《しやくやく》の出《で》が早いとか、茶摘歌《ちやつみうた》を聞《き》いてゐると眠《ねむ》くなる時候だとか、何所《どこ》とかに、大きな藤《ふぢ》があつて、其花の長さが四尺|足《た》らずあるとか、話《はなし》は好加減《いゝかげん》な方角へ大分《だいぶ》長く延《の》びて行《い》つた。代助は又《また》其方《そのほう》が勝手なので、いつ迄も延《の》ばす様にと、後《あと》から後《あと》を付《つ》けて行《い》つた。父《ちゝ》も仕舞には持て余《あま》して、とう/\、時に今日《けふ》御前を呼んだのはと云ひ出した。  代助はそれから後《あと》は、一言《ひとこと》も口《くち》を利《き》かなくなつた。只謹んで親爺《おやぢ》の云ふことを聴《き》いてゐた。父《ちゝ》も代助から斯《か》う云ふ態度に出られると、長い間《あひだ》自分|一人《ひとり》で、講義でもする様に、述《の》べて行かなくてはならなかつた。然し其半分以上は、過去を繰り返す丈であつた。が代助はそれを、始めて聞くと同程度の注意を払つて聞《き》いてゐた。  父《ちゝ》の長《なが》談義のうちに、代助は二三の新《あたら》しい点も認《みと》めた。その一つは、御前は一体是からさき何《ど》うする料簡なんだと云ふ真面目な質問であつた。代助は今迄|父《ちゝ》からの注文ばかり受けてゐた。だから、其注文を曖昧に外《はづ》す事に慣《な》れてゐた。けれども、斯う云ふ大質問になると、さう口《くち》から出任《でまか》せに答へられない。無暗な事を云へば、すぐ父《ちゝ》を怒《おこ》らして仕舞ふからである。と云つて正直を自白すると、二三年間|父《ちゝ》の頭《あたま》を教育した上《うへ》でなくつては、通じない理窟になる。何故《なぜ》と云ふと、代助は今此大質問に応じて、自分の未来を明瞭に道破《いひやぶ》る丈の考も何も有つてゐなかつたからである。彼はそれが自分に取つては尤もな所だと思つてゐた。から、父《ちゝ》が、其通りを聞《き》いて、成程と納得する迄には、大変な時間がかゝる。或は生涯|通《つう》じつこないかも知れない。父《ちゝ》の気に入る様にするのは、何でも、国家の為《ため》とか、天下の為《ため》とか、景気の好《い》い事を、しかも結婚と両立しない様な事を、述《の》べて置けば済《す》むのであるが、代助は如何に、自己を侮辱する気になつても、是ばかりは馬鹿気《ばかげ》てゐて、口《くち》へ出す勇気がなかつた。そこで已を得ないから、実は色々計画もあるが、いづれ秩序|立《だ》てゝ来《き》て、御相談をする積であると答へた。答へた後《あと》で、実に滑稽だと思つたが仕方がなかつた。  代助は次《つぎ》に、独立の出来る丈の財産が欲《ほ》しくはないかと聞かれた。代助は無論|欲《ほ》しいと答へた。すると、父《ちゝ》が、では佐川の娘《むすめ》を貰《もら》つたら好《よ》からうと云ふ条件を付《つ》けた。其財産は佐川の娘《むすめ》が持つて来《く》るのか、又は父《ちゝ》が呉《く》れるのか甚だ曖昧であつた。代助は少《すこ》し其点に向つて進んで見たが、遂に要領を得なかつた。けれども、それを突き留める必要がないと考へて已《や》めた。  次《つぎ》に、一層《いつそ》洋行する気はないかと云はれた。代助は好《い》いでせうと云つて賛成した。けれども、これにも、矢っ張り結婚が先決問題として出《で》て来た。 「そんなに佐川の娘を貰ふ必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。すると父《ちゝ》の顔《かほ》が赤《あか》くなつた。        九の四  代助は父《ちゝ》を怒《おこ》らせる気は少しもなかつたのである。彼《かれ》の近頃の主義として、人《ひと》と喧嘩をするのは、人間《にんげん》の堕落の一|範鋳《はんちう》になつてゐた。喧嘩《けんくわ》の一部分として、人《ひと》を怒《おこ》らせるのは、怒《おこ》らせる事自身よりは、怒《おこ》つた人《ひと》の顔色《かほいろ》が、如何に不愉快にわが眼《め》に映《えい》ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷《きづつ》ける打撃に外《ほか》ならぬと心得てゐた。彼《かれ》は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有《も》つてゐた。けれども、それが為《ため》に、自然の儘に振舞ひさへすれば、罰《ばつ》を免かれ得るとは信じてゐなかつた。人を斬《き》つたものゝ受くる罰《ばつ》は、斬《き》られた人《ひと》の肉《にく》から出《で》る血潮であると固《かた》く信《しん》じてゐた。迸《ほとば》しる血の色を見て、清《きよ》い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助は夫程神経の鋭どい男であつた。だから顔《かほ》の色《いろ》を赤くした父《ちゝ》を見た時、妙に不快になつた。けれども此罪を二重に償ふために、父《ちゝ》の云ふ通りにしやうと云ふ気は些《ちつ》とも起らなかつた。彼《かれ》は、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払ふ男であつたからである。  其時|父《ちゝ》は頗《すこぶ》る熱した語気で、先《ま》づ自分の年《とし》を取つてゐる事、子供の未来が心配になる事、子供に嫁《よめ》を持《も》たせるのは親《おや》の義務であると云ふ事、嫁《よめ》の資格其他に就ては、本人よりも親《おや》の方が遥かに周到な注意を払つてゐると云ふ事、他《ひと》の親切は、其当時にこそ余計な御世話に見えるが、後《あと》になると、もう一遍うるさく干《かん》渉して貰ひたい時機が来《く》るものであるといふ事を、非常に叮嚀に説《と》いた。代助は慎重な態度で、聴《き》いてゐた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許|諾《だく》の意を表さなかつた。すると父《ちゝ》はわざと抑《おさ》えた調子で、 「ぢや、佐川は已《や》めるさ。さうして誰《だれ》でも御前の好《すき》なのを貰《もら》つたら好《い》いだらう。誰《だれ》か貰《もら》ひたいのがあるのか」と云つた。是は嫂《あによめ》の質問と同様であるが、代助は梅子《うめこ》に対《たい》する様に、たゞ苦笑《くしやう》ばかりしてはゐられなかつた。 「別《べつ》にそんな貰ひたいのもありません」と明《あき》らかな返事をした。すると父《ちゝ》は急に肝の発した様な声で、 「ぢや、少《すこ》しは此方《こつち》の事も考へて呉れたら好《よ》からう。何もさう自分の事ばかり思つてゐないでも」と急調子に云つた。代助は、突然|父《ちゝ》が代助を離れて、彼《かれ》自身の利害に飛び移つたのに驚ろかされた。けれども其驚ろきは、論理なき急劇の変化の上《うへ》に注《そゝ》がれた丈であつた。 「貴方《あなた》にそれ程御都合が好《い》い事があるなら、もう一遍考へて見ませう」と答へた。  父は益機嫌をわるくした。代助は人と応対してゐる時、何《ど》うしても論理を離れる事の出来ない場合がある。夫《それ》が為《た》め、よく人《ひと》から、相手を遣《や》り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云ふと、彼《かれ》程人を遣《や》り込める事の嫌な男はないのである。 「何も己《おれ》の都合|許《ばかり》で、嫁《よめ》を貰へと云つてやしない」と父《ちゝ》は前《まへ》の言葉を訂正した。「そんなに理窟を云ふなら、参考の為《ため》、云つて聞かせるが、御前《おまへ》はもう三十だらう、三十になつて、普通のものが結婚をしなければ、世間《せけん》では何《なん》と思ふか大抵|分《わか》るだらう。そりや今《いま》は昔《むかし》と違ふから、独身も本人の随意だけれども、独身の為《ため》に親《おや》や兄弟が迷惑《めいわく》したり、果《はて》は自分の名誉に関係《くわんけい》する様な事が出来《しつたい》したりしたら何《ど》うする気だ」  代助はたゞ茫然として父《ちゝ》の顔《かほ》を見てゐた。父《ちゝ》は何《ど》の点に向つて、自分を刺した積りだか、代助には殆んど分《わか》らなかつたからである。しばらくして、 「そりや私《わたくし》のことだから少《すこ》しは道楽もしますが……」と云ひかけた。父《ちゝ》はすぐ夫《それ》を遮《さへ》ぎつた。 「そんな事《こと》ぢやない」  二人《ふたり》は夫限《それぎ》りしばらく口《くち》を利《き》かずにゐた。父《ちゝ》は此沈黙を以て代助に向つて与へた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和《やわ》らげて、 「まあ、よく考へて御覧」と云つた。代助ははあと答へて、父《ちゝ》の室《へや》を退《しり》ぞいた。座敷へ来《き》て兄《あに》を探《さが》したが見えなかつた。嫂《あによめ》はと尋ねたら、客間《きやくま》だと下女が教へたので、行《い》つて戸を明《あ》けて見ると、縫子のピヤノの先生が来《き》てゐた。代助は先生に一寸《ちよつと》挨拶をして、梅子《うめこ》を戸口《とぐち》迄|呼《よ》び出《だ》した。 「あなたは僕《ぼく》の事を何か御父《おとう》さんに讒訴しやしないか」  梅子はハヽヽヽと笑つた。さうして、 「まあ御這入んなさいよ。丁度|好《い》い所だから」と云つて、代助を楽器の傍《そば》迄引張つて行《い》つた。        十の一  蟻《あり》の座敷《ざしき》へ上《あ》がる時候になつた。代助は大きな鉢《はち》へ水を張《は》つて、其|中《なか》に真白《まつしろ》なリリー、オフ、ゼ、※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]レーを茎《くき》ごと漬《つ》けた。簇《むら》がる細《こま》かい花が、濃《こ》い模様の縁《ふち》を隠《かく》した。鉢《はち》を動《うご》かすと、花《はな》が零《こぼ》れる。代助はそれを大《おほ》きな字引《じびき》の上《うへ》に載《の》せた。さうして、其|傍《そば》に枕《まくら》を置《お》いて仰向《あほむ》けに倒れた。黒《くろ》い頭《あたま》が丁度|鉢《はち》の陰《かげ》になつて、花から出《で》る香《にほひ》が、好《い》い具合に鼻《はな》に通《かよ》つた。代助は其香《そのにほひ》を嗅《か》ぎながら仮寐《うたゝね》をした。  代助は時々《とき/″\》尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それが劇《はげ》しくなると、晴天から来《く》る日光《につこう》の反射にさへ堪へ難くなる事があつた。さう云ふ時には、成る可《べ》く世間《せけん》との交渉を稀薄にして、朝《あさ》でも午《ひる》でも構はず寐《ね》る工夫をした。其手段には、極めて淡《あわ》い、甘味《あまみ》の軽《かる》い、花《はな》の香《か》をよく用ひた。瞼《まぶた》を閉《と》ぢて、瞳《ひとみ》に落《お》ちる光線を謝絶して、静かに鼻《はな》の穴《あな》丈で呼吸《こきう》してゐるうちに、枕元《まくらもと》の花《はな》が、次第に夢《ゆめ》の方《ほう》へ、躁《さわ》ぐ意識を吹《ふ》いて行く。是が成功すると、代助の神経が生《うま》れ代《かは》つた様に落ち付いて、世間《せけん》との連絡《れんらく》が、前よりは比較的|楽《らく》に取れる。  代助は父《ちゝ》に呼《よ》ばれてから二三日の間《あひだ》、庭《には》の隅《すみ》に咲いた薔薇《ばら》の花《はな》の赤《あか》いのを見るたびに、それが点々《てん/\》として眼《め》を刺《さ》してならなかつた。其時は、いつでも、手水鉢《てみづばち》の傍《そば》にある、擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》に眼《め》を移《うつ》した。其|葉《は》には、放肆《ほうし》な白《しろ》い縞《しま》が、三筋《みすぢ》か四筋《よすぢ》、長《なが》く乱《みだ》れてゐた。代助が見るたびに、擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》は延《の》びて行く様に思はれた。さうして、それと共に白《しろ》い縞《しま》も、自由に拘束なく、延《の》びる様な気がした。柘榴《ざくろ》の花《はな》は、薔薇《ばら》よりも派出《はで》に且つ重苦《おもくる》しく見えた。緑《みどり》の間《あひだ》にちらり/\と光《ひか》つて見える位、強い色を出《だ》してゐた。従つて是《これ》も代助の今の気分には相応《うつ》らなかつた。  彼の今《いま》の気分は、彼に時々《とき/″\》起《おこ》る如《ごと》く、総体の上《うへ》に一種の暗調を帯びてゐた。だから余《あま》りに明《あか》る過《すぎ》るものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた。擬宝珠《ぎぼしゆ》の葉《は》も長く見詰めてゐると、すぐ厭《いや》になる位であつた。  其上《そのうへ》彼《かれ》は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出《だ》した。其不安は人と人との間《あひだ》に信仰がない源因から起《おこ》る野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神《かみ》に信仰を置く事を喜《よろこ》ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質《たち》であつた。けれども、相互《さうご》に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱《げだつ》する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神《かみ》のある国では、人が嘘《うそ》を吐《つ》くものと極《き》めた。然し今の日本は、神《かみ》にも人《ひと》にも信仰のない国柄《くにがら》であるといふ事を発見した。さうして、彼《かれ》は之を一《いつ》に日本の経済事情に帰着せしめた。  四五日前、彼は掏摸《すり》と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人《ひとり》や二人《ふたり》ではなかつた。他の新聞の記《しる》す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥《おちい》るかも知れないさうである。代助は其記事を読んだとき、たゞ苦笑した丈であつた。さうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思つた。  代助が父に逢《あ》つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞ父《ちゝ》に信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父《ちゝ》を尤もだと肯《うけが》ふ積りだつたからである。  代助は平岡に対しても同様の感じを抱いてゐた。然し平岡に取つては、それが当然な事であると許してゐた。たゞ平岡を好《す》く気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。けれども其兄に対しても矢張り信仰は有《も》ち得なかつた。嫂《あによめ》は実意のある女であつた。然し嫂《あによめ》は、直接生活の難関に当《あた》らない丈、それ丈|兄《あに》よりも近付き易《やす》いのだと考へてゐた。  代助は平生から、此位に世の中《なか》を打遣《うちや》つてゐた。だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。夫《それ》が、何《ど》う云ふ具合か急に揺《うご》き出《だ》した。代助は之を生理上の変化から起るのだらうと察《さつ》した。そこである人が北海道から採《と》つて来《き》たと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]レーの束《たば》を解《と》いて、それを悉く水《みづ》の中《なか》に浸《ひた》して、其下《そのした》に寐《ね》たのである。        十の二  一時間《いちぢかん》の後《のち》、代助は大きな黒い眼《め》を開《あ》いた。其|眼《め》は、しばらくの間《あひだ》一つ所《ところ》に留《とゞ》まつて全く動《うご》かなかつた。手《て》も足《あし》も寐《ね》てゐた時の姿勢を少しも崩《くづ》さずに、丸で死人《しにん》のそれの様であつた。其時一匹の黒《くろ》い蟻《あり》が、ネルの襟《えり》を伝はつて、代助の咽喉《のど》に落《お》ちた。代助はすぐ右の手を動《うご》かして咽喉《のど》を抑《おさ》へた。さうして、額《ひたひ》に皺《しわ》を寄《よ》せて、指《ゆび》の股《また》に挟《はさ》んだ小《ちい》さな動物を、鼻《はな》の上《うへ》迄持つて来《き》て眺《なが》めた。其時蟻はもう死んでゐた。代助は人指指《ひとさしゆび》の先《さき》に着《つ》いた黒いものを、親指《おやゆび》の爪《つめ》で向《むかふ》へ弾《はぢ》いた。さうして起《お》き上《あ》がつた。  膝《ひざ》の周囲《まはり》に、まだ三|四匹《しひき》這つてゐたのを、薄《うす》い象牙の紙小刀《ペーパーナイフ》で打ち殺した。それから手を叩《たゝ》いて人《ひと》を呼《よ》んだ。 「御目|醒《ざめ》ですか」と云つて、門野《かどの》が出《で》て来《き》た。 「御茶でも入《い》れて来《き》ませうか」と聞《き》いた。代助は、はだかつた胸《むね》を掻《か》き合《あは》せながら、 「君《きみ》、僕《ぼく》の寐てゐるうちに、誰《だれ》か来《き》やしなかつたかね」と、静《しづ》かな調子で尋ねた。 「えゝ、御出《おいで》でした。平岡の奥さんが。よく御|存《ぞん》じですな」と門野《かどの》は平気に答へた。 「何故《なぜ》起《おこ》さなかつたんだ」 「余《あん》まり能《よ》く御休《おやすみ》でしたからな」 「だつて御客《おきやく》なら仕方《しかた》がないぢやないか」  代助の語勢は少し強くなつた。 「ですがな。平岡の奥さんの方《ほう》で、起《おこ》さない方が好《い》いつて、仰《おつ》しやつたもんですからな」 「それで、奥さんは帰つて仕舞つたのか」 「なに帰《かへ》つて仕舞つたと云ふ訳でもないんです。一寸《ちよつと》神楽坂《かぐらざか》に買物《かひもの》があるから、それを済《す》まして又|来《く》るからつて、云はれるもんですからな」 「ぢや又|来《く》るんだね」 「さうです。実《じつ》は御|目覚《めざめ》になる迄|待《ま》つてゐやうかつて、此座敷迄|上《あが》つて来《こ》られたんですが、先生の顔《かほ》を見て、あんまり善《よ》く寐《ね》てゐるもんだから、こいつは、容易に起《お》きさうもないと思つたんでせう」 「また出《で》て行《い》つたのかい」 「えゝ、まあ左《さ》うです」  代助は笑ひながら、両手で寐起《ねおき》の顔《かほ》を撫《な》でた。さうして風呂場へ顔《かほ》を洗ひに行《い》つた。頭《あたま》を濡《ぬ》らして、椽側《えんがは》迄|帰《かへ》つて来《き》て、庭《には》を眺《なが》めてゐると、前《まへ》よりは気分が大分《だいぶ》晴々《せい/\》した。曇《くも》つた空《そら》を燕《つばめ》が二|羽《は》飛んでゐる様《さま》が大いに愉快に見えた。  代助は此前《このまへ》平岡の訪問を受けてから、心待《こゝろまち》に、後《あと》から三千代の来《く》るのを待《ま》つてゐた。けれども、平岡《ひらをか》の言葉《ことば》は遂《つい》に事実として現《あらは》れて来《こ》なかつた。特別の事情があつて、三千代《みちよ》がわざと来《こ》ないのか、又は平岡が始《はじ》めから御世辞を使《つか》つたのか、疑問であるが、それがため、代助は心《こゝろ》の何処《どこ》かに空虚《くうきよ》を感じてゐた。然し彼《かれ》は此《この》空虚《くうきよ》な感じを、一つの経験として日常生活中に見出《みいだ》した迄で、其原因をどうするの、斯《か》うするのと云ふ気はあまりなかつた。此経験自身の奥《おく》を覗《のぞ》き込むと、それ以上に暗《くら》い影《かげ》がちらついてゐる様に思つたからである。  それで彼《かれ》は進《すゝ》んで平岡を訪問するのを避《さ》けてゐた。散歩のとき彼《かれ》の足《あし》は多く江戸川の方角に向《む》いた。桜《さくら》の散《ち》る時分には、夕暮《ゆふぐれ》の風《かぜ》に吹《ふ》かれて、四《よつ》つの橋《はし》を此方《こちら》から向《むかふ》へ渡《わた》り、向《むかふ》から又|此方《こちら》へ渡《わた》り返して、長い堤《どて》を縫《ぬ》ふ様に歩《ある》いた。が其|桜《さくら》はとくに散《ちつ》て仕舞つて、今《いま》は緑蔭の時節になつた。代助は時々《とき/″\》橋《はし》の真中《まんなか》に立《た》つて、欄干に頬杖を突いて、茂《しげ》る葉《は》の中《なか》を、真直《まつすぐ》に通《とほ》つてゐる、水《みづ》の光《ひかり》を眺《なが》め尽《つく》して見《み》る。それから其|光《ひかり》の細《ほそ》くなつた先《さき》の方《ほう》に、高く聳える目白台の森《もり》を見上《みあげ》て見《み》る。けれども橋を向《むかふ》へ渡《わた》つて、小石川の坂《さか》を上《のぼ》る事はやめにして帰《かへ》る様になつた。ある時《とき》彼《かれ》は大曲《おほまがり》の所で、電車を下《おり》る平岡の影《かげ》を半町程手前から認《みと》めた。彼《かれ》は慥《たしか》に左様《さう》に違《ちがひ》ないと思つた。さうして、すぐ揚場《あげば》の方へ引《ひ》き返した。  彼《かれ》は平岡の安否《あんぴ》を気《き》にかけてゐた。まだ坐食《ゐぐひ》の不安な境遇に居《お》るに違《ちがひ》ないとは思ふけれども、或は何《ど》の方面かへ、生活の行路《こうろ》を切り開く手掛りが出来《でき》たかも知れないとも想像して見た。けれども、それを確《たしか》める為《ため》に、平岡《ひらをか》の後《あと》を追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡に面《めん》するときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代の為《ため》にのみ、平岡の位地を心配する程、平岡を悪《にく》んでもゐなかつた。平岡の為《ため》にも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。        十の三  斯んな風《ふう》に、代助は空虚なるわが心《こゝろ》の一角《いつかく》を抱《いだ》いて今日《こんにち》に至つた。いま先方《さきがた》門《かど》野を呼《よ》んで括《くゝ》り枕《まくら》を取《と》り寄《よ》せて、午寐《ひるね》を貪《むさ》ぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつた頭《あたま》を、出来《でき》るならば、蒼《あを》い色《いろ》の付《つ》いた、深《ふか》い水《みづ》の中《なか》に沈《しづ》めたい位に思つた。それ程|彼《かれ》は命《いのち》を鋭《するど》く感じ過《す》ぎた。従つて熱《あつ》い頭《あたま》を枕へ着《つ》けた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にして涼《すゞ》しい心持に寐《ね》た。けれども其|穏《おだ》やかな眠《ねむり》のうちに、誰《だれ》かすうと来《き》て、又すうと出《で》て行《い》つた様な心持がした。眼《め》を醒《さ》まして起《お》き上《あ》がつても其感じがまだ残つてゐて、頭《あたま》から拭《ぬぐ》ひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、寐《ね》てゐる間《あひだ》に誰《だれ》か来《き》はしないかと聞《き》いたのである。  代助は両手を額《ひたひ》に当《あ》てゝ、高《たか》い空《そら》を面白さうに切《き》つて廻《まは》る燕《つばめ》の運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それが眼《め》ま苦《ぐる》しくなつたので、室《へや》の中《なか》に這入《はい》つた。けれども、三千代《みちよ》が又|訪《たづ》ねて来《く》ると云ふ目前の予期が、既《すで》に気分の平調を冒《おか》してゐるので、思索も読書も殆んど手に着《つ》かなかつた。代助は仕舞に本棚《ほんだな》の中《なか》から、大きな画帖を出《だ》して来《き》て、膝の上《うへ》に広《ひろ》げて、繰《く》り始《はじ》めた。けれども、それも、只《たゞ》指《ゆび》の先《さき》で順々に開《あ》けて行《い》く丈であつた。一つ画を半分《はんぶん》とは味《あぢ》はつてゐられなかつた。やがてブランギンの所《ところ》へ来《き》た。代助は平生から此装飾画家に多大の趣味を有つてゐた。彼《かれ》の眼《め》は常《つね》の如く輝《かゞやき》を帯びて、一度《ひとたび》は其|上《うへ》に落《お》ちた。それは何処《どこ》かの港《みなと》の図であつた。背景に船《ふね》と檣《ほばしら》と帆《ほ》を大きく描《か》いて、其|余《あま》つた所に、際立《きはだ》つて花やかな空《そら》の雲《くも》と、蒼黒《あをぐろ》い水《みづ》の色をあらはした前《まへ》に、裸体《らたい》の労働者が四五人ゐた。代助は是等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等の肩《かた》から脊《せ》へかけて、肉塊《にくくわい》と肉塊《にくくわい》が落ち合つて、其間に渦《うづ》の様な谷《たに》を作《つく》つてゐる模様を見て、其所《そこ》にしばらく肉の力《ちから》の快感を認めたが、やがて、画帖を開《あ》けた儘、眼《め》を放《はな》して耳《みゝ》を立《た》てた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空壜《あきびん》を鳴らして急ぎ足に出て行つた。宅《うち》のうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善く応《こた》へた。  代助はぼんやり壁《かべ》を見詰めてゐた。門野《かどの》をもう一返|呼《よ》んで、三千代が又くる時間を、云ひ置いて行つたか何《ど》うか尋ねやうと思つたが、あまり愚だから憚《はゞ》かつた。それ許《ばかり》ではない、人《ひと》の細君が訪《たづ》ねて来《く》るのを、それ程待ち受ける趣意がないと考へた。又それ程待ち受ける位なら、此方《こちら》から何時《いつ》でも行《い》つて話《はなし》をすべきであると考へた。此矛盾の両面を双対《そうたい》に見た時、代助は急に自己の没論理に恥ぢざるを得なかつた。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横はる色々《いろ/\》の因数《フアクター》を自分で善《よ》く承知してゐた。さうして、今《いま》の自分に取《と》つては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方《しかた》ないと思つた。且、此事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題《めいだい》を繋《つな》ぎ合《あ》はして出来|上《あが》つた、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思つた。さう思つて又椅子へ腰《こし》を卸した。  それから三千代の来《く》る迄、代助はどんな風に時《とき》を過《すご》したか、殆んど知らなかつた。表《おもて》に女の声がした時《とき》、彼は胸《むね》に一鼓動《いつこどう》を感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であつた。彼が近来|怒《おこ》れなくなつたのは、全《まつた》く頭《あたま》の御蔭《おかげ》で、腹《はら》を立《た》てる程自分を馬鹿にすることを、理智《りち》が許《ゆる》さなくなつたからである。が其他の点に於ては、尋常以上に情|緒《しよ》の支配を受けるべく余儀なくされてゐた。取次《とりつぎ》に出《で》た門野《かどの》が足音《あしおと》を立《た》てゝ、書斎の入口《いりぐち》にあらはれた時、血色《けつしよく》のいゝ代助の頬《ほゝ》は微《かす》かに光沢《つや》を失《うしな》つてゐた。門野《かどの》は、 「此方《こつち》にしますか」と甚だ簡単に代助の意向を確《たしか》めた。座敷《ざしき》へ案内するか、書斎で逢ふかと聞くのが面倒だから、斯《か》う詰《つ》めて仕舞つたのである。代助はうんと云つて、入口《いりぐち》に返事を待《ま》つてゐた門野《かどの》を追ひ払《はら》ふ様に、自分で立《た》つて行《い》つて、椽側へ首《くび》を出《だ》した。三千代は椽側と玄関《げんくわん》の継目《つぎめ》の所に、此方《こちら》を向《む》いてためらつて居《ゐ》た。        十の四  三千代の顔《かほ》は此前《このまへ》逢《あ》つた時《とき》よりは寧ろ蒼白《あをしろ》かつた。代助に眼《め》と顎《あご》で招《まね》かれて書斎の入口《いりぐち》へ近寄《ちかよ》つた時、代助は三千代の息《いき》を喘《はづ》ましてゐることに気が付いた。 「何《ど》うかしましたか」と聞《き》いた。  三千代は何《なに》にも答へずに室《へや》の中《なか》に這入《はいつ》て来《き》た。セルの単衣《ひとへ》の下《した》に襦袢を重《かさ》ねて、手《て》に大きな白い百合《ゆり》の花《はな》を三本|許《ばかり》提《さ》げてゐた。其百合《そのゆり》をいきなり洋卓《テーブル》の上《うへ》に投《な》げる様に置《お》いて、其|横《よこ》にある椅子《いす》へ腰《こし》を卸《おろ》した。さうして、結《ゆ》つた許《ばかり》の銀杏|返《がへし》を、構《かま》はず、椅子《いす》の脊《せ》に押《お》し付《つ》けて、 「あゝ苦《くる》しかつた」と云ひながら、代助の方を見て笑《わら》つた。代助は手を叩《たゝ》いて水《みづ》を取り寄《よ》せ様とした。三千代は黙《だま》つて洋卓《テーブル》の上《うへ》を指《さ》した。其所《そこ》には代助の食後《しよくご》の嗽《うがひ》をする硝子《がらす》の洋盃《コツプ》があつた。中《なか》に水《みづ》が二口許《ふたくちばかり》残つてゐた。 「奇麗なんでせう」と三千代が聞《き》いた。 「此奴《こいつ》は先刻《さつき》僕《ぼく》が飲んだんだから」と云つて、洋盃《コツプ》を取《と》り上《あ》げたが、※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇《ちうちよ》した。代助の坐《すは》つてゐる所から、水《みづ》を棄《す》てやうとすると、障子の外《そと》に硝子戸《がらすど》が一枚邪魔をしてゐる。門野《かどの》は毎朝椽側の硝子戸《がらすど》を一二枚宛|開《あ》けないで、元《もと》の通《とほ》りに放《ほう》つて置く癖《くせ》があつた。代助は席《せき》を立《た》つて、椽へ出《で》て、水《みづ》を庭《には》へ空《あ》けながら、門野《かどの》を呼《よ》んだ。今ゐた門《かど》野は何処《どこ》へ行つたか、容易に返事をしなかつた。代助は少《すこ》しまごついて、又|三千代《みちよ》の所《ところ》へ帰つて来《き》て、 「今《いま》すぐ持《も》つて来《き》て上《あ》げる」と云ひながら、折角|空《あ》けた洋盃《コツプ》を其儘|洋卓《テーブル》の上に置《お》いたなり、勝手の方へ出《で》て行つた。茶《ちや》の間《ま》を通ると、門野《かどの》は無細工な手をして錫《すゞ》の茶壺《ちやつぼ》から玉露を撮《つま》み出《だ》してゐた。代助の姿《すがた》を見て、 「先生、今|直《ぢき》です」と言訳《いひわけ》をした。 「茶は後《あと》でも好《い》い。水《みづ》が要《い》るんだ」と云つて、代助は自分で台所へ出《で》た。 「はあ、左様《さう》ですか。上《あ》がるんですか」と茶壺《ちやつぼ》を放り出《だ》して門野も付《つ》いて来《き》た。二人《ふたり》で洋盃《コツプ》を探《さが》したが一寸《ちよつと》見付《みつ》からなかつた。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買ひに行つたといふ答であつた。 「菓子がなければ、早く買つて置《お》けば可《い》いのに」と代助は水道の栓《せん》を捩《ねぢ》つて湯呑に水を溢《あふ》らせながら云つた。 「つい、小母《をば》さんに、御客さんの呉《く》る事を云つて置かなかつたものですからな」と門野《かどの》は気の毒さうに頭《あたま》を掻《か》いた。 「ぢや、君が菓子を買《かひ》に行《い》けば可《い》いのに」と代助は勝手《かつて》を出《で》ながら、門野《かどの》に当《あた》つた。門野《かどの》はそれでも、まだ、返事をした。 「なに菓子の外《ほか》にも、まだ色々《いろ/\》買《かひ》物があるつて云ふもんですからな。足《あし》は悪《わる》し天気は好《よ》くないし、廃《よ》せば好《い》いんですのに」  代助は振《ふ》り向きもせず、書斎へ戻《もど》つた。敷居《しきゐ》を跨いで、中《なか》へ這入るや否や三千代の顔《かほ》を見ると、三千代は先刻《さつき》代|助《すけ》の置《お》いて行《い》つた洋盃《コツプ》を膝の上《うへ》に両手で持つてゐた。其|洋盃《コツプ》の中《なか》には、代助が庭《には》へ空《あ》けたと同じ位に水《みづ》が這入《はい》つてゐた。代助は湯呑を持《も》つた儘《まゝ》、茫然として、三千代の前《まへ》に立《た》つた。 「何《ど》うしたんです」と聞《き》いた。三千代は例《いつも》の通り落ち付いた調子で、 「難有《ありがた》う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と答へて、リリー、オフ、ゼ、※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]レーの漬《つ》けてある鉢《はち》を顧《かへり》みた。代助は此|大鉢《おほはち》の中《なか》に水を八分目《はちぶんめ》程|張《は》つて置いた。妻《つま》楊枝位な細《ほそ》い茎《くき》の薄青《うすあを》い色《いろ》が、水《みづ》の中《なか》に揃《そろ》つてゐる間《あひだ》から、陶器《やきもの》の模様が仄《ほの》かに浮《う》いて見えた。 「何故《なぜ》あんなものを飲んだんですか」と代助は呆《あき》れて聞《き》いた。 「だつて毒《どく》ぢやないでせう」と三千代は手に持《も》つた洋盃《コツプ》を代助の前へ出《だ》して、透《す》かして見《み》せた。 「毒《どく》でないつたつて、もし二日《ふつか》も三日《みつか》も経《た》つた水《みづ》だつたら何《ど》うするんです」 「いえ、先刻《さつき》来《き》た時、あの傍《そば》迄|顔《かほ》を持《も》つて行つて嗅《か》いで見たの。其時、たつた今|其鉢《そのはち》へ水《みづ》を入れて、桶《おけ》から移《うつ》した許《ばかり》だつて、あの方《かた》が云つたんですもの。大丈夫だわ。好《い》い香《にほひ》ね」  代助は黙《だま》つて椅子へ腰《こし》を卸した。果して詩《し》の為《ため》に鉢《はち》の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促《うな》がされて飲んだのか、追窮する勇気も出《で》なかつた。よし前者《ぜんしや》とした所で、詩を衒《てら》つて、小説の真似なぞをした受売《うけうり》の所作とは認められなかつたからである。そこで、たゞ、 「気分はもう好《よ》くなりましたか」と聞《き》いた。        十の五  三千代の頬《ほゝ》に漸やく色が出《で》て来《き》た。袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を取り出《だ》して、口《くち》の辺《あたり》を拭《ふ》きながら話《はなし》を始《はじ》めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗《の》つて本郷迄|買物《かひもの》に出《で》るんだが、人《ひと》に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂《かぐらざか》に比《くら》べて、何《ど》うしても一割か二割|物《もの》が高《たか》いと云ふので、此間《このあひだ》から一二度|此方《こつち》の方へ出《で》て来《き》て見た。此前《このまへ》も寄《よ》る筈《はづ》であつたが、つい遅《おそ》くなつたので急《いそ》いで帰《かへ》つた。今日《けふ》は其|積《つもり》で早《はや》く宅《うち》を出《で》た。が、御息《おやす》み中《ちう》だつたので、又|通《とほ》り迄行つて買物《かひもの》を済《す》まして帰《かへ》り掛《が》けに寄《よ》る事にした。所《ところ》が天気模様が悪《わる》くなつて、藁店《わらだな》を上《あ》がり掛《か》けるとぽつ/\降《ふ》り出《だ》した。傘《かさ》を持《も》つて来《こ》なかつたので、濡《ぬ》れまいと思つて、つい急《いそ》ぎ過《す》ぎたものだから、すぐ身体《からだ》に障《さわ》つて、息《いき》が苦《くる》しくなつて困つた。―― 「けれども、慣《な》れつこに為《なつ》てるんだから、驚《おど》ろきやしません」と云つて、代助を見て淋《さみ》しい笑《わら》ひ方《かた》をした。 「心臓の方《ほう》は、まだ悉皆《すつかり》善《よ》くないんですか」と代助は気の毒さうな顔《かほ》で尋ねた。 「悉皆《すつかり》善《よ》くなるなんて、生涯駄目ですわ」  意味の絶望な程、三千代の言葉は沈《しづ》んでゐなかつた。繊《ほそ》い指《ゆび》を反《そら》して穿《は》めてゐる指環《ゆびわ》を見た。それから、手帛《ハンケチ》を丸めて、又|袂《たもと》へ入れた。代助は眼《め》を俯《ふ》せた女の額《ひたひ》の、髪《かみ》に連《つら》なる所を眺めてゐた。  すると、三千代は急に思ひ出《だ》した様に、此間《このあひだ》の小切手《こぎつて》の礼を述《の》べ出《だ》した。其時《そのとき》何だか少し頬《ほゝ》を赤くした様に思はれた。視感の鋭敏な代助にはそれが善《よ》く分《わか》つた。彼はそれを、貸借《たいしやく》に関係した羞恥《しうち》の血潮《ちしほ》とのみ解釈《かいしやく》した。そこで話《はなし》をすぐ他所《よそ》へ外《そら》した。  先刻《さつき》三千代が提《さ》げて這入《はいつ》て来《き》た百合《ゆり》の花が、依然として洋卓《テーブル》の上《うへ》に載《の》つてゐる。甘《あま》たるい強《つよ》い香《か》が二人《ふたり》の間《あひだ》に立ちつゝあつた。代助は此|重苦《おもくる》しい刺激を鼻の先《さき》に置くに堪へなかつた。けれども無断《むだん》で、取り除《の》ける程、三千代に対《たい》して思ひ切つた振舞が出来《でき》なかつた。 「此花《このはな》は何《ど》うしたんです。買《かつ》て来《き》たんですか」と聞《き》いた。三千代は黙《だま》つて首肯《うなづ》いた。さうして、 「好《い》い香《にほひ》でせう」と云つて、自分の鼻《はな》を、瓣《はなびら》の傍《そば》迄|持《も》つて来《き》て、ふんと嗅《か》いで見せた。代助は思はず足《あし》を真直《まつすぐ》に踏《ふ》ん張《ば》つて、身《み》を後《うしろ》の方へ反《そ》らした。 「さう傍《そば》で嗅《か》いぢや不可《いけ》ない」 「あら何故《なぜ》」 「何故《なぜ》つて理由もないんだが、不可《いけ》ない」  代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。 「貴方《あなた》、此花《このはな》、御嫌《おきらひ》なの?」  代助は椅子の足《あし》を斜《なゝめ》に立てゝ、身体《からだ》を後《うしろ》へ伸《のば》した儘、答へをせずに、微笑して見せた。 「ぢや、買《か》つて来《こ》なくつても好《よ》かつたのに。詰《つま》らないわ、回《まは》り路《みち》をして。御|負《まけ》に雨《あめ》に降《ふ》られ損《そく》なつて、息《いき》を切《き》らして」  雨《あめ》は本当に降《ふ》つて来た。雨滴《あまだれ》が樋に集《あつ》まつて、流れる音《おと》がざあと聞《きこ》えた。代助は椅子から立ち上《あ》がつた。眼《め》の前《まへ》にある百合の束《たば》を取り上《あ》げて、根元《ねもと》を括《くゝ》つた濡藁《ぬれわら》を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》り切《き》つた。 「僕に呉れたのか。そんなら早く活《い》けやう」と云ひながら、すぐ先刻《さつき》の大鉢《おほはち》の中《なか》に投《な》げ込《こ》んだ。茎《くき》が長《なが》すぎるので、根《ね》が水《みづ》を跳《は》ねて、飛《と》び出《だ》しさうになる。代助は滴《したゝ》る茎《くき》を又《また》鉢《はち》から抜《ぬ》いた。さうして洋卓《テーブル》の引出《ひきだし》から西洋|鋏《はさみ》を出《だ》して、ぷつり/\と半分《はんぶん》程の長さに剪《き》り詰《つ》めた。さうして、大きな花《はな》を、リリー、オフ、ゼ、※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]レーの簇《むら》がる上《うへ》に浮《う》かした。 「さあ是《これ》で好《い》い」と代助は鋏《はさみ》を洋卓《テーブル》の上《うへ》に置いた。三千代は此不思議に無作法に活《い》けられた百合を、しばらく見てゐたが、突然《とつぜん》、 「あなた、何時《いつ》から此花が御|嫌《きらひ》になつたの」と妙な質問をかけた。  昔し三千代の兄《あに》がまだ生《い》きてゐる時分、ある日|何《なに》かのはづみに、長い百合《ゆり》を買《か》つて、代助が谷中《やなか》の家《いへ》を訪《たづ》ねた事があつた。其時《そのとき》彼は三千代に危《あや》しげな花瓶《はないけ》の掃除をさして、自分で、大事さうに買つて来《き》た花《はな》を活《い》けて、三千代にも、三千代の兄《あに》にも、床《とこ》へ向直《むきなほ》つて眺《なが》めさした事があつた。三千代はそれを覚えてゐたのである。 「貴方《あなた》だつて、鼻《はな》を着《つ》けて嗅《か》いで入らしつたぢやありませんか」と云つた。代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した。        十の六  そのうち雨《あめ》は益《ます/\》深《ふか》くなつた。家《いへ》を包《つゝ》んで遠い音《おと》が聴《きこ》えた。門野《かどの》が出《で》て来《き》て、少《すこ》し寒《さむ》い様ですな、硝子戸《がらすど》を閉《し》めませうかと聞《き》いた。硝子戸《がらすど》を引《ひ》く間《あひだ》、二人《ふたり》は顔《かほ》を揃《そろ》えて庭《には》の方を見《み》てゐた。青《あを》い木《き》の葉《は》が悉《ことごと》く濡《ぬ》れて、静《しづ》かな湿《しめ》り気《け》が、硝子越《がらすごし》に代助の頭《あたま》に吹《ふ》き込《こ》んで来《き》た。世《よ》の中《なか》の浮《う》いてゐるものは残らず大地《だいち》の上《うへ》に落ち付《つ》いた様に見えた。代助は久《ひさ》し振《ぶ》りで吾《われ》に返《かへ》つた心持がした。 「好《い》い雨《あめ》ですね」と云つた。 「些《ちつ》とも好《よ》かないわ、私《わたし》、草履《ざうり》を穿《は》いて来《き》たんですもの」  三千代は寧ろ恨《うら》めしさうに樋から洩《も》る雨点《あまだれ》を眺《なが》めた。 「帰《かへ》りには車《くるま》を云ひ付《つ》けて上《あ》げるから可《い》いでせう。緩《ゆつく》りなさい」  三千代はあまり緩《ゆつく》り出来《でき》さうな様子も見えなかつた。まともに、代助の方を見て、 「貴方《あなた》も相変らず呑気《のんき》な事を仰《おつ》しやるのね」と窘《たしな》めた。けれども其|眼元《めもと》には笑《わらひ》の影《かげ》が泛《うか》んでゐた。  今迄三千代の陰《かげ》に隠《かく》れてぼんやりしてゐた平岡の顔《かほ》が、此時|明《あき》らかに代助の心《こゝろ》の瞳《ひとみ》に映《うつ》つた。代助は急に薄暗《うすくら》がりから物《もの》に襲はれた様な気がした。三千代は矢張り、離《はな》れ難《がた》い黒い影《かげ》を引き摺《ず》つて歩《ある》いてゐる女であつた。 「平岡君は何《ど》うしました」とわざと何気《なにげ》なく聞《き》いた。すると三千代の口元《くちもと》が心持《こゝろもち》締《しま》つて見えた。 「相変らずですわ」 「まだ何《なん》にも見付《めつか》らないんですか」 「その方はまあ安心なの。来月《らいげつ》から新聞の方が大抵出来るらしいんです」 「そりや好《よ》かつた。些《ちつ》とも知らなかつた。そんなら当分夫で好《い》いぢやありませんか」 「えゝ、まあ難有いわ」と三千代は低い声で真面目《まじめ》に云つた。代助は、其時三千代を大変|可愛《かあい》く感じた。引き続《つゞ》いて、 「彼方《あつち》の方《ほう》は差し当《あた》り責《せ》められる様な事もないんですか」と聞《き》いた。 「彼方《あつち》の方《ほう》つて――」と少《すこ》し逡巡《ためら》つてゐた三千代は、急《きう》に顔《かほ》を赧《あか》らめた。 「私《わたし》、実は今日《けふ》夫《それ》で御詫《おわび》に上《あが》つたのよ」と云ひながら、一度|俯向《うつむ》いた顔を又|上《あ》げた。  代助は少しでも気不味《きまづ》い様子を見せて、此上にも、女の優《やさ》しい血潮を動《うご》かすに堪えなかつた。同時に、わざと向《むか》ふの意を迎へる様な言葉を掛《か》けて、相手を殊更に気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の云ふ所を聴いた。  先達《せんだつ》ての二百円は、代助から受取《うけと》るとすぐ借銭《しやくせん》の方へ回《まは》す筈《はず》であつたが、新《あた》らしく家《うち》を持《も》つた為《ため》、色々《いろ/\》入費が掛《かゝ》つたので、つい其方の用を、あのうちで幾分か弁《べん》じたのが始《はじま》りであつた。あとはと思つてゐると、今度《こんど》は毎日の活計《くらし》に追《お》はれ出《だ》した。自分ながら好《い》い心持《こゝろもち》はしなかつたけれども、仕方《しかた》なしに困《こま》るとは使《つか》ひ、困《こま》るとは使《つかひ》して、とう/\荒増《あらまし》亡《な》くして仕舞つた。尤もさうでもしなければ、夫婦は今日《こんにち》迄|斯《か》うして暮《く》らしては行《い》けなかつたのである。今から考へて見ると、一層《いつそ》の事|無《な》ければ無《な》いなりに、何《ど》うか斯《か》うか工面《くめん》も付《つ》いたかも知れないが、なまじい、手元《てもと》に有《あ》つたものだから、苦《くる》し紛《まぎ》れに、急場《きうば》の間《ま》に合《あ》はして仕舞つたので、肝心の証書を入れた借銭《しやくせん》の方は、いまだに其儘にしてある。是は寧《むし》ろ平岡の悪《わる》いのではない。全く自分の過《あやまち》である。 「私《わたし》、本当《ほんとう》に済《す》まない事をしたと思つて、後悔してゐるのよ。けれども拝借するときは、決して貴方《あなた》を瞞《だま》して嘘《うそ》を吐《つ》く積《つもり》ぢやなかつたんだから、堪忍《かんにん》して頂戴」と三千代は甚だ苦《くる》しさうに言訳《いひわけ》をした。 「何《ど》うせ貴方《あなた》に上《あ》げたんだから、何《ど》う使《つか》つたつて、誰《だれ》も何とも云ふ訳はないでせう。役《やく》にさへ立《た》てば夫《それ》で好《い》いぢやありませんか」と代助は慰《なぐさ》めた。さうして貴方《あなた》といふ字をことさらに重《おも》く且つ緩《ゆる》く響《ひゞ》かせた。三千代はたゞ、 「私《わたし》、夫《それ》で漸く安心したわ」と云つた丈であつた。  雨が頻《しきり》なので、帰《かへ》るときには約束通り車《くるま》を雇つた。寒《さむ》いので、セルの上《うへ》へ男の羽織を着《き》せやうとしたら、三千代は笑つて着《き》なかつた。        十一の一  何時《いつ》の間《ま》にか、人《ひと》が絽《ろ》の羽織を着《き》て歩《ある》く様になつた。二三日、宅《うち》で調物《しらべもの》をして庭先《にはさき》より外《ほか》に眺《なが》めなかつた代助は、冬帽を被《かぶ》つて表《おもて》へ出て見《み》て、急に暑さを感じた。自分もセルを脱《ぬ》がなければならないと思つて、五六町|歩《ある》くうちに、袷《あはせ》を着《き》た人《ひと》に二人《ふたり》出逢《であ》つた。左様《さう》かと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃《コツプ》を手《て》にして、冷《つめ》たさうなものを飲んでゐた。代助は其時誠太郎を思ひ出《だ》した。  近頃代助は元《もと》よりも誠太郎が好《す》きになつた。外《ほか》の人間《にんげん》と話《はな》してゐると、人間《にんげん》の皮《かは》と話《はな》す様で歯痒《はがゆ》くつてならなかつた。けれども、顧《かへり》みて自分を見ると、自分は人間中《にんげんちう》で、尤も相手を歯痒《はがゆ》がらせる様に拵《こしら》えられてゐた。是も長年《ながねん》生存競争の因果《いんぐわ》に曝《さら》された罰《ばち》かと思ふと余り難有い心持はしなかつた。  此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間《このあひだ》浅草の奥山《おくやま》へ一所に連《つ》れて行《い》つた結果である。あの一図な所はよく、嫂《あによめ》の気性を受け継《つ》いでゐる。然し兄《あに》の子丈あつて、一図なうちに、何処《どこ》か逼《せま》らない鷹揚《おほよう》な気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂《たましひ》が遠慮なく此方《こつち》へ流《なが》れ込《こ》んで来《く》るから愉快である。実際代助は、昼夜《ちうや》の区別なく、武装を解《と》いた事《こと》のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。  誠太郎は此春《このはる》から中学校へ行き出《だ》した。すると急に脊丈《せたけ》が延《の》びて来《く》る様に思はれた。もう一二年すると声が変《かは》る。それから先《さき》何《ど》んな径路《けいろ》を取つて、生長するか分《わか》らないが、到底|人間《にんげん》として、生存する為《ため》には、人間《にんげん》から嫌《きら》はれると云ふ運命に到着するに違《ちがひ》ない。其時《そのとき》、彼《かれ》は穏《おだ》やかに人の目に着《つ》かない服装《なり》をして、乞食《こじき》の如く、何物をか求めつゝ、人《ひと》の市《いち》をうろついて歩《ある》くだらう。  代助は堀|端《ばた》へ出《で》た。此間《このあひだ》迄|向《むかふ》の土手にむら躑躅《つゝぢ》が、団団《だんだん》と紅|白《はく》の模様を青い中《なか》に印してゐたのが、丸で跡形《あとかた》もなくなつて、のべつに草が生《お》い茂つてゐる高い傾斜の上《うへ》に、大きな松《まつ》が何十本となく並んで、何処《どこ》迄もつゞいてゐる。空《そら》は奇麗に晴《は》れた。代助は電車《でんしや》に乗《の》つて、宅《うち》へ行つて、嫂《あによめ》に調戯《からか》つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に厭《いや》になつて、此松《このまつ》を見《み》ながら、草臥《くたびれ》る所迄|堀端《ほりばた》を伝《つた》つて行く気になつた。  新見付《しんみつけ》へ来《く》ると、向《むかふ》から来《き》たり、此方《こつち》から行《い》つたりする電車が苦《く》になり出《だ》したので、堀《ほり》を横切《よこぎ》つて、招魂社の横《よこ》から番町へ出《で》た。そこをぐる/\回《まは》つて歩《ある》いてゐるうちに、かく目的なしに歩《ある》いてゐる事《こと》が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩《ある》くものは賤民だと、彼《かれ》は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限《かぎ》つて、其賤民の方が偉《えら》い様な気がした。全《まつ》たく、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰《かへ》りだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音《そのおと》が甚しく金属《きんぞく》性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭《あたま》に応《こた》へた。  家《いへ》の門《もん》を這入《はい》ると、今度は門野《かどの》が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。夫《それ》でも代助の足音《あしおと》を聞《き》いて、ぴたりと已《や》めた。 「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出《で》て来《き》た。代助は何にも答へずに、帽子を其所《そこ》へ掛《か》けた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子を締《し》め切つた。つゞいて湯呑《ゆのみ》に茶を注《つ》いで持つて来《き》た門野が、 「締《し》めときますか。暑《あつ》かありませんか」と聞《き》いた。代助は袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して額《ひたひ》を拭いてゐたが、矢っ張り、 「締《し》めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締《し》めて出《で》て行つた。代助は暗《くら》くした室《へや》のなかに、十分許《じつぷんばかり》ぽかんとしてゐた。  彼は人《ひと》の羨《うら》やむ程|光沢《つや》の好《い》い皮膚《ひふ》と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を有《も》つた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を享《う》けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐《いきがひ》があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人《たにん》の倍以上に価値を有《も》つてゐた。彼の頭《あたま》は、彼の肉体と同じく確《たしか》であつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々《とき/″\》、頭《あたま》の中心《ちうしん》が、大弓《だいきう》の的《まと》の様に、二重《にぢう》もしくは三重《さんぢう》にかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日《けふ》は朝《あさ》から左様《そん》な心持がした。        十一の二  代助が黙然《もくねん》として、自己《じこ》は何の為《ため》に此世《このよ》の中《なか》に生《うま》れて来《き》たかを考へるのは斯《か》う云ふ時であつた。彼は今迄何遍も此大問題を捕《とら》へて、彼《かれ》の眼前《がんぜん》に据ゑ付けて見た。其|動機《どうき》は、単《たん》に哲学上の好奇心から来《き》た事《こと》もあるし、又|世間《せけん》の現象が、余《あま》りに複雑《ふくざつ》な色彩《しきさい》を以て、彼《かれ》の頭《あたま》を染め付《つ》けやうと焦《あせ》るから来《く》る事もあるし、又最後には今日《こんにち》の如くアンニユイの結果として来《く》る事もあるが、其|都度《つど》彼は同じ結論に到着した。然し其結論は、此問題の解決ではなくつて、寧ろ其否定と異ならなかつた。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかつた。之《これ》と反対に、生《うま》れた人間《にんげん》に、始めてある目的が出来《でき》て来《く》るのであつた。最初から客観的にある目的を拵《こし》らえて、それを人間《にんげん》に附着するのは、其|人間《にんげん》の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間《にんげん》の目的は、生れた本人が、本人自身に作つたものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。  此根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩《ある》きたいから歩《ある》く。すると歩《ある》くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩《ある》いたり、考《かんが》へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。従つて自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自《みづか》ら自己存在の目的を破壊したも同然である。  だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望《ぐわんもう》、嗜欲《きよく》が起るたび毎《ごと》に、是等の願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》を遂行するのを自己の目的として存在してゐた。二個の相容れざる願望《ぐわんもう》嗜欲《きよく》が胸に闘ふ場合も同じ事であつた。たゞ矛盾から出《で》る一目的の消耗と解釈してゐた。これを煎《せん》じ詰《つ》めると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐたのである。さうして、他を偽《いつは》らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得てゐた。  此主義を出来る丈遂行する彼《かれ》は、其遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲はれて、自分は今何の為《ため》に、こんな事をしてゐるのかと考へ出《だ》す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故《なぜ》散歩しつゝあるかと疑つたのは正に是《これ》である。  其時|彼《かれ》は自分ながら、自分の活力の充実してゐない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自《みづか》ら其行動の意義を中途で疑ふ様になる。彼はこれをアンニユイと名《なづ》けてゐた。アンニユイに罹《かゝ》ると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じてゐた。彼の行為の中途に於て、何《なに》の為《ため》と云ふ、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニユイに外《ほか》ならなかつたからである。  彼《かれ》は立《た》て切《き》つた室《へや》の中《なか》で、一二度|頭《あたま》を抑えて振《ふ》り動《うご》かして見た。彼は昔《むかし》から今日《こんにち》迄の思索家の、屡《しばしば》繰《く》り返《かへ》した無意義な疑義を、又|脳裏《のうり》に拈定《ねんてい》するに堪えなかつた。その姿《すがた》のちらりと眼前《がんぜん》に起《おこ》つた時、またかと云ふ具合に、すぐ切《き》り棄てゝ仕舞つた。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従つて行為其物を目的として、円満に遂行する興味も有《も》たなかつた。彼はたゞ一人《ひとり》荒野《こうや》の中《うち》に立《た》つた。茫然としてゐた。  彼は高尚な生活欲の満足を冀ふ男であつた。又ある意味に於て道義欲の満足を買はうとする男であつた。さうして、ある点へ来《く》ると、此二つのものが火花《ひばな》を散《ち》らして切り結《むす》ぶ関門《くわんもん》があると予想してゐた。それで生活欲を低い程度に留《と》めて我慢してゐた。彼の室《へや》は普通の日本間《にほんま》であつた。是《これ》と云ふ程の大した装飾もなかつた。彼に云はせると、額《がく》さへ気の利《き》いたものは掛けてなかつた。色彩《しきさい》として眼《め》を惹《ひ》く程に美《うつく》しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云ふ位であつた。彼《かれ》は今此書物の中《なか》に、茫然として坐《すは》つた。良《やゝ》あつて、これほど寐入《ねい》つた自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物を何《ど》うかしなければならぬと、思ひながら、室《へや》の中《なか》をぐる/\見廻《みまは》した。それから、又ぽかんとして壁《かべ》を眺《なが》めた。が、最後《さいご》に、自分を此薄弱な生活から救ひ得る方法は、たゞ一つあると考へた。さうして口《くち》の内《うち》で云つた。 「矢つ張り、三千代さんに逢《あ》はなくちや不可《いか》ん」        十一の三  彼は足の進まない方角へ散歩に出《で》たのを悔いた。もう一遍|出直《でなほ》して、平岡の許《もと》迄|行《い》かうかと思つてゐる所へ、森川町から寺尾が来《き》た。新らしい麦藁《むぎわら》帽を被《かぶ》つて、閑静な薄い羽織を着て、暑《あつ》い/\と云つて赤い顔《かほ》を拭《ふ》いた。 「何《なん》だつて、今時分《いまじぶん》来《き》たんだ」と代助は愛想《あいそ》もなく云ひ放つた。彼と寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際してゐたのである。 「今|時分《じぶん》が丁度訪問に好《い》い刻限だらう。君《きみ》、又|昼寐《ひるね》をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可《いか》ん。君は一体何の為《ため》に生《うま》れて来《き》たのだつたかね」と云つて、寺尾は麦藁《むぎわら》帽で、しきりに胸のあたりへ風《かぜ》を送《おく》つた。時候はまだ夫程暑くないのだから、此所作は頗る愛嬌を添へた。 「何の為《ため》に生《うま》れて来《き》やうと、余計な御世話だ。夫《それ》より君こそ何しに来《き》たんだ。又「此所《こゝ》十日許《とほかばかり》の間《あひだ》」ぢやないか、金《かね》の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先《さき》へ断《ことわ》つた。 「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答へた。けれども別段感情を害した様子も見えなかつた。実を云ふと、此位な言葉は寺尾に取つて、少しも無礼とは思へなかつたのである。代助は黙《だま》つて、寺尾の顔《かほ》を見てゐた。それは、空《むな》しい壁《かべ》を見てゐるより以上の何等の感動をも、代助に与へなかつた。  寺尾は懐《ふところ》から汚《きた》ない仮綴《かりとぢ》の書物を出《だ》した。 「是を訳《やく》さなけりやならないんだ」と云つた。代助は依然として黙《だま》つてゐた。 「食《く》ふに困《こま》らないと思つて、さう無精《ぶせう》な顔《かほ》をしなくつて好《よ》からう。もう少し判然《はんぜん》として呉《く》れ。此方《こつち》は生死《せいし》の戦《たゝかひ》だ」と云つて、寺尾は小形《こがた》の本をとん/\と椅子《いす》の角《かど》で二返|敲《たゝ》いた。 「何時《いつ》迄に」  寺尾は、書物の頁《ページ》をさら/\と繰《く》つて見せたが、断然たる調子で、 「二週間」と答へた後《あと》で、「何《ど》うでも斯《か》うでも、夫迄に片付《かたづけ》なけりや、食《く》へないんだから仕方がない」と説明した。 「偉《えら》い勢《いきほひ》だね」と代助は冷《ひや》かした。 「だから、本郷からわざ/\遣《や》つて来《き》たんだ。なに、金《かね》は借《か》りなくても好《い》い。――貸《か》せば猶|好《い》いが――夫《それ》より少し分《わか》らない所があるから、相談しやうと思《おも》つて」 「面倒だな。僕は今日《けふ》は頭《あたま》が悪《わる》くつて、そんな事は遣《や》つてゐられないよ。好《い》い加減に訳して置けば構《かま》はないぢやないか。どうせ原稿料は頁《ページ》で呉れるんだらう」 「なんぼ、僕《ぼく》だつて、さう無責任な翻訳は出来《でき》ないだらうぢやないか。誤訳でも指摘されると後《あと》から面倒だあね」 「仕様がないな」と云つて、代助は矢っ張り横着な態度を維持してゐた。すると、寺尾は、 「おい」と云つた。「冗談ぢやない、君の様に、のらくら遊んでる人《ひと》は、たまには其位な事でも、しなくつちや退屈で仕方がないだらう。なに、僕だつて、本《ほん》の善《よ》く読める人《ひと》の所へ行《い》く気なら、わざ/\君の所迄|来《き》やしない。けれども、左《そ》んな人《ひと》は君《きみ》と違《ちが》つて、みんな忙《いそが》しいんだからな」と少《すこ》しも辟易した様子を見せなかつた。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方《どつち》かだと覚悟を極《き》めた。彼の性質として、斯《か》う云ふ相手を軽蔑する事は出来るが、怒《おこ》り付《つ》ける気は出《だ》せなかつた。 「ぢや成るべく少《すこ》しに仕様ぢやないか」と断《ことわ》つて置いて、符号《マーク》の附《つ》けてある所丈を見た。代助は其書物の梗概さへ聞く勇気がなかつた。相談を受けた部分にも曖昧《あいまい》な所は沢山あつた。寺尾は、やがて、 「やあ、難有う」と云つて本を伏せた。 「分《わか》らない所は何《どう》する」と代助が聞《き》いた。 「なに何《どう》かする。――誰《だれ》に聞《き》いたつて、さう善く分《わか》りやしまい。第一|時間《じかん》がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如く天《てん》から極めてゐた。  相談が済《す》むと、寺尾は例によつて、文学談を持ち出《だ》した。不思議な事に、さうなると、自己の翻訳とは違《ちが》つて、いつもの通り非常に熱心になつた。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだらうと考へて、寺尾の矛盾を可笑《おか》しく思つた。けれども面倒だから、口《くち》へは出《だ》さなかつた。  寺尾の御蔭で、代助は其日とう/\平岡へ行きはぐれて仕舞つた。        十一の四  晩食《ばんめし》の時《とき》、丸善から小包《こづゝみ》が届《とゞ》いた。箸《はし》を措《お》いて開《あ》けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。代助はそれを腋《わき》の下《した》に抱《かゝ》へ込《こ》んで、書斎へ帰つた。一冊づゝ順々に取り上《あ》げて、暗《くら》いながら二三|頁《ページ》、捲《はぐ》る様に眼《め》を通《とほ》したが何処《どこ》も彼の注意を惹《ひ》く様な所はなかつた。最後の一冊に至つては、其名前さへ既に忘れてゐた。何《いづ》れ其中《そのうち》読む事にしやうと云ふ考で、一所に纏《まと》めた儘、立つて、本棚の上《うへ》に重《かさ》ねて置いた。椽側から外《そと》を窺《うかゞ》うと、奇麗な空《そら》が、高い色《いろ》を失《うしな》ひかけて、隣《となり》の梧桐《ごとう》の一際《ひときは》濃《こ》く見える上《うへ》に、薄《うす》い月《つき》が出《で》てゐた。  そこへ門野《かどの》が大きな洋燈《ランプ》を持つて這入《はい》つて来《き》た。それには絹縮《きぬちゞみ》の様《やう》に、竪《たて》に溝《みぞ》の入《い》つた青い笠《かさ》が掛《か》けてあつた。門野《かどの》はそれを洋卓《テーブル》の上《うへ》に置《お》いて、又椽側へ出《で》たが、出掛《でがけ》に、 「もう、そろ/\蛍《ほたる》が出《で》る時分ですな」と云つた。代助は可笑《をかし》な顔《かほ》をして、 「まだ出《で》やしまい」と答へた。すると門野《かどの》は例の如く、 「左様《さう》でしやうか」と云ふ返事をしたが、すぐ真面目《まじめ》な調子で、「蛍《ほたる》てえものは、昔《むかし》は大分《だいぶ》流行《はやつ》たもんだが、近来は余《あま》り文士|方《がた》が騒《さわ》がない様になりましたな。何《ど》う云ふもんでせう。蛍《ほたる》だの烏《からす》だのつて、此頃《このごろ》ぢやついぞ見た事がない位なもんだ」と云つた。 「左様《さう》さ。何《ど》う云ふ訳《わけ》だらう」と代助も空《そら》つとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野《かどの》は、 「矢っ張り、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでせう」と云ひ終つて、自《みづ》から、えへゝゝと、洒落《しやれ》の結末をつけて、書生部屋へ帰つて行つた。代助もつゞいて玄関迄|出《で》た。門野は振返《ふりかへつ》た。 「また御|出掛《でかけ》ですか。よござんす。洋燈《ランプ》は私《わたくし》が気を付《つ》けますから。――小母《をば》さんが先刻《さつき》から腹《はら》が痛《いた》いつて寐《ね》たんですが、何《なに》大《たい》した事はないでせう。御緩《ごゆつく》り」  代助は門《もん》を出《で》た。江戸川迄|来《く》ると、河《かは》の水《みづ》がもう暗《くら》くなつてゐた。彼は固より平岡を訪《たづ》ねる気であつた。から何時《いつ》もの様に川辺《かはべり》を伝《つた》はないで、すぐ橋《はし》を渡《わた》つて、金剛寺坂《こんごうじざか》を上《あが》つた。  実を云ふと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢つてゐた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取つた時であつた。それには、第一に着京以来御世話になつて難有いと云ふ礼が述べてあつた。それから、――其後《そのご》色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣《や》つて見たい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜《よろ》しくあるまいと思つて、一応御相談をすると云ふ意味が後《あと》に書いてあつた。代助は、其当時《そのとうじ》平岡から、兄《あに》の会社に周旋してくれと依頼されたのを、其儘にして、断わりもせず今日《こんにち》迄|放《ほう》つて置いた。ので、其返事を促《うな》がされたのだと受取つた。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡|過《すぎ》ると云ふ考もあつたので、翌日《よくじつ》出《で》向いて行《い》つて、色々|兄《あに》の方の事情を話して当分、此方《こつち》は断念して呉れる様に頼んだ。平岡は其時《そのとき》、僕も大方《おほかた》左様《さう》だらうと思つてゐたと云つて、妙な眼《め》をして三千代の方を見《み》た。  いま一遍は、愈新聞の方が極《き》まつたから、一晩《ひとばん》緩《ゆつく》り君《きみ》と飲《の》みたい。何日《いくか》に来《き》て呉れといふ平岡の端書《はがき》が着《つ》いた時、折悪く差支が出来たからと云つて散歩の序に断わりに寄《よ》つたのである。其時平岡は座敷の真中《まんなか》に引繰《ひつく》り返《かへ》つて寐《ね》てゐた。昨夕《ゆふべ》どこかの会《くわい》へ出《で》て、飲み過《す》ごした結果《けつくわ》だと云つて、赤い眼《め》をしきりに摩《こす》つた。代助を見て、突然《とつぜん》、人間《にんげん》は何《ど》うしても君の様に独身でなけりや仕事は出来ない。僕も一人《ひとり》なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次《つぎ》の間《ま》で、こつそり仕事《しごと》をしてゐた。  三遍目《さんべんめ》には、平岡の社へ出た留守を訪《たづ》ねた。其時は用事も何もなかつた。約三十分許り椽へ腰《こし》を掛《か》けて話《はな》した。  夫《それ》から以後は可成小石川の方面へ立ち回《まは》らない事にして今夜《こんや》に至たのである。代助は竹早町へ上《あが》つて、それを向ふへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云ふ軒燈のすぐ前へ来《き》た。格子の外《そと》から声を掛《かけ》ると、洋燈《ランプ》を持つて下女が出《で》た。が平岡は夫婦とも留守であつた。代助は出先《でさき》も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗つて、本郷迄|来《き》て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入つて、麦酒《ビール》をぐい/\飲んだ。        十一の五  翌日《よくじつ》眼《め》が覚《さ》めると、依然として脳《のう》の中心から、半径《はんけい》の違《ちが》つた円《えん》が、頭《あたま》を二重《にぢう》に仕切つてゐる様な心持がした。斯《か》う云ふ時に代助は、頭《あたま》の内側《うちがは》と外側《そとがは》が、質《しつ》の異《こと》なつた切り組《く》み細工で出来上《できあが》つてゐるとしか感じ得られない癖《くせ》になつてゐた。夫《それ》で能《よ》く自分《じぶん》で自分《じぶん》の頭《あたま》を振《ふ》つてみて、二つのものを混《ま》ぜやうと力《つと》めたものである。彼《かれ》は今《いま》枕《まくら》の上《うへ》へ髪《かみ》を着《つ》けたなり、右《みぎ》の手を固《かた》めて、耳《みゝ》の上《うへ》を二三度|敲《たゝ》いた。  代助は斯《か》ゝる脳髄《のうずい》の異状を以て、かつて酒《さけ》の咎《とが》に帰した事はなかつた。彼は小供の時《とき》から酒《さけ》に量を得た男であつた。いくら飲《の》んでも、左程平常を離れなかつた。のみならず、一度《いちど》熟睡さへすれば、あとは身体《からだ》に何の故障も認める事が出来《でき》なかつた。嘗《かつ》て何かのはづみに、兄《あに》と競《せ》り飲《の》みをやつて、三合入《さんごういり》の徳利を十三本倒した事がある。其|翌日《あくるひ》代助は平気な顔をして学校へ出《で》た。兄《あに》は二日《ふつか》も頭《あたま》が痛《いた》いと云つて苦《にが》り切《き》つてゐた。さうして、これを年齢《とし》の違《ちがひ》だと云つた。  昨夕《ゆふべ》飲んだ麦酒《ビール》は是《これ》に比《くら》べると愚《おろか》なものだと、代助は頭《あたま》を敲《たゝ》きながら考へた。幸《さいはひ》に、代助はいくら頭《あたま》が二重《にぢう》になつても、脳の活動に狂《くるひ》を受けた事がなかつた。時としては、たゞ頭《あたま》を使《つか》ふのが臆劫になつた。けれども努力さへすれば、充分複雑な仕事に堪えるといふ自信があつた。だから、斯《こ》んな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪《わる》い影響を与へるものとしては、悲観する余地がなかつた。始めて、こんな感覚があつた時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験として喜《よろこ》んだ。この頃《ごろ》は、此経験が、多くの場合に、精神気力の低落《ていらく》に伴《ともな》ふ様になつた。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になつた。代助にはそこが不愉快だつた。  床《とこ》の上《うへ》に起《お》き上《あ》がつて、彼は又|頭《あたま》を振《ふ》つた。朝食《あさめし》の時、門野《かどの》は今朝《けさ》の新聞に出てゐた蛇《へび》と鷲《わし》の戦《たゝかひ》の事を話《はな》し掛けたが、代助は応じなかつた。門野は又|始《はじ》まつたなと思つて、茶の間《ま》を出《で》た。勝手の方で、 「小母《をば》さん、さう働《はた》らいちや悪《わる》いだらう。先生の膳は僕が洗つて置くから、彼方《あつち》へ行《い》つて休《やす》んで御出《おいで》」と婆《ばあ》さんを労《いたは》つてゐた。代助は始めて婆《ばあ》さんの病気の事を思ひ出《だ》した。何《なに》か優《やさ》しい言葉でも掛ける所であつたが、面倒だと思つて已《や》めにした。  食刀《ナイフ》を置《お》くや否や、代助はすぐ紅茶々碗を持《も》つて書斎へ這入《はい》つた。時計を見るともう九時|過《すぎ》であつた。しばらく、庭《には》を眺《なが》めながら、茶を啜《すゝ》り延《の》ばしてゐると、門野《かどの》が来《き》て、 「御|宅《たく》から御迎《おむかひ》が参りました」と云つた。代助は宅《うち》から迎《むかひ》を受ける覚《おぼえ》がなかつた。聞き返《かへ》して見ても、門野《かどの》は車夫《しやふ》がとか何とか要領を得ない事を云ふので、代助は頭《あたま》を振り/\玄関へ出《で》て見た。すると、そこに兄《あに》の車《くるま》を引《ひ》く勝《かつ》と云ふのがゐた。ちやんと、護謨《ごむ》輪の車《くるま》を玄関へ横付《よこづけ》にして、叮嚀に御辞義をした。 「勝《かつ》、御迎《おむかへ》つて何《なん》だい」と聞《き》くと、勝《かつ》は恐縮の態度で、 「奥様が車《くるま》を持《も》つて、迎《むかひ》に行《い》つて来《こ》いつて、御仰《おつしや》いました」 「何《なに》か急用でも出来《でき》たのかい」  勝《かつ》は固《もと》より何事《なにごと》も知らなかつた。 「御出《おいで》になれば分《わか》るからつて――」と簡潔に答へて、言葉《ことば》の尻を結《むす》ばなかつた。  代助は奥へ這入《はい》つた。婆《ばあ》さんを呼んで着物《きもの》を出させやうと思つたが、腹の痛むものを使《つか》ふのが厭《いや》なので、自分で簟笥の抽出《ひきだし》を掻《か》き回《まは》して、急いで身支度《みじたく》をして、勝《かつ》の車《くるま》に乗つて出《で》た。  其日《そのひ》は風《かぜ》が強く吹《ふ》いた。勝《かつ》は苦《くる》しさうに、前《まへ》の方《ほう》に曲《こゞ》んで馳《か》けた。乗《の》つてゐた代助は、二重の頭《あたま》がぐる/\回転するほど、風《かぜ》に吹かれた。けれども、音《おと》も響《ひゞき》もない車輪《しやりん》が美くしく動《うご》いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙《ちう》に運《はこ》んで行く有様が愉快であつた。青山《あをやま》の家《うち》へ着く時分には、起《お》きた頃とは違《ちが》つて、気色《きしよく》が余程晴々して来《き》た。        十一の六  何《なに》か事《こと》が起《おこ》つたのかと思つて、上《あが》り掛《が》けに、書生部屋を覗《のぞ》いて見たら、直木《なほき》と誠太郎がたつた二人《ふたり》で、白砂糖《しろざとう》を振《ふ》り掛《か》けた苺《いちご》を食《く》つてゐた。 「やあ、御馳走だな」と云ふと、直木は、すぐ居《ゐ》ずまひを直《なほ》して、挨拶をした。誠太郎は唇《くちびる》の縁《ふち》を濡《ぬ》らした儘《まゝ》、突然、 「叔父《おぢ》さん、奥《おく》さんは何時《いつ》貰《もら》ふんですか」と聞《き》いた。直木はにや/\してゐる。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、 「今日《けふ》は何故《なぜ》学校《がつこう》へ行《い》かないんだ。さうして朝《あさ》つ腹《ぱら》から苺《いちご》なんぞを食《く》つて」と調戯《からか》ふ様に、叱《しか》る様に云つた。 「だつて今日《けふ》は日曜ぢやありませんか」と誠太郎は真面目《まじめ》になつた。 「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。  直木は代助の顔《かほ》を見てとう/\笑ひ出《だ》した。代助も笑つて、座敷へ来《き》た。そこには誰《だれ》も居なかつた。替《か》え立ての畳《たゝみ》の上《うへ》に、丸い紫檀の刳抜盆《くりぬきぼん》が一つ出《で》てゐて、中《なか》に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様|画《ぐわ》が染《そ》め付《つ》けてあつた。からんとした広《ひろ》い座敷へ朝《あさ》の緑《みどり》が庭《には》から射《さ》し込んで、凡《すべ》てが静《しづ》かに見えた。戸外《そと》の風《かぜ》は急に落ちた様に思はれた。  座敷を通り抜《ぬ》けて、兄《あに》の部屋《へや》の方《ほう》へ来《き》たら、人《ひと》の影《かげ》がした。 「あら、だつて、夫《それ》ぢや余《あん》まりだわ」と云ふ嫂《あによめ》の声が聞えた。代助は中《なか》へ這入つた。中《なか》には兄《あに》と嫂《あによめ》と縫子がゐた。兄《あに》は角帯《かくおび》に金鎖《きんぐさり》を巻《ま》き付《つ》けて、近頃流行る妙な絽《ろ》の羽織を着《き》て、此方《こちら》を向《む》いて立つてゐた。代助の姿《すがた》を見て、 「そら来《き》た。ね。だから一所に連《つ》れて行《い》つて御貰《おもらひ》よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分《わか》らなかつた。すると、梅子が代助の方に向き直つた。 「代さん、今日《けふ》貴方《あなた》、無論|暇《ひま》でせう」と云つた。 「えゝ、まあ暇《ひま》です」と代助は答へた。 「ぢや、一所に歌舞伎座へ行《い》つて頂戴」  代助は嫂《あによめ》の此言葉を聞いて、頭《あたま》の中《なか》に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日《けふ》は平常《いつも》の様に、嫂《あによめ》に調戯《からか》ふ勇気がなかつた。面倒だから、平気な顔《かほ》をして、 「えゝ宜《よろ》しい、行《い》きませう」と機嫌《きげん》よく答へた。すると梅子は、 「だつて、貴方《あなた》は、最早《もう》、一遍|観《み》たつて云ふんぢやありませんか」と聞《き》き返した。 「一遍だらうが、二遍だらうが、些《ちつ》とも構《かま》はない。行《い》きませう」と代助は梅子を見て微笑した。 「貴方《あなた》も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感《かん》じた。  兄《あに》は用があると云つて、すぐ出《で》て行《い》つた。四時頃用が済《す》んだら芝居の方へ回る約束なんださうである。それ迄自分と縫子丈で見てゐたら好《よ》ささうなものだが、梅子は夫《それ》が厭《いや》だと云つた。そんなら直木を連れて行《い》けと兄《あに》から注意された時、直木は紺絣《こんがすり》を着《き》て、袴《はかま》を穿《は》いて、六づかしく坐《すは》つてゐて不可《いけ》ないと答へた。夫《それ》で仕方がないから代助を迎ひに遣《や》つたのだ、と、是は兄《あに》が出掛《でがけ》の説明であつた。代助は少々理窟に合はないと思つたが、たゞ、左様《さう》ですかと答へた。さうして、嫂《あによめ》は幕《まく》の相間《あひま》に話《はな》し相手が欲《ほし》いのと、夫《それ》からいざと云ふ時《とき》に、色々《いろ/\》用を云ひ付けたいものだから、わざ/\自分を呼び寄《よ》せたに違ないと解釈した。  梅子と縫子は長い時間を御|化《け》粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になつて、両人《ふたり》の傍《そば》に附《つ》いてゐた。さうして時々は、面白|半分《はんぶん》の冷《ひや》かしも云つた。縫子からは叔父《おぢ》さん随分だわを二三度繰り返《かへ》された。  父《ちゝ》は今朝《けさ》早くから出《で》て、家《うち》にゐなかつた。何処《どこ》へ行つたのだか、嫂《あによめ》は知らないと云つた。代助は別に知りたい気もなかつた。たゞ父のゐないのが難有かつた。此間《このあひだ》の会見以後、代助は父とはたつた二度程しか顔《かほ》を合せなかつた。それも、ほんの十分か十五分に過《す》ぎなかつた。話が込み入りさうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしてゐた。父《ちゝ》は座敷の方へ出《で》て来《き》て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなつた。おれの顔さへ見れば逃《に》げ支度をすると云つて怒《おこ》つた。と嫂《あによめ》は鏡《かゞみ》の前で夏帯《なつおび》の尻を撫でながら代助に話した。 「ひどく、信用を落《おと》したもんだな」  代助は斯う云つて、嫂《あによめ》と縫子《ぬひこ》の蝙蝠傘《かはほりがさ》を抱《さ》げて一足《ひとあし》先へ玄関へ出《で》た。車はそこに三挺|并《なら》んでゐた。        十一の七  代助は風《かぜ》を恐れて鳥打《とりうち》帽を被《かぶ》つてゐた。風《かぜ》は漸く歇《や》んで、強い日《ひ》が雲《くも》の隙間《すきま》から頭《あたま》の上《うへ》を照《て》らした。先《さき》へ行《ゆ》く梅子と縫子は傘《かさ》を広《ひろ》げた。代助は時々《とき/″\》手《て》の甲《かう》を額《ひたひ》の前《まへ》に翳《かざ》した。  芝居の中《なか》では、嫂《あによめ》も縫《ぬひ》子も非常に熱心な観客《けんぶつ》であつた。代助は二返|目《め》の所為《せゐ》といひ、此|三四日来《さんよつからい》の脳の状態からと云ひ、左様《さう》一図に舞台ばかりに気を取《と》られてゐる訳《わけ》にも行《い》かなかつた。堪えず精神に重苦しい暑《あつさ》を感ずるので、屡|団扇《うちは》を手《て》にして、風《かぜ》を襟《えり》から頭《あたま》へ送《おく》つてゐた。  幕《まく》の合間《あひま》に縫子が代助の方を向《む》いて時々《とき/″\》妙な事を聞《き》いた。何故《なぜ》あの人は盥《たらひ》で酒を飲むんだとか、何故《なぜ》坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出《だ》した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋《すぢ》に富《と》んでゐるので、楽《らく》に見物が出来ないと書《か》いてあつた。代助は其時《そのとき》、役者の立場《たちば》から考へて、何《なに》もそんな人《ひと》に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言《こごと》を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野《かどの》に話した。門野は依然として、左様《そん》なもんでせうかなと云つてゐた。  小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕《しゆわん》に就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いに話《はなし》が合《あ》つた。時々《とき/″\》顔《かほ》を見合《みあは》して、黒人《くらうと》の様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭《あき》が来《き》てゐた。幕《まく》の途中《とちう》でも、双眼鏡で、彼方《あつち》を見たり、此方《こつち》を見たりしてゐた。双眼鏡の向《むか》ふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方《むかふ》でも眼鏡《めがね》の先《さき》を此方《こつち》へ向けてゐた。  代助の右隣《みぎどなり》には自分と同年輩の男が丸髷に結《いつ》た美くしい細君を連れて来《き》てゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付《ちかづき》のある芸者によく似てゐると思つた。左隣《ひだりどなり》には男|連《づれ》が四人許《よつたりばかり》ゐた。さうして、それが、悉《ことごと》く博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又|隣《となり》に、広《ひろ》い所を、たつた二人《ふたり》で専《せん》領してゐるものがあつた。その一人《ひとり》は、兄《あに》と同じ位な年恰好《としかつこう》で、正《たゞ》しい洋服を着《き》てゐた。さうして金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けて、物を見《み》るときには、顎《あご》を前《まへ》へ出《だ》して、心持《こゝろもち》仰向《あほむ》く癖《くせ》があつた。代助は此《この》男を見たとき、何所《どこ》か見覚《みおぼえ》のある様な気がした。が、ついに思ひ出《だ》さうと力《つと》めても見なかつた。其|伴侶《つれ》は若《わか》い女であつた。代助はまだ廿《はたち》になるまいと判定した。羽織を着《き》ないで、普通よりは大きく廂《ひさし》を出《だ》して、多くは顎《あご》を襟元《えりもと》へぴたりと着《つ》けて坐《すは》つてゐた。  代助は苦《くる》しいので、何返《なんべん》も席《せき》を立《た》つて、後《うしろ》の廊下へ出《で》て、狭《せま》い空《そら》を仰いだ。兄《あに》が来《き》たら、嫂《あによめ》と縫子を引き渡《わた》して早《はや》く帰りたい位に思つた。一|遍《ぺん》は縫子を連《つ》れて、其所等《そこいら》をぐる/\運動して歩《ある》いた。仕舞には些《ち》と酒でも取り寄《よ》せて飲《の》まうかと思つた。  兄《あに》は日暮《ひくれ》とすれ/\に来《き》た。大変|遅《おそ》かつたぢやありませんかと云つた時、帯の間《あひだ》から、金時計を出《だ》して見せた。実際六時少し回《まは》つた許であつた。兄《あに》は例の如く、平気な顔《かほ》をして、方々|見回《みまは》してゐた。が、飯《めし》を食《く》ふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々《なか/\》帰《かへ》つて来《こ》なかつた。しばらくして、代助は不図振り返《かへ》つたら、一軒|置《お》いて隣《とな》りの金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》を掛けた男の所へ這入つて、話《はなし》をしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方では笑《わら》ひ顔を一寸《ちよつと》見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目《まじめ》に向き直つた。代助は嫂《あによめ》に其人《そのひと》の名を聞《き》かうと思つたが、兄《あに》は人《ひと》の集《あつま》る所へさへ出れば、何所《どこ》へでも斯《かく》の如く平気に這入り込む程、世間《せけん》の広《ひろ》い、又|世間《せけん》を自分の家《いへ》の様に心得てゐる男であるから、気にも掛《か》けずに黙《だま》つてゐた。  すると幕《まく》の切れ目に、兄《あに》が入口《いりぐち》迄|帰《かへ》つて来《き》て、代助|一寸《ちよつと》来《こ》いと云ひながら、代助を其|金縁《きんぶち》の男の席へ連れて行《い》つて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合《ひきあは》した。金縁《きんぶち》の紳士は、若《わか》い女を顧みて、私の姪《めい》ですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時《そのとき》兄が、佐川さんの令嬢だと口《くち》を添《そ》へた。代助は女の名を聞いたとき、旨《うま》く掛《か》けられたと腹《はら》の中《なか》で思つた。が何事も知らぬものゝ如く装《よそほ》つて、好加減《いゝかげん》に話《はな》してゐた。すると嫂《あによめ》が一寸《ちよつと》自分の方を振り向《む》いた。        十一の八  五六|分《ぷん》して、代助は兄《あに》と共《とも》に自分の席に返《かへ》つた。佐川の娘《むすめ》を紹介される迄は、兄《あに》の見え次第|逃《に》げる気であつたが、今《いま》では左様《さう》不可《いか》なくなつた。余《あま》り現金に見えては、却つて好《よ》くない結果を引き起《おこ》しさうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐《すは》つてゐた。兄《あに》も芝居に就ては全たく興味がなささうだつたけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒い頭《あたま》を燻《いぶ》す程、葉巻《はまき》をゆらした。時々《とき/″\》評をすると、縫子《ぬひこ》あの幕《まく》は綺麗《きれい》だらう位の所であつた。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問も掛けず、一言の批評も加へなかつた。代助には其|澄《すま》した様子が却つて滑稽に思はれた。彼は今日《こんにち》迄|嫂《あによめ》の策略にかゝつた事が時々《とき/″\》あつた。けれども、只《たゞ》の一返も腹《はら》を立《た》てた事はなかつた。今度《こんど》の狂言も、平生ならば、退屈|紛《まぎ》らしの遊戯程度に解釈して、笑つて仕舞たかも知れない。夫許《そればかり》ではない。もし自分が結婚する気なら、却つて、此狂言を利用して、自《みづか》ら人巧的に、御目出度《おめでたい》喜劇《きげき》を作り上《あ》げて、生涯自分を嘲《あざ》けつて満足する事も出来た。然し此姉《このあね》迄が、今《いま》の自分を、父《ちゝ》や兄《あに》と共謀して、漸々《ぜん/\》窮地に誘《いざ》なつて行《ゆ》くかと思ふと、流石《さす》がに此|所作《しよさ》をたゞの滑稽として、観察する訳には行《い》かなかつた。代助は此先《このさき》、嫂《あによめ》が此事件を何《ど》う発展させる気だらうと考へて、少々弱つた。家《うち》のものゝ中《うち》で、嫂《あによめ》が一番|斯《こ》んな計画に興味をもつてゐたからである。もし嫂《あによめ》が此方面に向つて代助に肉薄すればする程、代助は漸々|家族《かぞく》のものと疎遠にならなければならないと云ふ恐れが、代助の頭《あたま》の何処《どこ》かに潜《ひそ》んでゐた。  芝居の仕舞になつたのは十一時|近《ちか》くであつた。外《そと》へ出《で》て見ると、風は全く歇《や》んだが、月《つき》も星《ほし》も見《み》えない静《しづ》かな晩を、電燈が少し許り照らしてゐた。時間が遅《おそ》いので茶屋では話《はなし》をする暇《ひま》もなかつた。三人の迎《むかひ》は来《き》てゐたが、代助はつい車《くるま》を誂《あつら》へて置くのを忘れた。面倒だと思つて、嫂《あによめ》の勧《すゝめ》を斥《しりぞ》けて、茶屋の前から電車に乗つた。数寄屋《すきや》橋で乗《の》り易《か》え様と思つて、黒《くろ》い路《みち》の中《なか》に、待ち合《あ》はしてゐると、小供を負《おぶ》つた神《かみ》さんが、退儀《たいぎ》さうに向《むかふ》から近|寄《よ》つて来《き》た。電車は向《むか》ふ側《がは》を二三度|通《とほ》つた。代助と軌道《レール》の間《あひだ》には、土《つち》か石《いし》の積《つ》んだものが、高《たか》い土手の様に挟《はさ》まつてゐた。代助は始《はじ》めて間違《まちが》つた所に立《た》つてゐる事を悟つた。 「御神さん、電車へ乗るなら、此所《こゝ》ぢや不可《いけ》ない。向側《むかふがは》だ」と教へながら歩《ある》き出《だ》した。神さんは礼を云つて跟《つ》いて来《き》た。代助は手探《てさぐり》でもする様に、暗《くら》い所を好加減《いゝかげん》に歩《ある》いた。十四五|間《けん》左《ひだり》の方へ濠際《ほりぎは》を目標《めあて》に出《で》たら、漸く停留所《ていりうじよ》の柱が見付《みつか》つた。神さんは其所《そこ》で、神田橋の方へ向《む》いて乗つた。代助はたつた一人《ひとり》反対の赤坂|行《ゆき》へ這入つた。  車《くるま》の中《なか》では、眠《ねむ》くて寐《ね》られない様な気がした。揺《ゆ》られながらも今夜の睡眠が苦になつた。彼《かれ》は大いに疲労して、白昼《はくちう》の凡てに、惰気《だき》を催うすにも拘はらず、知られざる何物《なにもの》かの興奮の為《ため》に、静かな夜《よ》を恣《ほしいまゝ》にする事が出来ない事がよくあつた。彼《かれ》の脳裏《のうり》には、今日《けふ》の日中《につちう》に、交《かは》る/″\痕《あと》を残した色彩が、時《とき》の前後と形《かたち》の差別を忘れて、一度に散《ち》らついてゐた。さうして、それが何《なに》の色彩であるか、何の運動であるか慥《たし》かに解《わか》らなかつた。彼《かれ》は眼《め》を眠《ねむ》つて、家《うち》へ帰《かへ》つたら、又《また》ヰスキーの力《ちから》を借りやうと覚悟した。  彼《かれ》は此《この》取り留めのない花やかな色調《しきちやう》の反照として、三千代の事を思ひ出さざるを得なかつた。さうして其所《そこ》にわが安住の地を見出《みいだ》した様な気がした。けれども其安住の地は、明《あき》らかには、彼《かれ》の眼《め》に映じて出《で》なかつた。たゞ、かれの心《こゝろ》の調子全体で、それを認《みと》めた丈であつた。従つて彼《かれ》は三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係《くわんけい》や、病気や、身分《みぶん》を一纏《ひとまとめ》にしたものを、わが情調にしつくり合ふ対象として、発見したに過ぎなかつた。        十一の九  翌日《よくじつ》代助は但馬にゐる友人から長い手紙を受取つた。此友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰《かへ》つたぎり、今日迄《こんにちまで》ついぞ東京へ出《で》た事のない男であつた。当人は無論|山《やま》の中《なか》で暮《くら》す気はなかつたんだが、親《おや》の命令で已《やむ》を得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである。夫《それ》でも一年許《いちねんばかり》の間《あひだ》は、もう一返|親父《おやぢ》を説《と》き付《つ》けて、東京へ出《で》る出《で》ると云つて、うるさい程手紙を寄《よ》こしたが、此頃は漸く断念したと見《み》えて、大した不平がましい訴もしない様になつた。家《いへ》は所《ところ》の旧家《きうか》で、先祖から持《も》ち伝へた山林を年々|伐《き》り出すのが、重《おも》な用事になつてゐるよしであつた。今度《こんど》の手紙には、彼《かれ》の日常生活の模様が委しく書《か》いてあつた。それから、一ヶ月前町長に挙《あ》げられて、年俸を三百円頂戴する身分になつた事を、面白半分《おもしろはんぶん》、殊更に真面目《まじめ》な句調で吹聴して来《き》た。卒業してすぐ中学の教師になつても、此三倍は貰《もら》へると、自分と他の友人との比較がしてあつた。  此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都|在《ざい》のある財産家から嫁《よめ》を貰《もら》つた。それは無論|親《おや》の云ひ付《つけ》であつた。すると、少時《しばらく》して、直《すぐ》子供が生れた。女房の事は貰《もら》つた時より外《ほか》に何も云つて来《こ》ないが、子供の生長《おいたち》には興味があると見えて、時々《とき/″\》代助の可笑《おかし》くなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、此子供に対して、満足しつゝある友人の生活を想像した。さうして、此子供の為《ため》に、彼の細君に対する感想が、貰《もら》つた当時に比べて、どの位変化したかを疑つた。  友人は時々《とき/″\》鮎《あゆ》の乾《ほ》したのや、柿の乾《ほ》したのを送つてくれた。代助は其返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣《や》つた。すると其返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評が屹度あつた。けれども、それが長くは続《つゞ》かなかつた。仕舞には受取《うけと》つたと云ふ礼状さへ寄《よ》こさなかつた。此方《こつち》からわざ/\問ひ合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云はうと思つて、つい遅《おそ》くなつた。実はまだ読《よ》まない。白状すると、読《よ》む閑《ひま》がないと云ふより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云へば、読んでも解《わか》らなくなつたのである。といふ返事が来《き》た。代助は夫《それ》から書物を廃《や》めて、其代りに新らしい玩具《おもちや》を買《か》つて送《おく》る事にした。  代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有《も》つてゐた此旧友が、当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色《ねいろ》を出《だ》してゐると云ふ事実を、切《せつ》に感じた。さうして、命《いのち》の絃《いと》の震動《しんどう》から出《で》る二人《ふたり》の響《ひゞき》を審《つまびら》かに比較した。  彼《かれ》は理論家《セオリスト》として、友人の結婚《けつこん》を肯《うけが》つた。山《やま》の中《なか》に住《す》んで、樹《き》や谷《たに》を相手にしてゐるものは、親《おや》の取り極《き》めた通りの妻《つま》を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼《かれ》は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来《きた》すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間《にんげん》の展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提《このぜんてい》から此《この》結論に達する為《ため》に斯《か》う云ふ径路を辿《たど》つた。  彼は肉体と精神に於て美《び》の類別を認める男であつた。さうして、あらゆる美《び》の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた。あらゆる美《び》の種類に接触して、其たび毎《ごと》に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動《うご》かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞|家《か》であると断定した。彼《かれ》は是《これ》を自家の経験に徴《ちよう》して争ふべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力《アツトラクシヨン》に於て、悉く随縁臨機《ずいえんりんき》に、測りがたき変化を受《う》けつゝあるとの結論に到着した。それを引き延《の》ばすと、既婚《きこん》の一対《いつつい》は、双方ともに、流俗に所謂《いはゆる》不義《インフイデリチ》の念に冒《おか》されて、過去から生じた不幸を、始終|嘗《な》めなければならない事になつた。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を撰んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替《か》えるか分《わか》らないではないか。普通の都会人は、より少《すく》なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝《かは》らざる愛を、今《いま》の世に口《くち》にするものを偽善家《ぎぜんか》の第一位に置《お》いた。  此所《こゝ》迄考へた時、代助の頭《あたま》の中《なか》に、突然|三千代《みちよ》の姿《すがた》が浮《うか》んだ。其時《そのとき》代助はこの論理中に、或《ある》因数《フアクター》を数《かぞ》へ込むのを忘れたのではなからうかと疑《うたぐ》つた。けれども、其|因数《フアクター》は何《ど》うしても発見《はつけん》する事が出来《でき》なかつた。すると、自分が三千代に対する情|合《あひ》も、此|論理《ろんり》によつて、たゞ現在的《げんざいてき》のものに過《す》ぎなくなつた。彼《かれ》の頭《あたま》は正《まさ》にこれを承認した。然し彼《かれ》の心《ハート》は、慥かに左様《さう》だと感《かん》ずる勇気がなかつた。        十二の一  代助は嫂《あによめ》の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間《あひだ》があつた。凡ての娯楽には興味を失つた。読書をしても、自己の影《かげ》を黒い文字の上《うへ》に認める事が出来《でき》なくなつた。落付《おちつ》いて考へれば、考へは蓮《はちす》の糸《いと》を引く如くに出《で》るが、出たものを纏めて見《み》ると、人《ひと》の恐《おそ》ろしがるもの許《ばかり》であつた。仕舞には、斯様《かやう》に考へなければならない自分が怖《こわ》くなつた。代助は蒼白《あをしろ》く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為《ため》に、しばらく旅行しやうと決心した。始めは父《ちゝ》の別荘に行く積《つもり》であつた。然し、是は東京から襲はれる点に於て、牛込に居ると大《たい》した変りはないと思つた。代助は旅行案内を買つて来《き》て、自分の行《い》くべき先《さき》を調《しら》べて見た。が、自分の行くべき先《さき》は天下中《てんかぢう》何処《どこ》にも無《な》い様な気がした。しかし、代助は無理にも何処《どこ》かへ行《い》かうとした。それには、支度を調《とゝの》へるに若《し》くはないと極めた。代助は電車に乗つて、銀座《ぎんざ》迄|来《き》た。朗《ほがら》かに風《かぜ》の往来を渡《わた》る午後であつた。新橋の勧工|場《ば》を一回《ひとまはり》して、広い通りをぶら/\と京橋の方へ下《くだ》つた。其時《そのとき》代助の眼《め》には、向ふ側《がは》の家《いへ》が、芝居の書割《かきわり》の様に平《ひら》たく見えた。青《あを》い空《そら》は、屋根《やね》の上《うへ》にすぐ塗《ぬ》り付《つ》けられてゐた。  代助は二三の唐物|屋《や》を冷《ひや》かして、入用《いりやう》の品《しな》を調《とゝの》へた。其中《そのなか》に、比較的|高《たか》い香水があつた。資生堂で練歯磨《ねりはみがき》を買はうとしたら、若《わか》いものが、欲《ほ》しくないと云ふのに自製のものを出《だ》して、頻《しきり》に勧《すゝ》めた。代助は顔《かほ》をしかめて店《みせ》を出《で》た。紙包《かみゞつみ》を腋《わき》の下《した》に抱《かゝ》へた儘、銀座の外《はづ》れ迄|遣《や》つて来《き》て、其所《そこ》から大根河岸《だいこんがし》を回《まは》つて、鍛冶橋《かじばし》を丸の内《うち》へ志《こゝろざ》した。当《あて》もなく西《にし》の方へ歩《ある》きながら、是《これ》も簡便な旅行と云へるかも知れないと考へた揚句《あげく》、草臥《くたび》れて車《くるま》をと思つたが、何処《どこ》にも見当《みあた》らなかつたので又電車へ乗《の》つて帰つた。  家《うち》の門《もん》を這入《はい》ると、玄関に誠太郎のらしい履《くつ》が叮嚀に并《なら》べてあつた。門野《かどの》に聞《き》いたら、へえ左様《さう》です、先方《さつき》から待《ま》つて御出《おいで》ですといふ答《こたへ》であつた。代助はすぐ書斎へ来《き》て見《み》た。誠太郎は、代助の坐《すは》る大きな椅子《いす》に腰《こし》を掛《か》けて、洋卓《テーブル》の前《まへ》で、アラスカ探検《たんけん》記を読んでゐた。洋卓《テーブル》の上《うへ》には、蕎麦饅《そばまん》頭と茶|盆《ぼん》が一所に乗つてゐた。 「誠太郎、何だい、人《ひと》のゐない留守《るす》に来《き》て、御馳走だね」と云ふと、誠太郎は、笑ひながら、先づアラスカ探検記をポツケツトへ押し込んで、席《せき》を立《た》つた。 「其所《そこ》に居《ゐ》るなら、ゐても構《かま》はないよ」と云つても、聞《き》かなかつた。  代助は誠太郎を捕《つら》まえて、例《いつも》の様に調戯《からか》ひ出《だ》した。誠太郎は此間《このあひだ》代助が歌舞伎|座《ざ》でした欠伸《あくび》の数《かず》を知つてゐた。さうして、 「叔父《おぢ》さんは何時《いつ》奥さんを貰《もら》ふの」と、又|先達《せんだつ》てと同じ様な質問を掛けた。  此|日《ひ》誠太郎は、父《ちゝ》の使《つかひ》に来《き》たのであつた。其口上は、明日《あした》の十一時迄に一寸《ちよつと》来《き》て呉れと云ふのであつた。代助はさう/\父《ちゝ》や兄《あに》に呼び付《つ》けられるが面倒であつた。誠太郎に向つて、半分|怒《おこ》つた様に、 「何《なん》だい、苛《ひど》いぢやないか。用も云はないで、無暗《むやみ》に人《ひと》を呼びつけるなんて」と云つた。誠太郎は矢っ張りにや/\してゐた。代助はそれぎり話《はなし》を外《ほか》へそらして仕舞つた。新聞に出てゐる相撲の勝負が、二人《ふたり》の題目の重《おも》なるものであつた。  晩食《ばんめし》を食《く》つて行《い》けと云ふのを学校の下調があると云つて辞退して誠太郎は帰つた。帰る前に、 「それぢや、叔父《おぢ》さん、明日《あした》は来《こ》ないんですか」と聞《き》いた。代助は已を得ず、 「うむ。何《ど》うだか分《わか》らない。叔父《おぢ》さんは旅行するかも知れないからつて、帰つてさう云つて呉れ」と云つた。 「何時《いつ》」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日《けふ》明日《あす》のうちと答へた。誠太郎はそれで納得して、玄関迄出て行《い》つたが、沓脱《くつぬぎ》へ下《お》りながら振り返つて、突然 「何処《どこ》へ入らつしやるの」と代助を見上《みあ》げた。代助は、 「何処《どこ》つて、まだ分《わか》るもんか。ぐる/\回《まは》るんだ」と云つたので、誠太郎は又にや/\しながら、格子を出た。        十二の二  代助は其夜《そのよ》すぐ立《た》たうと思つて、グラツドストーンの中《なか》を門野《かどの》に掃|除《じ》さして、携帯品を少《すこ》し詰《つ》め込《こ》んだ。門野《かどの》は少《すく》なからざる好奇心を以て、代助の革鞄《かばん》を眺《なが》めてゐたが、 「少《すこ》し手伝《てつだ》ひませうか」と突立つたまゝ聞いた。代助は、 「なに、訳《わけ》はない」と断わりながら、一旦|詰《つ》め込んだ香水の壜《びん》を取《と》り出《だ》して、封被《ふうひ》を剥《は》いで、栓《せん》を抜《ぬ》いて、鼻《はな》に当《あ》てゝ嗅《か》いで見た。門野は少《すこ》し愛想を尽《つか》した様な具合で、自分の部屋へ引き取つた。二三|分《ぷん》すると又|出《で》て来《き》て、 「先生、車《くるま》を左様《さう》云つときますかな」と注意した。代助はグラツドストーンを前へ置いて、顔《かほ》を上《あ》げた。 「左様《さう》、少し待《ま》つて呉れ給へ」  庭《には》を見ると、生垣《いけがき》の要目《かなめ》の頂《いたゞき》に、まだ薄明《うすあか》るい日足《ひあし》がうろついてゐた。代助は外《そと》を覗《のぞ》きながら、是から三十分のうちに行く先《さき》を極《き》めやうと考へた。何でも都合のよささうな時|間《かん》に出《で》る汽車に乗つて、其汽車の持つて行く所へ降《お》りて、其所《そこ》で明日《あした》迄|暮《く》らして、暮《く》らしてゐるうちに、又新らしい運命が、自分を攫《さら》ひに来《く》るのを待つ積《つもり》であつた。旅費は無論充分でなかつた。代助の旅装に適した程の宿泊《とまり》を続《つゞ》けるとすれば、一週間も保《も》たない位であつた。けれども、さう云ふ点になると、代助は無頓着であつた。愈《いよ/\》となれば、家《うち》から金《かね》を取り寄《よ》せる気でゐた。それから、本来が四辺《しへん》の風気《ふうき》を換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であつた。興に乗れば、荷持《にもち》を雇つて、一日《いちにち》歩《ある》いても可《い》いと覚悟した。  彼は又旅行案内を開《ひら》いて、細かい数字を丹念《たんねん》に調べ出《だ》したが、少しも決定の運《はこび》に近寄《ちかよ》らないうちに、又三千代の方に頭《あたま》が滑《すべ》つて行《い》つた。立《た》つ前《まへ》にもう一遍様子を見て、それから東京を出《で》やうと云ふ気が起つた。グラツドストーンは今夜中《こんやぢう》に始末を付《つ》けて、明日《あす》の朝早《あさはや》く提《さ》げて行《い》かれる様にして置けば構はない事になつた。代助は急ぎ足で玄関迄|出《で》た。其|音《おと》を聞き付《つ》けて、門野《かどの》も飛び出《だ》した。代助は不断着《ふだんぎ》の儘、掛釘《かけくぎ》から帽子を取つてゐた。 「又御|出掛《でかけ》ですか。何か御買物《おかひもの》ぢやありませんか。私《わたくし》で可《よ》ければ買《か》つて来《き》ませう」と門野《かどの》が驚《おど》ろいた様《やう》に云つた。 「今夜《こんや》は已《や》めだ」と云ひ放《はな》した儘、代助は外《そと》へ出《で》た。外《そと》はもう暗《くら》かつた。美《うつ》くしい空《そら》に星《ほし》がぽつ/\影《かげ》を増《ま》して行く様に見えた。心持《こゝろもち》の好《い》い風《かぜ》が袂《たもと》を吹《ふ》いた。けれども長《なが》い足《あし》を大きく動かした代助は、二三町も歩《ある》かないうちに額際《ひたひぎは》に汗《あせ》を覚えた。彼は頭《あたま》から鳥打を脱《と》つた。黒い髪《かみ》を夜露《よつゆ》に打たして、時々《とき/″\》帽子をわざと振《ふ》つて歩《ある》いた。  平岡の家《いへ》の近所へ来《く》ると、暗《くら》い人影《ひとかげ》が蝙蝠《かはほり》の如く静《しづ》かに其所《そこ》、此所《こゝ》に動《うご》いた。粗末な板塀《いたべい》の隙間《すきま》から、洋燈《ランプ》の灯《ひ》が往来へ映《うつ》つた。三千代《みちよ》は其光《そのひかり》の下《した》で新聞を読《よ》んでゐた。今頃《いまごろ》新聞を読むのかと聞《き》いたら、二返目だと答へた。 「そんなに閑《ひま》なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移《うつ》して、椽側へ半分|身体《からだ》を出《だ》しながら、障子へ倚りかゝつた。  平岡は居なかつた。三千代《みちよ》は今《いま》湯から帰《かへ》つた所だと云つて、団扇さへ膝《ひざ》の傍《そば》に置いてゐた。平生《いつも》の頬《ほゝ》に、心持《こゝろもち》暖《あたゝか》い色を出《だ》して、もう帰るでせうから、緩《ゆつ》くりしてゐらつしやいと、茶の間《ま》へ茶を入れに立《た》つた。髪は西洋風に結つてゐた。  平岡は三千代の云つた通りには中々《なか/\》帰らなかつた。何時《いつ》でも斯んなに遅《おそ》いのかと尋ねたら、笑ひながら、まあ左《そ》んな所でせうと答へた。代助は其|笑《わらひ》の中《なか》に一種《いつしゆ》の淋《さみ》しさを認めて、眼《め》を正《たゞ》して、三千代の顔《かほ》を凝《じつ》と見た。三千代は急に団扇《うちは》を取つて袖《そで》の下《した》を煽《あほ》いだ。  代助は平岡の経済の事が気に掛《かゝ》つた。正面から、此頃《このごろ》は生活費には不自由はあるまいと尋ねて見た。三千代は左様《さう》ですねと云つて、又前の様な笑《わら》ひ方《かた》をした。代助がすぐ返事をしなかつたものだから、 「貴方《あなた》には、左様《さう》見えて」と今度は向ふから聞き直《なほ》した。さうして、手に持つた団扇《うちは》を放り出《だ》して、湯《ゆ》から出《で》たての奇麗な繊《ほそ》い指《ゆび》を、代助の前に広《ひろ》げて見せた。其|指《ゆび》には代助の贈《おく》つた指環《ゆびわ》も、他《ほか》の指環《ゆびわ》も穿《は》めてゐなかつた。自分の記念を何時《いつ》でも胸に描《ゑが》いてゐた代助には、三千代《みちよ》の意味がよく分《わか》つた。三千代は手を引き込《こ》めると同時に、ぽつと赤い顔をした。 「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云つた。代助は憐れな心持がした。        十二の三  代助は其|夜《よ》九時頃平岡の家《いへ》を辞《じ》した。辞《じ》する前《まへ》、自分の紙入《かみいれ》の中《なか》に有《あ》るものを出《だ》して、三千代に渡《わた》した。其時は、腹《はら》の中《なか》で多少の工夫《くふう》を費《つい》やした。彼《かれ》は先《ま》づ何気《なにげ》なく懐中物《くわいちうもの》を胸《むね》の所《ところ》で開《あ》けて、中《なか》にある紙幣を、勘定もせずに攫《つか》んで、是《これ》を上《あ》げるから御使《おつかひ》なさいと無雑作に三千代の前《まへ》へ出《だ》した。三千代は、下女を憚《はゞ》かる様な低い声で、 「そんな事を」と、却《かへ》つて両手をぴたりと身体《からだ》へ付《つ》けて仕舞つた。代助は然し自分の手を引《ひ》き込《こ》めなかつた。 「指環を受取《うけと》るなら、これを受取つても、同じ事でせう。紙の指環《ゆびわ》だと思つて御貰ひなさい」  代助は笑ひながら、斯う云つた。三千代はでも、余《あんま》りだからとまだ※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇した。代助は、平岡に知れると叱《しか》られるのかと聞いた。三千代は叱《しか》られるか、賞《ほ》められるか、明《あき》らかに分《わか》らなかつたので、矢張り愚図々々してゐた。代助は、叱《しか》られるなら、平岡に黙《だま》つてゐたら可《よ》からうと注意した。三千代はまだ手を出《だ》さなかつた。代助は無論|出《だ》したものを引き込《こ》める訳《わけ》に行《い》かなかつた。已《やむ》を得ず、少《すこ》し及び腰《ごし》になつて、掌《てのひら》を三千代の胸《むね》の傍《そば》迄|持《も》つて行《い》つた。同時に自分の顔《かほ》も一尺|許《ばかり》の距離に近寄《ちかよ》せて、 「大丈夫だから、御取《おと》んなさい」と確《しつか》りした低《ひく》い調子で云つた。三千代は顎《あご》を襟《えり》の中《なか》へ埋《うづ》める様に後《あと》へ引いて、無言の儘右の手を前へ出《だ》した。紙幣は其|上《うへ》に落ちた。其時三千代は長い睫毛《まつげ》を二三度打ち合はした。さうして、掌《てのひら》に落ちたものを帯《おび》の間《あひだ》に挟《はさ》んだ。 「又|来《く》る。平岡君によろしく」と云つて、代助は表《おもて》へ出《で》た。町《まち》を横断して小路《こうぢ》へ下《くだ》ると、あたりは暗くなつた。代助は美《うつ》くしい夢《ゆめ》を見た様に、暗《くら》い夜《よ》を切《き》つて歩《ある》いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家《わがいへ》の門前《もんぜん》に来《き》た。けれども門《もん》を潜《くゞ》る気がしなかつた。彼《かれ》は高い星《ほし》を戴《いたゞ》いて、静《しづ》かな屋敷町《やしきまち》をぐる/\徘徊した。自分では、夜半迄|歩《ある》きつゞけても疲《つか》れる事はなからうと思つた。兎角《とかく》するうち、又自分の家《いへ》の前へ出《で》た。中《なか》は静《しづ》かであつた。門野《かどの》と婆《ばあ》さんは茶の間《ま》で世間話《せけんばなし》をしてゐたらしい。 「大変|遅《おそ》うがしたな。明日《あした》は何時《なんじ》の汽車で御|立《た》ちですか」と玄関へ上《あが》るや否《いな》や問《とひ》を掛《か》けた。代助は、微笑しながら、 「明日《あした》も御|已《や》めだ」と答《こた》へて、自分の室《へや》へ這入《はい》つた。そこには床《とこ》がもう敷《し》いてあつた。代助は先刻《さつき》栓《せん》を抜《ぬ》いた香水を取つて、括枕《くゝりまくら》の上《うへ》に一滴《いつてき》垂《た》らした。夫《それ》では何だか物足《ものた》りなかつた。壜《びん》を持《も》つた儘《まゝ》、立《た》つて室《へや》の四隅《よすみ》へ行《い》つて、そこに一二滴づゝ振《ふ》りかけた。斯様《かやう》に打《う》ち興《きよう》じた後《あと》、白地《しろぢ》の浴衣《ゆかた》に着換《きか》えて、新《あた》らしい小|掻巻《かいまき》の下《した》に安《やすら》かな手足《てあし》を横《よこ》たへた。さうして、薔薇《ばら》の香《か》のする眠《ねむり》に就《つ》いた。  眼《め》が覚《さ》めた時は、高い日《ひ》が椽に黄|金色《ごんしよく》の震動を射込んでゐた。枕元《まくらもと》には新聞が二枚揃えてあつた。代助は、門野が何時《いつ》、雨戸を引《ひ》いて、何時《いつ》新聞を持《も》つて来《き》たか、丸《まる》で知らなかつた。代助は長《なが》い伸《のび》を一つして起《お》き上《あが》つた。風呂場で身体《からだ》を拭《ふ》いてゐると、門野《かどの》が少《すこ》し狼狽《うろた》へた容子で遣《や》つて来《き》て、 「青山《あをやま》から御兄《おあに》いさんが御見えになりました」と云つた。代助は今直《いますぐ》行《ゆ》く旨《むね》を答へて、奇麗に身体《からだ》を拭《ふ》き取《と》つた。座敷はまだ掃除が出来てゐるか、ゐないかであつたが、自分で飛び出《だ》す必要もないと思つたから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪《かみ》を分けて剃《そり》を中《あて》て、悠々と茶の間へ帰《かへ》つた。そこでは流石《さすが》にゆつくりと膳につく気も出《で》なかつた。立ちながら紅茶を一杯|啜《すゝ》つて、タヱルで一寸《ちよつと》口髭《くちひげ》を摩《こす》つて、それを、其所《そこ》へ放り出すと、すぐ客間へ出《で》て、 「やあ兄《にい》さん」と挨拶をした。兄《あに》は例《れい》の如《ごと》く、色《いろ》の濃《こ》い葉巻《はまき》の、火《ひ》の消えたのを、指《ゆび》の股《また》に挟《はさ》んで、平然として代助の新聞を読《よ》んでゐた。代助の顔《かほ》を見るや否や、 「此室《このへや》は大変|好《い》い香《にほひ》がする様だが、御前《おまへ》の頭《あたま》かい」と聞いた。 「僕《ぼく》の頭《あたま》の見える前《まへ》からでせう」と答《こた》へて、昨夜《ゆふべ》の香水の事を話《はな》した。兄《あに》は、落ち付いて、 「はゝあ、大分|洒落《しやれ》た事をやるな」と云つた。        十二の四  兄《あに》は滅多に代助の所へ来《き》た事のない男であつた。たまに来《く》れば必ず来《こ》なくつてならない用事を持つてゐた。さうして、用を済《す》ますとさつさと帰つて行つた。今日《けふ》も何事《なにごと》か起《おこ》つたに違《ちがひ》ないと代助は考へた。さうして、それは昨日《きのふ》誠太郎を好加減《いゝかげん》に胡魔化《ごまくわ》して返《かへ》した反響だらうと想像した。五六|分《ぷん》雑談をしてゐるうちに、兄《あに》はとう/\斯《か》う云ひ出《だ》した。 「昨夕《ゆふべ》誠太郎が帰《かへ》つて来《き》て、叔父《おぢ》さんは明日《あした》から旅行するつて云ふ話《はなし》だから、出《で》て来《き》た」 「えゝ、実《じつ》は今朝《けさ》六時|頃《ごろ》から出《で》やうと思つてね」と代助は嘘《うそ》の様な事を、至極冷静に答《こた》へた。兄《あに》も真面目な顔をして、 「六時に立てる位な早起《はやおき》の男なら、今|時分《じぶん》わざわざ青山《あをやま》から遣《や》つて来《き》やしない」と云つた。改めて用事を聞いて見ると、矢張り予想の通《とほ》り肉薄《にくはく》の遂行に過ぎなかつた。即ち今日《けふ》高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞《ふるま》ふ筈だから、代助にも列席しろと云ふ父《ちゝ》の命令であつた。兄《あに》の語《かた》る所によると、昨夕《ゆふべ》誠太郎の返事を聞いて、父《ちゝ》は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉《も》んで、代助の立《た》たない前に逢《あ》つて、旅行を延《の》ばさせると云ひ出《だ》した。兄《あに》はそれを留《と》めたさうである。 「なに彼奴《あいつ》が今夜中《こんやぢう》に立《た》つものか、今頃《いまごろ》は革鞄《かばん》の前へ坐《すは》つて考へ込んでゐる位《ぐらゐ》のものだ。明日《あした》になつて見ろ、放《ほう》つて置いても遣《や》つて来《く》るからつて、己《おれ》が姉《ねえ》さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付《おちつき》払つてゐた。代助は少し忌々《いま/\》しくなつたので、 「ぢや、放《ほう》つて置いて御覧なされば好《い》いのに」と云つた。 「所《ところ》が女《をんな》と云ふものは、気の短《みぢ》かいもので、御父《おとう》さんに悪《わる》いからつて、今朝《けさ》起《お》きるや否や、己《おれ》をせびるんだからね」と誠吾は可笑《おかし》い様な顔《かほ》もしなかつた。寧《むし》ろ迷惑さうに代助を眺《なが》めてゐた。代助は行くとも、行かないとも決答を与へなかつた。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返《かへ》して仕舞ふ勇気も出《で》なかつた。其上《そのうへ》午餐を断つて、旅行するにしても、もう自分の懐中《くわいちう》を当《あて》にする訳《わけ》には行《い》かなかつた。矢張り、兄とか嫂《あによめ》とか、もしくは父《ちゝ》とか、いづれ反対派の誰《だれ》かを痛《いた》めなければ、身動《みうごき》が取《と》れない位地にゐた。そこで、即《つ》かず離《はな》れずに、高木《たかぎ》と佐川の娘《むすめ》の評判をした。高木には十年程|前《まへ》に一遍|逢《あ》つた限《ぎり》であつたが、妙なもので、何処《どこ》かに見《み》覚があつて、此間《このあひだ》歌舞伎座で眼《め》に着《つ》いた時《とき》は、はてなと思つた。これに反して、佐川の娘《むすめ》の方は、つい先達《せんだつ》て、写真を手にした許《ばかり》であるのに、実物に接《せつ》しても、丸で聯想が浮《うか》ばなかつた。写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼《だれかれ》を極《き》めるのは容易であるが、その逆《ぎやく》の、写真から人間《にんげん》を定める方は中々《なか/\》六づかしい。是《これ》を哲学にすると、死《し》から生《せい》を出《だ》すのは不可能だが、生《せい》から死《し》に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する。 「私《わたし》は左様《さう》考へた」と代助が云つた。兄《あに》は成程と答へたが別段感心した様子もなかつた。葉巻《はまき》の短《みぢ》かくなつて、口髭《くちひげ》に火《ひ》が付きさうなのを無暗に啣《くわ》へ易《か》えて、 「それで、必ずしも今日《けふ》旅行する必要もないんだらう」と聞《き》いた。  代助はないと答へざるを得なかつた。 「ぢや、今日《けふ》餐《めし》を食《く》ひに来《き》ても好《い》いんだらう」  代助は又|好《い》いと答へない訳《わけ》に行《い》かなかつた。 「ぢや、己《おれ》はこれから、一寸《ちよつと》他所《わき》へ回《まは》るから、間違《まちがひ》のない様に来《き》てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据ゑたから、何《ど》うでも構はないといふ気で、先方に都合の好《い》い返事を与へた。すると兄《あに》が突然、 「一体|何《ど》うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか。好《い》いぢやないか貰《もら》つたつて。さう撰《え》り好《ごの》みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄《げんろく》時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間《にんげん》は男女に限らず非常に窮屈な恋《こひ》をした様だが、左様《さう》でもなかつたのかい。――まあ、どうでも好《い》いから、成る可《べ》く年寄《としより》を怒《おこ》らせない様に遣《や》つてくれ」と云つて帰つた。  代助は座敷へ戻《もど》つて、しばらく、兄《あに》の警句を咀嚼してゐた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない。だから、結婚を勧《すゝ》める方《ほう》でも、怒《おこ》らないで放つて置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好《い》い結論を得た。        十二の五  兄《あに》の云ふ所《ところ》によると、佐川の娘は、今度|久《ひさ》し振《ぶり》に叔父《おぢ》に連《つ》れられて、見物|旁《かた/″\》上京したので、叔父の商用が済み次第又|連《つ》れられて国《くに》へ帰るのださうである。父《ちゝ》が其機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結《むす》び付《つ》けやうと企だてたのか、又は先達《せんだつ》ての旅行|先《さき》で、此機会をも自発的に拵《こしら》えて帰つて来《き》たのか、どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた。自分はたゞ是等の人《ひと》と同じ食卓《しよくたく》で、旨《うま》さうに午餐《ごさん》を味《あぢ》はつて見せれば、社交上の義務は其所《そこ》に終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置を付《つ》けるより外《ほか》に道《みち》はないと思案した。  代助は婆さんを呼《よ》んで着物《きもの》を出《だ》さした。面倒だと思つたが、敬意を表するために、紋付《もんつき》の夏羽織を着《き》た。袴は一重のがなかつたから、家《うち》へ行《い》つて、父《ちゝ》か兄《あに》かのを穿《は》く事に極《き》めた。代助は神経質な割《わり》に、子供の時からの習慣で、人中《ひとなか》へ出《で》るのを余り苦《く》にしなかつた。宴会とか、招待とか、送別とかいふ機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えてゐた。其|中《なか》には伯爵とか子爵とかいふ貴公子も交《まじ》つてゐた。彼は斯《こ》んな人《ひと》の仲間入《なかまいり》をして、其|仲間《なかま》なりの交際《つきあひ》に、損も得《とく》も感じなかつた。言語《げんご》動作は何処《どこ》へ出《で》ても同じであつた。外部《ぐわいぶ》から見ると、其所《そこ》が大変能く兄《あに》の誠吾に似てゐた。だから、よく知《し》らない人は、此兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じてゐた。  代助が青山に着《つ》いた時は、十一時五分前であつたが、御客はまだ来《き》てゐなかつた。兄《あに》もまだ帰《かへ》らなかつた。嫂《あによめ》丈がちやんと支度をして、座敷に坐《すは》つてゐた。代助の顔《かほ》を見て、 「あなたも、随分乱暴ね。人《ひと》を出《だ》し抜《ぬ》いて旅行するなんて」と、いきなり遣《や》り込めた。梅子は場合によると、決して論理《ロジツク》を有《も》ち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助を出《だ》し抜《ぬ》いた事には丸で気が付《つ》いてゐない挨拶の仕方《しかた》であつた。それが代助には愛嬌に見えた。で、直《すぐ》そこへ坐《すは》り込んで梅子の服装の品評を始めた。父《ちゝ》は奥にゐると聞《き》いたが、わざと行《い》かなかつた。強《し》ひられたとき、 「今に御客さんが来《き》たら、僕が奥《おく》へ知らせに行く。其時挨拶をすれば好《よ》からう」と云つて、矢っ張り平常《へいぜい》の様な無駄口《むだくち》を叩《たゝ》いてゐた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口《くち》を切《き》らなかつた。梅子は何《なん》とかして、話《はなし》を其所《そこ》へ持つて行かうとした。代助には、それが明《あき》らかに見えた。だから、猶《なほ》空《そら》とぼけて讐《かたき》を取つた。  其うち待ち設けた御客が来《き》たので、代助は約束通りすぐ父《ちゝ》の所へ知《し》らせに行《い》つた。父《ちゝ》は、案《あん》のじよう、 「左様《さう》か」とすぐ立ち上《あ》がつた丈であつた。代助に小言《こごと》を云ふ暇《ひま》も何《なに》も無《な》かつた。代助は座敷へ引き返《かへ》して来《き》て、袴を穿《は》いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉《ことごと》く顔を合はせた。父《ちゝ》と高木とが第一に話《はなし》を始めた。梅子は重《おも》に佐川の令嬢の相手になつた。そこへ兄《あに》が今朝《けさ》の通りの服装《なり》で、のつそりと這入つて来《き》た。 「いや、何《ど》うも遅《おそ》くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返《かへ》つて、 「大分《だいぶ》早《はや》かつたね」と小《ちい》さな声を掛けた。  食堂には応接|室《しつ》の次《つぎ》の間《ま》を使つた。代助は戸《と》の開《あ》いた間《あひだ》から、白《しろ》い卓布の角《かど》の際立《きはだ》つた色《いろ》を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸《ちよつと》席を立つて、次《つぎ》の入口《いりぐち》を覗《のぞ》きに行つた。それは父《ちゝ》に、食卓の準備が出来|上《あが》つた旨《むね》を知らせる為《ため》であつた。 「では何《ど》うぞ」と父《ちゝ》は立ち上《あ》がつた。高木も会釈して立ち上《あ》がつた。佐川の令嬢も叔父《おぢ》に継《つ》いで立ち上《あ》がつた。代助は其時、女の腰から下《した》の、比較的に細く長《なが》い事を発見した。食卓では、父《ちゝ》と高木が、真中《まんなか》に向き合つた。高木の右に梅子が坐つて、父《ちゝ》の左に令嬢が席を占《し》めた。女同志が向き合つた如く、誠吾と代助も向き合つた。代助は五味台《クルエツト、スタンド》を中《なか》に、少し斜《なゝめ》に反《そ》れた位地から令嬢の顔《かほ》を眺める事になつた。代助は其|頬《ほゝ》の肉と色が、著《いちぢ》るしく後《うしろ》の窓から射《さ》す光線の影響を受けて、鼻の境《さかひ》に暗過《くらす》ぎる影《かげ》を作つた様に思つた。其代り耳に接した方は、明《あき》らかに薄紅《うすくれなゐ》であつた。殊に小さい耳が、日《ひ》の光を透《とほ》してゐるかの如くデリケートに見えた。皮膚《ひふ》とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼《め》を有したゐた。此二つの対照から華《はな》やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であつた。        十二の六  食卓《しよくたく》は、人数《にんず》が人数《にんず》だけに、左程大きくはなかつた。部屋の広《ひろ》さに比例して、寧《むし》ろ小《ち》さ過《すぎ》る位であつたが、純白《じゆんぱく》な卓布を、取り集めた花で綴《つゞ》つて、其中《そのなか》に肉刀《ナイフ》と肉匙《フオーク》の色《いろ》が冴《さ》えて輝《かゞや》いた。  卓上の談話は重《おも》に平凡な世間|話《ばなし》であつた。始《はじめ》のうちは、それさへ余《あま》り興味が乗《の》らない様に見えた。父《ちゝ》は斯《か》う云ふ場合には、よく自分の好《す》きな書画骨董の話《はなし》を持ち出《だ》すのを常《つね》としてゐた。さうして気《き》が向《む》けば、いくらでも、蔵《くら》から出《だ》して来《き》て、客《きやく》の前《まへ》に陳《なら》べたものである。父《ちゝ》の御蔭《おかげ》で、代助は多少|斯道《このみち》に好悪《こうお》を有《も》てる様になつてゐた。兄《あに》も同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。たゞし、此方《このほう》は掛物《かけもの》の前《まへ》に立つて、はあ仇英《きうえい》だね、はあ応挙だねと云ふ丈であつた。面白《おもしろ》い顔《かほ》もしないから、面白い様にも見えなかつた。それから真偽《しんぎ》の鑑定の為《ため》に、虫眼鏡《むしめがね》などを振《ふ》り舞《ま》はさない所は、誠吾も代助も同じ事であつた。父《ちゝ》の様に、こんな波《なみ》は昔《むかし》の人《ひと》は描《か》かないものだから、法にかなつてゐない抔といふ批評は、双方共に、未だ嘗て如何なる画に対しても加へた事はなかつた。  父《ちゝ》は乾《かは》いた会話《くわいわ》に色彩《しきさい》を添《そ》へるため、やがて好《す》きな方面の問題に触《ふ》れて見た。所が一二言《いちにげん》で、高木はさう云ふ事《こと》に丸《まる》で無頓着な男であるといふ事が分《わか》つた。父《ちゝ》は老巧の人《ひと》だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかつた。父《ちゝ》は已《やむ》を得ず、高木に何《ど》んな娯楽があるかを確《たしか》めた。高木は特別に娯楽を持《も》たない由《よし》を答へた。父《ちゝ》は万事休すといふ体裁で、高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外に出《で》た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋《やどや》やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中《そのうち》に自然令嬢の演ずべき役割を拵《こしら》えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名が出《で》た。代助は、高木に斯《か》う云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入《ふかいり》もしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。  梅子は固より初《はじめ》から断《た》えず口《くち》を動《うご》かしてゐた。其努力の重《おも》なるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断《かんだん》なき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子の心《こゝろ》を動《うご》かさうと力《つと》めた形迹は殆んどなかつた。たゞ物《もの》を云ふときに、少し首《くび》を横《よこ》に曲《ま》げる癖《くせ》があつた。それすらも代助には媚《こび》を売《う》るとは解釈|出来《でき》なかつた。  令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始《はじ》めは琴《こと》を習つたが、後にはピヤノに易《か》えた。※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンも少し稽古《けいこ》したが、此方《このほう》は手の使《つか》い方《かた》が六※[#小書き濁点付き平仮名つ、218-1]かしいので、まあ遣《や》らないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。 「先達《せんだつ》ての歌舞伎座は如何《いかゞ》でした」と梅子が聞《き》いた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助には夫《それ》が劇を解《かい》しないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題に就《つ》いて、甲の役者は何《ど》うだの、乙の役者は何《なん》だのと評し出《だ》した。代助は又|嫂《あによめ》が論理を踏《ふ》み外《はづ》したと思つた。仕方がないから、横合《よこあひ》から、 「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と聞《き》いて芝居の話を已めさした。令嬢は其時始めて、一寸《ちよつと》代助の方を見た。けれども答は案外に判然《はつきり》してゐた。 「いえ小説も」  令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声を出《だ》して笑つた。高木は令嬢の為《ため》に説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミス何《なん》とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒《ピユリタン》の様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代|後《おく》れだと、高木は説明のあとから批評さへ付《つ》け加へた。其時は無論|誰《だれ》も笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意を有《も》つてゐない父《ちゝ》は、 「それは結構だ」と賞《ほ》めた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全く解《かい》する事が出来《でき》なかつた。にも拘はらず、 「本当にね」と趣味に適《かな》はない不得要領の言葉を使《つか》つた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。 「ぢや英語は御上手でせう」  令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。        十二の七  食事《しよくじ》が済《す》んでから、主客《しゆかく》は又応接|間《ま》に戻《もど》つて、話《はなし》を始《はじ》めたが、蝋燭《ろうそく》を継《つ》ぎ足《た》した様に、新《あた》らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋《ふた》を開《あ》けて、 「何《なに》か一つ如何《いかゞ》ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。 「ぢや、代さん、皮切《かはきり》に何か御|遣《や》り」と今度は代助に云つた。代助は人《ひと》に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟|臭《くさ》く、しつこくなる許《ばかり》だから、 「まあ、蓋《ふた》を開《あ》けて御置《おおき》なさい。今《いま》に遣《や》るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話《はな》しつゞけてゐた。  一時間程して客《きやく》は帰《かへ》つた。四人《よつたり》は肩《かた》を揃へて玄関迄|出《で》た。奥へ這入る時、 「代助はまだ帰《かへ》るんぢやなからうな」と父《ちゝ》が云つた。代助はみんなから一足《ひとあし》後《おく》れて、鴨居《かもゐ》の上《うへ》に両手が届《とゞ》く様な伸《のび》を一つした。それから、人《ひと》のゐない応接|間《ま》と食堂を少しうろ/\して座敷へ来《き》て見ると、兄《あに》と嫂《あによめ》が向き合《あ》つて何か話《はなし》をしてゐた。 「おい、すぐ帰《かへ》つちや不可《いけ》ない。御父《おとう》さんが何か用があるさうだ。奥《おく》へ御出《おいで》」と兄《あに》はわざとらしい真面目《まじめ》な調子で云つた。梅子は薄|笑《わら》ひをしてゐる。代助は黙《だま》つて頭《あたま》を掻《か》いた。  代助は一人《ひとり》で父《ちゝ》の室《へや》へ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、兄《あに》夫婦を引張つて行《い》かうとした。それが旨《うま》く成功しないので、とう/\其所《そこ》へ坐《すは》り込んで仕舞つた。所へ小間使《こまづかひ》が来《き》て、 「あの、若旦那様に一寸《ちよつと》、奥《おく》迄|入《いら》つしやる様に」と催促した。 「うん、今《いま》行《い》く」と返事をして、それから、兄《あに》夫婦に斯《か》ういふ理窟を述べた。――自分|一人《ひとり》で父《ちゝ》に逢《あ》ふと、父《ちゝ》があゝ云ふ気象の所へ持つて来《き》て、自分がこんな図法螺《づぼら》だから、殊によると大いに老人《としより》を怒《おこ》らして仕舞ふかも知れない。さうすると、兄《あに》夫婦だつて、後《あと》から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方《そのほう》が却つて迷惑になる訳だから、骨惜《ほねおしみ》をせずに今|一寸《ちよつと》一所に行《い》つて呉れたら宜《よ》からう。  兄《あに》は議論が嫌な男《おとこ》なので、何《な》んだ下《くだ》らないと云はぬ許《ばかり》の顔をしたが、 「ぢや、さあ行かう」と立ち上《あ》がつた。梅子も笑ひながらすぐに立《た》つた。三人して廊下を渡つて父《ちゝ》の室《へや》に行《い》つて、何事《なにごと》も起《おこ》らなかつたかの如く着坐した。  そこでは、梅子が如才《じよさい》なく、代助の過去に父《ちゝ》の小言《こごと》が飛《と》ばない様な手加減《てかげん》をした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へ持《も》つて行《い》つた。梅子は佐川の令嬢を大変|大人《おとな》しさうな可《い》い子《こ》だと賞《ほ》めた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も代助も同意を表した。けれども、兄《あに》は、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふ疑《うたがひ》を立《た》てた。代助は其|疑《うたがひ》にも賛成した。父《ちゝ》と嫂《あによめ》は黙《だま》つてゐた。そこで代助は、あの大人《おとな》しさは、羞恥《はにか》む性質《せいしつ》の大人《おとなし》さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。父《ちゝ》はそれも左《さ》うだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。兄《あに》は東京だつて、御前《おまへ》見《み》た様なの許《ばかり》はゐないと云つた。此時|父《ちゝ》は厳正《げんせい》な顔《かほ》をして灰吹《はいふき》を叩《たゝ》いた。次《つぎ》に、容色《きりよう》だつて十人|並《なみ》より可《い》いぢやありませんかと梅子が云つた。是には父《ちゝ》も兄《あに》も異議はなかつた。代助も賛成の旨《むね》を告白した。四人は夫《それ》から高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方《そのほう》はすぐ方付《かたづ》いて仕舞つた。不幸にして誰《だれ》も令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅《ものがた》い地味な人《ひと》だと云ふ丈は、父《ちゝ》が三人《さんにん》の前で保証した。父《ちゝ》はそれを同県下の多額納税議員の某から確《たしか》めたのださうである。最後に、佐川家の財産に就ても話《はなし》が出《で》た。其《その》時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎が確《しつか》りしてゐて安全だと云つた。  令嬢の資格が略《ほゞ》定《さだ》まつた時、父《ちゝ》は代助に向つて、 「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、何《ど》うするかね位の程度ではなかつた。代助は、 「左様《さう》ですな」と矢っ張り煮《に》え切《き》らない答をした。父《ちゝ》はじつと代助を見てゐたが、段々《だん/\》皺《しわ》の多い額《ひたひ》を曇《くも》らした。兄《あに》は仕方なしに、 「まあ、もう少し善《よ》く考へて見るが可《い》い」と云つて、代助の為《ため》に余裕を付《つ》けて呉れた。        十三の一  四日程《よつかほど》してから、代助は又|父《ちゝ》の命令で、高木の出立《しつたつ》を新橋迄見送つた。其日《そのひ》は眠《ねむ》い所を無理に早く起《おこ》されて、寐足《ねた》らない頭《あたま》を風《かぜ》に吹《ふ》かした所為《せゐ》か、停車場に着《つ》く頃《ころ》、髪《かみ》の毛の中《なか》に風邪《かぜ》を引《ひ》いた様な気がした。待合所《まちあひじよ》に這入《はい》るや否や、梅子から顔色《かほいろ》が可《よ》くないと云ふ注意を受けた。代助は何《なん》にも答へずに、帽子を脱《ぬ》いで、時々《とき/″\》濡《ぬ》れた頭《あたま》を抑えた。仕舞には朝《あさ》奇麗《きれい》に分《わ》けた髪《かみ》がもぢや/\になつた。  プラツトフオームで高木は突然代助に向つて、 「何《ど》うです此汽車で、神戸迄遊びに行きませんか」と勧めた。代助はたゞ難有うと答へた丈であつた。愈《いよ/\》汽車の出《で》る間際《まぎは》に、梅子はわざと、窓際《まどぎは》に近寄《ちかよ》つて、とくに令嬢の名を呼んで、 「近《ちか》い内《うち》に又是非入らつしやい」と云つた。令嬢は窓《まど》のなかで、叮嚀に会釈したが、窓の外《そと》へは別段の言葉も聞《きこ》えなかつた。汽車を見送つて、又改札場を出た四人《よつた》りは、それぎり離れ/″\になつた。梅子は代助を誘つて青山へ連れて行かうとしたが、代助は頭《あたま》を抑えて応じなかつた。  車《くるま》に乗つてすぐ牛込へ帰《かへ》つて、それなり書斎へ這入つて、仰向《あほむけ》に倒れた。門野《かどの》は一寸《ちよつと》其様子を覗《のぞ》きに来《き》たが、代助の平生を知つてゐるので、言葉も掛けず、椅子に引《ひ》つ掛《か》けてある羽織丈を抱《かゝ》へて出《で》て行つた。  代助は寐《ね》ながら、自分の近き未来を何《ど》うなるものだらうと考へた。斯《か》うして打遣《うちや》つて置けば、是非共|嫁《よめ》を貰《もら》はなければならなくなる。嫁《よめ》はもう今迄《いままで》に大分《だいぶ》断《ことわ》つてゐる。此上|断《ことわ》れば、愛想を尽《つ》かされるか、本当に怒《おこ》り出《だ》されるか、何方《どつち》かになるらしい。もし愛想を尽《つ》かされて、結婚勧誘をこれ限《かぎ》り断念して貰《もら》へれば、それに越した事はないが、怒《おこ》られるのは甚だ迷惑である。と云つて、進まぬものを貰《もら》ひませうと云ふのは今代人《こんだいじん》として馬鹿気てゐる。代助は此《この》ヂレンマの間《あひだ》に※[#「彳+詆のつくり」、第3水準1-84-31]徊した。  彼は父と違《ちが》つて、当初からある計画を拵らえて、自然を其計画通りに強ひる古風な人《ひと》ではなかつた。彼は自然を以て人間の拵《こしら》えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。だから父《ちゝ》が、自分の自然に逆《さか》らつて、父《ちゝ》の計画通りを強ひるならば、それは、去られた妻《つま》が、離縁状を楯《たて》に夫婦の関係を証拠|立《だ》てやうとすると一般であると考へた。けれども、そんな理窟を、父《ちゝ》に向つて述《の》べる気は、丸でなかつた。父《ちゝ》を理攻《りぜめ》にする事は困難中の困難であつた。其困難を冒した所で、代助に取つては何等の利益もなかつた。其結果は父《ちゝ》の不興を招く丈で、理由を云はずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかつた。  彼《かれ》は父《ちゝ》と兄《あに》と嫂《あによめ》の三人《さんにん》の中《うち》で、父《ちゝ》の人格に尤も疑《うたがひ》を置《お》いた。今度の結婚にしても、結婚其物が必ずしも父《ちゝ》の唯|一《いつ》の目的ではあるまいと迄推察した。けれども父《ちゝ》の本意が何処《どこ》にあるかは、固《もと》より明《あき》らかに知る機会を与へられてゐなかつた。彼は子として、父《ちゝ》の心意を斯様《かやう》に揣摩する事を、不徳義とは考へなかつた。従つて自分丈が、多くの親子《おやこ》のうちで、尤も不幸なものであると云ふ様な考は少しも起さなかつた。たゞ是がため、今日《こんにち》迄の程度より以上に、父《ちゝ》と自分の間《あひだ》が隔《へだた》つて来《き》さうなのを不快に感じた。  彼は隔離の極端として、父子《ふし》絶縁の状態を想像して見た。さうして其所《そこ》に一種の苦痛を認《みと》めた。けれども、其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた。寧《むし》ろそれから生ずる財源の杜絶《とぜつ》の方が恐ろしかつた。  もし馬鈴薯《ポテトー》が金剛石《ダイヤモンド》より大切になつたら、人間《にんげん》はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後|父《ちゝ》の怒《いかり》に触れて、万一|金銭《きんせん》上の関係が絶えるとすれば、彼《かれ》は厭《いや》でも金剛石《ダイヤモンド》を放り出して、馬鈴薯《ポテトー》に噛《かぢ》り付かなければならない。さうして其|償《つぐなひ》には自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。  彼は寐ながら、何時《いつ》迄も考へた。けれども、彼の頭《あたま》は何時《いつ》迄も何処《どこ》へも到|着《ちやく》する事が出来なかつた。彼は自分の寿命を極《き》める権利を持たぬ如く、自分の未来をも極め得なかつた。同時に、自分の寿命に、大抵の見当を付《つ》け得る如く、自分の未来にも多少の影《かげ》を認めた。さうして、徒らに其影を捕捉しやうと企てた。        十三の二  其時代助の脳の活動は、夕闇《ゆふやみ》を驚ろかす蝙蝠《かはほり》の様な幻像をちらり/\と産《う》み出《だ》すに過《す》ぎなかつた。其|羽搏《はばたき》の光《ひかり》を追《お》ひ掛《か》けて寐《ね》てゐるうちに、頭《あたま》が床《ゆか》から浮《う》き上《あ》がつて、ふわ/\する様に思はれて来《き》た。さうして、何時《いつ》の間《ま》にか軽《かる》い眠《ねむり》に陥《おちい》つた。  すると突然|誰《だれ》か耳《みゝ》の傍《はた》で半鐘を打つた。代助は火事と云ふ意識さへまだ起《おこ》らない先《さき》に眼《め》を醒《さ》ました。けれども跳《は》ね起《お》きもせずに寐《ね》てゐた。彼《かれ》の夢《ゆめ》に斯《こ》んな音《おと》の出《で》るのは殆んど普通であつた。ある時《とき》はそれが正気に返つた後《あと》迄も響《ひゞ》いてゐた。五六日|前《まへ》彼《かれ》は、彼《かれ》の家《いへ》の大いに揺《ゆ》れる自覚と共に眠《ねむり》を破《やぶ》つた。其|時《とき》彼《かれ》は明《あき》らかに、彼《かれ》の下《した》に動《うご》く畳《たゝみ》の様《さま》を、肩《かた》と腰《こし》と脊《せ》の一部に感《かん》じた。彼は又|夢《ゆめ》に得た心臓の鼓動を、覚《さ》めた後《あと》迄|持《も》ち伝《つた》へる事が屡あつた。そんな場合には聖徒《セイント》の如く、胸《むね》に手を当《あ》てゝ、眼《め》を開《あ》けた儘《まゝ》、じつと天井を見詰めてゐた。  代助は此時も半鐘の音《おと》が、じいんと耳《みゝ》の底《そこ》で鳴り尽《つく》して仕舞ふ迄|横《よこ》になつて待《ま》つてゐた。それから起《お》きた。茶《ちや》の間《ま》へ来《き》て見ると、自分の膳《ぜん》の上《うへ》に簀垂《すだれ》が掛《か》けて、火鉢の傍《そば》に据ゑてあつた。柱時計はもう十二時|回《まは》つてゐた。婆《ばあ》さんは、飯《めし》を済《す》ました後《あと》と見《み》えて、下女部屋で御|櫃《はち》の上《うへ》に肱《ひぢ》を突《つ》いて居眠《ゐねむ》りをしてゐた。門野《かどの》は何処《どこ》へ行《い》つたか影《かげ》さへ見えなかつた。  代助は風呂場へ行つて、頭《あたま》を濡《ぬ》らしたあと、独《ひと》り茶《ちや》の間《ま》の膳《ぜん》に就いた。そこで、淋《さみ》しい食事を済《すま》して、再《ふたゝ》び書斎に戻つたが、久し振《ぶ》りに今日《けふ》は少し書見をしやうと云ふ心組《こゝろぐみ》であつた。  かねて読《よ》み掛《か》けてある洋書を、栞《しをり》の挟《はさ》んである所で開《あ》けて見ると、前後の関係を丸で忘れてゐた。代助の記憶に取《と》つて斯《か》う云ふ現象は寧ろ珍《めづ》らしかつた。彼《かれ》は学校生活の時代から一種の読書家であつた。卒業の後《のち》も、衣食の煩《わづらひ》なしに、講読の利益を適意に収め得る身分《みぶん》を誇《ほこ》りにしてゐた。一|頁《ページ》も眼《め》を通《とほ》さないで、日《ひ》を送ることがあると、習慣上|何《なに》となく荒癈の感を催ふした。だから大抵な事故があつても、成るべく都合して、活字に親《したし》んだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。  代助は今茫然として、烟草《たばこ》を燻《くゆ》らしながら、読《よ》み掛けた頁《ページ》を二三枚あとへ繰《く》つて見た。そこに何《ど》んな議論があつて、それが何《ど》う続《つゞ》くのか、頭《あたま》を拵《こしら》える為《ため》に一寸《ちよつと》骨を折つた。其努力は艀《はしけ》から桟橋へ移る程|楽《らく》ではなかつた。食《く》ひ違《ちが》つた断面の甲に迷付《まごつ》いてゐるものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であつた。代助はそれでも辛抱して、約二時間程|眼《め》を頁《ページ》の上《うへ》に曝《さら》してゐた。が仕舞にとう/\堪え切れなくなつた。彼《かれ》の読《よ》んでゐるものは、活字の集合《あつまり》として、ある意味を以て、彼《かれ》の頭《あたま》に映《えい》ずるには違《ちがひ》ないが、彼《かれ》の肉や血《ち》に廻《まは》る気色は一向見えなかつた。彼《かれ》は氷嚢を隔てゝ、氷《こほり》に食《く》ひ付《つ》いた時の様に物足らなく思つた。  彼は書物を伏《ふ》せた。さうして、こんな時に書物を読《よ》むのは無理だと考へた。同時にもう安息する事も出来なくなつたと考へた。彼《かれ》の苦痛は何時《いつ》ものアンニユイではなかつた。何《なに》も為《す》るのが慵《ものう》いと云ふのとは違《ちが》つて、何《なに》か為《し》なくてはゐられない頭《あたま》の状態であつた。  彼は立ち上《あ》がつて、茶《ちや》の間《ま》へ来《き》て、畳んである羽織を又|引掛《ひつかけ》た。さうして玄関に脱《ぬ》ぎ棄てた下駄を穿《は》いて馳《か》け出《だ》す様に門を出《で》た。時は四時頃であつた。神楽坂《かぐらざか》を下《お》りて、当《あて》もなく、眼《め》に付《つ》いた第一の電車に乗《の》つた。車掌に行先《ゆくさき》を問はれたとき、口《くち》から出任《でまか》せの返事をした。紙入《かみいれ》を開《あ》けたら、三千代に遣《や》つた旅行費の余りが、三折《みつをり》の深底《ふかぞこ》の方にまだ這入つてゐた。代助は乗車券を買つた後《あと》で、札の数を調べて見た。  彼《かれ》は其晩を赤坂のある待合で暮《く》らした。其所《そこ》で面白い話《はなし》を聞《き》いた。ある若《わか》くて美くしい女が、去る男と関係して、其種《そのたね》を宿《やど》した所が、愈子を生《う》む段になつて、涙《なみだ》を零《こぼ》して悲《かな》しがつた。後《あと》から其訳を聞いたら、こんな年《とし》で子供を生《う》ませられるのは情《なさけ》ないからだと答へた。此女は愛を専《もつぱ》らにする時機が余り短か過《す》ぎて、親子《おやこ》の関係が容赦もなく、若い頭《あたま》の上《うへ》を襲つて来《き》たのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論|堅気《かたぎ》の女ではなかつた。代助は肉の美《び》と、霊《れい》の愛にのみ己《おの》れを捧げて、其他を顧みぬ女の心理状体として、此話を甚だ興味あるものと思つた。        十三の三  翌日《よくじつ》になつて、代助はとう/\又三千代に逢《あ》ひに行つた。其時|彼《かれ》は腹《はら》の中《なか》で、先達《せんだつ》て置《お》いて来《き》た金《かね》の事を、三千代が平岡に話したらうか、話《はな》さなかつたらうか、もし話《はな》したとすれば何《ど》んな結果を夫婦の上《うへ》に生じたらうか、それが気掛《きがゝ》りだからと云ふ口実を拵《こし》らえた。彼は此|気掛《きがゝり》が、自分を駆《か》つて、凝《じつ》と落ち付《つ》かれない様に、東西に引張回《ひつぱりまは》した揚句、遂《つい》に三千代の方に吹《ふ》き付《つ》けるのだと解釈した。  代助は家《いへ》を出《で》る前《まへ》に、昨夕《ゆふべ》着《き》た肌着《はだぎ》も単衣《ひとへ》も悉く改《あらた》めて気《き》を新《あらた》にした。外《そと》は寒暖計の度盛《どもり》の日を逐《お》ふて騰《あが》る頃《ころ》であつた。歩《ある》いてゐると、湿《しめ》つぽい梅雨《つゆ》が却つて待ち遠《とほ》しい程|熾《さか》んに日《ひ》が照《て》つた。代助は昨夕《ゆふべ》の反動で、此陽気な空気の中《なか》に落《お》ちる自分の黒《くろ》い影《かげ》が苦《く》になつた。広《ひろ》い鍔《つば》の夏帽《なつぼう》を被《かぶ》りながら、早く雨季《うき》に入れば好《い》いと云ふ心持があつた。其|雨季《うき》はもう二三|日《にち》の眼前《がんぜん》に逼《せま》つてゐた。彼《かれ》の頭《あたま》はそれを予報するかの様に、どんよりと重《おも》かつた。  平岡の家《うち》の前《まへ》へ来《き》た時は、曇《くも》つた頭《あたま》を厚《あつ》く掩ふ髪《かみ》の根元《ねもと》が息切《いき》れてゐた。代助は家《いへ》に入る前《まへ》に先《ま》づ帽子を脱《ぬ》いだ。格子には締《しま》りがしてあつた。物音《ものおと》を目的《めあて》に裏《うら》へ回《まは》ると、三千代は下女と張物《はりもの》をしてゐた。物置《ものおき》の横《よこ》へ立《た》て掛《か》けた張板《はりいた》の中途《ちうと》から、細《ほそ》い首《くび》を前へ出《だ》して、曲《こゞ》みながら、苦茶《くちや》々々になつたものを丹念に引き伸《の》ばしつゝあつた手を留《と》めて、代助を見《み》た。一寸《ちよつと》は何《なん》とも云はなかつた。代助も、しばらくは唯《たゞ》立《た》つてゐた。漸くにして、 「又|来《き》ました」と云つた時《とき》、三千代は濡《ぬ》れた手を振《ふ》つて、馳け込む様に勝手から上《あ》がつた。同時に表《おもて》へ回《まは》れと眼《め》で合図をした。三千代は自分で沓脱《くつぬぎ》へ下《お》りて、格子の締《しまり》を外《はづ》しながら、 「無《ぶ》用|心《じん》だから」と云つた。今迄《いままで》日の透《とほ》る澄《す》んだ空気の下《した》で、手《て》を動《うご》かしてゐた所為《せゐ》で、頬《ほゝ》の所《ところ》が熱《ほて》つて見えた。それが額際《ひたひぎは》へ来《き》て何時《いつ》もの様に蒼白《あをしろ》く変《かは》つてゐる辺《あたり》に、汗《あせ》が少し煮染《にじ》み出《だ》した。代助は格子の外《そと》から、三千代の極《きわ》めて薄手《うすで》な皮膚を眺めて、戸の開《あ》くのを静かに待《ま》つた。三千代は、 「御待遠さま」と云つて、代助を誘《いざな》ふ様に、一足《ひとあし》横《よこ》へ退《の》いた。代助は三千代とすれ/\になつて内《うち》へ這入《はい》つた。座敷《ざしき》へ来《き》て見ると、平岡の机の前《まへ》に、紫《むらさき》の座蒲団がちやんと据《す》ゑてあつた。代助はそれを見た時|一寸《ちよつと》厭《いや》な心持がした。土《つち》の和《な》れない庭《には》の色《いろ》が黄色《きいろ》に光《ひか》る所に、長《なが》い草が見苦しく生《は》えた。  代助は又|忙《いそ》がしい所を、邪魔に来《き》て済まないといふ様な尋常な云訳《いひわけ》を述べながら、此無趣味な庭《には》を眺めた。其時三千代をこんな家《うち》へ入れて置《お》くのは実際気の毒だといふ気が起《おこ》つた。三千代は水《みづ》いぢりで爪先《つまさき》の少《すこ》しふやけた手《て》を膝《ひざ》の上《うへ》に重《かさ》ねて、あまり退屈《たいくつ》だから張物《はりもの》をしてゐた所だと云つた。三千代の退屈といふ意味は、夫《おつと》が始終|外《そと》へ出《で》てゐて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云ふ事であつた。代助はわざと、 「結構な身分《みぶん》ですね」と冷《ひや》かした。三千代は自分の荒涼な胸《むね》の中《うち》を代助に訴へる様子もなかつた。黙《だま》つて、次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つて行《い》つた。用簟笥の環《くわん》を響《ひゞ》かして、赤《あか》い天鵞絨で張《は》つた小《ち》さい箱《はこ》を持《も》つて出《で》て来《き》た。代助の前《まへ》へ坐《すは》つて、それを開《あ》けた。中《なか》には昔し代助の遣《や》つた指環がちやんと這入《はい》つてゐた。三千代は、たゞ 「可《い》でせう、ね」と代助に謝罪する様に云つて、すぐ又立つて次《つぎ》の間《ま》へ行《い》つた。さうして、世《よ》の中《なか》を憚《はゞ》かる様に、記念の指環をそこ/\に用簟笥に仕舞つて元《もと》の坐に戻つた。代助は指環に就ては何事も語《かた》らなかつた。庭《には》の方を見て、 「そんなに閑《ひま》なら、庭《には》の草《くさ》でも取《と》つたら、何《ど》うです」と云つた。すると今度は三千代の方が黙《だま》つて仕舞つた。それが、少時《しばらく》続《つゞ》いた後《あと》で代助は又|改《あら》ためて聞いた。 「此間《このあひだ》の事を平岡君に話《はな》したんですか」  三千代は低《ひく》い声《こえ》で、 「いゝえ」と答へた。 「ぢや、未《ま》だ知らないんですか」と聞き返した。  其時三千代の説明には、話さうと思つたけれども、此頃平岡はついぞ落ち付《つ》いて宅《うち》にゐた事がないので、つい話《はな》しそびれて未《ま》だ知らせずにゐると云ふ事であつた。代助は固より三千代の説明を嘘《うそ》とは思はなかつた。けれども、五分《ごふん》の閑《ひま》さへあれば夫《おつと》に話《はな》される事を、今日《けふ》迄それなりに為《し》てあるのは、三千代の腹《はら》の中《なか》に、何だか話《はな》し悪《にく》い或《ある》蟠《わだか》まりがあるからだと思はずにはゐられなかつた。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人《ひと》にして仕舞つたと代助は考へた。けれども夫《それ》は左程に代助の良心を螫《さ》すには至らなかつた。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も此結果に対して明かに責《せめ》を分《わか》たなければならないと思つたからである。        十三の四  代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た。三千代は例によつて多くを語る事を好《この》まなかつた。然し平岡の妻に対する仕打《しうち》が結婚当時と変つてゐるのは明《あきら》かであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時|既《すで》にそれを見抜いた。夫《それ》から以後|改《あらた》まつて両人《ふたり》の腹《はら》の中《なか》を聞いた事《こと》はないが、それが日毎に好《よ》くない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた。夫婦の間《あひだ》に、代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此|疎隔《そかく》が起つたとすれば、代助は此方面に向つて、もつと注意深く働らいたかも知れなかつた。けれども代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた。彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、夫《おつと》の精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上《うへ》で、平岡は貰《もら》ふべからざる人《ひと》を貰《もら》ひ、三千代は嫁《とつ》ぐ可《べ》からざる人《ひと》に嫁《とつ》いだのだと解決した。代助は心の中《うち》で痛《いた》く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為《ため》に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動《うご》かすが為《ため》に、平岡が妻《さい》から離れたとは、何《ど》うしても思ひ得なかつた。  同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方では否《いな》み切れなかつた。三千代が平岡に嫁《とつ》ぐ前《まへ》、代助と三千代の間柄《あひだがら》は、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらく措《お》くとしても、彼《かれ》は現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた。彼は病気に冒された三千代をたゞの昔《むかし》の三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供を亡《な》くなした三千代をたゞの昔《むかし》の三千代よりは気の毒に思つた。彼は夫《おつと》の愛を失ひつゝある三千代をたゞの昔《むかし》の三千代よりは気の毒に思つた。彼《かれ》は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔《むかし》の三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦の間《あひだ》を、正面から永久に引き放《はな》さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。  三千代の眼《ま》のあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた。平岡が自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へ回《まは》さない事は、三千代の口吻で慥《たしか》であつた。代助は此点丈でもまづ何《ど》うかしなければなるまいと考へた。それで、 「一《ひと》つ私《わたし》が平岡君に逢《あ》つて、能く話して見やう」と云つた。三千代は淋しい顔《かほ》をして代助を見た。旨《うま》く行けば結構だが、遣《や》り損《そく》なへば益三千代の迷惑になる許《ばかり》だとは代助も承知してゐたので、強ひて左様《さう》しやうとも主張しかねた。三千代は又立つて次《つぎ》の間《ま》から一封《いつぷう》の書状を持《も》つて来《き》た。書状は薄青《うすあを》い状袋へ這入つてゐた。北海道にゐる父《ちゝ》から三千代へ宛《あて》たものであつた。三千代は状袋の中《なか》から長い手紙を出《だ》して、代助に見せた。  手紙には向《むか》ふの思はしくない事や、物価の高くて活計《くらし》にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出《で》たいが都合はつくまいかと云ふ事や、――凡て憐れな事ばかり書《か》いてあつた。代助は叮嚀に手紙を巻《ま》き返して、三千代に渡《わた》した。其時三千代は眼《め》の中《なか》に涙《なみだ》を溜《た》めてゐた。  三千代の父はかつて多少の財産と称《とな》へらるべき田畠の所有者であつた。日露戦争の当時、人の勧《すゝめ》に応じて、株に手を出して全く遣《や》り損《そく》なつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つたのである。其後《そのご》の消息は、代助も今《いま》此手紙を見せられる迄一向知らなかつた。親類はあれども無《な》きが如しだとは三千代の兄《あに》が生きてゐる時分よく代助に語つた言葉であつた。果《はた》して三千代は、父《ちゝ》と平岡ばかりを便《たより》に生きてゐた。 「貴方《あなた》は羨《うらや》ましいのね」と瞬《またゝ》きながら云つた。代助はそれを否定する勇気に乏しかつた。しばらくしてから又、 「何《なん》だつて、まだ奥《おく》さんを御貰《おもら》ひなさらないの」と聞いた。代助は此|問《とひ》にも答へる事が出|来《き》なかつた。        十三の五  しばらく黙然《もくねん》として三千代の顔を見てゐるうちに、女の頬《ほゝ》から血《ち》の色《いろ》が次第に退《しり》ぞいて行《い》つて、普通よりは眼《め》に付く程|蒼白《あをしろ》くなつた。其時《そのとき》代助は三千代と差向《さしむかひ》で、より長く坐《すは》つてゐる事の危険に、始めて気が付《つ》いた。自然の情|合《あひ》から流《なが》れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、準《じゆん》縄の埒《らつ》を踏《ふ》み超えさせるのは、今《いま》二三|分《ぷん》の裡《うち》にあつた。代助は固より夫《それ》より先《さき》へ進《すゝ》んでも、猶|素知《そし》らぬ顔《かほ》で引返《ひきかへ》し得《う》る、会話の方を心得《こゝろえ》てゐた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちに出《で》て来《く》る男女の情話が、あまりに露骨《ろこつ》で、あまりに放肆で、且つあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪《あやし》んでゐた。原語で読めば兎に角、日本には訳し得ぬ趣味のものと考へてゐた。従つて彼は自分と三千代との関係を発展させる為《ため》に、舶来の台詞《せりふ》を用ひる意志は毫もなかつた。少《すく》なくとも二人《ふたり》の間《あひだ》では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所《そこ》に、甲の位地から、知らぬ間《ま》に乙の位置に滑《すべ》り込む危険が潜《ひそ》んでゐた。代助は辛《から》うじて、今一歩《いまいつぽ》と云ふ際《きは》どい所で、踏み留《とゞ》まつた。帰る時、三千代《みちよ》は玄関迄送つて来《き》て、 「淋《さむ》しくつて不可《いけ》ないから、又|来《き》て頂戴」と云つた。下女はまだ裏《うら》で張物《はりもの》をしてゐた。  表《おもて》へ出《で》た代助は、ふら/\と一丁程|歩《ある》いた。好《い》い所《ところ》で切《き》り上《あ》げたといふ意識があるべき筈であるのに、彼《かれ》の心《こゝろ》にはさう云ふ満足が些《ちつ》とも無《な》かつた。と云つて、もつと三千代と対座してゐて、自然の命《めい》ずるが儘《まゝ》に、話し尽して帰れば可《よ》かつたといふ後|悔《くわい》もなかつた。彼《かれ》は、彼所《あすこ》で切り上《あ》げても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であつたと思ひ出した。自分と三千代との現在の関係は、此前《このまへ》逢つた時、既に発展してゐたのだと思ひ出した。否、其前逢つた時既に、と思ひ出《だ》した。代助は二人《ふたり》の過去を順次に溯《さかの》ぼつて見て、いづれの断面《だんめん》にも、二人《ふたり》の間に燃《もえ》る愛の炎《ほのほ》を見出さない事はなかつた。必竟は、三千代が平岡に嫁《とつ》ぐ前、既《すで》に自分に嫁《とつ》いでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたき重《おも》いものを、胸《むね》の中《なか》に投《な》げ込《こ》まれた。彼《かれ》は其《その》重量の為《ため》に、足《あし》がふらついた。家《いへ》に帰つた時、門野《かどの》が、 「大変|顔《かほ》の色《いろ》が悪《わる》い様ですね、何《ど》うかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へ行《い》つて、蒼《あを》い額《ひたひ》から奇麗に汗《あせ》を拭《ふ》き取つた。さうして、長く延《の》び過《す》ぎた髪を冷水に浸《ひた》した。  それから二日《ふつか》程代助は全く外出しなかつた。三日目の午後、電車に乗《の》つて、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢つて、三千代の為《ため》に充分|話《はなし》をする決心であつた。給仕に名刺を渡《わた》して、埃《ほこり》だらけの受付《うけつけ》に待《ま》つてゐる間《あひだ》、彼《かれ》はしばしば袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して、鼻を掩ふた。やがて、二階の応接|間《ま》へ案内された。其所《そこ》は風|通《とほ》しの悪《わる》い、蒸《む》し暑《あつ》い、陰気な狭《せま》い部屋であつた。代助は此所《こゝ》で烟草《たばこ》を一本|吹《ふ》かした。編輯室と書《か》いた戸口《とぐち》が始終|開《あ》いて、人《ひと》が出《で》たり這入《はい》つたりした。代助の逢《あ》ひに来《き》た平岡も其|戸口《とぐち》から現《あら》はれた。先達て見《み》た夏服《なつふく》を着《き》て、相変らず奇麗な襟《カラ》とカフスを掛《か》けてゐた。忙《いそが》しさうに、 「やあ、暫《しばら》く」と云つて代助の前《まへ》に立《た》つた。代助も相手に唆《そゝの》かされた様に立ち上《あ》がつた。二人《ふたり》は立《た》ちながら一寸《ちよつと》話《はなし》をした。丁度編輯のいそがしい時《とき》で緩《ゆつ》くり何《ど》うする事も出来なかつた。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポツケツトから時計を出《だ》して見て、 「失敬だが、もう一時間程して来《き》てくれないか」と云つた。代助は帽子を取つて、又|暗《くら》い埃《ほこり》だらけの階段を下《お》りた。表へ出《で》ると、夫《それ》でも涼《すゞ》しい風が吹いた。  代助はあてもなく、其所《そこ》いらを逍遥《ぶらつ》いた。さうして、愈平岡と逢つたら、どんな風に話《はなし》を切《き》り出《だ》さうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与へたい為《ため》に外《ほか》ならなかつた。けれども、夫《それ》が為《ため》に、却つて平岡の感情を害《がい》する事があるかも知れないと思つた。代助は其悪結果の極端として、平岡と自分の間に起り得る破裂をさへ予想した。然し、其時は何《ど》んな具合にして、三千代を救はうかと云ふ成|案《あん》はなかつた。代助は三千代と相対《あひたい》づくで、自分等《じぶんら》二人《ふたり》の間《あひだ》をあれ以上に何《ど》うかする勇気を有《も》たなかつたと同時に、三千代のために、何《なに》かしなくては居られなくなつたのである。だから、今日《けふ》の会見は、理知の作用から出《で》た安全の策と云ふよりも、寧ろ情の旋風《つむじ》に捲《ま》き込《こ》まれた冒険の働《はたら》きであつた。其所《そこ》に平生の代助と異なる点があらはれてゐた。けれども、代助自身は夫《それ》に気が付いてゐなかつた。一時間の後《のち》彼《かれ》は又編輯室の入口《いりぐち》に立つた。さうして、平岡と一所に新聞社の門を出た。        十三の六  裏通りを三四丁|来《き》た所で、平岡が先《さき》へ立つて或家《あるいへ》に這入《はい》つた。座敷《ざしき》の軒《のき》に釣忍《つりしのぶ》が懸《かゝ》つて、狭《せま》い庭《には》が水で一面に濡《ぬ》れてゐた。平岡は上衣《うはぎ》を脱《ぬ》いで、すぐ胡坐《あぐら》をかいた。代助は左程|暑《あつ》いとも思はなかつた。団扇は手にした丈で済《す》んだ。  会話は新聞社内の有様《ありさま》から始まつた。平岡は忙《いそが》しい様で却つて楽《らく》な商買で好《い》いと云つた。其語気には別に負惜《まけおし》みの様子も見えなかつた。代助は、それは無責任だからだらうと調戯《からか》つた。平岡は真面目になつて、弁解をした。さうして、今日《こんにち》の新聞事業程競争の烈しくて、機敏な頭《あたま》を要するものはないと云ふ理由《わけ》を説明した。 「成程たゞ筆《ふで》が達者な丈ぢや仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかつた。すると、平岡は斯《か》う云つた。 「僕は経済方面の係りだが、単にそれ丈でも中々《なか/\》面白い事実が挙《あ》がつてゐる。ちと、君の家《うち》の会社の内幕《うちまく》でも書《か》いて御覧に入れやうか」  代助は自分の平生の観察から、斯《こ》んな事を云はれて、驚ろく程ぼんやりしては居《ゐ》なかつた。 「書《か》くのも面白《おもしろ》いだらう。其代り公平に願ひたいな」と云つた。 「無論|嘘《うそ》は書《か》かない積《つもり》だ」 「いえ、僕《ぼく》の兄《あに》の会社ばかりでなく、一列一体《いちれついつたい》に筆誅して貰ひたいと云ふ意味だ」  平岡は此時邪気のある笑《わら》ひ方《かた》をした。さうして、 「日糖事件丈ぢや物足《ものた》りないからね」と奥歯に物の挟《はさ》まつた様に云つた。代助は黙《だま》つて酒を飲んだ。話《はなし》は此調子で段々はずみを失《うしな》ふ様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思つたものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組に起《おこ》つた逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になつてゐた。それを毎日《まいにち》何《なん》頭かづつ、納めて置いては、夜《よる》になると、そつと行つて偸《ぬす》み出《だ》して来《き》た。さうして、知らぬ顔をして、翌日《あくるひ》同じ牛《うし》を又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍も買《か》つてゐた。が仕舞に気が付いて、一遍受取つた牛には焼印を押した。所がそれを知らずに、又|偸《ぬす》み出《だ》した。のみならず、それを平気に翌日《あくるひ》連れて行《い》つたので、とう/\露見《ろけん》して仕舞つたのださうである。  代助は此話《このはなし》を聞いた時、その実社会に触れてゐる点に於て、現代的滑稽の標本だと思つた。平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人《ひと》を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家《いへ》の前《まへ》と後《うしろ》に巡査が二三人|宛《づゝ》昼夜|張番《はりばん》をしてゐる。一時は天幕《てんと》を張つて、其|中《なか》から覗《ねら》つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後《あと》を付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ来《き》たと、夫《それ》から夫《それ》へと電話が掛《かゝ》つて東京市中大騒ぎである。新宿《しんじゆく》警察署では秋水|一人《ひとり》の為《ため》に月々《つき/″\》百円|使《つか》つてゐる。同じ仲間《なかま》の飴屋《あめや》が、大道で飴細工《あめざいく》を拵《こしら》えてゐると、白服《しろふく》の巡査が、飴《あめ》の前《まへ》へ鼻《はな》を出《だ》して、邪魔になつて仕方《しかた》がない。  是も代助の耳《みゝ》には、真面目《まじめ》な響《ひゞき》を与へなかつた。 「矢っ張り現代的滑稽の標本ぢやないか」と平岡は先刻《さつき》の批評を繰《く》り返《かへ》しながら、代助を挑《いど》んだ。代助はさうさと笑つたが、此方面にはあまり興味がないのみならず、今日《けふ》は平生《いつも》の様に普通の世間|話《ばなし》をする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻《さつき》平岡の呼ばうと云ふ芸者を無理に已めさしたのも是が為《ため》であつた。 「実《じつ》は君《きみ》に話《はな》したい事があるんだが」と代助は遂《つい》に云ひ出《だ》した。すると、平岡は急に様子を変へて、落ち付《つ》かない眼《め》を代助の上《うへ》に注《そゝ》いだが、卒然《そつぜん》として、 「そりや、僕も疾《と》うから、何《ど》うかする積《つもり》なんだけれども、今《いま》の所ぢや仕方《しかた》がない。もう少《すこ》し待つて呉れ玉へ。其代り君の兄《にい》さんや御父《おとつ》さんの事も、斯《か》うして書《か》かずにゐるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿馬鹿しいと云ふより、寧ろ一種の憎悪《ぞうお》を感じた。 「君《きみ》も大分《だいぶ》変《かは》つたね」と冷《ひやゝ》かに云つた。 「君《きみ》の変《かは》つた如《ごと》く変《かは》つちまつた。斯《か》う摺《す》れちや仕方《しかた》がない。だから、もう少《すこ》し待つて呉《く》れ給《たま》へ」と答へて、平岡はわざとらしい笑《わら》ひ方《かた》をした。        十三の七  代助は平岡の言語《げんご》の如何《いかん》に拘《かゝ》はらず、自分の云ふ事丈は云はうと極《き》めた。なまじい、借金の催促に来《き》たんぢやない抔と弁明《べんめい》すると、又平岡が其|裏《うら》を行《ゆ》くのが癪《しやく》だから、向ふの疳違《かんちがひ》は、疳違《かんちがひ》で構《かま》はないとして置《お》いて、此方《こつち》は此方《こつち》の歩《ほ》を進める態度《たいど》に出《で》た。けれども第一に困《こま》つたのは、平岡の勝手|元《もと》の都合を、三千代の訴《うつた》へによつて知《し》つたと切《き》り出《だ》しては、三千代に迷惑《めいわく》が掛《かゝ》るかも知れない。と云つて、問題が其所《そこ》に触《ふ》れなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方《しかた》なしに迂回《うくわい》した。 「君《きみ》は近来|斯《か》う云ふ所へ大分《だいぶ》頻繁《ひんぱん》に出《で》はいりをすると見《み》えて、家《うち》のものとは、みんな御|馴染《なじみ》だね」 「君《きみ》の様に金回《かねまは》りが好《よ》くないから、さう豪遊も出来ないが、交際《つきあひ》だから仕方がないよ」と云つて、平岡は器用な手付《てつき》をして猪口《ちよく》を口《くち》へ着《つ》けた。 「余計な事だが、それで家《うち》の方《ほう》の経済は、収支|償《つぐ》なふのかい」と代助は思ひ切つて猛進した。 「うん。まあ、好《い》い加減《かげん》にやつてるさ」  斯う云つた平岡は、急に調子を落《おと》して、極《きわ》めて気のない返事をした。代助は夫限《それぎり》食《く》ひ込《こ》めなくなつた。已《やむ》を得ず、 「不断《ふだん》は今頃《いまごろ》もう家《うち》へ帰《かへ》つてゐるんだらう。此間《このあひだ》僕が訪《たづ》ねた時は大分《だいぶ》遅《おそ》かつた様だが」と聞いた。すると、平岡は矢張《やはり》問題を回避《くわいひ》する様な語気で、 「まあ帰つたり、帰《かへ》らなかつたりだ。職業が斯《か》う云ふ不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云つた。 「三千代さんは淋《さむ》しいだらう」 「なに大丈夫だ。彼奴《あいつ》も大分《だいぶ》変《かは》つたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其|眸《ひとみ》の内《うち》に危《あや》しい恐れを感じた。ことによると、此夫婦の関係は元《もと》に戻《もど》せないなと思つた。もし此夫婦が自然の斧《おの》で割《さ》き限《きり》に割《さ》かれるとすると、自分の運命は取《と》り帰《かへ》しの付《つ》かない未来を眼《め》の前《まへ》に控えてゐる。夫婦が離れゝば離れる程、自分《じぶん》と三千代はそれ丈接近しなければならないからである。代助は即座《そくざ》の衝動《しやうどう》の如《ごと》くに云つた。―― 「そんな事が、あらう筈《はづ》がない。いくら、変《かは》つたつて、そりや唯《たゞ》年《とし》を取《と》つた丈の変化だ。成るべく帰《かへ》つて三千代さんに安慰を与へて遣《や》れ」 「君はさう思ふか」と云ひさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、たゞ、 「思ふかつて、誰《だれ》だつて左様《さう》思はざるを得んぢやないか」と半ば口《くち》から出任《でまか》せに答へた。 「君は三千代を三年|前《まへ》の三千代と思つてるか。大分《だいぶ》変つたよ。あゝ、大分《だいぶ》変《かは》つたよ」と平岡は又ぐいと飲《の》んだ。代助は覚《おぼ》えず胸《むね》の動|悸《き》を感じた。 「同《おん》なじだ、僕《ぼく》の見る所では全く同《おんな》じだ。少《すこ》しも変《かは》つてゐやしない」 「だつて、僕は家《うち》へ帰つても面白《おもしろ》くないから仕方がないぢやないか」 「そんな筈《はづ》はない」  平岡は眼《め》を丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸が逼《せま》つた。けれども、罪あるものが雷火《らいくわ》に打たれた様な気は全たくなかつた。彼は平生にも似ず論理に合はない事をたゞ衝動的に云つた。然しそれは眼《め》の前にゐる平岡のためだと固く信じて疑《うたが》はなかつた。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便《たより》に、自分を三千代から永く振り放《はな》さうとする最後の試《こゝろ》みを、半ば無意識的に遣《や》つた丈であつた。自分と三千代の関係を、平岡から隠《かく》す為《ため》の、糊塗策《ことさく》とは毫も考へてゐなかつた。代助は平岡に対して、左程に不信な言動《げんどう》を敢てするには、余《あま》りに高尚であると、優に自己を評価してゐた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰《かへ》つた。 「だつて、君がさう外《そと》へ許《ばかり》出《で》てゐれば、自然|金《かね》も要《い》る。従つて家《うち》の経済も旨《うま》く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」  平岡は、白襯衣《しろしやつ》の袖《そで》を腕《うで》の中途《ちうと》迄|捲《まく》り上《あ》げて、 「家庭か。家庭もあまり下《くだ》さつたものぢやない。家庭を重《おも》く見るのは、君《きみ》の様な独身|者《もの》に限《かぎ》る様だね」と云つた。        十三の八  此|言葉《ことば》を聞《き》いたとき、代助は平岡が悪《にく》くなつた。あからさまに自分の腹《はら》の中《なか》を云ふと、そんなに家庭が嫌《きらひ》なら、嫌《きらひ》でよし、其代り細君を奪《と》つちまふぞと判然《はつきり》知らせたかつた。けれども二人《ふたり》の問答は、其所《そこ》迄|行《ゆ》くには、まだ中中《なかなか》間《あひだ》があつた。代助はもう一遍|外《ほか》の方面から平岡の内部に触れて見た。 「君《きみ》が東京へ着《き》たてに、僕は君から説教されたね。何《なに》か遣《や》れつて」 「うん。さうして君の消極な哲学を聞《き》かされて驚ろいた」  代助は実際平岡が驚ろいたらうと思つた。その時の平岡は、熱病に罹《かゝ》つた人間《にんげん》の如く行為《アクシヨン》に渇《かは》いてゐた。彼は行為《アクシヨン》の結果として、富を冀つてゐたか、もしくは名誉、もしくは権勢を冀つてゐたか。夫《それ》でなければ、活動としての行為《アクシヨン》其物を求めてゐたか。それは代助にも分《わか》らなかつた。 「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、あゝ云ふ消極な意見も出すが。――元来意見があつて、人《ひと》がそれに則《のつと》るのぢやない。人《ひと》があつて、其人《そのひと》に適《てき》した様な意見が出《で》て来《く》るのだから、僕《ぼく》の説は僕《ぼく》丈に通用する丈だ。決して君の身の上を、あの説で、何《ど》うしやうの斯《か》うしやうのと云ふ訳ぢやない。僕はあの時の君の意気に敬服してゐる。君《きみ》はあの時自分で云つた如く、全く活動の人だ。是非共活動して貰《もら》ひたい」 「無論大いに遣《や》る積《つもり》だ」  平岡の答《こたへ》はたゞ此一句|限《ぎり》であつた。代助は腹《はら》の中《なか》で首《くび》を傾《かたむ》けた。 「新聞で遣《や》る積《つもり》かね」  平岡は一寸《ちよつと》※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇《ちうちよ》した。が、やがて、判然《はつきり》云ひ放《はな》つた。―― 「新聞にゐるうちは、新聞で遣《や》る積《つもり》だ」 「大いに要領を得てゐる。僕だつて君の一生涯の事を聞いてゐるんぢやないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」 「出来《でき》る積《つもり》だ」と平岡は簡明な挨拶をした。  話《はなし》は此所《こゝ》迄来ても、たゞ抽象的に進んだ丈であつた。代助は言葉の上《うへ》でこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事は些《ちつ》とも出来《でき》なかつた。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしてゐる様な気がした。代助は此時思ひ切つた政略的な御世辞を云つた。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加はつて斃れたため、当時の人《ひと》から偶像《アイドル》視されて、とう/\軍神と迄崇められた。けれども、四五年後の今日《こんにち》に至つて見ると、もう軍神広瀬中佐の名を口《くち》にするものも殆んどなくなつて仕舞つた。英雄《ヒーロー》の流行《はやり》廃《すたり》はこれ程急劇なものである。と云ふのは、多くの場合に於て、英雄《ヒーロー》とは其時代に極めて大切な人《ひと》といふ事で、名前丈は偉《えら》さうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だから其大切な時機を通り越すと、世間は其資格を段々奪ひにかゝる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だらうが、平和|克《こく》復の暁《あかつき》には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人《りんじん》に対して現金《げんきん》である如く、英雄《ヒーロー》に対しても現金である。だから、斯《か》う云ふ偶像にも亦常に新陳代謝や生存競争が行はれてゐる。さう云ふ訳で、代助は英雄《ヒーロー》なぞに担《かつ》がれたい了見は更にない。が、もし茲に野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣《けん》の力よりも、永久的の筆の力で、英雄《ヒーロー》になつた方が長持《ながもち》がする。新聞は其方面の代表的事業である。  代助は此所《こゝ》迄|述《の》べて見たが、元来が御世辞の上《うへ》に、云ふ事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかつた。平岡は其返事に、 「いや難有う」と云つた丈であつた。別段腹を立てた様子も見えなかつたが、些《ちつ》とも感激してゐないのは、此返事でも明かであつた。  代助は少々平岡を低く見過ぎたのに恥《は》ぢ入つた。実は此側《このがは》から、彼《かれ》の心を動《うご》かして、旨《うま》く油《あぶら》の乗《の》つた所を、中途から転《ころ》がして、元《もと》の家庭へ滑《すべ》り込ませるのが、代助の計画であつた。代助は此迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌《さてつ》して仕舞つた。        十三の九  其夜《そのよ》代助は平岡と遂に愚図々々で分《わか》れた。会見の結果から云ふと、何の為《ため》に平岡を新聞社に訪《たづ》ねたのだか、自分にも分《わか》らなかつた。平岡の方から見れば、猶更|左様《さう》であつた。代助は必竟|何《なに》しに新聞社迄出掛て来《き》たのか、帰る迄ついに問ひ詰《つ》めづに済んで仕舞つた。  代助は翌日《よくじつ》になつて独《ひと》り書斎で、昨夕《ゆふべ》の有様《ありさま》を何遍《なんべん》となく頭《あたま》の中《なか》で繰《く》り返した。二時|間《かん》も一所に話《はな》してゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的|真面目《まじめ》であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其|真面目《まじめ》は、単に動機《どうき》の真面目《まじめ》で、口《くち》にした言葉は矢張|好加減《いゝかげん》な出任《でまか》せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許《うそばかり》と云つても可《よ》かつた。自分で真面目《まじめ》だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、固《もと》より真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落《おと》し込まうと、たくらんで掛《かゝ》つた、打算《ださん》的のものであつた。従つて平岡を何《ど》うする事も出来なかつた。  もし思ひ切つて、三千代を引合《ひきあひ》に出《だ》して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述《の》べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺《ゆすぶ》る事が出来た。もつと彼《かれ》の肺腑に入る事が出来た。に違《ちがひ》ない。其代り遣《や》り損《そこな》へば、三千代に迷惑がかゝつて来《く》る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。  代助は知らず/\の間《あひだ》に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もし斯《か》う云ふ態度で平岡に当《あた》りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委《ゆだ》ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許《ゆる》さぬ矛盾を、厚顔《こうがん》に犯してゐたと云はなければならない。  代助は昔《むかし》の人《ひと》が、頭脳《づのう》の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自《みづか》らは固《かた》く人《ひと》の為《ため》と信じて、泣《な》いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動《うご》かし得たのを羨《うらや》ましく思つた。自分の頭《あたま》が、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕《ゆふべ》の会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人《ひと》から、ことに自分の父《ちゝ》から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。彼《かれ》の解剖によると、事実は斯《か》うであつた。人間《にんげん》は熱誠を以て当《あた》つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒《てら》つて、己れを高くする山師《やまし》に過ぎない。だから彼《かれ》の冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果には外《ほか》ならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其《その》あまりに、狡黠《ずる》くつて、不真面目《ふまじめ》で、大抵は虚偽《きよぎ》を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。  此所《こゝ》で彼は一《いつ》のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔《むかし》に返るか。何方《どつち》かにしなければ生活の意義を失つたものと等《ひと》しいと考へた。其他のあらゆる中途半端《ちうとはんぱ》の方法は、偽《いつはり》に始《はじま》つて、偽《いつはり》に終《おは》るより外《ほか》に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。  彼《かれ》は三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人の掟《おきて》に背く恋《こひ》は、其|恋《こひ》の主《ぬし》の死によつて、始めて社会から認《みと》められるのが常であつた。彼《かれ》は万一の悲劇を二人《ふたり》の間に描《ゑが》いて、覚えず慄然とした。  彼《かれ》は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉する人《ひと》にならなければ済《す》まなかつた。彼《かれ》は其手段として、父《ちゝ》や嫂《あによめ》から勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚を肯《うけが》ふ事が、凡ての関係を新《あらた》にするものと考へた。        十四の一  自然の児にならうか、又意志の人《ひと》にならうかと代助は迷《まよ》つた。彼《かれ》は彼《かれ》の主義として、弾力性のない硬張《こわば》つた方針の下《もと》に、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛《そくばく》するの愚を忌んだ。同時に彼《かれ》は、彼《かれ》の生活が、一大断案を受くべき危機に達《たつ》して居る事を切に自覚した。  彼《かれ》は結婚問題に就《つい》て、まあ能《よ》く考へて見ろと云はれて帰つたぎり、未《いま》だに、それを本気に考へる閑《ひま》を作《つく》らなかつた。帰つた時、まあ今日《けふ》も虎口《ここう》を逃《のが》れて難有《ありがた》かつたと感謝したぎり、放り出《だ》して仕舞つた。父《ちゝ》からはまだ何《なん》とも催促されないが、此二三日は又青山へ呼び出《だ》されさうな気がしてならなかつた。代助は固より呼《よ》び出《だ》される迄|何《なに》も考へずにゐる気であつた。呼《よ》び出されたら、父《ちゝ》の顔色《かほいろ》と相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心|組《ぐみ》であつた。代助はあながち父《ちゝ》を馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、斯《か》う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いて来《く》るのが本当だと思つてゐた。  もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押し詰《つ》められた様な気|持《もち》がなかつたなら、代助は父《ちゝ》に対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色《かほいろ》如何《いかん》に拘はらず、手に持つた賽《さい》を投《な》げなければならなかつた。上《うへ》になつた目《め》が、平岡に都合が悪《わる》からうと、父《ちゝ》の気に入らなからうと、賽を投《な》げる以上は、天の法則通りになるより外《ほか》に仕方《しかた》はなかつた。賽を手に持《も》つ以上は、又|賽《さい》が投げられ可《べ》く作《つく》られたる以上は、賽《さい》の目《め》を極《き》めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹《はら》のうちで定《さだ》めた。父《ちゝ》も兄《あに》も嫂《あによめ》も平岡も、決断の地平線上には出《で》て来《こ》なかつた。  彼はたゞ彼《かれ》の運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日は掌《てのひら》に載《の》せた賽《さい》を眺《なが》め暮《く》らした。今日《けふ》もまだ握《にぎ》つてゐた。早く運命が戸外《そと》から来《き》て、其|手《て》を軽く敲《はた》いて呉れれば好《い》いと思《おも》つた。が、一方《いつぽう》では、まだ握《にぎ》つてゐられると云ふ意識が大層|嬉《うれ》しかつた。  門野《かどの》は時々《とき/″\》書斎へ来《き》た。来《く》る度《たび》に代助は洋卓《デスク》の前に凝《じつ》としてゐた。 「些《ちつ》と散歩にでも御出《おいで》になつたら如何《いかゞ》です。左様《さう》御勉強ぢや身体《からだ》に悪《わる》いでせう」と云つた事が一二度あつた。成程|顔色《かほいろ》が好《よ》くなかつた。夏向《なつむき》になつたので、門野《かどの》が湯《ゆ》を毎日|沸《わ》かして呉れた。代助は風呂場に行くたびに、長《なが》い間《あひだ》鏡《かゞみ》を見た。髯《ひげ》の濃《こ》い男なので、少《すこ》し延びると、自分には大層見苦しく見えた。触《さわ》つて、ざら/\すると猶不愉快だつた。  飯《めし》は依然として、普通の如く食《く》つた。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈托とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思はなかつた。生理状態は殆んど苦にする暇《いとま》のない位、一つ事をぐる/\回《まは》つて考へた。それが習慣になると、終局なく、ぐる/\回《まは》つてゐる方が、埒《らつ》の外《そと》へ飛び出《だ》す努力よりも却つて楽になつた。  代助は最後に不決断の自己|嫌悪《けんお》に陥つた。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見様かといふ気は、ぐる/\回転してゐるうちに一度も出《で》て来《こ》なかつた。  縁談を断《ことわ》る方は単独にも何遍となく決定が出来た。たゞ断つた後《あと》、其反動として、自分をまともに三千代の上《うへ》に浴《あび》せかけねば已《や》まぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所《そこ》に至つて、又恐ろしくなつた。  代助は父《ちゝ》からの催促を心待に待つてゐた。しかし父《ちゝ》からは何の便《たより》もなかつた。三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気も出《で》なかつた。  一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人《ふたり》の上《うへ》に及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得て来《き》た。既に平岡に嫁《とつ》いだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上《このうへ》自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係が続《つゞ》かない訳には行かない。それを続《つゞ》かないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛《そくばく》する事の出来《でき》ない形式は、いくら重《かさ》ねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた。代助は縁談を断るより外に道《みち》はなくなつた。        十四の二  斯《か》う決心した翌日《よくじつ》、代助は久し振《ぶ》りに髪《かみ》を刈《か》つて髯《ひげ》を剃《そ》つた。梅雨《つゆ》に入つて二三日|凄《すさ》まじく降《ふ》つた揚句なので、地面《ぢめん》にも、木《き》の枝にも、埃《ほこり》らしいものは悉《ことごと》くしつとりと静《しづ》まつてゐた。日《ひ》の色《いろ》は以前より薄《うす》かつた。雲《くも》の切《き》れ間《ま》から、落ちて来《く》る光線は、下界《げかい》の湿《しめ》り気《け》のために、半ば反射力を失つた様に柔らかに見えた。代助は床屋《とこや》の鏡《かゞみ》で、わが姿《すがた》を映《うつ》しながら、例の如くふつくらした頬《ほゝ》を撫《な》でゝ、今日《けふ》から愈積極的生活に入るのだと思つた。  青山へ来《き》て見ると、玄関に車《くるま》が二台程あつた。供待《ともまち》の車夫は蹴込《けこみ》に倚《よ》り掛《かゝ》つて眠つた儘、代助の通り過ぎるのを知らなかつた。座敷には梅子が新聞《しんぶん》を膝《ひざ》の上《うへ》へ乗《の》せて、込《こ》み入つた庭《には》の緑《みどり》をぼんやり眺めてゐた。是もぽかんと眠《ね》むさうであつた。代助はいきなり梅子《うめこ》の前へ坐《すは》つた。 「御父《おとう》さんは居《ゐ》ますか」  嫂《あによめ》は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の眼《め》で見た。 「代さん、少し瘠《や》せた様ぢやありませんか」と云つた。代助は又|頬《ほゝ》を撫《な》でて、 「そんな事も無《な》いだらう」と打ち消した。 「だつて、色沢《いろつや》が悪《わる》いのよ」と梅子は眼《め》を寄《よ》せて代助の顔《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》んだ。 「庭《には》の所為《せゐ》だ。青葉《あをば》が映《うつ》るんだ」と庭《には》の植込《うゑごみ》の方を見たが、「だから貴方《あなた》だつて、矢《や》っ張《ぱ》り蒼《あを》いですよ」と続《つゞ》けた。 「私《わたし》、此二三|日《にち》具合が好《よ》くないんですもの」 「道理《どうり》でぽかんとして居《ゐ》ると思《おも》つた。何《ど》うかしたんですか。風邪《かぜ》ですか」 「何《なん》だか知らないけれど生欠許《なまあくびばか》り出《で》て」  梅子は斯《か》う答へて、すぐ新聞を膝《ひざ》から卸《おろ》すと、手を鳴らして、小間使《こまづかひ》を呼んだ。代助は再び父《ちゝ》の在《ざい》、不在《ふざい》を確《たしか》めた。梅子は其|問《とひ》をもう忘れてゐた。聞いて見ると、玄関にあつた車は、父《ちゝ》の客《きやく》の乗《の》つて来《き》たものであつた。代助は長《なが》く懸《か》ゝらなければ、客《きやく》の帰る迄|待《ま》たうと思つた。嫂《あによめ》は判然《はつきり》しないから、風呂場へ行《い》つて、水《みづ》で顔を拭《ふ》いて来《く》ると云つて立つた。下女が好《い》い香《にほひ》のする葛《くづ》の粽《ちまき》を、深《ふか》い皿《さら》に入れて持《も》つて来《き》た。代助は粽《ちまき》の尾をぶら下《さ》げて、頻《しき》りに嗅《か》いで見《み》た。  梅《うめ》子が涼《すゞ》しい眼付《めつき》になつて風呂場から帰つた時、代助は粽《ちまき》の一《ひと》つを振子《ふりこ》の様に振《ふ》りながら、今度は、 「兄《にい》さんは何《ど》うしました」と聞いた。梅子はすぐ此陳腐な質問に答へる義務がないかの如く、しばらく椽|鼻《ばな》に立《た》つて、庭《には》を眺《なが》めてゐたが、 「二三日の雨《あめ》で、苔《こけ》の色《いろ》が悉皆《すつかり》出《で》た事《こと》」と平生に似合はぬ観察をして、故《もと》の席《せき》に返《かへ》つた。さうして、 「兄《にい》さんが何《ど》うしましたつて」と聞き直《なほ》した。代助は先《さき》の質問を繰り返した時、嫂《あによめ》は尤も無頓着な調子で、 「何《ど》うしましたつて、例の如くですわ」と答へた。 「相変らず、留守|勝《がち》ですか」 「えゝ、えゝ、朝《あさ》も晩《ばん》も滅多に宅《うち》に居た事はありません」 「姉《ねえ》さんは夫《それ》で淋《さむ》しくはないですか」 「今更《いまさら》改《あらた》まつて、そんな事《こと》を聞《き》いたつて仕方《しかた》がないぢやありませんか」と梅子は笑ひ出《だ》した。調戯《からか》ふんだと思つたのか、あんまり小供染みてゐると思つたのか殆んど取り合ふ気色《けしき》はなかつた。代助も平生の自分を振《ふ》り返つて見て、真面目《まじめ》に斯《こ》んな質問を掛《か》けた今の自分を、寧ろ奇体に思つた。今日《こんにち》迄|兄《あに》と嫂《あによめ》の関係を長い間《あひだ》目撃してゐながら、ついぞ其所《そこ》には気が付《つ》かなかつた。嫂《あによめ》も亦代助の気が付《つ》く程物足りない素振《そぶり》は見せた事がなかつた。 「世間《せけん》の夫|婦《ふ》は夫《それ》で済《す》んで行《い》くものかな」と独言《ひとりごと》の様に云つたが、別に梅子の返事を予期する気もなかつたので、代助は向《むかふ》の顔《かほ》も見ず、たゞ畳の上《うへ》に置いてある新聞《しんぶん》に眼《め》を落《おと》した。すると梅子は忽ち、 「何《なん》ですつて」と切《き》り込む様に云つた。代助の眼《め》が、其調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、 「だから、貴方《あなた》が奥さんを御貰《おもら》ひなすつたら、始終|宅《うち》に許《ばかり》ゐて、たんと可愛《かあい》がつて御上《おあ》げなさいな」と云つた。代助は始めて相手が梅子であつて、自分が平生の代助でなかつた事を自覚した。それで成るべく不断《ふだん》の調子を出《だ》さうと力《つと》めた。        十四の三  けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、其謝絶に次《つ》いで起るべき、三千代と自分の関係にばかり注《そゝ》がれてゐた。従つて、いくら平生の自分に帰つて、梅子の相手になる積でも、梅子の予期してゐない、変つた音色《ねいろ》が、時々《とき/″\》会話の中《なか》に、思はず知らず出《で》て来《き》た。 「代さん、貴方《あなた》今日《けふ》は何《ど》うかしてゐるのね」と仕舞に梅子が云つた。代助は固《もと》より嫂《あによめ》の言葉を側面《そくめん》へ摺《ず》らして受ける法をいくらでも心得てゐた。然るに、それを遣《や》るのが、軽薄の様で、又面倒な様で、今日《けふ》は厭《いや》になつた。却《かへ》つて真面目《まじめ》に、何処《どこ》が変《へん》か教へて呉れと頼《たの》んだ。梅子は代助の問《とひ》が馬鹿気てゐるので妙な顔をした。が、代助が益《ます/\》頼《たの》むので、では云つて上《あ》げませうと前置をして、代助の何《ど》うかしてゐる例を挙げ出した。梅子は勿論わざと真面目《まじめ》を装つてゐるものと代助を解釈した。其中《そのなか》に、 「だつて、兄《にい》さんが留守勝《るすがち》で、嘸御|淋《さむ》しいでせうなんて、あんまり思遣《おもひや》りが好過《よす》ぎる事を仰《おつ》しやるからさ」と云ふ言葉があつた。代助は其所《そこ》へ自分を挟《はさ》んだ。 「いや、僕の知つた女《をんな》に、左様《さう》云ふのが一人《ひとり》あつて、実《じつ》は甚だ気の毒だから、つい他《ほか》の女《をんな》の心持《こゝろもち》も聞《き》いて見たくなつて、伺《うかゞ》つたんで、決して冷《ひや》かした積《つもり》ぢやないんです」 「本当に? 夫《そり》や一寸《ちよいと》何《なん》てえ方《かた》なの」 「名前は云《い》ひ悪《にく》いんです」 「ぢや、貴方《あなた》が其旦那に忠告をして、奥さんをもつと可愛《かわい》がるやうにして御|上《あげ》になれば可《い》いのに」  代助は微笑した。 「姉《ねえ》さんも、さう思ひますか」 「当り前ですわ」 「もし其|夫《おつと》が僕の忠告を聞《き》かなかつたら、何《ど》うします」 「そりや、何《ど》うも仕様がないわ」 「放《ほう》つて置《お》くんですか」 「放《ほう》つて置《お》かなけりや、何《ど》うなさるの」 「ぢや、其細君は夫《おつと》に対《たい》して細君の道を守《まも》る義務があるでせうか」 「大変|理責《りぜ》めなのね。夫《そり》や旦那の不親切の度合《どあひ》にも因《よ》るでせう」 「もし、其細君に好《す》きな人があつたら何《ど》うです」 「知らないわ。馬鹿らしい。好《す》きな人がある位なら、始めつから其方《そつち》へ行《い》つたら好《い》いぢやありませんか」  代助は黙《だま》つて考へた。しばらくしてから、姉《ねえ》さんと云つた。梅子は其深い調子に驚ろかされて、改《あら》ためて代助の顔《かほ》を見た。代助は同じ調子で猶《なほ》云つた。 「僕《ぼく》は今度《こんど》の縁談《えんだん》を断《ことわ》らうと思《おも》ふ」  代助の巻烟草《まきたばこ》を持《も》つた手が少《すこ》し顫《ふる》へた。梅子は寧ろ表情を失《うしな》つた顔付《かほつき》をして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。 「僕は今迄結婚問題に就いて、貴方《あなた》に何返となく迷惑を掛けた上《うへ》に、今度《こんど》も亦心配して貰《もら》つてゐる。僕《ぼく》ももう三十だから、貴方《あなた》の云ふ通り、大抵な所で、御勧め次第になつて好《い》いのですが、少し考があるから、この縁談もまあ已《や》めにしたい希望です。御父《おとう》さんにも、兄《にい》さんにも済《す》まないが、仕方《しかた》がない。何《なに》も当人が気に入らないと云ふ訳ではないが、断《ことわ》るんです。此間|御父《おとう》さんによく考へて見ろと云はれて、大分考へて見たが、矢っ張り断《ことわ》る方が好《い》い様だから断《ことわ》ります。実《じつ》は今日《けふ》は其用で御父《おとう》さんに逢《あ》ひに来《き》たんですが、今《いま》御客《おきやく》の様だから、序《ついで》と云つては失礼だが、貴方《あなた》にも御話《おはなし》をして置きます」  梅子は代助の様子が真面目なので、何時《いつ》もの如く無駄|口《くち》も入れずに聞いてゐたが、聞き終つた時、始めて自分の意見を述べた。それが極《きわ》めて簡単《かんたん》な且つ極《きわ》めて実際的な短かい句であつた。 「でも、御父《おとう》さんは屹度御困りですよ」 「御父《おとう》さんには僕が直《ぢか》に話すから構ひません」 「でも、話《はなし》がもう此所《こゝ》迄|進《すゝ》んでゐるんだから」 「話が何所《どこ》迄進んでゐやうと、僕はまだ貰《もら》ひますと云つた事はありません」 「けれども判然《はつきり》貰《もら》はないとも仰しやらなかつたでせう」 「それを今云ひに来《き》た所です」  代助と梅子は向《むか》ひ合《あ》つたなり、しばらく黙《だま》つた。        十四の四  代助の方では、もう云ふ可《べ》き事《こと》を云ひ尽《つ》くした様な気がした。少《すく》なくとも、是《これ》より進《すゝ》んで、梅子に自分を説明しやうといふ考は丸で無《な》かつた。梅子は語《かた》るべき事《こと》、聞《き》くべき事《こと》を沢山《たくさん》持《も》つてゐた。たゞ夫《それ》が咄嗟《とつさ》の間《あひだ》に、前《まへ》の問答《もんどう》に繋《つな》がり好《よ》く、口《くち》へ出《で》て来《こ》なかつたのである。 「貴方《あなた》の知《し》らない間《ま》に、縁談が何《ど》れ程|進《すゝ》んだのか、私《わたし》にも能《よ》く分《わか》らないけれど、誰《だれ》にしたつて、貴方《あなた》が、さう的確《きつぱり》御断《おことわ》りなさらうとは思ひ掛《が》けないんですもの」と梅子は漸《やうや》くにして云つた。 「何故《なぜ》です」と代助は冷《ひやゝ》かに落《お》ち付《つ》いて聞《き》いた。梅子は眉を動《うご》かした。 「何故《なぜ》ですつて聞《き》いたつて、理窟ぢやありませんよ」 「理窟でなくつても構《かま》はないから話《はな》して下《くだ》さい」 「貴方《あなた》の様にさう何遍|断《ことわ》つたつて、詰《つま》り同《おんな》じ事ぢやありませんか」と梅子は説明した。けれども、其意味がすぐ代助の頭《あたま》には響《ひゞ》かなかつた。不可解《ふかかい》の眼《め》を挙《あ》げて梅子を見た。梅子は始めて自分の本意を布衍しに掛《か》かつた。 「つまり、貴方《あなた》だつて、何時《いつ》か一度は、御奥さんを貰《もら》ふ積《つもり》なんでせう。厭《いや》だつて、仕方がないぢやありませんか。其様《さう》何時迄《いつまで》も我儘を云つた日には、御父《おとう》さんに済《す》まない丈ですわ。だからね。何《ど》うせ誰《だれ》を持《も》つて行《い》つても気《き》に入らない貴方《あなた》なんだから、つまり誰《だれ》を持《も》たしたつて同《おんな》じだらうつて云ふ訳なんです。貴方《あなた》には何《ど》んな人《ひと》を見せても駄目なんですよ。世の中《なか》に一人《ひとり》も気に入る様なものは生きてやしませんよ。だから、奥さんと云ふものは、始《はじ》めから気に入らないものと、諦《あき》らめて貰ふより外に仕方がないぢやありませんか。だから私《わたし》達が一番|好《い》いと思ふのを、黙《だま》つて貰《もら》へば、夫で何所《どこ》も彼所《かしこ》も丸く治《おさ》まつちまふから、――だから、御父《おとう》さんが、殊によると、今度《こんど》は、貴方《あなた》に一から十迄相談して、何《なに》か為《な》さらないかも知れませんよ。御父《おとう》さんから見れば夫《それ》が当り前ですもの。さうでも、為《し》なくつちや、生《い》きてる内《うち》に、貴方《あなた》の奥《おく》さんの顔を見る事は出来ないぢやありませんか」  代助は落ち付いて嫂《あによめ》の云ふ事を聴《き》いてゐた。梅子《うめこ》の言葉が切れても、容易に口《くち》を動《うご》かさなかつた。若《も》し反駁《はんぱく》をする日には、話《はなし》が段々込み入る許《ばかり》で、此方《こちら》の思ふ所は決して、梅子の耳へ通らないと考へた。けれども向ふの云ひ分《ぶん》を肯《うけが》ふ気は丸でなかつた。実際問題として、双方が困《こま》る様になる許《ばかり》と信じたからである。それで、嫂《あによめ》に向つて、 「貴方《あなた》の仰《おつ》しやる所も、一理あるが、私《わたし》にも私《わたし》の考があるから、まあ打遣《うちや》つて置《お》いて下《くだ》さい」と云つた。其調子には梅子《うめこ》の干渉を面倒がる気色《けしき》が自然と見えた。すると梅子は黙《だま》つてゐなかつた。 「そりや代《だい》さんだつて、小供ぢやないから、一人前《いちにんまへ》の考の御有《おあり》な事は勿論ですわ。私《わたし》なんぞの要《い》らない差出口《さしでぐち》は御迷惑でせうから、もう何にも申しますまい。然し御|父《とう》さんの身になつて御覧なさい。月々《つき/″\》の生活費は貴方《あなた》の要《い》ると云ふ丈今でも出《だ》して入《い》らつしやるんだから、つまり貴方《あなた》は書生時代よりも余計|御父《おとう》さんの厄介になつてる訳《わけ》でせう。さうして置いて、世話になる事は、元《もと》より世話になるが、年を取つて一人前《いちにんまへ》になつたから、云ふ事は元《もと》の通りには聞《き》かれないつて威張つたつて通用しないぢやありませんか」  梅子は少し激したと見えて猶も云ひ募らうとしたのを、代助が遮つた。 「だつて、女房を持てば此|上《うへ》猶御|父《とう》さんの厄介に為《な》らなくつちや為《な》らないでせう」 「宜《い》いぢやありませんか、御父《おとう》さんが、其方《そのほう》が好《い》いと仰しやるんだから」 「ぢや、御父《おとう》さんは、いくら僕の気に入らない女房でも、是非|持《も》たせる決心なんですね」 「だつて、貴方《あなた》に好《す》いたのがあればですけれども、そんなのは日本中|探《さが》して歩《ある》いたつて無《な》いんぢやありませんか」 「何《ど》うして、夫《それ》が分《わか》ります」  梅子は張《はり》の強い眼《め》を据ゑて、代助を見た。さうして、 「貴方《あなた》は丸で代言人の様な事を仰しやるのね」と云つた。代助は蒼白《あをじろ》くなつた額《ひたひ》を嫂《あによめ》の傍《そば》へ寄《よ》せた。 「姉《ねえ》さん、私《わたし》は好《す》いた女があるんです」と低《ひく》い声で云ひ切つた。        十四の五  代助は今迄冗談に斯んな事を梅子に向つて云つた事が能くあつた。梅子も始めはそれを本気に受けた。そつと手を廻《まは》して真相を探つて見た抔といふ滑稽もあつた。事実が分つて以後は、代助の所謂|好《す》いた女は、梅子に対して一向|利目《きゝめ》がなくなつた。代助がそれを云ひ出《だ》しても、丸で取り合はなかつた。でなければ、茶化してゐた。代助の方でも夫《それ》で平気であつた。然し此場合丈は彼《かれ》に取つて、全く特別であつた。顔付《かほつき》と云ひ、眼付《めつき》と云ひ、声の低《ひく》い底《そこ》に籠《こも》る力《ちから》と云ひ、此所《こゝ》迄押し逼《せま》つて来《き》た前後の関係と云ひ、凡ての点から云つて、梅子をはつと思はせない訳に行かなかつた。嫂《あによめ》は此|短《みじか》い句《く》を、閃《ひら》めく懐剣の如くに感じた。  代助は帯《おび》の間《あひだ》から時計を出して見た。父《ちゝ》の所へ来《き》てゐる客は中々《なか/\》帰りさうにもなかつた。空《そら》は又|曇《くも》つて来《き》た。代助は一旦引き上《あ》げて又|改《あら》ためて、父《ちゝ》と話《はなし》を付《つ》けに出直《でなほ》す方が便宜だと考《かんが》へた。 「僕は又|来《き》ます。出直《でなほ》して来《き》て御父《おとう》さんに御目に掛《かゝ》る方が好《い》いでせう」と立ちにかかつた。梅子は其|間《あひだ》に回復した。梅子は飽く迄人の世話を焼く実意のある丈に、物を中途で投《な》げる事の出来ない女であつた。抑《おさ》える様に代助を引《ひ》き留《と》めて、女の名を聞いた。代助は固より答へなかつた。梅子は是非にと逼つた。代助は夫《それ》でも応じなかつた。すると梅子は何故《なぜ》其女を貰《もら》はないのかと聞き出《だ》した。代助は単純に貰《もら》へないから、貰《もら》はないのだと答へた。梅子は仕舞に涙を流した。他《ひと》の尽力を出《だ》し抜《ぬ》いたと云つて恨んだ。何故《なぜ》始《はじめ》から打ち明けて話さないかと云つて責めた。かと思ふと、気の毒だと云つて同情して呉れた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事も語《かた》らなかつた。梅子はとう/\我《が》を折つた。代助の愈《いよ/\》帰ると云ふ間際《まぎは》になつて、 「ぢや、貴方《あなた》から直《ぢか》に御父《おとう》さんに御話《おはなし》なさるんですね。それ迄は私《わたくし》は黙《だま》つてゐた方が好《い》いでせう」と聞いた。代助は黙《だま》つてゐて貰《もら》ふ方が好《い》いか、話《はな》して貰《もら》ふ方が好《い》いか、自分にも分《わか》らなかつた。 「左様《さう》ですね」と※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇《ちうちよ》したが、「どうせ、断《ことわ》りに来《く》るんだから」と云つて嫂《あによめ》の顔《かほ》を見《み》た。 「ぢや、若《も》し話《はな》す方が都合が好《よ》ささうだつたら話《はな》しませう。もし又|悪《わ》るい様だつたら、何にも云はずに置くから、貴方《あなた》が始《はじめ》から御話《おはなし》なさい。夫《それ》が宜《い》いでせう」と梅子は親切に云つて呉れた。代助は、 「何分《なにぶん》宜《よろ》しく」と頼《たの》んで外《そと》へ出《で》た。角《かど》へ来《き》て、四谷《よつや》から歩《ある》く積《つもり》で、わざと、塩《しほ》町|行《ゆき》の電車に乗《の》つた。練兵場の横《よこ》を通るとき、重《おも》い雲《くも》が西で切れて、梅雨《つゆ》には珍《めづ》らしい夕《せき》陽が、真赤《まつか》になつて広《ひろ》い原《はら》一面《いちめん》を照《て》らしてゐた。それが向《むかふ》を行《ゆ》く車《くるま》の輪《わ》に中《あた》つて、輪《わ》が回《まは》る度《たび》に鋼鉄《はがね》の如く光《ひか》つた。車《くるま》は遠い原《はら》の中《なか》に小《ちい》さく見えた。原《はら》は車《くるま》の小《ちい》さく見《み》える程、広《ひろ》かつた。日《ひ》は血《ち》の様に毒々しく照《て》つた。代助は此光|景《けい》を斜《なゝ》めに見《み》ながら、風《かぜ》を切《き》つて電車に持つて行《い》かれた。重《おも》い頭《あたま》の中《なか》がふら/\した。終点迄|来《き》た時は、精神が身体《からだ》を冒《おか》したのか、精神の方が身体《からだ》に冒されたのか、厭《いや》な心持がして早く電車を降《お》りたかつた。代助は雨《あめ》の用心に持つた蝙蝠傘《かうもりがさ》を、杖の如く引き摺《ず》つて歩《ある》いた。  歩《ある》きながら、自分《じぶん》は今日《けふ》、自《みづか》ら進んで、自分の運命の半分《はんぶん》を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁《つぶや》いだ。今迄は父《ちゝ》や嫂《あによめ》を相手に、好い加減な間隔《かんかく》を取つて、柔らかに自我を通《とほ》して来《き》た。今度は愈本性を露《あら》はさなければ、それを通し切れなくなつた。同時に、此方面に向つて、在来の満足を求《もと》め得る希望は少なくなつた。けれども、まだ逆戻りをする余地はあつた。たゞ、夫《それ》には又|父《ちゝ》を胡魔化す必要が出て来るに違なかつた。代助は腹の中で今迄の我《われ》を冷笑した。彼は何《ど》うしても、今日《けふ》の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかつた。さうして、それから受ける打撃の反動として、思ひ切つて三千代の上に、掩《お》つ被《かぶ》さる様に烈しく働《はたら》き掛けたかつた。  彼は此次《このつぎ》父《ちゝ》に逢ふときは、もう一歩《いつぽ》も後《あと》へ引けない様に、自分の方を拵《こしら》えて置きたかつた。それで三千代と会見する前に、又|父《ちゝ》から呼び出される事を深く恐れた。彼は今日《けふ》嫂《あによめ》に、自分の意思を父《ちゝ》に話《はな》す話《はな》さないの自由を与へたのを悔いた。今夜《こんや》にも話《はな》されれば、明日《あした》の朝《あさ》呼《よ》ばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢つて己れを語つて置く必要が出来る。然し夜《よる》だから都合がよくないと思つた。        十四の六  角上《つのかみ》を下《お》りた時、日《ひ》は暮《く》れ掛《か》かつた。士官学校の前《まへ》を真直《まつすぐ》に濠端《ほりばた》へ出《で》て、二三町|来《く》ると砂土原《さどはら》町へ曲《ま》がるべき所を、代助はわざと電車|路《みち》に付《つ》いて歩《ある》いた。彼《かれ》は例《れい》の如《ごと》くに宅《うち》へ帰つて、一夜《いちや》を安閑と、書斎の中《なか》で暮《くら》すに堪えなかつたのである。濠《ほり》を隔《へだ》てゝ高い土手の松《まつ》が、眼《め》のつゞく限《かぎ》り黒《くろ》く並《なら》んでゐる底《そこ》の方を、電車がしきりに通《とほ》つた。代助は軽《かる》い箱《はこ》が、軌道《レール》の上《うへ》を、苦もなく滑《すべ》つて行《い》つては、又|滑《すべ》つて帰《かへ》る迅速な手際《てぎは》に、軽快の感じを得た。其代り自分と同《おな》じ路《みち》を容赦なく往来《ゆきゝ》する外濠線《そとぼりせん》の車《くるま》を、常よりは騒々|敷《しく》悪《にく》んだ。牛込|見附《みつけ》迄|来《き》た時《とき》、遠くの小石川の森《もり》に数点の灯影《ひかげ》を認《みと》めた。代助は夕飯《ゆふめし》を食《く》ふ考もなく、三千代のゐる方角へ向《む》いて歩《ある》いて行《い》つた。  約二十分の後、彼《かれ》は安藤坂を上《あが》つて、伝通院の焼跡《やけあと》の前へ出《で》た。大きな木が、左右から被《かぶ》さつてゐる間《あひだ》を左りへ抜《ぬ》けて、平岡の家《いへ》の傍《そば》迄|来《く》ると、板塀《いたべい》から例の如く灯《ひ》が射《さ》してゐた。代助は塀《へい》の本《もと》に身《み》を寄《よ》せて、凝《じつ》と様子を窺《うかゞ》つた。しばらくは、何の音《おと》もなく、家《いへ》のうちは全く静《しづか》であつた。代助は門《もん》を潜《くゞ》つて、格子の外《そと》から、頼《たの》むと声を掛《か》けて見様かと思つた。すると、椽側に近《ちか》く、ぴしやりと脛《すね》を叩《たゝ》く音《おと》がした。それから、人《ひと》が立つて、奥《おく》へ這入つて行く気色《けしき》であつた。やがて話声《はなしごえ》が聞《きこ》えた。何《なん》の事か善《よ》く聴き取れなかつたが、声は慥《たしか》に、平岡と三千代であつた。話声《はなしごえ》はしばらくで歇《や》んで仕舞つた。すると又足音が椽側迄|近付《ちかづ》いて、どさりと尻を卸《おろ》す音《おと》が手に取る様に聞《きこ》えた。代助は夫《それ》なり塀《へい》の傍《そば》を退《しりぞ》いた。さうして元《もと》来《き》た道《みち》とは反対の方角に歩《ある》き出《だ》した。  しばらくは、何処《どこ》を何《ど》う歩《ある》いてゐるか夢中であつた。其間《そのあひだ》代助の頭《あたま》には今見た光景ばかりが煎り付《つ》く様に踊つてゐた。それが、少し衰へると、今度は自己の行為に対して、云ふべからざる汚辱の意味を感じた。彼は何の故に、斯《か》ゝる下劣な真似をして、恰かも驚ろかされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。彼《かれ》は暗《くら》い小路《こみち》に立つて、世界が今《いま》夜《よる》に支配されつゝある事を私かに喜《よろこ》んだ。しかも五月雨《さみだれ》の重い空気に鎖《とざ》されて、歩《ある》けば歩《ある》く程、窒息《ちつそく》する様な心持がした。神楽坂上《かぐらざかうへ》へ出《で》た時、急に眼《め》がぎら/\した。身《み》を包《つゝ》む無数の人《ひと》と、無数の光《ひかり》が頭《あたま》を遠慮なく焼《や》いた。代助は逃《に》げる様に藁店《わらだな》を上《あが》つた。  家《うち》へ帰ると、門野《かどの》が例の如く漫然《まんぜん》たる顔をして、 「大分《だいぶ》遅うがしたな。御飯《ごはん》はもう御済《おす》みになりましたか」と聞いた。  代助は飯《めし》が欲《ほ》しくなかつたので、要《い》らない由《よし》を答へて、門野《かどの》を追《お》ひ帰《かへ》す様に、書斎から退《しり》ぞけた。が、二三|分《ぷん》立《た》たない内に、又手を鳴らして呼び出《だ》した。 「宅《うち》から使《つかひ》は来《き》やしなかつたかね」 「いゝえ」  代助は、 「ぢや、宜《よろ》しい」と云つた限《ぎり》であつた。門野《かどの》は物足りなさうに入口《いりぐち》に立つてゐたが、 「先生は、何《なん》ですか、御宅《おたく》へ御出《おいで》になつたんぢや無《な》かつたんですか」 「何故《なぜ》」と代助は六《む》づかしい顔をした。 「だつて、御|出掛《でかけ》になるとき、そんな御話《おはなし》でしたから」  代助は門野《かどの》を相手にするのが面倒になつた。 「宅《うち》へは行つたさ。――宅《うち》から使《つかひ》が来《こ》なければそれで、好《い》いぢやないか」  門野《かどの》は不得《ふとく》要領に、 「はあ左様《さう》ですか」と云ひ放《はな》して出て行つた。代助は、父《ちゝ》があらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるといふ事を知つてゐるので、ことによると、帰つた後《あと》から直《すぐ》使《つかひ》でも寄《よ》こしはしまいかと恐れて聞《き》き糺《たゞ》したのであつた。門野が書生部屋へ引き取つたあとで、明日《あした》は是非共三千代に逢はなければならないと決心した。  其夜代助は寐《ね》ながら、何《ど》う云ふ手段で三千代に逢はうかと云ふ問題を考へた。手紙を車夫に持たせて宅《うち》へ呼びに遣《や》れば、来《く》る事は来《く》るだらうが、既《すで》に今日《けふ》嫂《あによめ》との会談が済んだ以上は、明日《あした》にも、兄《あに》か嫂《あによめ》の為《ため》に、向ふから襲はれないとも限《かぎ》らない。又平岡のうちへ行つて逢ふ事は代助に取つて一種の苦痛があつた。代助は已を得ず、自分にも三千代にも関係のない所で逢ふより外《ほか》に道はないと思つた。  夜半から強く雨が降り出《だ》した。釣《つ》つてある蚊帳《かや》が、却つて寒く見える位な音《おと》がどう/\と家《いへ》を包《つゝ》んだ。代助は其|音《おと》の中《うち》に夜の明《あ》けるのを待《ま》つた。        十四の七  雨《あめ》は翌日《よくじつ》迄|晴《は》れなかつた。代助は湿《しめ》つぽい椽側に立《た》つて、暗《くら》い空模様《そらもやう》を眺《なが》めて、昨夕《ゆふべ》の計画を又|変《か》えた。彼《かれ》は三千代を普通の待合抔へ呼んで、話をするのが不愉快であつた。已《や》むなくんば、蒼《あを》い空《そら》の下《した》と思つてゐたが、此天気では夫《それ》も覚束なかつた。と云つて、平岡の家《いへ》へ出向《でむ》く気は始めから無《な》かつた。彼は何《ど》うしても、三千代を自分の宅《うち》へ連《つ》れて来《く》るより外《ほか》に道はないと極《き》めた。門野《かどの》が少し邪魔になるが、話《はなし》のし具合では書生部屋に洩れない様にも出来《でき》ると考へた。  午《ひる》少《すこ》し前《まへ》迄は、ぼんやり雨《あめ》を眺《なが》めてゐた。午飯《ひるめし》を済《す》ますや否や、護謨《ごむ》の合羽《かつぱ》を引き掛けて表へ出た。降《ふ》る中《なか》を神楽坂下《かぐらざかした》迄|来《き》て青山《あをやま》の宅《うち》へ電話を掛《か》けた。明日《あす》此方《こつち》から行く積《つもり》であるからと、機先《きせん》を制して置《お》いた。電話|口《ぐち》へは嫂《あによめ》が現《あらは》れた。先達《せんだつ》ての事は、まだ父《ちゝ》に話《はな》さないでゐるから、もう一遍よく考《かんが》へ直して御覧なさらないかと云はれた。代助は感謝の辞と共に号鈴《ベル》を鳴《な》らして談話を切つた。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼《かれ》の出社の有無を確《たしか》めた。平岡は社《しや》に出《で》てゐると云ふ返事を得た。代助は雨《あめ》を衝《つ》いて又|坂《さか》を上《のぼ》つた。花屋《はなや》へ這入つて、大きな白百合《しろゆり》の花《はな》を沢山|買《か》つて、夫《それ》を提《さ》げて、宅《うち》へ帰《かへ》つた。花《はな》は濡《ぬ》れた儘、二《ふた》つの花瓶《くわへい》に分《わ》けて挿《さ》した。まだ余《あま》つてゐるのを、此間《このあひだ》の鉢《はち》に水《みづ》を張《は》つて置いて、茎《くき》を短かく切つて、はぱ/\放《ほう》り込んだ。それから、机に向つて、三千代へ手紙を書《か》いた。文句は極《きわ》めて短かいものであつた。たゞ至急御目に掛《かゝ》つて、御話《おはな》ししたい事があるから来《き》て呉れろと云ふ丈であつた。  代助は手を打《う》つて、門野《かどの》を呼《よ》んだ。門野《かどの》は鼻《はな》を鳴らして現《あらは》れた。手紙を受取りながら、 「大変|好《い》い香《にほひ》ですな」と云つた。代助は、 「車《くるま》を持つて行《い》つて、乗《の》せて来《く》るんだよ」と念《ねん》を押《お》した。門野《かどの》は雨《あめ》の中《なか》を乗《の》りつけの帳場迄|出《で》て行《い》つた。  代助は、百合《ゆり》の花《はな》を眺《なが》めながら、部屋を掩《おゝ》ふ強い香《か》の中《なか》に、残《のこ》りなく自己を放擲《ほうてき》した。彼は此《この》嗅覚の刺激のうちに、三千代《みちよ》の過去を分明《ふんみよう》に認めた。其《その》過去には離《はな》すべからざる、わが昔《むかし》の影《かげ》が烟《けむり》の如く這《は》ひ纏《まつ》はつてゐた。彼はしばらくして、 「今日《けふ》始《はじ》めて自然《しぜん》の昔《むかし》に帰るんだ」と胸《むね》の中《なか》で云つた。斯《か》う云ひ得た時、彼は年頃《としごろ》にない安慰を総身《そうしん》に覚えた。何故《なぜ》もつと早く帰《かへ》る事が出来なかつたのかと思つた。始《はじめ》から何故《なぜ》自然に抵抗したのかと思つた。彼は雨《あめ》の中《なか》に、百合《ゆり》の中《なか》に、再現《さいげん》の昔《むかし》のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、慾得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。さうして凡てが幸《ブリス》であつた。だから凡てが美《うつく》しかつた。  やがて、夢《ゆめ》から覚《さ》めた。此|一刻《いつこく》の幸《ブリス》から生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助の頭《あたま》を冒《おか》して来《き》た。彼《かれ》の唇《くちびる》は色《いろ》を失《うしな》つた。彼《かれ》は黙然として、我《われ》と吾《わが》手を眺《なが》めた。爪《つめ》の甲の底《そこ》に流れてゐる血潮《ちしほ》が、ぶる/\顫《ふる》へる様に思はれた。彼《かれ》は立《た》つて百合《ゆり》の花《はな》の傍《そば》へ行つた。唇《くちびる》が瓣《はなびら》に着《つ》く程近く寄《よ》つて、強い香《か》を眼《め》の眩《ま》う迄《まで》嗅《か》いだ。彼《かれ》は花《はな》から花《はな》へ唇《くちびる》を移《うつ》して、甘《あま》い香《か》に咽《む》せて、失心して室《へや》の中《なか》に倒れたかつた。彼《かれ》はやがて、腕を組《く》んで、書斎と座敷《ざしき》の間《あひだ》を往《い》つたり来《き》たりした。彼《かれ》の胸は始終鼓動を感じてゐた。彼《かれ》は時々《とき/″\》椅子の角《かど》や、洋卓《デスク》の前へ来《き》て留《と》まつた。それから又|歩《ある》き出《だ》した。彼《かれ》の心《こゝろ》の動揺は、彼《かれ》をして長く一所《いつしよ》に留《とゞ》まる事を許さなかつた。同時に彼は何物をか考へる為《ため》に、無暗《むやみ》な所《ところ》に立ち留《ど》まらざるを得なかつた。  其内《そのうち》に時は段々|移《うつ》つた。代助は断えず置時計の針《はり》を見た。又|覗《のぞ》く様に、軒《のき》から外《そと》の雨《あめ》を見た。雨《あめ》は依然として、空《そら》から真直《まつすぐ》に降《ふ》つてゐた。空《そら》は前《まへ》よりも稍|暗《くら》くなつた。重《かさ》なる雲《くも》が一《ひと》つ所《ところ》で渦《うづ》を捲《ま》いて、次第《しだい》に地面の上《うへ》へ押し寄《よ》せるかと怪しまれた。其時|雨《あめ》に光《ひか》る車《くるま》を門《もん》から中《うち》へ引き込んだ。輪《わ》の音《おと》が、雨《あめ》を圧《あつ》して代助の耳《みゝ》に響いた時、彼は蒼白《あをしろ》い頬《ほゝ》に微笑を洩《もら》しながら、右《みぎ》の手を胸《むね》に当《あ》てた。        十四の八  三千代は玄関から、門野《かどの》に連《つ》れられて、廊下|伝《づた》ひに這入つて来《き》た。銘仙《めいせん》の紺絣《こんがすり》に、唐草《からくさ》模様の一重《ひとえ》帯を締《し》めて、此前とは丸で違《ちが》つた服装《なり》をしてゐるので、一目《ひとめ》見た代助には、新《あた》らしい感《かん》じがした。色《いろ》は不断の通り好《よ》くなかつたが、座敷の入口《いりぐち》で、代助と顔《かほ》を合《あは》せた時、眼《め》も眉《まゆ》も口《くち》もぴたりと活動を中止した様に固《かた》くなつた。敷居《しきゐ》に立《た》つてゐる間《あひだ》は、足《あし》も動《うご》けなくなつたとしか受取れなかつた。三千代は固《もと》より手紙を見た時から、何事をか予期して来《き》た。其予期のうちには恐れと、喜《よろこび》と、心配とがあつた。車から降《お》りて、座敷へ案内される迄、三千代の顔は其《その》予期の色をもつて漲《みなぎ》つてゐた。三千代の表情はそこで、はたと留《と》まつた。代助の様子は三千代に夫丈の打衝《シヨツク》を与へる程に強烈であつた。  代助は椅子の一つを指《ゆび》さした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助は其向《そのむかふ》に席を占《し》めた。二人《ふたり》は始めて相対した。然し良《やゝ》少時《しばら》くは二人《ふたり》とも、口《くち》を開《ひら》かなかつた。 「何《なに》か御用なの」と三千代は漸くにして問ふた。代助は、たゞ、 「えゝ」と云つた。二人《ふたり》は夫限《それぎり》で、又しばらく雨《あめ》の音《おと》を聴いた。 「何《なに》か急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、 「えゝ」と云つた。双方共|何時《いつ》もの様に軽くは話し得なかつた。代助は酒の力を借りて、己れを語らなければならない様な自分を恥ぢた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものと兼《かね》て覚悟をして居《ゐ》た。けれども、改たまつて、三千代に対して見ると、始《はじ》めて、一滴《いつてき》の酒精が恋《こひ》しくなつた。ひそかに次《つぎ》の間《ま》へ立《た》つて、例《いつも》のヰスキーを洋盃《コツプ》で傾《かたむ》け様かと思つたが、遂に其決心に堪えなかつた。彼は青天白日の下《もと》に、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己の誠《まこと》でないと信じたからである。酔《よひ》と云ふ牆壁を築いて、其掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与へる様な気がしてならなかつたからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事が出来なくなつた、其代り三千代に対しては一点も不徳義な動機を蓄《たくわ》へぬ積であつた。否、彼《かれ》をして卑吝《ひりん》に陥らしむる余地が丸でない程に、代助は三千代を愛した。けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れを傾《かたむ》ける事が出来なかつた。二度|聞《き》かれた時に猶※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇した。三度目には、已《やむ》を得ず、 「まあ、緩《ゆつ》くり話《はな》しませう」と云つて、巻烟草《まきたばこ》に火を点《つ》けた。三千代の顔《かほ》は返事を延《の》ばされる度《たび》に悪《わる》くなつた。  雨は依然として、長《なが》く、密《みつ》に、物に音《おと》を立てゝ降《ふ》つた。二人《ふたり》は雨の為《ため》に、雨の持ち来《きた》す音《おと》の為《ため》に、世間《せけん》から切り離された。同じ家《いへ》に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人《ふたり》は孤立の儘、白百合の香《か》の中《なか》に封じ込められた。 「先刻《さつき》表へ出《で》て、あの花を買つて来《き》ました」と代助は自分の周囲を顧《かへり》みた。三千代の眼《め》は代助に随《つ》いて室《へや》の中《なか》を一回《ひとまはり》した。其|後《あと》で三千代は鼻から強く息《いき》を吸《す》ひ込んだ。 「兄《にい》さんと貴方《あなた》と清水《しみづ》町にゐた時分の事を思ひ出《だ》さうと思つて、成るべく沢山買つて来《き》ました」と代助が云つた。 「好《い》い香《にほひ》ですこと」と三千代は翻《ひる》がへる様に綻《ほころ》びた大きな花瓣《はなびら》を眺《なが》めてゐたが、夫《それ》から眼《め》を放《はな》して代助に移した時、ぽうと頬《ほゝ》を薄赤くした。 「あの時分の事を考へると」と半分云つて已《や》めた。 「覚えてゐますか」 「覚えてゐますわ」 「貴方《あなた》は派手な半襟を掛《か》けて、銀杏返しに結つてゐましたね」 「だつて、東京へ来立《きたて》だつたんですもの。ぢき已《や》めて仕舞つたわ」 「此間《このあひだ》百合の花を持つて来《き》て下《くだ》さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」 「あら、気が付いて。あれは、あの時|限《ぎり》なのよ」 「あの時はあんな髷に結ひ度《たく》なつたんですか」 「えゝ、気迷《きまぐ》れに一寸《ちよいと》結《ゆ》つて見たかつたの」 「僕はあの髷《まげ》を見て、昔《むかし》を思ひ出した」 「さう」と三千代は恥《は》づかしさうに肯《うけが》つた。  三千代が清水町にゐた頃、代助と心安く口《くち》を聞く様になつてからの事だが、始めて国《くに》から出て来《き》た当時の髪《かみ》の風を代助から賞《ほ》められた事があつた。其時三千代は笑つてゐたが、それを聞いた後《あと》でも、決して銀杏返しには結はなかつた。二人《ふたり》は今も此事をよく記臆してゐた。けれども双方共|口《くち》へ出《だ》しては何も語らなかつた。        十四の九  三千代の兄《あに》と云ふのは寧《むし》ろ豁達な気性で、懸隔《かけへだ》てのない交際振《つきあひぶり》から、友達《ともだち》には甚《ひど》く愛されてゐた。ことに代助は其親友であつた。此|兄《あに》は自分が豁達である丈に、妹の大人《おとな》しいのを可愛《かあい》がつてゐた。国から連れて来《き》て、一所に家《うち》を持《も》つたのも、妹を教育しなければならないと云ふ義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情|合《あひ》と、現在自分の傍《そば》に引き着《つ》けて置きたい欲望とからであつた。彼《かれ》は三千代を呼ぶ前、既に代助に向つて其旨を打《う》ち明《あ》けた事があつた。其時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以て此計画を迎へた。  三千代が来《き》てから後、兄《あに》と代助とは益|親《した》しくなつた。何方《どつち》が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分《わか》らなかつた。兄《あに》が死んだ後《あと》で、当時を振り返つて見る毎に、代助は此《この》親密の裡《うち》に一種の意味を認めない訳に行かなかつた。兄《あに》は死ぬ時迄それを明言しなかつた。代助も敢て何事をも語らなかつた。斯《か》くして、相互の思《おも》はくは、相互の間の秘密として葬られて仕舞つた。兄《あに》は在生中に此意味を私《ひそか》に三千代に洩《も》らした事があるかどうか、其所《そこ》は代助も知らなかつた。代助はたゞ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得た丈であつた。  代助は其頃から趣味の人として、三千代の兄《あに》に臨んでゐた。三千代の兄《あに》は其方面に於て、普通以上の感受性を持つてゐなかつた。深い話《はなし》になると、正直に分《わか》らないと自白して、余計な議論を避《さ》けた。何処《どこ》からか arbiter《アービター》 elegantiarum《エレガンシアルム》 と云ふ字を見付出《みつけだ》して来《き》て、それを代助の異名の様に濫用したのは、其頃の事であつた。三千代は隣《とな》りの部屋で黙《だま》つて兄《あに》と代助の話《はなし》を聞いてゐた。仕舞にはとう/\ arbiter《アービター》 elegantiarum《エレガンシアルム》 と云ふ字を覚えた。ある時其意味を兄《あに》に尋ねて、驚ろかれた事があつた。  兄《あに》は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待つて啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来る丈与へる様に力めた。代助も辞退はしなかつた。後《あと》から顧みると、自《みづか》ら進んで其任に当つたと思はれる痕迹もあつた。三千代は固より喜《よろこ》んで彼《かれ》の指導を受けた。三人は斯くして、巴《ともえ》の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴《ともえ》の輪《わ》は回《めぐ》るに従つて次第に狭《せば》まつて来《き》た。遂《つい》に三巴《みつどもえ》が一所《いつしよ》に寄《よ》つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠《か》けたため、残る二つは平衡を失なつた。  代助と三千代は五年の昔《むかし》を心置なく語り始めた。語るに従つて、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返つて来《き》た。二人《ふたり》の距離は又|元《もと》の様に近くなつた。 「あの時|兄《にい》さんが亡《な》くならないで、未《ま》だ達者でゐたら、今頃《いまごろ》私《わたくし》は何《ど》うしてゐるでせう」と三千代は、其時を恋《こひ》しがる様に云つた。 「兄《にい》さんが達者でゐたら、別《べつ》の人《ひと》になつて居《ゐ》る訳ですか」 「別な人《ひと》にはなりませんわ。貴方《あなた》は?」 「僕も同じ事です」  三千代は其時、少し窘《たしな》める様な調子で、 「あら嘘《うそ》」と云つた。代助は深《ふか》い眼《め》を三千代の上《うへ》に据ゑて、 「僕は、あの時も今《いま》も、少しも違《ちが》つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼《め》を相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線を外《そ》らした。さうして、半《なか》ば独り言《ごと》の様に、 「だつて、あの時から、もう違《ちが》つてゐらしつたんですもの」と云つた。  三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過《ひくすぎ》た。代助は消《き》えて行く影《かげ》を踏《ふ》まへる如くに、すぐ其尾を捕《とら》えた。 「違《ちが》やしません。貴方《あなた》にはたゞ左様《さう》見える丈です。左様《さう》見《み》えたつて仕方がないが、それは僻目《ひがめ》だ」  代助の方は通例よりも熱心に判然《はつきり》した声《こえ》で自己を弁護する如くに云つた。三千代の声は益|低《ひく》かつた。 「僻目《ひがめ》でも何でも可《よ》くつてよ」  代助は黙《だま》つて三千代の様子を窺《うかゞ》つた。三千代は始めから、眼《め》を伏《ふ》せてゐた。代助には其長い睫毛《まつげ》の顫《ふる》へる様《さま》が能く見えた。        十四の十 「僕の存在には貴方《あなた》が必要だ。何《ど》うしても必要だ。僕《ぼく》は夫丈の事を貴方《あなた》に話《はな》したい為《ため》にわざ/\貴方《あなた》を呼《よ》んだのです」  代助の言葉には、普通の愛人《あいじん》の用ひる様な甘《あま》い文彩《あや》を含《ふく》んでゐなかつた。彼の調子は其言葉と共に簡単で素朴であつた。寧ろ厳粛の域に逼《せま》つてゐた。但《たゞ》、夫丈《それだけ》の事を語《かた》る為《ため》に、急用として、わざ/\三千代を呼んだ所が、玩具《おもちや》の詩歌《しか》に類してゐた。けれども、三千代は固より、斯う云ふ意味での俗を離れた急用を理解し得る女であつた。其上|世間《せけん》の小説に出《で》て来《く》る青春《せいしゆん》時代の修辞には、多くの興味を持つてゐなかつた。代助の言葉が、三千代の官能に華《はな》やかな何物をも与へなかつたのは、事実であつた。三千代がそれに渇いてゐなかつたのも事実であつた。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心《こゝろ》に達した。三千代は顫《ふる》へる睫毛《まつげ》の間《あひだ》から、涙を頬《ほゝ》の上《うへ》に流した。 「僕はそれを貴方《あなた》に承知して貰《もら》ひたいのです。承知して下《くだ》さい」  三千代は猶|泣《な》いた。代助に返事をする所《どころ》ではなかつた。袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出《だ》して顔《かほ》へ当《あ》てた。濃い眉《まゆ》の一部分と、額《ひたひ》と生際《はえぎは》丈が代助の眼《め》に残つた。代助は椅子を三千代の方へ摺《す》り寄せた。 「承知して下《くだ》さるでせう」と耳《みゝ》の傍《はた》で云つた。三千代は、まだ顔《かほ》を蔽つてゐた。しやくり上げながら、 「余《あんま》りだわ」と云ふ声が手帛《ハンケチ》の中《なか》で聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白が遅《おそ》過ぎたと云ふ事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁《とつ》ぐ前に打ち明けなければならない筈であつた。彼は涙《なみだ》と涙《なみだ》の間《あひだ》をぼつ/\綴《つゞ》る三千代の此一語を聞くに堪えなかつた。 「僕は三四年前に、貴方《あなた》に左様《さう》打ち明けなければならなかつたのです」と云つて、憮《ぶ》然として口《くち》を閉《と》ぢた。三千代は急に手帛《ハンケチ》を顔《かほ》から離《はな》した。瞼《まぶた》の赤《あか》くなつた眼《め》を突然代助の上《うへ》に※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》つて、 「打ち明《あ》けて下《くだ》さらなくつても可《い》いから、何故《なぜ》」と云ひ掛《か》けて、一寸《ちよつと》※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇《ちうちよ》したが、思ひ切つて、「何故《なぜ》棄《す》てゝ仕舞つたんです」と云ふや否や、又|手帛《ハンケチ》を顔《かほ》に当《あ》てゝ又|泣《な》いた。 「僕《ぼく》が悪《わる》い。堪忍して下《くだ》さい」  代助は三千代の手頸《てくび》を執《と》つて、手帛《ハンケチ》を顔《かほ》から離《はな》さうとした。三千代は逆《さから》はうともしなかつた。手帛《ハンケチ》は膝の上《うへ》に落ちた。三千代は其|膝《ひざ》の上《うへ》を見た儘《まゝ》、微《かす》かな声で、 「残酷だわ」と云つた。小さい口元《くちもと》の肉《にく》が顫《ふる》ふ様に動いた。 「残酷と云はれても仕方がありません。其代り僕は夫丈《それだけ》の罰《ばつ》を受《う》けてゐます」  三千代は不思議な眼《め》をして顔《かほ》を上《あ》げたが、 「何《ど》うして」と聞《き》いた。 「貴方《あなた》が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身《どくしん》でゐます」 「だつて、夫《それ》は貴方《あなた》の御勝手ぢやありませんか」 「勝手ぢやありません。貰《もら》はうと思つても、貰《もら》へないのです。それから以後、宅《うち》のものから何遍結婚を勧められたか分《わか》りません。けれども、みんな断つて仕舞ひました。今度《こんど》も亦|一人《ひとり》断《ことわ》りました。其結果僕と僕の父《ちゝ》との間《あひだ》が何《ど》うなるか分《わか》りません。然し何《ど》うなつても構はない、断《ことわ》るんです。貴方《あなた》が僕に復讐《ふくしう》してゐる間《あひだ》は断《ことわ》らなければならないんです」 「復讐」と三千代は云つた。此二字を恐るゝものゝ如くに眼《め》を働《はたら》かした。「私《わたくし》は是でも、嫁《よめ》に行《い》つてから、今日《こんにち》迄|一日《いちにち》も早く、貴方《あなた》が御結婚なされば可《い》いと思はないで暮《く》らした事はありません」と稍|改《あら》たまつた物の言《い》ひ振《ぶり》であつた。然し代助はそれに耳を貸さなかつた。 「いや僕は貴方《あなた》に何所《どこ》迄も復讐して貰《もら》ひたいのです。それが本望なのです。今日《けふ》斯《こ》うやつて、貴方《あなた》を呼んで、わざ/\自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方《あなた》から復讐《ふくしう》されてゐる一部分としか思やしません。僕は是で社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はさう生れて来《き》た人間《にんげん》なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方《あなた》の前に懺悔《ざんげ》する事が出来れば、夫で沢山なんです。是程嬉しい事はないと思つてゐるんです」        十四の十一  三千代は涙《なみだ》の中《なか》で始《はじ》めて笑つた。けれども一言《ひとこと》も口《くち》へは出《だ》さなかつた。代助は猶己れを語る隙《ひま》を得た。―― 「僕は今更こんな事を貴方《あなた》に云ふのは、残酷だと承知してゐます。それが貴方《あなた》に残酷に聞えれば聞える程僕は貴方《あなた》に対して成功したも同様になるんだから仕方がない。其上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きてゐる事が出来なくなつた。つまり我儘《わがまゝ》です。だから詫《あやま》るんです」 「残酷では御座いません。だから詫《あや》まるのはもう廃《よ》して頂戴」  三千代の調子は、此時急に判然《はつきり》した。沈《しづ》んではゐたが、前に比べると非常に落ち着《つ》いた。然ししばらくしてから、又 「たゞ、もう少し早く云つて下《くだ》さると」と云ひ掛けて涙ぐんだ。代助は其時斯う聞いた。―― 「ぢや僕が生涯|黙《だま》つてゐた方が、貴方《あなた》には幸福だつたんですか」 「左様《さう》ぢやないのよ」と三千代は力を籠めて打ち消した。「私《わたくし》だつて、貴方《あなた》が左様《さう》云つて下《くだ》さらなければ、生きてゐられなくなつたかも知れませんわ」  今度は代助の方が微笑した。 「夫《それ》ぢや構はないでせう」 「構《かま》はないより難有いわ。たゞ――」 「たゞ平岡に済《す》まないと云ふんでせう」  三千代は不安らしく首肯《うなづ》いた。代助は斯う聞いた。―― 「三千代さん、正直に云つて御覧。貴方《あなた》は平岡を愛してゐるんですか」  三千代は答へなかつた。見るうちに、顔の色が蒼くなつた。眼《め》も口《くち》も固《かた》くなつた。凡てが苦痛の表情であつた。代助は又聞いた。 「では、平岡は貴方《あなた》を愛してゐるんですか」  三千代は矢張り俯《う》つ向《む》いてゐた。代助は思ひ切つた判断を、自分の質問《しつもん》の上に与へやうとして、既に其言葉が口《くち》迄|出掛《でかゝ》つた時、三千代は不意に顔を上《あ》げた。其顔には今見た不安も苦痛も殆んど消えてゐた。涙《なみだ》さへ大抵は乾《かは》いた。頬《ほゝ》の色《いろ》は固より蒼かつたが、唇《くちびる》は確《しか》として、動く気色《けしき》はなかつた。其間《そのあひだ》から、低く重い言葉が、繋《つな》がらない様に、一字づゝ出《で》た。 「仕様がない。覚悟を極《き》めませう」  代助は脊中《せなか》から水《みづ》を被《かぶ》つた様に顫《ふる》へた。社会から逐ひ放《はな》たるべき二人《ふたり》の魂《たましひ》は、たゞ二人《ふたり》対《むか》ひ合つて、互《たがひ》を穴の明《あ》く程眺めてゐた。さうして、凡《すべ》てに逆《さから》つて、互《たがひ》を一所に持ち来《き》たした力を互《たがひ》と怖《おそ》れ戦《おのの》いた。  しばらくすると、三千代は急に物に襲はれた様に、手を顔《かほ》に当《あ》てて泣き出《だ》した。代助は三千代の泣《な》く様《さま》を見るに忍《しの》びなかつた。肱《ひぢ》を突《つ》いて額《ひたひ》を五指《ごし》の裏《うら》に隠《かく》した。二人《ふたり》は此態度を崩《くづ》さずに、恋愛の彫刻の如く、凝《じつ》としてゐた。  二人《ふたり》は斯う凝《じつ》としてゐる中《うち》に、五十年を眼《ま》のあたりに縮《ちゞ》めた程の精神の緊《きん》張を感じた。さうして其《その》緊《きん》張と共に、二人《ふたり》が相並んで存在して居《お》ると云ふ自覚を失はなかつた。彼等は愛の刑《けい》と愛の賚《たまもの》とを同時に享《う》けて、同時に双方を切実に味はつた。  しばらくして、三千代は手帛《ハンケチ》を取つて、涙を奇麗に拭《ふ》いたが、静《しづ》かに、 「私《わたくし》もう帰つてよ」と云つた。代助は、 「御帰りなさい」と答へた。  雨は小降《こぶり》になつたが、代助は固より三千代を独《ひと》り返す気はなかつた。わざと車《くるま》を雇はずに、自分で送つて出《で》た。平岡の家迄|附《つ》いて行く所を、江戸川の橋の上《うへ》で別《わか》れた。代助は橋の上に立つて、三千代が横町を曲《まが》る迄|見送《みおく》つてゐた。夫《それ》から緩《ゆつ》くり歩を回《めぐ》らしながら、腹《はら》の中《なか》で、 「万事終る」と宣告した。  雨は夕方|歇《や》んで、夜《よ》に入つたら、雲がしきりに飛《と》んだ。其|中《うち》洗つた様な月が出《で》た。代助は光《ひかり》を浴《あ》びる庭の濡葉《ぬれは》を長い間《あひだ》椽側から眺《なが》めてゐたが、仕舞に下駄を穿《は》いて下《した》へ降《お》りた。固より広い庭でない上《うへ》に立木《たちき》の数《かず》が存外多いので、代助の歩《ある》く積《せき》はたんと無《な》かつた。代助は其|真中《まんなか》に立つて、大《おほ》きな空《そら》を仰いだ。やがて、座敷から、昼間《ひるま》買つた百合《ゆり》の花を取つて来《き》て、自分の周囲《まはり》に蒔《ま》き散らした。白い花瓣《くわべん》が点々《てん/\》として月の光《ひかり》に冴《さ》えた。あるものは、木下|闇《やみ》に仄《ほの》めいた。代助は何をするともなく其|間《あひだ》に曲《かゞ》んでゐた。  寐る時になつて始めて座敷へ上《あ》がつた。室《へや》の中《なか》は花の香《にほひ》がまだ全く抜《ぬ》けてゐなかつた。        十五の一  三千代に逢つて、云ふべき事を云つて仕舞つた代助は、逢はない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなつた。然し是は彼の予期する通りに行《い》つた迄で、別に意外の結果と云ふ程のものではなかつた。  会見の翌日彼は永らく手に持つてゐた賽《さい》を思ひ切つて投《な》げた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日《きのふ》から一種の責任を帯びねば済まぬ身《み》になつたと自覚した。しかも夫《それ》は自《みづか》ら進んで求めた責任に違《ちが》いなかつた。従つて、それを自分の脊《せ》に負ふて、苦しいとは思へなかつた。その重《おも》みに押されるがため、却つて自然と足《あし》が前に出る様な気がした。彼は自《みづか》ら切り開いた此運命の断片を頭《あたま》に乗《の》せて、父《ちゝ》と決戦すべき準備を整へた。父《ちゝ》の後《あと》には兄《あに》がゐた、嫂《あによめ》がゐた。是等と戦つた後《あと》には平岡がゐた。是等を切り抜《ぬ》けても大きな社会があつた。個人の自由と情実を毫も斟酌して呉《く》れない器械の様な社会があつた。代助には此社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦ふ覚悟をした。  彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日迄、熱烈を厭ふ、危きに近寄り得ぬ、勝|負事《ぶごと》を好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚してゐた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云ふ自覚はどうしても彼《かれ》の心から取り去る事が出来なかつた。  彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其|中《なか》のある号で、Mountain《マウンテン》 Accidents《アクシデンツ》 と題する一篇に遭《あ》つて、かつて心《こゝろ》を駭《おどろ》かした。夫《それ》には高山を攀《よ》ぢ上《のぼ》る冒険者の、怪我|過《あやまち》が沢山に並《なら》べてあつた。登山の途中|雪崩《ゆきなだ》れに圧《お》されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年|後《ご》に氷河の先《さき》へ引|懸《かゝ》つて出《で》た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平《ひら》岩を越すとき、肩から肩の上へ猿《さる》の様に重《かさ》なり合つて、最上の一人の手が岩《いは》の鼻へ掛かるや否や、岩《いは》が崩《くづ》れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍《そば》を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何《いくつ》となく載せてあつた間に、錬瓦《れんぐわ》の壁《かべ》程急な山腹《さんぷく》に、蝙蝠《かうもり》の様に吸《す》ひ付いた人間《にんげん》を二三ヶ所点綴した挿画《さしゑ》があつた。其時代助は其絶壁の横《よこ》にある白い空間のあなたに、広《ひろ》い空《そら》や、遥かの谷《たに》を想像して、怖《おそ》ろしさから来《く》る眩暈《めまひ》を、頭《あたま》の中《なか》に再|現《げん》せずには居られなかつた。  代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。けれども自《みづか》ら其場に臨んで見ると、怯《ひる》む気は少しもなかつた。怯《ひる》んで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。  彼は一日《いちじつ》も早く父《ちゝ》に逢つて話《はなし》をしたかつた。万一の差支を恐れて、三千代が来《き》た翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。父《ちゝ》は留守だと云ふ返事を得た。次《つぎ》の日又問ひ合せたら、今度は差支があると云つて断《ことわ》られた。其次には此方《こちら》から知らせる迄は来《く》るに及ばんといふ挨拶であつた。代助は命令通り控《ひか》えてゐた。其間|嫂《あによめ》からも兄《あに》からも便《たより》は一向なかつた。代助は始めは家《うち》のものが、自分に出来る丈長い、反省再考の時間を与へる為《ため》の策略ではあるまいかと推察して、平気に構へてゐた。三度の食事も旨《うま》く食《く》つた。夜《よる》も比較的|安《やす》らかな夢を見た。雨《あめ》の晴間《はれま》には門野《かどの》を連れて散歩を一二度した。然し宅《うち》からは使《つかひ》も手紙《てがみ》も来《こ》なかつた。代助は絶壁《ぜつぺき》の途中で休息する時間の長過ぎるのに安《やす》からずなつた。仕舞に思ひ切つて、自分の方から青山へ出掛《でか》けて行つた。兄《あに》は例の如く留守であつた。嫂《あによめ》は代助を見《み》て気の毒さうな顔をした。が、例の事件に就ては何にも語《かた》らなかつた。代助の来意を聞《き》いて、では私《わたし》が一寸《ちよつと》奥《おく》へ行《い》つて御父《おとう》さんの御都合を伺《うかゞ》つて来《き》ませうと云つて立つた。梅子の態度は、父《ちゝ》の怒りから代助を庇《かば》う様にも見えた。又彼を疎外する様にも取《と》れた。代助は両方の何《いづ》れだらうかと煩《わづら》つて待つてゐた。待ちながらも、何《ど》うせ覚悟の前だと何遍も口《くち》のうちで繰り返した。  奥から梅子が出て来る迄には、大分|暇《ひま》が掛《かゝ》つた。代助を見て、又気の毒さうに、今日《けふ》は御都合が悪《わる》いさうですよと云つた。代助は仕方なしに、何時《いつ》来《き》たら宜《よ》からうかと尋ねた。固より例《れい》の様《やう》な元気はなく悄然とした問ひ振りであつた。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中に屹度自分が責任を以て都合の好《い》い時日を知らせるから今日《けふ》は帰れと云つた。代助が内玄関を出《で》る時、梅子はわざと送つて来《き》て、 「今度《こんだ》こそ能く考へて入らつしやいよ」と注意した。代助は返事もせずに門《もん》を出《で》た。        十五の二  帰る途中《とちう》も不愉快で堪《たま》らなかつた。此間《このあひだ》三千代に逢《あ》つて以後、味はう事を知つた心の平和を、父《ちゝ》や嫂《あによめ》の態度で幾分か破壊されたと云ふ心持が路々《みち/\》募つた。自分は自分の思ふ通りを父《ちゝ》に告《つ》げる、父《ちゝ》は父《ちゝ》の考へを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあらうとも潔よく自分で受ける。是が代助の予期であつた。父《ちゝ》の仕打《しうち》は彼《かれ》の予期以外に面白くないものであつた。其仕打は父《ちゝ》の人格を反射する丈夫丈多く代助を不愉快にした。  代助は途《みち》すがら、何《なに》を苦《くるし》んで、父《ちゝ》との会見を左迄に急いだものかと思ひ出《だ》した。元来が父《ちゝ》の要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、是を待ち受ける父《ちゝ》の方にあるべき筈であつた。其|父《ちゝ》がわざとらしく自分を避ける様にして、面会を延《の》ばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云ふ不結果を生ずる外に何《なに》も起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付《かたづ》けて仕舞つた積《つもり》でゐた。彼は父《ちゝ》から時日を指定して呼び出《だ》される迄は、宅《うち》の方の所置を其儘にして放つて置く事に極めた。  彼は家《いへ》に帰つた。父《ちゝ》に対しては只|薄暗《うすぐら》い不愉快の影《かげ》が頭《あたま》に残つてゐた。けれども此影は近き未来に於て必ず其|暗《くら》さを増してくるべき性質のものであつた。其他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分が是から流れて行くべき方向を示してゐた。一つは平岡と自分を是非共一所に捲《ま》き込むべき凄《すさま》じいものであつた。代助は此間《このあひだ》三千代に逢《あ》つたなりで、片片《かたかた》の方は捨てゝある。よし是《これ》から三千代の顔《かほ》を見るにした所で、――また長い間《あひだ》見ずにゐる気はなかつたが、――二人《ふたり》の向後取るべき方針に就て云へば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかつた。此点に関して、代助は我ながら明瞭な計画を拵《こしら》えてゐなかつた。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はたゞ何時《いつ》、何事《なにごと》にでも用意ありと云ふ丈であつた。無論彼は機《き》を見て、積極的に働らき掛ける心組はあつた。けれども具体的な案は一つも準備しなかつた。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損《しそん》じまいと誓つたのは、凡てを平岡に打ち明けると云ふ事であつた。従つて平岡と自分とで構成すべき運命の流は黒《くろ》く恐ろしいものであつた。一つの心配は此恐ろしい暴風《あらし》の中《なか》から、如何にして三千代を救《すく》ひ得べきかの問題であつた。  最後に彼の周囲を人間のあらん限《かぎ》り包《つゝ》む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかつた。事実として、社会は制裁の権を有してゐた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出《で》るより外に道はないと信じた。かれは此点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であつた。  代助は彼《かれ》の小《ちい》さな世界の中心に立つて、彼《かれ》の世界を斯様に観て、一順其関係比例を頭《あたま》の中で調べた上、 「善《よ》からう」と云つて、又|家《いへ》を出た。さうして一二丁|歩《ある》いて、乗り付《つ》けの帳場迄|来《き》て、奇麗で早《はや》さうな奴《やつ》を択んで飛び乗《の》つた。何処《どこ》へ行く当《あて》もないのを好加減な町を名指《なざ》して二時間程ぐる/\乗り廻《まは》して帰《かへ》つた。  翌日も書斎の中《なか》で前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応|隈《くま》なく見渡した後《あと》、 「宜《よろ》しい」と云つて外《そと》へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\歩《ある》いて帰つた。  三日目にも同じ事を繰《く》り返した。が、今度は表へ出《で》るや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へ来《き》た。三千代は二人《ふたり》の間《あひだ》に何事も起《おこ》らなかつたかの様に、 「何故《なぜ》夫《それ》から入らつしやらなかつたの」と聞《き》いた。代助は寧ろ其落ち付き払《はら》つた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押し遣《や》つて、 「何《なん》でそんなに、そわ/\して居《ゐ》らつしやるの」と無理に其上《そのうへ》に坐《すは》らした。  一時間ばかり話してゐるうちに、代助の頭《あたま》は次第に穏《おだ》やかになつた。車《くるま》へ乗つて、当《あて》もなく乗り回《まは》すより、三十分でも好《い》いから、早く此所《こゝ》へ遊びに来《く》れば可《よ》かつたと思ひ出した。帰るとき代助は、 「又|来《き》ます。大丈夫だから安心して入《い》らつしやい」と三千代を慰める様に云つた。三千代はたゞ微笑した丈であつた。        十五の三  其|夕方《ゆふがた》始めて父《ちゝ》からの報知《しらせ》に接した。其時代助は婆さんの給仕で飯《めし》を食《く》つてゐた。茶碗を膳の上《うへ》へ置いて、門野《かどの》から手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御|出《いで》の事といふ文句があつた。代助は、 「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書《はがき》を門野《かどの》に見せた。門野《かどの》は、 「青山《あをやま》の御宅《おたく》からですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、表《おもて》を引つ繰り返して、 「何《ど》うも何《なん》ですな。昔《むかし》の人《ひと》は矢っ張り手蹟《て》が好《い》い様ですな」と御世辞を置き去《ざ》りにして出て行つた。婆さんは先刻《さつき》から暦《こよみ》の話《はなし》をしきりに為《し》てゐた。みづのえ[#「みづのえ」に傍点]だのかのと[#「かのと」に傍点]だの、八朔だの友引《ともびき》だの、爪《つめ》を切《き》る日だの普請をする日だのと頗る煩《うるさ》いものであつた。代助は固より上《うは》の空《そら》で聞《き》いてゐた。婆さんは又|門野《かどの》の職《しよく》の事を頼《たの》んだ。十五円でも宜《い》いから何方《どつか》へ出《だ》して遣《や》つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何《ど》んな返事をしたか分《わか》らない位気にも留《と》めなかつた。たゞ心《こゝろ》のうちでは、門野|所《どころ》か、この己《おれ》が危《あや》しい位だと思つた。  食事《しよくじ》を終るや否や、本郷から寺尾が来《き》た。代助は門野の顔《かほ》を見て暫らく考へてゐた。門野《かどの》は無雑作に、 「断《ことわ》りますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくある会《くわい》を一二回欠席した。来客も逢《あ》はないで済《す》むと思ふ分は両度程謝絶した。  代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時《いつ》もの様に、血眼《ちまなこ》になつて、何か探《さが》してゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処《どこ》迄も遣《や》る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児《じ》らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何《ど》の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、彼《かれ》よりも甚《ひど》く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確《たしか》だと諦めてゐたから、彼は侮蔑の眼《め》を以て寺尾を迎へる訳には行かなかつた。  寺尾は、此間の翻訳を漸くの事で月末迄に片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋迄出版を見合せると云ひ出したので、すぐ労力を金《かね》に換算する事が出来ずに、困つた結果|遣《や》つて来《き》たのであつた。では書肆と契約なしに手を着《つ》けたのかと聞《き》くと、全く左様《さう》でもないらしい。と云つて、本屋の方が丸で約束を無|視《し》した様にも云はない。要するに曖昧であつた。たゞ困つてゐる事丈は事実らしかつた。けれども斯《か》う云ふ手違《てちがひ》に慣れ抜《ぬ》いた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満を抱《いだ》いてゐる様には見えなかつた。失敬だとか怪《け》しからんと云ふのは、たゞ口《くち》の先許《さきばかり》で、腹《はら》の中《なか》の屈托は、全然|飯《めし》と肉《にく》に集注してゐるらしかつた。  代助は気の毒になつて、当座の経済に幾分の補助を与へた。寺尾は感謝の意を表して帰つた。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それは疾《とく》の昔《むかし》に使《つか》つて仕舞つたんだと自白した。寺尾の帰つたあとで、代助はあゝ云ふのも一種の人格だと思つた。たゞ斯《か》う楽に活計《くらし》てゐたつて決して為《な》れる訳のものぢやない。今の所謂文壇が、あゝ云ふ人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況の下《もと》に呻吟してゐるんではなからうかと考へて茫乎《ぼんやり》した。  代助は其晩《そのばん》自分の前途をひどく気に掛けた。もし父《ちゝ》から物質的に供給の道を鎖《とざ》された時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだらうかを疑《うたぐ》つた。もし筆を執つて寺尾の真似さへ出来なかつたなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆を執《と》らなかつたら、彼は何をする能力があるだらう。  彼は眼《め》を開《あ》けて時々《とき/″\》蚊帳《かや》の外《そと》に置《お》いてある洋燈《ランプ》を眺めた。夜中《よなか》に燐寸《マツチ》を擦《す》つて烟草《たばこ》を吹《ふ》かした。寐返りを何遍も打つた。固より寐《ね》苦しい程暑い晩ではなかつた。雨が又ざあ/\と降《ふ》つた。代助は此雨の音《おと》で寐《ね》付くかと思ふと、又雨の音《おと》で不意に眼《め》を覚《さ》ました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。        十五の四  定刻《ていこく》になつて、代助は出掛《でか》けた。足駄穿《あしだばき》で雨傘《あまがさ》を提《さ》げて電車に乗《の》つたが、一方の窓《まど》が締《し》め切《き》つてある上《うへ》に、革紐《かはひも》にぶら下《さ》がつてゐる人《ひと》が一杯なので、しばらくすると胸《むね》がむかついて、頭《あたま》が重《おも》くなつた。睡眠不足が影響したらしく思はれるので、手《て》を窮屈に伸《の》ばして、自分の後《うしろ》丈を開《あ》け放《はな》つた。雨は容赦なく襟から帽子に吹《ふ》き付《つ》けた。二三分の後《のち》隣《となり》の人《ひと》の迷惑さうな顔《かほ》に気が付《つ》いて、又|元《もと》の通りに硝子窓《がらすまど》を上《あ》げた。硝子《がらす》の表側《おもてがは》には、弾《はぢ》けた雨《あめ》の珠《たま》が溜《たま》つて、往来が多少|歪《ゆが》んで見えた。代助は首《くび》から上《うへ》を捩《ね》ぢ曲《ま》げて眼《め》を外面《そと》に着《つ》けながら、幾《いく》たびか自分の眼《め》を擦《こ》すつた。然し何遍|擦《こす》つても、世界の恰好が少し変つて来《き》たと云ふ自覚が取れなかつた。硝子《がらす》を通《とほ》して斜《なゝめ》に遠方を透《す》かして見るときは猶|左様《さう》いふ感じがした。  弁慶橋《べんけいばし》で乗り換《か》えてからは、人もまばらに、雨も小降《こぶ》りになつた。頭《あたま》も楽《らく》に濡《ぬ》れた世の中《なか》を眺める事が出来《でき》た。けれども機嫌《きげん》の悪《わる》い父《ちゝ》の顔《かほ》が、色々な表情を以て彼《かれ》の脳髄を刺戟した。想像の談話さへ明《あきら》かに耳に響《ひゞ》いた。  玄関を上《あが》つて、奥へ通る前《まへ》に、例の如く一応|嫂《あによめ》に逢つた。嫂《あによめ》は、 「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた。然し代助は飲む気にもならなかつた。 「御父《おとう》さんが待つて御出《おいで》でせうから、一寸《ちよつと》行《い》つて話《はなし》をして来《き》ませう」と立ち掛《か》けた。嫂《あによめ》は不安らしい顔《かほ》をして、 「代さん、成《な》らう事なら、年寄《としより》に心配を掛けない様になさいよ。御父《おとう》さんだつて、もう長《なが》い事はありませんから」と云つた。代助は梅子の口《くち》から、こんな陰気な言葉を聞《き》くのは始めてであつた。不意に穴倉《あなぐら》へ落《お》ちた様な心持がした。  父《ちゝ》は烟草盆を前に控えて、俯向《うつむ》いてゐた。代助の足音を聞《き》いても顔《かほ》を上《あ》げなかつた。代助は父《ちゝ》の前《まへ》へ出《で》て、叮嚀に御辞儀をした。定《さだ》めて六づかしい眼付《めつき》をされると思ひの外、父《ちゝ》は存外|穏《おだや》かなもので、 「降《ふ》るのに御苦労だつた」と労《いた》はつて呉れた。其時始めて気が付《つ》いて見ると、父《ちゝ》の頬《ほゝ》が何時《いつ》の間《ま》にかぐつと瘠《こ》けてゐた。元来が肉《にく》の多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた。代助は覚えず、 「何《ど》うか為《な》さいましたか」と聞いた。  父《ちゝ》は親《おや》らしい色《いろ》を一寸《ちよつと》顔《かほ》に動《うご》かした丈で、別に代助の心配を物《もの》にする様子もなかつたが、少時《しばらく》話《はな》してゐるうちに、 「己《おれ》も大分《だいぶ》年《とし》を取つてな」と云ひ出《だ》した。其調子が何時《いつ》もの父《ちゝ》とは全く違《ちが》つてゐたので、代助は最前|嫂《あによめ》の云つた事を愈重く見なければならなくなつた。  父《ちゝ》は年《とし》の所為《せゐ》で健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩《も》らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中《さいちう》だから、此難関を漕《こ》ぎ抜けた上《うへ》でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がないのだと云ふ事情を委しく話した。代助は父《ちゝ》の言葉を至極尤もだと思つた。  父《ちゝ》は普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心《こゝろ》の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大|地主《ぢぬし》の、一見|地味《ぢみ》であつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた。さうして、此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた。 「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際《このさい》甚だ必要ぢやないか」と云つた。代助は、父《ちゝ》としては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申し出《いで》に対して、今更驚ろく程、始めから父《ちゝ》を買ひ被つてはゐなかつた。最後の会見に、父《ちゝ》が従来の仮面《かめん》を脱《ぬ》いで掛《か》かつたのを、寧ろ快《こゝろ》よく感じた。彼自身《かれじしん》も、斯《こ》んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間《にんげん》だと自《みづか》ら見積《みつもつ》てゐた。  其上《そのうへ》父《ちゝ》に対して何時《いつ》にない同情があつた。其|顔《かほ》、其|声《こえ》、其代助を動かさうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかつた。私《わたくし》は何《ど》うでも宜《よ》う御座いますから、貴方《あなた》の御都合の好《い》い様に御|極《き》めなさいと云ひたかつた。        十五の五  けれども三千代と最後の会見《くわいけん》を遂《と》げた今更《いまさら》、父《ちゝ》の意に叶《かな》ふ様な当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方付《どつちつ》かずの男であつた。誰《だれ》の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰《だれ》の意見にも露《むき》に抵抗した試がなかつた。解釈のしやうでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付《つき》とも思はれる遣口《やりくち》であつた。彼《かれ》自身さへ、此二つの非難の何《いづ》れを聞《き》いた時に、左様《さう》かも知れないと、腹《はら》の中《なか》で首《くび》を捩《ひね》らぬ訳《わけ》には行《い》かなかつた。然し其原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼《かれ》に融通の利《き》く両《ふた》つの眼《め》が付《つ》いてゐて、双方を一時に見《み》る便宜を有してゐたからであつた。かれは此能力の為に、今日迄一図に物《もの》に向つて突進する勇気を挫《くぢ》かれた。即かず離れず現状に立ち竦《すく》んでゐる事が屡《しば/\》あつた。此現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、却つて明白な判断に本いて起ると云ふ事実は、彼《かれ》が犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解《わか》つたのである。三千代の場合は、即ち其|適例《てきれい》であつた。  彼は三千代の前に告白した己《おの》れを、父《ちゝ》の前で白紙にしやうとは想《おも》ひ到《いた》らなかつた。同時に父《ちゝ》に対しては、心《しん》から気の毒であつた。平生の代助が此際に執るべき方針は云はずして明《あき》らかであつた。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与へる為《ため》の結婚を承諾するに外《ほか》ならなかつた。代助は斯《か》くして双方を調和する事が出来《でき》た。何方付《どつちつ》かずに真中《まんなか》へ立《た》つて、煮え切らずに前進する事は容易であつた。けれども、今《いま》の彼《かれ》は、不断《ふだん》の彼とは趣《おもむき》を異にしてゐた。再び半身を埒外《らつぐわい》に挺《ぬきん》でて、余人と握手するのは既に遅《おそ》かつた。彼は三千代に対する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念は半《なか》ば頭《あたま》の判断から来《き》た。半ば心《こゝろ》の憧憬から来《き》た。二つのものが大きな濤《なみ》の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変つた様に父《ちゝ》の前に立《た》つた。  彼《かれ》は平生の代助の如く、成る可く口数《くちかず》を利《き》かずに控《ひか》えてゐた。父《ちゝ》から見れば何時《いつ》もの代助と異なる所はなかつた。代助の方では却つて父《ちゝ》の変《かは》つてゐるのに驚ろいた。実は此間から幾度《いくたび》も会見を謝絶されたのも、自分が父《ちゝ》の意志に背く恐《おそれ》があるから父《ちゝ》の方でわざと、延《の》ばしたものと推してゐた。今日《けふ》逢《あ》つたら、定めて苦《にが》い顔をされる事と覚悟を極《き》めてゐた。ことによれば、頭《あたま》から叱《しか》り飛《と》ばされるかも知れないと思つた。代助には寧ろ其方《そのほう》が都合が好《よ》かつた。三|分《ぶ》の一《いち》は、父《ちゝ》の暴怒《ぼうど》に対する自己の反動を、心理的に利用して、判然《きつぱり》断《ことわ》らうと云ふ下心《したごゝろ》さへあつた。代助は父《ちゝ》の様子、父《ちゝ》の言葉|遣《つかひ》、父の主意、凡てが予期に反して、自分の決心を鈍《にぶ》らせる傾向に出《で》たのを心苦しく思つた。けれども彼は此|心苦《こゝろぐる》しさにさへ打ち勝つべき決心を蓄《たくは》へた。 「貴方《あなた》の仰《おつ》しやる所は一々《いち/\》御尤もだと思ひますが、私《わたくし》には結婚を承諾する程の勇気がありませんから、断《ことわ》るより外に仕方がなからうと思ひます」ととう/\云つて仕舞つた。其時|父《ちゝ》はたゞ代助の顔《かほ》を見てゐた。良《やゝ》あつて、 「勇気が要《い》るのかい」と手に持《も》つてゐた烟管《きせる》を畳《たゝみ》の上《うへ》に放《ほう》り出《だ》した。代助は膝頭《ひざがしら》を見詰めて黙《だま》つてゐた。 「当人が気に入らないのかい」と父が又|聞《き》いた。代助は猶返事をしなかつた。彼は今迄|父《ちゝ》に対して己《おの》れの四半分も打ち明《あ》けてはゐなかつた。その御|蔭《かげ》で父《ちゝ》と平和の関係を漸く持続して来《き》た。けれども三千代の事丈は始めから決して隠《かく》す気はなかつた。自分の頭《あたま》の上《うへ》に当然落ちかゝるべき結果を、策で避《さ》ける卑怯が面白くなかつたからである。彼はたゞ自白の期に達してゐないと考へた。従つて三千代の名は丸で口《くち》へは出《だ》さなかつた。父《ちゝ》は最後に、 「ぢや何《なん》でも御前《おまへ》の勝手にするさ」と云つて苦《にが》い顔《かほ》をした。  代助も不愉快であつた。然し仕方がないから、礼をして父《ちゝ》の前《まへ》を退《さ》がらうとした。ときに父《ちゝ》は呼び留《と》めて、 「己《おれ》の方でも、もう御前《おまへ》の世話はせんから」と云つた。座敷へ帰つた時、梅子は待ち構へた様に、 「何《ど》うなすつて」と聞いた。代助は答へ様もなかつた。        十六の一  翌日《あくるひ》眼《め》が覚《さ》めても代助の耳の底《そこ》には父《ちゝ》の最後の言葉が鳴《な》つてゐた。彼《かれ》は前後の事情から、平生以上の重《おも》みを其内容に附着しなければならなかつた。少《すく》なくとも、自分丈では、父《ちゝ》から受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があつた。代助の尤も恐るゝ時期は近づいた。父《ちゝ》の機嫌を取り戻《もど》すには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかつた。あらゆる結婚に反対しても、父《ちゝ》を首肯《うなづ》かせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかつた。代助に取つては二つのうち何《いづ》れも不可能であつた。人生に対する自家の哲学《フヒロソフヒー》の根本に触れる問題に就いて、父《ちゝ》を欺くのは猶更不可能であつた。代助は昨日《きのふ》の会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考へ得なかつた。けれども恐ろしかつた。自己が自己に自然な因果を発展させながら、其因果の重《おも》みを脊中《せなか》に負《しよ》つて、高い絶壁の端《はじ》迄押し出された様な心持であつた。  彼《かれ》は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思つた。けれども彼《かれ》の頭《あたま》の中《なか》には職業と云ふ文字がある丈で、職業其物は体を具えて現《あら》はれて来《こ》なかつた。彼は今日迄如何なる職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業を想ひ浮《うか》べて見ても、只《たゞ》其上《そのうへ》を上滑《うはすべ》りに滑《すべ》つて行く丈で、中《なか》に踏《ふ》み込んで内部から考へる事は到底出来なかつた。彼には世間が平《ひら》たい複雑な色分《いろわけ》の如くに見えた。さうして彼《かれ》自身は何等の色《いろ》を帯びてゐないとしか考へられなかつた。  凡ての職業を見渡した後《のち》、彼《かれ》の眼《め》は漂泊者の上《うへ》に来《き》て、そこで留《と》まつた。彼は明《あき》らかに自分の影を、犬と人《ひと》の境《さかい》を迷《まよ》ふ乞食《こつじき》の群《むれ》の中《なか》に見|出《いだ》した。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であつた。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢《しうえ》を塗《ぬ》り付けた後《あと》、自分の心《こゝろ》の状態が如何に落魄するだらうと考へて、ぞつと身振《みぶるひ》をした。  此落魄のうちに、彼は三千代を引張り廻《まは》さなければならなかつた。三千代は精神的に云つて、既に平岡の所有ではなかつた。代助は死に至る迄|彼女《かのをんな》に対して責任を負ふ積であつた。けれども相当の地位を有《も》つてゐる人の不実《ふじつ》と、零落《れいらく》の極に達した人の親切とは、結果に於て大《たい》した差違はないと今更ながら思はれた。死ぬ迄三千代に対して責任を負ふと云ふのは、負《お》ふ目的があるといふ迄で、負《お》つた事実には決してなれなかつた。代助は惘然《もうぜん》として黒内障《そこひ》に罹《かゝ》つた人の如くに自失した。  彼《かれ》は又三千代を訪《たづ》ねた。三千代は前日《ぜんじつ》の如く静《しづか》に落《お》ち着《つ》いてゐた。微笑《ほゝえみ》と光輝《かゞやき》とに満《み》ちてゐた。春風《はるかぜ》はゆたかに彼女《かのをんな》の眉《まゆ》を吹いた。代助は三千代が己《おのれ》を挙げて自分に信頼してゐる事を知つた。其証拠を又|眼《ま》のあたりに見た時、彼《かれ》は愛憐《あいれん》の情と気の毒の念に堪えなかつた。さうして自己を悪漢の如くに呵責《かしやく》した。思ふ事は全く云ひそびれて仕舞つた。帰るとき、 「又都合して宅《うち》へ来《き》ませんか」と云つた。三千代はえゝと首肯《うなづ》いて微笑した。代助は身を切《き》られる程|酷《つら》かつた。  代助は此間《このあひだ》から三千代を訪問する毎《ごと》に、不愉快ながら平岡の居《ゐ》ない時を択《えら》まなければならなかつた。始めはそれを左程にも思はなかつたが、近頃では不愉快と云ふよりも寧ろ、行き悪《にく》い度が日毎に強くなつて来《き》た。其上《そのうへ》留守の訪問が重《かさ》なれば、下女に不審を起させる恐れがあつた。気の所為《せゐ》か、茶を運《はこ》ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付《めつき》をして、見られる様でならなかつた。然し三千代は全く知らぬ顔をしてゐた。少《すく》なくとも上部《うはべ》丈は平気であつた。  平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかつた。会《たま》に一言二言《ひとことふたこと》夫《それ》となく問を掛けて見ても、三千代は寧ろ応じなかつた。たゞ代助の顔を見《み》れば、見てゐる其間《そのあひだ》丈の嬉《うれ》しさに溺《おぼ》れ尽《つく》すのが自然の傾向であるかの如くに思はれた。前後を取り囲《かこ》む黒い雲が、今にも逼《せま》つて来はしまいかと云ふ心配は、陰《かげ》ではいざ知らず、代助の前《まへ》には影《かげ》さへ見せなかつた。三千代は元来神経質の女であつた。昨今の態度は、何《ど》うしても此女の手際ではないと思ふと、三千代の周囲の事情が、まだ夫程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなつたのだと解釈せざるを得なかつた。 「すこし又話したい事があるから来《き》て下《くだ》さい」と前よりは稍真面目に云つて代助は三千代と別れた。        十六の二  中二日《なかふつか》置《お》いて三千代が来《く》る迄、代助の頭《あたま》は何等の新《あたら》しい路《みち》を開拓し得なかつた。彼《かれ》の頭《あたま》の中《なか》には職業の二字が大きな楷書《かいしよ》で焼き付《つ》けられてゐた。それを押《お》し退《の》けると、物質的供給の杜絶がしきりに踊り狂《くる》つた。それが影を隠《かく》すと、三千代の未来が凄《すさま》じく荒れた。彼《かれ》の頭《あたま》には不安の旋風《つむじ》が吹き込んだ。三つのものが巴《ともえ》の如く瞬時の休《やす》みなく回転した。其結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。彼《かれ》は船《ふね》に乗つた人《ひと》と一般であつた。回転する頭《あたま》と、回転する世界の中《なか》に、依然として落ち付いてゐた。  青山《あをやま》の宅《うち》からは何の消息もなかつた。代助は固よりそれを予期してゐなかつた。彼は力《つと》めて門野を相手にして他愛ない雑談に耽《ふけ》つた。門野は此暑さに自分の身体《からだ》を持ち扱つてゐる位、用のない男であつたから、頗る得意に代助の思ふ通り口《くち》を動《うご》かした。それでも話し草臥《くたび》れると、 「先生、将棋は何《ど》うです」抔と持ち掛けた。夕方《ゆふがた》には庭《には》に水を打《う》つた。二人《ふたり》共|跣足《はだし》になつて、手桶を一杯|宛《づゝ》持《も》つて、無分別に其所等《そこいら》を濡《ぬ》らして歩《ある》いた。門野《かどの》が隣《となり》の梧桐の天辺《てつぺん》迄|水《みづ》にして御目にかけると云つて、手桶の底を振り上《あ》げる拍子に、滑《すべ》つて尻持を突《つ》いた。白粉草《おしろいそう》が垣根の傍《そば》で花を着けた。手水鉢の蔭《かげ》に生《は》えた秋海棠の葉が著《いちゞ》るしく大きくなつた。梅雨《つゆ》は漸く晴れて、昼は雲《くも》の峰《みね》の世界となつた。強い日《ひ》は大きな空《そら》を透《す》き通《とほ》す程焼いて、空《そら》一杯の熱を地上に射り付ける天気となつた。  代助は夜《よ》に入つて頭《あたま》の上《うへ》の星ばかり眺《なが》めてゐた。朝《あさ》は書斎に這入つた。二三日は朝から蝉の声が聞《きこ》える様になつた。風呂場へ行つて、度々《たび/\》頭《あたま》を冷《ひや》した。すると門野がもう好《い》い時分だと思つて、 「何《ど》うも非常な暑さですな」と云つて、這入つて来《き》た。代助は斯《か》う云ふ上《うは》の空《そら》の生活を二日程|送《おく》つた。三日目の日盛《ひざかり》に、彼は書斎の中《なか》から、ぎら/\する空《そら》の色《いろ》を見詰《みつ》めて、上《うへ》から吐《は》き下《おろ》す焔《ほのほ》の息《いき》を嗅《か》いだ時に、非常に恐ろしくなつた。それは彼《かれ》の精神が此猛烈なる気候から永久の変化を受けつゝあると考へた為《ため》であつた。  三千代は此暑《このあつさ》を冒《おか》して前日《ぜんじつ》の約《やく》を履《ふ》んだ。代助は女の声《こえ》を聞き付けた時、自分で玄関迄飛び出《だ》した。三千代は傘《かさ》をつぼめて、風呂敷|包《づゝみ》を抱へて、格子の外《そと》に立《た》つてゐた。不断着《ふだんぎ》の儘《まゝ》宅《うち》を出《で》たと見えて、質素《しつそ》な白地《しろぢ》の浴衣《ゆかた》の袂《たもと》から手帛《はんけち》を出し掛《か》けた所であつた。代助は其姿《そのすがた》を一目《ひとめ》見た時、運命が三千代の未来を切り抜《ぬ》いて、意地悪く自分の眼の前に持つて来《き》た様に感じた。われ知らず、笑ひながら、 「馳落《かけおち》でもしさうな風ぢやありませんか」と云つた。三千代は穏《おだや》かに、 「でも買物をした序でないと上《あが》り悪《にく》いから」と真面目な答をして、代助の後《あと》に跟《つ》いて奥迄這入つて来《き》た。代助はすぐ団扇を出《だ》した。照り付けられた所為《せゐ》で三千代の頬《ほゝ》が心持よく輝《かゞ》やいた。何時《いつ》もの疲《つか》れた色は何処《どこ》にも見えなかつた。眼《め》の中《なか》にも若《わか》い沢《つや》が宿《やど》つてゐた。代助は生々《いき/\》した此美くしさに、自己の感覚を溺らして、しばらくは何事も忘れて仕舞つた。が、やがて、此美くしさを冥々の裡《うち》に打ち崩しつゝあるものは自分であると考へ出《だ》したら悲《かな》しくなつた。彼は今日《けふ》も此|美《うつ》くしさの一部分を曇らす為《ため》に三千代を呼んだに違《ちがひ》なかつた。  代助は幾|度《たび》か己れを語る事を※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇した。自分の前に、これ程幸福に見える若い女を、眉《まゆ》一筋《ひとすぢ》にしろ心配の為《ため》に動《うご》かさせるのは、代助から云ふと非常な不徳義であつた。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちに鋭《する》どく働らいてゐなかつたなら、彼は夫《それ》から以後の事情を打ち明ける事の代りに、先達ての告白を再び同じ室《へや》のうちに繰り返して、単純なる愛の快感の下《もと》に、一切《いつさい》を放擲して仕舞つたかも知れなかつた。  代助は漸くにして思ひ切つた。 「其後《そのご》貴方《あなた》と平岡との関係は別に変りはありませんか」  三千代は此問を受けた時でも、依然として幸福であつた。 「あつたつて、構《かま》はないわ」 「貴方《あなた》は夫程僕を信用してゐるんですか」 「信用してゐなくつちや、斯《か》うして居られないぢやありませんか」  代助は目映《まぼ》しさうに、熱《あつ》い鏡《かゞみ》の様な遠い空《そら》を眺《なが》めた。        十六の三 「僕には夫程信用される資格がなささうだ」と苦《く》笑しながら答へたが、頭《あたま》の中《なか》は焙炉《ほいろ》の如く火照《ほて》つてゐた。然し三千代は気にも掛《か》からなかつたと見えて、何故《なぜ》とも聞《き》き返さなかつた。たゞ簡単に、 「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。代助は真面目《まじめ》になつた。 「僕は白状するが、実を云ふと、平岡君より頼《たより》にならない男なんですよ。買ひ被つてゐられると困るから、みんな話《はな》して仕舞ふが」と前置《まへおき》をして、夫《それ》から自分と父《ちゝ》との今日迄の関係を詳しく述《の》べた上《うへ》、 「僕の身分《みぶん》は是から先《さき》何《ど》うなるか分《わか》らない。少《すく》なくとも当分は一人前《いちにんまへ》ぢやない。半人前にもなれない。だから」と云ひ淀《よど》んだ。 「だから、何《ど》うなさるんです」 「だから、僕の思ふ通り、貴方《あなた》に対して責任が尽せないだらうと心配してゐるんです」 「責任つて、何《ど》んな責任なの。もつと判然《はつきり》仰《おつ》しやらなくつちや解《わか》らないわ」  代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、たゞ貧苦が愛人の満足に価《あたひ》しないと云ふ事丈を知つてゐた。だから富《とみ》が三千代に対する責任の一つと考へたのみで、夫《それ》より外《ほか》に明らかな観念は丸で持つてゐなかつた。 「徳義上の責任ぢやない、物質上の責任です」 「そんなものは欲《ほ》しくないわ」 「欲《ほ》しくないと云《い》つたつて、是非必要になるんです。是から先《さき》僕が貴方《あなた》と何《ど》んな新《あた》らしい関係に移つて行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」 「解決者でも何《なん》でも、今更《いまさら》左様《そん》な事を気にしたつて仕方がないわ」 「口《くち》ではさうも云へるが、いざと云ふ場合になると困るのは眼《め》に見えてゐます」  三千代は少し色《いろ》を変《か》へた。 「今《いま》貴方《あなた》の御父様《おとうさま》の御話《おはなし》を伺《うかゞ》つて見ると、斯《か》うなるのは始めから解《わか》つてるぢやありませんか。貴方《あなた》だつて、其位な事は疾《と》うから気が付《つ》いて入《いら》つしやる筈だと思ひますわ」  代助は返事が出来なかつた。頭《あたま》を抑えて、 「少し脳が何《ど》うかしてゐるんだ」と独《ひと》り言《ごと》の様に云つた。三千代は少し涙《なみだ》ぐんだ。 「もし、夫《それ》が気になるなら、私《わたくし》の方は何《ど》うでも宜《よ》う御座《ござ》んすから、御父様《おとうさま》と仲《なか》直りをなすつて、今迄通り御|交際《つきあひ》になつたら好《い》いぢやありませんか」  代助は急に三千代の手頸《てくび》を握《にぎ》つてそれを振《ふ》る様に力を入れて云つた。―― 「そんな事を為《す》る気《き》なら始めから心配をしやしない。たゞ気の毒だから貴方《あなた》に詫《あやま》るんです」 「詫《あや》まるなんて」と三千代は声を顫《ふる》はしながら遮《さへぎ》つた。「私《わたくし》が源因《もと》で左様《さう》なつたのに、貴方《あなた》に詫《あや》まらしちや済《す》まないぢやありませんか」  三千代は声を立《た》てゝ泣いた。代助は慰撫《なだ》める様に、 「ぢや我慢しますか」と聞《き》いた。 「我慢はしません。当り前《まへ》ですもの」 「是から先《さき》まだ変化がありますよ」 「ある事は承知してゐます。何《ど》んな変化があつたつて構やしません。私《わたくし》は此間《このあひだ》から、――此間《このあひだ》から私《わたくし》は、若《もし》もの事があれば、死ぬ積で覚悟を極《き》めてゐるんですもの」  代助は慄然《りつぜん》として戦《おのの》いた。 「貴方《あなた》に是《これ》から先《さき》何《どう》したら好《い》いと云ふ希望はありませんか」と聞いた。 「希望なんか無《な》いわ。何《なん》でも貴方《あなた》の云ふ通りになるわ」 「漂|泊《はく》――」 「漂泊でも好《い》いわ。死ねと仰《おつ》しやれば死ぬわ」  代助は又|竦《ぞつ》とした。 「此儘《このまゝ》では」 「此儘《このまゝ》でも構はないわ」 「平岡君は全く気が付《つ》いてゐない様ですか」 「気が付《つ》いてゐるかも知れません。けれども私《わたくし》もう度胸を据ゑてゐるから大丈夫なのよ。だつて何時《いつ》殺《ころ》されたつて好《い》いんですもの」 「さう死ぬの殺されるのと安《やす》つぽく云ふものぢやない」 「だつて、放《ほう》つて置《お》いたつて、永《なが》く生きられる身体《からだ》ぢやないぢやありませんか」  代助は硬《かた》くなつて、竦《すく》むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里《ヒステリ》の発作《ほつさ》に襲《おそ》はれた様に思ひ切つて泣《な》いた。        十六の四  一仕切《ひとしきり》経《た》つと、発作《ほつさ》は次第に収《おさ》まつた。後《あと》は例《いつも》の通り静《しづ》かな、しとやかな、奥行《おくゆき》のある、美《うつ》くしい女になつた。眉のあたりが殊に晴《はれ》/″\しく見えた。其時代助は、 「僕が自分で平岡君に逢つて解決を付《つ》けても宜《よ》う御座《ござ》んすか」と聞《き》いた。 「そんな事が出来て」と三千代は驚ろいた様であつた。代助は、 「出来る積《つもり》です」と確《しつか》り答へた。 「ぢや、何《ど》うでも」と三千代が云つた。 「さうしませう。二人《ふたり》が平岡君を欺《あざむ》いて事をするのは可《よ》くない様だ。無論事実を能く納得|出来《でき》る様に話《はな》す丈です。さうして、僕の悪《わる》い所はちやんと詫《あや》まる覚悟です。其結果は僕の思ふ様に行《い》かないかも知れない。けれども何《ど》う間違《まちが》つたつて、そんな無暗な事は起らない様にする積《つもり》です。斯《か》う中途半端《ちうとはんぱ》にしてゐては、御互も苦痛だし、平岡君に対しても悪《わる》い。たゞ僕が思ひ切つて左様《さう》すると、あなたが、嘸《さぞ》平岡君に面目なからうと思つてね。其所《そこ》が御気の毒なんだが、然し面目ないと云へば、僕だつて面目ないんだから。自分の所為に対しては、如何に面目なくつても、徳義上の責任を負ふのが当然だとすれば、外《ほか》に何等の利益がないとしても、御互の間に有《あつ》た事丈は平岡君に話さなければならないでせう。其上今の場合では是からの所置を付《つ》ける大事の自白なんだから、猶更必要になると思ひます」 「能く解《わか》りましたわ。何《ど》うせ間違《まちが》へば死ぬ積なんですから」 「死ぬなんて。――よし死ぬにしたつて、是から先《さき》何《ど》の位《くらゐ》間《あひだ》があるか――又そんな危険がある位なら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」  三千代は又泣き出《だ》した。 「ぢや能《よ》く詫《あやま》ります」  代助は日《ひ》の傾くのを待《ま》つて三千代を帰《かへ》した。然し此前の時の様に送《おく》つては行《い》かなかつた。一時間程書斎の中で蝉の声を聞《き》いて暮《くら》した。三千代に逢つて自分の未来を打ち明けてから、気分が薩張りした。平岡へ手紙を書《か》いて、会見の都合を聞き合せ様として、筆を持つて見たが、急に責任の重いのが苦になつて、拝啓以後を書き続《つゞ》ける勇気が出なかつた。卒然、襯衣《しやつ》一枚になつて素足で庭へ飛《と》び出《だ》した。三千代が帰る時は正体なく午睡《ひるね》をしてゐた門野《かどの》が、 「まだ早いぢやありませんか。日が当つてゐますぜ」と云ひながら、坊主|頭《あたま》を両手で抑えて椽端にあらはれた。代助は返事もせずに、庭の隅へ潜《もぐ》り込んで竹の落葉《おちば》を前の方へ掃き出《だ》した。門野《かどの》も已を得ず着物《きもの》を脱《ぬ》いで下《お》りて来《き》た。  狭い庭だけれども、土《つち》が乾《かは》いてゐるので、たつぷり濡らすには大分《だいぶん》骨が折れた。代助は腕《うで》が痛《いた》いと云つて、好加減《いゝかげん》にして足を拭《ふ》いて上《あが》つた。烟草《たばこ》を吹《ふ》いて、椽側に休んでゐると、門野が其姿を見《み》て、 「先生心臓の鼓動が少々|狂《くる》やしませんか」と下《した》から調戯《からか》つた。  晩には門野《かどの》を連《つ》れて、神楽坂の縁日へ出《で》掛けて、秋草《あきくさ》を二鉢三鉢買つて来《き》て、露《つゆ》の下《お》りる軒《のき》の外《そと》へ並《なら》べて置《お》いた。夜は深く空《そら》は高《たか》かつた。星の色《いろ》は濃《こ》く繁《しげ》く光《ひか》つた。  代助は其晩わざと雨戸《あまど》を引《ひ》かずに寐《ね》た。無《ぶ》用心と云ふ恐れが彼《かれ》の頭《あたま》には全く無《な》かつた。彼は洋燈《ランプ》を消《け》して、蚊帳《かや》の中《なか》に独《ひと》り寐転《ねころ》びながら、暗《くら》い所から暗い空《そら》を透《す》かして見た。頭《あたま》の中《なか》には昼《ひる》の事が鮮《あざや》かに輝《かゞや》いた。もう二三|日《にち》のうちには最後の解決が出来《でき》ると思つて幾|度《たび》か胸《むね》を躍《おど》らせた。が、そのうち大《おほ》いなる空《そら》と、大いなる夢《ゆめ》のうちに、吾知らず吸収された。  翌日の朝《あさ》彼は思ひ切つて平岡へ手紙を出《だ》した。たゞ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせて貰《もら》ひたい。此方《こつち》は何時《いつ》でも差支ない。と書いた丈だが、彼《かれ》はわざとそれを封書にした。状袋の糊《のり》を湿《し》めして、赤い切手をとんと張《は》つた時には、愈クライシスに証券を与へた様な気がした。彼は門野《かどの》に云ひ付けて、此運命の使《つかひ》を郵便|函《ばこ》に投《な》げ込ました。手|渡《わた》しにする時、少し手先が顫《ふる》へたが、渡したあとでは却つて茫然として自失した。三年前三千代と平岡の間《あひだ》に立《た》つて斡旋《あつせん》の労を取つた事を追想すると丸で夢の様であつた。        十六の五  翌日《よくじつ》は平岡の返事を心待《こゝろまち》に待《ま》ち暮《く》らした。其|明《あく》る日も当《あて》にして終日《しうじつ》宅《うち》にゐた。三日《みつか》四日《よつか》と経《た》つた。が、平《ひら》岡からは何の便《たより》もなかつた。其中《そのうち》例月《れいげつ》の通り、青山《あをやま》へ金《かね》を貰《もら》ひに行くべき日《ひ》が来《き》た。代助の懐中《くわいちう》は甚だ手薄《てうす》になつた。代助は此前|父《ちゝ》に逢《あ》つた時以後、もう宅《うち》からは補助を受けられないものと覚悟を極《き》めてゐた。今更平気な顔《かほ》をして、のそ/\出掛《でかけ》て行く了見は丸でなかつた。何《なに》二ヶ月や三ヶ月は、書物か衣類を売り払つても何《ど》うかなると腹《はら》の中《なか》で高《たか》を括《くゝ》つて落ち付《つ》いてゐた。事《こと》の落着次第|緩《ゆつ》くり職業を探《さが》すと云ふ分別もあつた。彼《かれ》は平生から人《ひと》のよく口癖《くちくせ》にする、人間は容易な事《こと》で餓死するものぢやない、何《ど》うにかなつて行くものだと云ふ半諺《はんことわざ》の真理を、経験しない前から信《しん》じ出《だ》した。  五日《いつか》目に暑《あつさ》を冒《おか》して、電車へ乗《の》つて、平岡の社迄|出掛《でか》けて行つて見て、平岡は二三日出社しないと云ふ事が分《わか》つた。代助は表へ出て薄汚《うすぎた》ない編輯局の窓を見上《みあ》げながら、足《あし》を運ぶ前に、一応電話で聞き合《あは》すべき筈だつたと思つた。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡つたかどうか、夫《それ》さへ疑《うたが》はしくなつた。代助はわざと新聞社宛でそれを出《だ》したからである。帰りに神田へ廻《まは》つて、買ひつけの古本《ふるほん》屋に、売払ひたい不用の書物があるから、見《み》に来《き》てくれろと頼《たの》んだ。  其|晩《ばん》は水《みづ》を打《う》つ勇気も失《う》せて、ぼんやり、白い網襯衣《あみしやつ》を着《き》た門野の姿《すがた》を眺《なが》めてゐた。 「先生|今日《けふ》は御疲《おつかれ》ですか」と門野《かどの》が馬尻《ばけつ》を鳴らしながら云つた。代助の胸は不安《ふあん》に圧《お》されて、明《あき》らかな返事も出《で》なかつた。夕食《ゆふめし》のとき、飯《めし》の味《あぢ》は殆んどなかつた。呑《の》み込む様に咽喉《のど》を通《とほ》して、箸《はし》を投《な》げた。門野《かどの》を呼んで、 「君、平岡の所へ行つてね、先達《せんだつ》ての手紙は御覧になりましたか。御覧になつたら、御返事を願ひますつて、返事を聞いて来《き》て呉れ玉へ」と頼《たの》んだ。猶要領を得ぬ恐《おそれ》がありさうなので、先達てこれ/\の手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云ふ事迄説明して聞《き》かした。  門野《かどの》を出《だ》した後《あと》で、代助は椽側に出《で》て、椅子に腰を掛《か》けた。門野《かどの》の帰つた時は、洋燈《ランプ》を吹《ふ》き消《け》して、暗《くら》い中《なか》に凝《じつ》としてゐた。門野《かどの》は暗《くら》がりで、 「行《い》つて参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居《おゐ》でゞした。手紙は御覧になつたさうです。明日《あした》の朝《あさ》行《い》くからといふ事です」 「左様《さう》かい、御苦労さま」と代助は答へた。 「実《じつ》はもつと早く出《で》るんだつたが、うちに病人が出来たんで遅《おそ》くなつたから、宜《よろ》しく云つてくれろと云はれました」 「病人?」と代助は思はず問《と》ひ返《かへ》した。門野《かどの》は暗《くら》い中《なか》で、 「えゝ、何でも奥さんが御悪《おわる》い様です」と答へた。門野の着《き》てゐる白地の浴衣《ゆかた》丈がぼんやり代助の眼《め》に入《い》つた。夜《よる》の明《あか》りは二人《ふたり》の顔を照らすには余り不充分であつた。代助は掛《か》けてゐる籐《と》椅子の肱掛《ひぢかけ》を両手で握《にぎ》つた。 「余程|悪《わる》いのか」と強く聞いた。 「何《ど》うですか、能く分《わか》りませんが。何《なん》でもさう軽《かる》さうでもない様でした。然し平岡さんが明日《あした》御出《おいで》になられる位なんだから、大《たい》した事《こと》ぢやないでせう」  代助は少し安心した。 「何だい。病気は」 「つい聞《き》き落《おと》しましたがな」  二人《ふたり》の問答は夫《それ》で絶《た》えた。門野《かどの》は暗《くら》い廊下を引き返して、自分の部屋へ這入つた。静《しづ》かに聞いてゐると、しばらくして、洋燈《ランプ》の蓋《かさ》をホヤに打《ぶ》つける音《おと》がした。門野は灯火《あかり》を点《つ》けたと見えた。  代助は夜《よ》の中《なか》に猶|凝《じつ》としてゐた。凝《じつ》としてゐながら、胸《むね》がわく/\した。握《にぎ》つてゐる肱掛《ひぢかけ》に、手から膏《あぶら》が出《で》た。代助は又手を鳴らして門野を呼び出した。門野《かどの》のぼんやりした白地《しろぢ》が又廊下のはづれに現《あら》はれた。 「まだ暗闇《くらやみ》ですな。洋燈《ランプ》を点《つ》けますか」と聞いた。代助は洋燈《ランプ》を断《ことわ》つて、もう一度《いちど》、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気の為《ため》だか、何《ど》うだか、と云ふ点に至る迄、考へられる丈問ひ尽した。けれども門野の答は必竟前と同じ事を繰り返すのみであつた。でなければ、好加減な当《あて》ずつぽうに過ぎなかつた。それでも、代助には一人《ひとり》で黙つてゐるよりも堪《こら》え易《やす》かつた。        十六の六  寐《ね》る前《まへ》に門野《かどの》が夜中投函から手紙を一本|出《だ》して来《き》た。代助は暗い中《うち》でそれを受取《うけと》つた儘、別《べつ》に見様ともしなかつた。門野《かどの》は、 「御宅《おたく》からの様です。灯火《あかり》を持《も》つて来《き》ませうか」と促《うな》がす如くに注意した。  代助は始めて洋燈《ランプ》を書斎に入れさして、其下《そのした》で、状袋の封を切《き》つた。手紙は梅子から自分に宛《あ》てた可なり長いものであつた。―― 「此間から奥さんの事で貴方《あなた》も嘸《さぞ》御迷惑なすつたらう。此方《こつち》でも御父《おとう》様始め兄《にい》さんや、私《わたくし》は随分心配をしました。けれども其甲斐もなく先達て御|出《いで》の時《とき》、とう/\御父《おとう》さんに断然御|断《ことわ》りなすつた御様子、甚だ残念ながら、今では仕方がないと諦《あき》らめてゐます。けれども其節御父様は、もう御前の事は構はないから、其積でゐろと御怒りなされた由、後《あと》で承りました。其|後《のち》あなたが御出《おいで》にならないのも、全く其|為《ため》ぢやなからうかと思つてゐます。例月のものを上《あ》げる日《ひ》には何《ど》うかとも思ひましたが、矢張り御|出《いで》にならないので、心配してゐます。御父さんは打遣《うちや》つて置けと仰います。兄さんは例の通り呑気で、困つたら其|内《うち》来《く》るだらう。其時|親爺《おやぢ》によく詫《あやま》らせるが可《い》い。もし来《こ》ない様だつたら、おれの方から行つてよく異見してやると云つてゐます。けれども、結婚の事は三人とももう断念してゐるんですから、其点では御迷惑になる様な事はありますまい。尤も御父さんは未《ま》だ怒《おこ》つて御|出《いで》の様子です。私の考では当分|昔《むかし》の通りになる事は、六づかしいと思ひます。それを考へると、貴方《あなた》が入らつしやらない方が却つて貴方《あなた》の為《ため》に宜《い》いかも知れません。たゞ心配になるのは月々|上《あ》げる御|金《かね》の事です。貴方《あなた》の事だから、さう急に自分で御|金《かね》を取る気遣はなからうと思ふと、差し当り御困りになるのが眼の前に見える様で、御気の毒で堪《たま》りません。で、私の取計で例月分を送つて上《あ》げるから、御受取の上は是で来月迄持ち応《こた》へて入らつしやい。其|内《うち》には御父さんの御機嫌も直《なほ》るでせう。又|兄《にい》さんからも、さう云つて頂く積です。私《わたくし》も好《い》い折《をり》があれば、御|詫《わび》をして上《あ》げます。それ迄は今迄通り遠慮して入らつしやる方が宜《よ》う御座います。……」  まだ後《あと》が大分あつたが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかつた。代助は中《なか》に這入つてゐた小切手を引き抜《ぬ》いて、手紙丈をもう一遍よく読み直した上《うへ》、丁寧に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めて嫂《あによめ》に致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であつた。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用ひたのであつた。  代助は洋燈《ランプ》の前にある封筒を、猶つくづくと眺《なが》めた。古《ふる》い寿《じゆ》命が又一ヶ月|延《の》びた。晩《おそ》かれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、嫂《あによめ》の志は難有いにもせよ、却つて毒になる許《ばかり》であつた。たゞ平岡と事を決する前は、麺麭《パン》の為《ため》に働らく事を肯《うけが》はぬ心を持つてゐたから、嫂《あによめ》の贈物《おくりもの》が、此際《このさい》糧食としてことに彼には貴《たつ》とかつた。  其晩も蚊帳へ這入《はい》る前にふつと、洋燈《ランプ》を消《け》した。雨戸《あまど》は門野《かどの》が立《た》てに来《き》たから、故障も云はずに、其|儘《まゝ》にして置いた。硝子戸《がらすど》だから、戸越《とご》しにも空《そら》は見えた。たゞ昨夕《ゆふべ》より暗《くら》かつた。曇《くも》つたのかと思つて、わざ/\椽側迄|出《で》て、透《す》かす様にして軒《のき》を仰ぐと、光《ひか》るものが筋《すぢ》を引いて斜《なゝ》めに空《そら》を流れた。代助は又|蚊帳《かや》を捲《まく》つて這入つた。寐付《ねつ》かれないので団扇をはたはた云はせた。  家《いへ》の事は左のみ気に掛《か》からなかつた。職業もなるが儘になれと度胸を据ゑた。たゞ三千代の病気と、其源因と其結果が、ひどく代助の頭《あたま》を悩《なや》ました。それから平岡との会見の様子も、様々《さま/″\》に想像して見た。それも一方《ひとかた》ならず彼《かれ》の脳髄を刺激した。平岡は明日《あした》の朝九時|頃《ごろ》あんまり暑くならないうちに来《く》るといふ伝言であつた。代助は固より、平岡に向つて何《ど》う切り出《だ》さう抔と形式的の文句を考へる男《をとこ》ではなかつた。話す事は始めから極《きま》つてゐて、話す順序は其時の模《も》様次第だから、決して心配にはならなかつたが、たゞ成る可く穏かに自分の思ふ事が向ふに徹する様にしたかつた。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀つた。成るべく熟睡《じゆくすい》したいと心掛けて瞼《まぶた》を合せたが、生憎眼が冴えて昨夕《ゆふべ》よりは却つて寐《ね》苦しかつた。其|内《うち》夏の夜がぽうと白《しら》み渡《わた》つて来《き》た。代助は堪《たま》りかねて跳ね起きた。跣足《はだし》で庭先へ飛び下りて冷たい露《つゆ》を存分に踏んだ。夫から又椽側の籐椅子に倚つて、日の出《で》を待つてゐるうちに、うと/\した。        十六の七  門野《かどの》が寐惚《ねぼ》け眼《まなこ》を擦《こす》りながら、雨戸《あまど》を開《あ》けに出《で》た時、代助ははつとして、此|仮睡《うたゝね》から覚《さ》めた。世界の半面はもう赤い日《ひ》に洗《あら》はれてゐた。 「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云つた。代助はすぐ風呂場へ行つて水を浴《あ》びた。朝飯《あさめし》は食《く》はずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何が書《か》いてあるか解《わか》らなかつた。読むに従つて、読《よ》んだ事が群《むら》がつて消えて行《い》つた。たゞ時計の針ばかりが気になつた。平岡が来《く》る迄にはまだ二時間あまりあつた。代助は其|間《あひだ》を何《ど》うして暮《く》らさうかと思つた。凝《じつ》としてはゐられなかつた。けれども何をしても手に付《つ》かなかつた。責《せ》めて此二時間をぐつと寐込んで、眼《め》を開《あ》けて見ると、自分の前に平岡が来《き》てゐる様にしたかつた。  仕舞に何か用事を考へ出《だ》さうとした。不図机の上《うへ》に乗《の》せてあつた梅子の封筒が眼《め》に付《つ》いた。代助は是だと思つて、強いて机の前に坐《すは》つて、嫂《あによめ》へ謝状を書《か》いた。成るべく叮嚀に書く積であつたが、状袋へ入れて宛名迄|認《したゝ》めて仕舞つて、時計を眺めると、たつた十五分程しか経《た》つてゐなかつた。代助は席《せき》に着《つ》いた儘、安《やす》からぬ眼《め》を空《くう》に据ゑて、頭《あたま》の中《なか》で何か捜《さが》す様に見えた。が、急に起つた。 「平岡が来《き》たら、すぐ帰《かへ》るからつて、少《すこ》し待《ま》たして置いて呉れ」と門野《かどの》に云ひ置《お》いて表へ出《で》た。強い日が正面から射竦《ゐすく》める様な勢で、代助の顔《かほ》を打《う》つた。代助は歩《ある》きながら絶《た》えず眼《め》と眉《まゆ》を動《うご》かした。牛込見附を這入つて、飯田町を抜《ぬ》けて、九段|坂下《ざかした》へ出《で》て、昨日《きのふ》寄《よ》つた古本屋《ふるほんや》迄|来《き》て、 「昨日《きのふ》不要の本《ほん》を取りに来《き》て呉れと頼《たの》んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積で」と断つた。帰りには、暑さが余り酷《ひど》かつたので、電車で飯田橋へ回《まは》つて、それから揚場《あげば》を筋違《すぢかひ》に毘沙門前《びしやもんまへ》へ出《で》た。  家《うち》の前には車が一台《いちだい》下《お》りてゐた。玄関には靴《くつ》が揃へてあつた。代助は門野《かどの》の注意を待たないで、平岡の来《き》てゐる事を悟つた。汗《あせ》を拭《ふ》いて、着物《きもの》を洗《あら》ひ立《た》ての浴衣《ゆかた》に改めて、座敷へ出《で》た。 「いや、御使《おつかひ》で」と平岡が云つた。矢張り洋服を着《き》て、蒸《む》される様に扇を使つた。 「何《ど》うも暑《あつ》い所を」と代助も自《おのづ》から表立《おもてだつ》た言葉|遣《づかひ》をしなければならなかつた。  二人《ふたり》はしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いて見たかつた。然しそれが何《ど》う云ふものか聞き悪《にく》かつた。其内《そのうち》通例の挨拶も済《す》んで仕舞つた。話《はなし》は呼び寄せた方から、切り出すのが順当であつた。 「三千代さんは病気だつてね」 「うん。夫《それ》で社《しや》の方《ほう》も二三日|休《やす》ませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れて仕舞つた」 「そりや何《ど》うでも構はないが。三千代さんはそれ程|悪《わる》いのかい」  平岡は断然たる答を一言葉《ひとことば》でなし得なかつた。さう急に何《ど》うの斯《か》うのといふ心配もない様だが、決して軽《かる》い方ではないといふ意味を手短かに述《の》べた。  此前|暑《あつ》い盛《さか》りに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄つた明日《あくるひ》の朝《あさ》、三千代は平岡の社へ出掛《でか》ける世話をしてゐながら、突《とつ》然|夫《おつと》の襟飾《えりかざり》を持つた儘卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度《したく》は其儘に三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出て呉《く》れと云ひ出《だ》した。口元《くちもと》には微笑の影さへ見えた。横《よこ》にはなつてゐたが、心配する程《ほど》の様子もないので、もし悪《わる》い様だつたら医者を呼ぶ様に、必要があつたら社へ電話を掛ける様に云ひ置いて平岡は出勤した。其晩は遅《おそ》く帰つた。三千代は心持が悪《わる》いといつて先《さき》へ寐《ね》てゐた。何《ど》んな具合かと聞《き》いても、判然《はつきり》した返事をしなかつた。翌日朝起きて見ると三千代の色沢《いろつや》が非常に可《よ》くなかつた。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎へた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血の為《ため》だと云つた。随分強い神経衰弱に罹《かゝ》つてゐると注意した。平岡は夫《それ》から社を休《やす》んだ。本人は大丈夫だから出て呉《く》れろと頼む様に云つたが、平岡は聞《き》かなかつた。看護をしてから二日目《ふつかめ》の晩《ばん》に、三千代《みちよ》が涙《なみだ》を流して、是非|詫《あや》まらなければならない事があるから、代助の所へ行つて其訳を聞いて呉れろと夫《おつと》に告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかつた。脳《のう》の加減《かげん》が悪《わる》いのだらうと思つて、好《よ》し/\と気休《きやす》めを云つて慰めてゐた。三日目《みつかめ》にも同じ願が繰り返された。其時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味を認《みと》めた。すると夕方《ゆふがた》になつて、門野が代助から出した手紙の返事を聞《き》きにわざ/\小石川迄|遣《や》つて来《き》た。 「君の用事と三千代の云ふ事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議さうに代助を見た。        十六の八  平岡の話は先刻《さつき》から深い感動を代助に与へてゐたが、突然此思はざる問《とひ》に来《き》た時《とき》、代助はぐつと詰《つま》つた。平岡の問は実に意表に、無邪気に、代助の胸《むね》に応《こた》へた。彼《かれ》は何時《いつ》になく少《すこ》し赤面《せきめん》して俯向《うつむ》いた。然し再《ふたゝび》顔《かほ》を上《あ》げた時は、平生の通り静かな悪《わる》びれない態度を回復してゐた。 「三千代さんの君《きみ》に詫《あや》まる事と、僕の君に話したい事とは、恐らく大いなる関係があるだらう。或は同《おんな》じ事かも知れない。僕は何《ど》うしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思ふから話《はな》すんだから、今日迄の友誼に免《めん》じて、快《こゝろ》よく僕に僕の義務を果《はた》さして呉れ給へ」 「何だい。改《あら》たまつて」と平岡は始めて眉を正《たゞ》した。 「いや前置をすると言訳らしくなつて不可《いけ》ないから、僕も成る可くなら卒直に云つて仕舞ひたいのだが、少し重大な事件だし、夫《それ》に習慣に反した嫌《きらひ》もあるので、若し中途で君に激されて仕舞ふと、甚だ困るから、是非仕舞迄君に聞《き》いて貰ひたいと思つて」 「まあ何だい。其|話《はなし》と云ふのは」  好奇心と共に平岡の顔《かほ》が益|真面目《まじめ》になつた。 「其代り、みんな話《はな》した後《あと》で、僕は何《ど》んな事を君から云はれても、矢張り大人しく仕舞迄聞く積だ」  平岡は何にも云はなかつた。たゞ眼鏡《めがね》の奥から大きな眼《め》を代助の上《うへ》に据ゑた。外《そと》はぎら/\する日が照《て》り付けて、椽側迄|射返《いかへ》したが、二人《ふたり》は殆んど暑さを度外に置いた。  代助は一段声を潜《ひそ》めた。さうして、平岡夫婦が東京へ来《き》てから以来、自分と三千代との関係が何《ど》んな変化を受けて、今日に至つたかを、詳しく語り出《だ》した。平岡は堅《かた》く唇《くちびる》を結《むす》んで代助の一語一句に耳《みゝ》を傾けた。代助は凡てを語るに約一時間余を費やした。其間に平岡から四遍程極めて単簡な質問を受けた。 「ざつと斯《か》う云ふ経過だ」と説明の結末を付《つ》けた時、平岡はたゞ唸《うな》る様に深《ふか》い溜息《ためいき》を以て代助に答へた。代助は非常に酷《つら》かつた。 「君の立場《たちば》から見れば、僕は君を裏切りした様に当る。怪《け》しからん友達《ともだち》だと思ふだらう。左様《さう》思れても一言《いちごん》もない。済《す》まない事になつた」 「すると君は自分のした事を悪《わる》いと思つてるんだね」 「無論」 「悪《わる》いと思ひながら今日《こんにち》迄歩を進めて来《き》たんだね」と平岡は重ねて聞《き》いた。語気は前よりも稍切迫してゐた。 「左様《さう》だ。だから、此事《このこと》に対して、君の僕等に与へやうとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはたゞ事実を其儘に話した丈で、君の処分の材料にする考だ」  平岡は答へなかつた。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて云つた。 「僕の毀損された名誉が、回復出来る様な手段が、世の中《なか》にあり得ると、君は思つてゐるのか」  今度は代助の方が答へなかつた。 「法律や社会の制裁は僕には何にもならない」と平岡は又云つた。 「すると君は当事者《とうじしや》丈のうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」 「左様《さう》さ」 「三千代さんの心機を一転して、君《きみ》を元《もと》よりも倍以上に愛させる様にして、其上僕を蛇蝎の様に悪《にく》ませさへすれば幾分か償《つぐなひ》にはなる」 「夫《それ》が君の手際で出来るかい」 「出来ない」と代助は云ひ切つた。 「すると君は悪《わる》いと思つた事を今日迄発展さして置いて、猶其|悪《わる》いと思ふ方針によつて、極端押して行かうとするのぢやないか」 「矛盾かも知れない。然し夫《それ》は世間の掟《おきて》と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上《あ》がつた夫婦関係とが一致しなかつたと云ふ矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫《おつと》たる君に詫《あや》まる。然し僕の行為其物に対しては矛盾も何も犯してゐない積だ」        十六の九 「ぢや」と平岡は稍声を高めた。「ぢや、僕等|二人《ふたり》は世間の掟《おきて》に叶《かな》ふ様な夫婦関係は結《むす》べないと云ふ意見だね」  代助は同情のある気の毒さうな眼《め》をして平岡を見た。平岡の険《けわ》しい眉が少し解けた。 「平岡君。世間《せけん》から云へば、これは男子の面目に関《かゝ》はる大事件だ。だから君が自己の権利を維持する為《ため》に、――故意に維持しやうと思はないでも、暗に其心が働らいて、自然と激して来《く》るのは已を得ないが、――けれども、こんな関係の起らない学校時代の君になつて、もう一遍僕の云ふ事をよく聞いて呉れないか」  平岡は何とも云はなかつた。代助も一寸|控《ひか》えてゐた。烟草を一吹《ひとふき》吹《ふ》いた後《あと》で、思ひ切つた。 「君は三千代さんを愛してゐなかつた」と静《しづ》かに云つた。 「そりや」 「そりや余計な事だけれども、僕は云はなければならない。今度の事件に就て凡ての解決者はそれだらうと思ふ」 「君には責任がないのか」 「僕は三千代さんを愛してゐる」 「他《ひと》の妻《さい》を愛する権利が君にあるか」 「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件ぢやない人間だから、心《こゝろ》迄所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出て来《き》たつて、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫《おつと》の権利は其所《そこ》迄は届《とゞ》きやしない。だから細君の愛を他《ほか》へ移さない様にするのが、却つて夫《おつと》の義務だらう」 「よし僕が君の期待する通り三千代を愛してゐなかつた事が事実としても」と平岡は強いて己《おのれ》を抑《おさ》える様に云つた。拳《こぶし》を握つてゐた。代助は相手の言葉の尽《つ》きるのを待つた。 「君は三年前の事を覚えてゐるだらう」と平岡は又句を更《か》へた。 「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」 「さうだ。其|時《とき》の記憶が君の頭《あたま》の中《なか》に残つてゐるか」  代助の頭《あたま》は急に三年前に飛《と》び返《かへ》つた。当時の記憶が、闇《やみ》を回《めぐ》る松明《たいまつ》の如く輝《かゞや》いた。 「三千代を僕に周旋しやうと云ひ出したものは君だ」 「貰《もら》いたいと云ふ意志を僕に打ち明けたものは君だ」 「それは僕だつて忘れやしない。今に至る迄君の厚意を感謝してゐる」  平岡は斯う云つて、しばらく冥想してゐた。 「二人《ふたり》で、夜《よる》上野《うへの》を抜《ぬ》けて谷中《やなか》へ下《お》りる時だつた。雨上《あめあが》りで谷中《やなか》の下《した》は道《みち》が悪《わる》かつた。博物館の前から話しつゞけて、あの橋《はし》の所迄|来《き》た時、君は僕の為《ため》に泣いて呉れた」  代助は黙然としてゐた。 「僕は其時程朋友を難有いと思つた事はない。嬉《うれ》しくつて其晩は少しも寐《ね》られなかつた。月のある晩《ばん》だつたので、月の消える迄起きてゐた」 「僕もあの時は愉快だつた」と代助が夢の様に云つた。それを平岡は打ち切る勢で遮《さへぎ》つた。―― 「君は何だつて、あの時僕の為《ため》に泣いて呉れたのだ。なんだつて、僕の為《ため》に三千代を周旋しやうと盟《ちか》つたのだ。今日《こんにち》の様な事を引き起す位なら、何故《なぜ》あの時、ふんと云つたなり放《ほう》つて置いて呉れなかつたのだ。僕は君から是程深刻な復讐《かたき》を取られる程、君に向つて悪い事をした覚《おぼえ》がないぢやないか」  平岡は声を顫《ふる》はした。代助の蒼《あを》い額に汗《あせ》の珠《たま》が溜《たま》つた。さうして訴たへる如くに云つた。 「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛してゐたのだよ」  平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。 「其時の僕は、今の僕でなかつた。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望《のぞ》みを叶《かな》へるのが、友達の本分だと思つた。それが悪《わる》かつた。今位|頭《あたま》が熟してゐれば、まだ考へ様があつたのだが、惜しい事に若《わか》かつたものだから、余りに自然を軽蔑し過《す》ぎた。僕はあの時の事を思つては、非常な後悔の念に襲はれてゐる。自分の為《ため》ばかりぢやない。実際君の為《ため》に後悔してゐる。僕が君に対して真に済まないと思ふのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣《や》り遂《と》げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁して呉れ。僕は此通り自然に復讐《かたき》を取られて、君の前に手を突いて詫《あや》まつてゐる」  代助は涙《なみだ》を膝《ひざ》の上《うへ》に零《こぼ》した。平岡の眼鏡《めがね》が曇つた。        十六の十 「どうも運命だから仕方《しかた》がない」  平岡は呻吟《うめ》く様な声を出《だ》した。二人《ふたり》は漸く顔《かほ》を見合せた。 「善後策に就て君の考があるなら聞かう」 「僕は君の前に詫《あや》まつてゐる人間だ。此方《こつち》から先《さき》へそんな事を云ひ出す権利はない。君の考から聞くのが順だ」と代助が云つた。 「僕には何《なん》にもない」と平岡は頭《あたま》を抑えてゐた。 「では云ふ。三千代さんを呉れないか」と思ひ切つた調子に出た。  平岡は頭《あたま》から手を離して、肱を棒の様に洋卓《てえぶる》の上に倒した。同時に、 「うん遣《や》らう」と云つた。さうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。 「遣《や》る。遣《や》るが、今《いま》は遣《や》れない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれども悪《にく》んぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。寐《ね》てゐる病人を君に遣《や》るのは厭《いや》だ。病気が癒《なほ》る迄君に遣《や》れないとすれば、夫迄は僕が夫《おつと》だから、夫《おつと》として看護する責任がある」 「僕は君に詫《あやま》つた。三千代さんも君に詫《あや》まつてゐる。君から云へば二人《ふたり》とも、不埒な奴《やつ》には相違ないが、――幾何《いくら》詫《あや》まつても勘弁|出来《でき》んかも知れないが、――何しろ病気をして寐《ね》てゐるんだから」 「夫《それ》は分《わか》つてゐる。本人の病気に付《つ》け込んで僕が意趣|晴《ば》らしに、虐待《ぎやくたい》でもすると思つてるんだらうが、僕だつて、まさか」  代助は平岡の言《こと》を信じた。さうして腹の中《なか》で平岡に感謝した。平岡は次《つぎ》に斯《か》う云つた。 「僕は今日《けふ》の事がある以上は、世間的の夫《おつと》の立場《たちば》からして、もう君と交際する訳には行かない。今日《けふ》限り絶交するから左様《さう》思つて呉れ玉へ」 「仕方がない」と代助は首を垂れた。 「三千代の病気は今云ふ通り軽い方ぢやない。此先《このさき》何《ど》んな変化がないとも限《かぎ》らない。君も心配だらう。然し絶交した以上は已《やむ》を得ない。僕の在不在に係《かゝ》はらず、宅《うち》へ出入《ではい》りする事丈は遠慮して貰《もら》ひたい」 「承知した」と代助はよろめく様に云つた。其|頬《ほゝ》は益|蒼《あを》かつた。平岡は立ち上《あ》がつた。 「君、もう五分|許《ばかり》坐《すは》つて呉《く》れ」と代助が頼《たの》んだ。平岡は席に着《つ》いた儘無言でゐた。 「三千代さんの病気は、急に危険《きけん》な虞《おそれ》でもありさうなのかい」 「さあ」 「夫《それ》丈教へて呉れないか」 「まあ、さう心配しないでも可《い》いだらう」  平岡は暗《くら》い調子で、地《ぢ》に息《いき》を吐《は》く様に答へた。代助は堪《た》えられない思がした。 「若《も》しだね。若《も》し万一の事がありさうだつたら、其前にたつた一遍丈で可《い》いから、逢はして呉れないか。外《ほか》には決して何も頼《たの》まない。たゞ夫丈だ。夫丈を何《ど》うか承知して呉《く》れ玉へ」  平岡は口《くち》を結《むす》んだなり、容易に返事をしなかつた。代助は苦痛の遣《や》り所《どころ》がなくて、両手の掌《たなごゝろ》を、垢《あか》の綯《よ》れる程|揉《も》んだ。 「夫《それ》はまあ其時の場合にしやう」と平岡が重《おも》さうに答へた。 「ぢや、時々《とき/″\》病人の様子を聞《き》きに遣《や》つても可《い》いかね」 「夫《それ》は困《こま》るよ。君と僕とは何《なん》にも関係がないんだから。僕は是から先《さき》、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時丈だと思つてるんだから」  代助は電流に感じた如く椅子の上《うへ》で飛び上《あ》がつた。 「あつ。解《わか》つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積《つもり》なんだ。それは苛《ひど》い。それは残酷だ」  代助は洋卓《てえぶる》の縁《ふち》を回《まは》つて、平岡に近《ちか》づいた。右の手で平岡の脊広《せびろ》の肩《かた》を抑えて、前後に揺《ゆ》りながら、 「苛《ひど》い、苛《ひど》い」と云つた。  平岡は代助の眼《め》のうちに狂《くる》へる恐ろしい光《ひかり》を見出した。肩《かた》を揺《ゆ》られながら、立ち上《あ》がつた。 「左《そ》んな事があるものか」と云つて代助の手を抑《おさ》えた。二人《ふたり》は魔《ま》に憑《つ》かれた様な顔をして互を見た。 「落ち付かなくつちや不可《いけ》ない」と平岡が云つた。 「落ち付《つ》いてゐる」と代助が答へた。けれども其言葉は喘《あへ》ぐ息《いき》の間《あひだ》を苦《くる》しさうに洩れて出た。  暫らくして発作の反動が来《き》た。代助は己《おの》れを支ふる力を用ひ尽《つく》した人の様に、又椅子に腰を卸《おろ》した。さうして両手で顔を抑えた。        十七の一  代助は夜の十時|過《すぎ》になつて、こつそり家《いへ》を出《で》た。 「今《いま》から何方《どちら》へ」と驚ろいた門野《かどの》に、 「何《なに》一寸《ちよつと》」と曖昧な答をして、寺町《てらまち》の通り迄|来《き》た。暑《あつ》い時分の事なので、町《まち》はまだ宵《よひ》の口《くち》であつた。浴衣《ゆかた》を着《き》た人が幾人となく代助の前後《ぜんご》を通つた。代助には夫《それ》が唯《たゞ》動《うご》くものとしか見えなかつた。左右《さゆう》の店《みせ》は悉く明《あか》るかつた。代助は眩《まぼ》しさうに、電気燈の少《すく》ない横町へ曲《まが》つた。江戸川の縁《ふち》へ出《で》た時、暗《くら》い風が微《かす》かに吹《ふ》いた。黒《くろ》い桜《さくら》の葉が少し動《うご》いた。橋《はし》の上《うへ》に立つて、欄干《らんかん》から下《した》を見|下《おろ》してゐたものが二人《ふたり》あつた。金剛寺|坂《ざか》では誰にも逢はなかつた。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道《さかみち》を塞《ふさ》いでゐた。  平岡の住《す》んでゐる町《まち》は、猶静かであつた。大抵な家《うち》は灯影《ひかげ》を洩《も》らさなかつた。向ふから来《き》た一台の空車《からぐるま》の輪の音《おと》が胸を躍らす様に響《ひゞ》いた。代助は平岡の家《いへ》の塀際迄|来《き》て留《とま》つた。身を寄せて中《なか》を窺ふと、中《なか》は暗《くら》かつた。立て切つた門の上に、軒燈が空《むな》しく標札を照《て》らしてゐた。軒燈の硝子《がらす》に守宮《やもり》の影《かげ》が斜《なゝ》めに映《うつ》つた。  代助は今朝《けさ》も此所《こゝ》へ来《き》た。午《ひる》からも町内を彷徨《うろつ》いた。下女が買物にでも出《で》る所を捕《つら》まへて、三千代の容体を聞かうと思つた。然し下女は遂に出て来《こ》なかつた。平岡の影も見えなかつた。塀の傍《そば》に寄《よ》つて耳を澄《す》ましても、夫《それ》らしい人声《ひとごえ》は聞えなかつた。医者を突《つ》き留《と》めて、詳しい様子を探らうと思つたが、医者らしい車は平岡の門前には留《とま》らなかつた。そのうち、強い日に射付けられた頭《あたま》が、海《うみ》の様に動《うご》き始めた。立ち留《ど》まつてゐると、倒れさうになつた。歩《ある》き出すと、大地が大きな波紋を描《ゑが》いた。代助は苦しさを忍《しの》んで這《は》ふ様に家《うち》へ帰つた。夕食《ゆふめし》も食《く》はずに倒れたなり動《うご》かずにゐた。其時|恐《おそ》るべき日は漸く落《お》ちて、夜が次|第《だい》に星《ほし》の色《いろ》を濃《こ》くした。代助は暗《くら》さと涼しさのうちに始めて蘇生《よみがへ》つた。さうして頭《あたま》を露《つゆ》に打《う》たせながら、又三千代のゐる所迄|遣《や》つて来《き》たのである。  代助は三千代の門前を二三度|行《い》つたり来《き》たりした。軒燈の下《した》へ来《く》るたびに立ち留《ど》まつて、耳を澄《す》ました。五分乃至十分は凝《じつ》としてゐた。しかし家《うち》の中《なか》の様子は丸で分《わか》らなかつた。凡てが寂《しん》としてゐた。  代助が軒燈《けんとう》の下《した》へ来《き》て立ち留《と》まるたびに、守宮《やもり》が軒燈の硝子《がらす》にぴたりと身体《からだ》を貼《は》り付けてゐた。黒い影は斜《はす》に映《うつ》つた儘|何時《いつ》でも動《うご》かなかつた。  代助は守宮《やもり》に気が付く毎《ごと》に厭《いや》な心持がした。其|動《うご》かない姿が妙に気に掛《かゝ》つた。彼の精神は鋭どさの余りから来《く》る迷信に陥いつた。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつゝあると想像した。三千代は今死につゝあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢ひたがつて、死に切れずに息《いき》を偸《ぬす》んで生きてゐると想像した。代助は拳《こぶし》を固めて、割れる程平岡の門を敲《たゝ》かずにはゐられなくなつた。忽ち自分は平岡のものに指《ゆび》さへ触れる権利がない人間だと云ふ事に気が付いた。代助は恐《おそ》ろしさの余り馳《か》け出《だ》した。静かな小路《こうぢ》の中《うち》に、自分の足音《あしおと》丈が高く響《ひゞ》いた。代助は馳《か》けながら猶恐ろしくなつた。足《あし》を緩《ゆる》めた時は、非常に呼息《いき》が苦《くる》しくなつた。  道端《みちばた》に石段《いしだん》があつた。代助は半《なか》ば夢中で其所《そこ》へ腰を掛けたなり、額《ひたひ》を手で抑《おさ》えて、固《かた》くなつた。しばらくして、閉《ふ》さいだ眼《め》を開《あ》けて見ると、大きな黒い門《もん》があつた。門の上《うへ》から太い松が生垣の外《そと》迄枝を張つてゐた。代助は寺《てら》の這入り口《くち》に休んでゐた。  彼は立《た》ち上《あ》がつた。惘然《もうぜん》として又|歩《ある》き出した。少し来《き》て、再び平岡の小路へ這入つた。夢の様に軒燈の前で立留《たちどま》つた。守宮《やもり》はまだ一つ所に映《うつ》つてゐた。代助は深い溜息《ためいき》を洩《も》らして遂に小石川を南側《みなみがは》へ降《お》りた。  其晩は火の様に、熱くて赤い旋風《つむじ》の中《なか》に、頭《あたま》が永久に回転した。代助は死力を尽して、旋風《つむじ》の中《なか》から逃《のが》れ出様《でやう》と争つた。けれども彼の頭《あたま》は毫も彼の命令に応じなかつた。木の葉の如く、遅疑《ちぎ》する様子もなく、くるり/\と焔《ほのほ》の風《かぜ》に巻《ま》かれて行つた。        十七の二  翌日《あくるひ》は又|燬《や》け付く様に日《ひ》が高く出《で》た。外《そと》は猛烈な光《ひかり》で一面にいら/\し始めた。代助は我慢して八時|過《すぎ》に漸く起きた。起きるや否や眼《め》がぐらついた。平生の如く水《みづ》を浴《あ》びて、書斎へ這入《はい》つて凝《じつ》と竦《すく》んだ。  所へ門野《かどの》が来《き》て、御客さまですと知《し》らせたなり、入口《いりぐち》に立《た》つて、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であつた。客は誰だと聞き返しもせずに手で支へた儘の顔《かほ》を、半分ばかり門野《かどの》の方へ向き易《か》へた。其時《そのとき》客の足音《あしおと》が椽側にして、案内も待《ま》たずに兄《あに》の誠吾が這入つて来《き》た。 「やあ、此方《こつち》へ」と席を勧めたのが代助にはやうやうであつた。誠吾は席に着《つ》くや否や、扇子を出して、上布《じやうふ》の襟《えり》を開《ひら》く様に、風《かぜ》を送つた。此暑さに脂肪《しぼう》が焼《や》けて苦しいと見えて、荒い息遣《いきづかひ》をした。 「暑《あつ》いな」と云つた。 「御宅《おたく》でも別に御変りもありませんか」と代助は、左《さ》も疲《つか》れ果《は》てた人《ひと》の如くに尋《たづ》ねた。  二人《ふたり》は少時《しばらく》例の通りの世間話《せけんばなし》をした。代助の調子態度は固より尋常ではなかつた。けれども兄《あに》は決して何《ど》うしたとも聞《き》かなかつた。話《はなし》の切《き》れ目《め》へ来《き》た時、 「今日《けふ》は実《じつ》は」と云ひながら、懐《ふところ》へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。 「実《じつ》は御|前《まへ》に少し聞《き》きたい事があつて来《き》たんだがね」と封筒の裏《うら》を代助の方へ向けて、 「此男を知つてるかい」と聞いた。其所《そこ》には平岡の宿所姓名が自筆で書いてあつた。 「知つてます」と代助は殆んど器械的に答へた。 「元《もと》、御前《おまへ》の同級生だつて云ふが、本当か」 「さうです」 「此男の細君も知つてるのかい」 「知つてゐます」  兄《あに》は又扇を取り上《あ》げて、二三度ぱち/\と鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段|落《おと》した。 「此男の細君と、御前《おまへ》が何か関係があるのかい」  代助は始めから万事を隠す気はなかつた。けれども斯う単簡に聞かれたときに、何《ど》うして此複雑な経過を、一言《いちげん》で答へ得るだらうと思ふと、返事は容易に口《くち》へは出《で》なかつた。兄《あに》は封筒の中《なか》から、手紙を取《と》り出《だ》した。それを四五寸ばかり捲《ま》き返《かへ》して、 「実《じつ》は平岡と云ふ人が、斯《か》う云ふ手紙を御父《おとう》さんの所へ宛《あて》ゝ寄《よ》こしたんだがね。――読《よ》んで見るか」と云つて、代助に渡《わた》した。代助は黙《だま》つて手紙を受取つて、読《よ》み始めた。兄《あに》は凝《じつ》と代助の額《ひたひ》の所を見詰めてゐた。  手紙は細《こま》かい字で書《か》いてあつた。一行二行と読むうちに、読み終つた分《ぶん》が、代助の手先《てさき》から長く垂《た》れた。それが二尺|余《あまり》になつても、まだ尽きる気色はなかつた。代助の眼《め》はちらちらした。頭《あたま》が鉄《てつ》の様に重《おも》かつた。代助は強いても仕舞《しまひ》迄読み通さなければならないと考へた。総身《さうしん》が名状しがたい圧迫を受けて、腋《わき》の下《した》から汗《あせ》が流れた。漸く結末へ来《き》た時は、手に持つた手紙を巻《ま》き納《おさ》める勇気もなかつた。手紙は広《ひろ》げられた儘|洋卓《てえぶる》の上《うへ》に横《よこた》はつた。 「其所《そこ》に書《か》いてある事は本当なのかい」と兄《あに》が低い声で聞《き》いた。代助はたゞ、 「本当です」と答へた。兄《あに》は打衝を受けた人の様に一寸《ちよつと》扇の音《おと》を留《とゞ》めた。しばらくは二人《ふたり》とも口《くち》を聞《き》き得なかつた。良《やゝ》あつて兄《あに》が、 「まあ、何《ど》う云ふ了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆《あき》れた調子で云つた。代助は依然として、口《くち》を開《ひら》かなかつた。 「何《ど》んな女だつて、貰《もら》はうと思へば、いくらでも貰《もら》へるぢやないか」と兄がまた云つた。代助はそれでも猶黙つてゐた。三度目に兄《あに》が斯う云つた。―― 「御前《おまへ》だつて満更《まんざら》道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出《しで》かす位なら、今迄折角|金《かね》を使つた甲斐がないぢやないか」  代助は今更|兄《あに》に向つて、自分の立場《たちば》を説明する勇気もなかつた。彼《かれ》はつい此間《このあひだ》迄全く兄《あに》と同意見であつたのである。        十七の三 「姉《ねえ》さんは泣《な》いてゐるぜ」と兄《あに》が云つた。 「さうですか」と代助は夢の様に答へた。 「御父《おとう》さんは怒《おこ》つてゐる」  代助は答をしなかつた。たゞ遠い所を見る眼《め》をして、兄《あに》を眺めてゐた。 「御前《おまへ》は平生から能《よ》く分《わか》らない男だつた。夫でも、いつか分《わか》る時機が来《く》るだらうと思つて今日《こんにち》迄|交際《つきあ》つてゐた。然し今度《こんだ》と云ふ今度《こんだ》は、全く分《わか》らない人間だと、おれも諦《あき》らめて仕舞つた。世の中に分《わか》らない人間《にんげん》程危険なものはない。何を為《す》るんだか、何を考へてゐるんだか安心が出来ない。御前《おまへ》は夫《それ》が自分の勝手だから可《よ》からうが、御父《おとう》さんやおれの、社会上の地位を思つて見ろ。御前だつて家族の名誉と云ふ観念は有《も》つてゐるだらう」  兄《あに》の言葉は、代助の耳《みゝ》を掠《かす》めて外《そと》へ零《こぼ》れた。彼はたゞ全身に苦痛を感じた。けれども兄《あに》の前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはゐなかつた。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄《あに》から、今更同情を得やうと云ふ芝居気は固より起らなかつた。彼《かれ》は彼《かれ》の頭《あたま》の中《うち》に、彼自身に正当な道を歩《あゆ》んだといふ自信があつた。彼は夫で満足であつた。その満足を理解して呉れるものは三千代丈であつた。三千代以外には、父《ちゝ》も兄《あに》も社会も人間も悉く敵《てき》であつた。彼等は赫々《かく/\》たる炎火《えんくわ》の裡《うち》に、二人《ふたり》を包《つゝ》んで焼《や》き殺《ころ》さうとしてゐる。代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此|焔《ほのほ》の風に早く己れを焼《や》き尽《つく》すのを、此|上《うへ》もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかつた。重い頭《あたま》を支へて石の様に動かなかつた。 「代助」と兄《あに》が呼んだ。「今日《けふ》はおれは御父《おとう》さんの使《つかひ》に来《き》たのだ。御前は此間《このあひだ》から家《うち》へ寄《よ》り付《つ》かない様になつてゐる。平生なら御|父《とう》さんが呼び付けて聞き糺《たゞ》す所だけれども、今日《けふ》は顔《かほ》を見るのが厭《いや》だから、此方《こつち》から行つて実否を確《たしか》めて来《こ》いと云ふ訳で来《き》たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云ふ所が一々根拠のある事実なら、――御父《おとう》さんは斯《か》う云はれるのだ。――もう生涯代助には逢はない。何処《どこ》へ行《い》つて、何《なに》をしやうと当人《とうにん》の勝手だ。其代り、以来子としても取り扱はない。又|親《おや》とも思つて呉《く》れるな。――尤もの事だ。そこで今《いま》御前《おまへ》の話《はなし》を聞いて見ると、平岡の手紙には嘘《うそ》は一つも書いてないんだから仕方がない。其上御前は、此事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それぢや、おれだつて、帰つて御父《おとう》さんに取り成し様がない。御父《おとう》さんから云はれた通りを其儘御前に伝へて帰る丈の事だ。好《い》いか。御父《おとう》さんの云はれる事は分《わか》つたか」 「よく分《わか》りました」と代助は簡明に答へた。 「貴様《きさま》は馬鹿だ」と兄《あに》が大きな声を出した。代助は俯向《うつむ》いた儘|顔《かほ》を上《あ》げなかつた。 「愚図だ」と兄《あに》が又云つた。「不断《ふだん》は人並《ひとなみ》以上に減《へ》らず口《ぐち》を敲く癖に、いざと云ふ場合には、丸で唖の様に黙《だま》つてゐる。さうして、陰《かげ》で親の名誉に関《かゝ》はる様な悪戯《いたづら》をしてゐる。今日《こんにち》迄何の為《ため》に教育を受けたのだ」  兄《あに》は洋卓《てえぶる》の上《うへ》の手紙を取《と》つて自分で巻《ま》き始めた。静《しづ》かな部屋の中《なか》に、半切《はんきれ》の音《おと》がかさ/\鳴《な》つた。兄《あに》はそれを元《もと》の如《ごと》くに封筒に納めて懐中した。 「ぢや帰るよ」と今度は普通の調子で云つた。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、 「おれも、もう逢《あ》はんから」と云ひ捨てて玄関に出た。  兄《あに》の去《さ》つた後《あと》、代助はしばらくして元の儘じつと動かずにゐた。門野《かどの》が茶器を取り片付《かたづ》けに来《き》た時、急に立《た》ち上《あ》がつて、 「門野《かどの》さん。僕は一寸《ちよつと》職業を探《さが》して来《く》る」と云ふや否や、鳥《とり》打帽を被《かぶ》つて、傘《かさ》も指《さ》さずに日盛《ひざか》りの表《おもて》へ飛び出した。  代助は暑《あつ》い中《なか》を馳《か》けない許《ばかり》に、急《いそ》ぎ足に歩《ある》いた。日《ひ》は代助の頭《あたま》の上から真直《まつすぐ》に射|下《おろ》した。乾《かは》いた埃《ほこり》が、火の粉《こ》の様に彼《かれ》の素足《すあし》を包《つゝ》んだ。彼《かれ》はぢり/\と焦《こげ》る心持がした。 「焦《こげ》る/\」と歩《ある》きながら口《くち》の内《うち》で云つた。  飯田橋へ来《き》て電車に乗《の》つた。電車は真直に走《はし》り出《だ》した。代助は車のなかで、 「あゝ動《うご》く。世の中が動く」と傍《はた》の人に聞える様に云つた。彼《かれ》の頭《あたま》は電車の速力を以て回転し出《だ》した。回転するに従つて火《ひ》の様に焙《ほて》つて来《き》た。是で半日乗り続《つゞ》けたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。  忽ち赤《あか》い郵便筒が眼《め》に付《つ》いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭《あたま》の中《なか》に飛び込んで、くる/\と回転し始めた。傘屋《かさや》の看板に、赤い蝙蝠傘《かうもりがさ》を四つ重《かさ》ねて高《たか》く釣《つ》るしてあつた。傘《かさ》の色が、又代助の頭《あたま》に飛び込んで、くる/\と渦《うづ》を捲《ま》いた。四つ角《かど》に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急に角《かど》を曲《まが》るとき、風船玉は追懸《おつかけ》て来《き》て、代助の頭《あたま》に飛び付《つ》いた。小包《こづゝみ》郵便を載《の》せた赤い車がはつと電車と摺《す》れ違ふとき、又代助の頭《あたま》の中《なか》に吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと続《つゞ》いた。仕舞には世の中が真赤《まつか》になつた。さうして、代助の頭《あたま》を中心としてくるり/\と焔《ほのほ》の息《いき》を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。 底本:「漱石全集 第六巻」岩波書店    1994(平成6)年5月9日発行 底本の親本:漱石の自筆原稿 ※ルビは、漱石の原稿にあったルビのみ付け、岩波編集部が付けたルビは省きました。 ※ルビ、文字遣い、語句の混在は底本の通りとしました。 入力:Godot、野口英司、oto 校正:門田裕志、小林繁雄 2005年4月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。